異世界で傭兵になった俺ですが

一戸ミヅ

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1巻

1-2

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「いいや、続いてるよ。もうあれ、趣味なんじゃないかな?」
「戻ってきちゃっていいんですか……?」

 雇い主が彼を手放すわけはないだろう。雇っておくだけで不戦勝できる傭兵なんて、最高の存在じゃないか。金があるなら、なおさら。
 ユーリャナは、「だって契約期間が終わったから」とけろっとしている。

「報酬を上げるから延長したいって言われたんだけどね」
「断ったんですか」
「戦えないなら、意味ないじゃない?」
「はあ……」

 そういうものなのか。

「だよなー、べつに勝って稼ぎたいわけじゃないしな。戦って稼ぎたいんだよ」
「そうそう」

 よくわからなかったが、これが傭兵というものなんだろう、とマヒロは自分を納得させた。ふたりはとくに戦闘狂に見えるわけでもない。だからこそなんだか恐ろしい。

「きみはどんな戦いかたが得意なの、マヒロ?」
「あ、それ聞いとかないとな。その感じだと、あんま慣れてないのか?」
「あ……ええと」

 場違いさを感じつつ、正直に答える。

「おれ、じつは傭兵の仕事、はじめてで」
「あ、そうなの? 今までなにして食ってたんだ?」
「土建の見習いみたいなことをしてた。その間に副業で用心棒をしたりはしたんだけど、盗賊が来ないように荷馬車を見張ったりとか、そのくらいで」
「なるほど。実戦の経験はないんだね」
「それでも雇ってもらえるのか、採用の面接のときに聞こうと思ってたんだ。でも……」
「面接なんてなかったでしょ?」

 そうなのだ、なかった。ただ待っていただけで合格してしまった。

「ほんとにおれでいいのかな? そもそも、どうして合格したのか……」
「問題ない。お前は合格だ」

 ふいに、声が割りこんできた。

(この声は……)

 マヒロはきょろきょろと首をめぐらせ、声の主を探す。
 くすくす笑う気配を、頭上から感じた。見あげると、頭の少し上、大木の幹から張り出した枝の上にエルンがいた。
 枝に引っかかった洗濯物みたいに、だらんと腕を垂らして腹ばいに寝そべっている。実際そこで眠っていたらしく、半分ほどしか目が開いていない。
 猫だ。

「エルン、そこにいたんだね。戻ったよ、ただいま」
「息災でなによりだ。儲かったか?」
「もちろん」

 ユーリャナの返事に、エルンは満足そうに目を細める。そして身体をすべらせ、ずるっと枝から垂れ下がると、真っ逆さまにマヒロの目の前に落ちてきた。──と思ったら、空中で器用に身体を回転させ、二本の足ですとんと着地する。

(猫だな……)

 唖然として見つめるマヒロの前をすたすたと通りすぎ、エルンはユーリャナが使っていたたらいのほうへ歩いていった。

「おはよ。言われたとおり、案内中だよ」

 テッポが声をかけた。エルンは片手で水をすくって口をゆすぎ、草の上に吐き出す。

「ああ」
「なんか、団長に聞きたいことがあるんだってさ。なっ?」

 えっ。
 突然振られて、マヒロはうろたえた。エルンは腕で口元を拭いながら、マヒロの質問を待っている。その瞳は、昨夜見たときのように光ってはいないけれど、かなり明るい色をしており、周囲の光加減で瞳孔が開いたり閉じたりするのがはっきり見える。
 テッポに足を蹴られ、マヒロははっと背筋を伸ばした。

「あの、おれが合格した理由を」
「不満なら無理に来なくていい」
「そ、そういうわけじゃなくて、その、合否の基準が気になって……」
「基準?」

 わずかに首をかたむけ、エルンが眉を上げる。

「そんな、たいそうなものはない」
「でも……」
「命令を聞く脳ミソがあるかどうか。確かめたいのはそれだけだ」

 そんなバカな。

「おれが、全然戦えなかったら? ただの無駄飯食いになるかもしれないのに」
「そんな奴は、仕事に出せば自然と淘汰されるから、心配ない」

 なるほど……
 半分ほどは腑に落ちた気がする。

「オレらはさ、個人でやってるかぎりは、契約さえ守ればいいわけだから。『命令』に従う習慣がない奴って、案外多いんだよ」

 テッポが丁寧に説明してくれたが、それにしたって雑すぎない?という疑問は消えない。口にするのは、さすがにはばかられるから、言わないが。
「ユーリャナ」とエルンが声をかけた。

「余ってる剣をくれ。軽めのを」
「了解」

 ユーリャナは朝露に濡れた草の上を駆けていき、石造りの建物の中に消えると、すぐに両手に一本ずつ剣を持って出てきた。

「はい。どっちがいいかな」

 少し離れたところから、投げてよこす。投げ渡した相手はエルンでなく、マヒロだ。

「え、おれ?」

 慌てて受け止めて、ぎょっとした。

(重っ……)

 取り落としそうになって、急いで体勢を整える。ユーリャナは片手で軽々放り投げたのに。

「こっちのほうが軽いけど、長さもあるからちょっと扱いづらいかも」

 さらにもう一本が放られる。マヒロは受け止めてから両方をそっと地面に置き、一本ずつ鞘から抜いた。ぎらりと輝く鉄の刃が現れる。当然ながら、本物だ。
 マヒロはエルンを見た。少し目が覚めてきたような表情で、エルンが見返してくる。

「自分がどの程度戦えるか、知りたいんだろう?」

 手合わせして、レベルを見てもらえるってことか。
 二本の剣を何度か持ち比べてみて、軽い──もう一本に比べれば──ほうを選んだ。劇団時代に殺陣の訓練を受けた経験がある。徒手の殺陣も練習したし、日本刀も洋刀も使った。もちろん模擬刀だったけれど。軽くて長い剣のほうが、そのとき使った剣に似ている。
 マヒロの心が決まったのを見てとったのか、エルンがくいと顎を上げる。

「少し移動する」

 誘導されたのは、エルンが寝ていた木の裏手だった。ぽっかりと、ほぼ円形に草が抜け、土の地面がむき出しになっている。マヒロは大相撲の土俵を思い浮かべた。
 円の中に入ると、エルンはマヒロから三メートルほど距離を取って対峙した。

「いつでもいい。来い」
「えっ……」

 さすがに面食らった。エルンは素手で、武器を身につけている様子はない。足元にいたっては裸足だ。マヒロは土俵の外で見守っているテッポたちに視線を向けた。
 ふたりとも、足を組んだり腕を組んだり、ゆったりと見物の体勢だ。テッポが首をかしげた。

「あ、緊張してる? 大丈夫だよ、団長は仲間にけがさせたりしないから」

 いや、そっちじゃなくて。
 顔を正面に戻すと、そこには両手を身体の脇に垂らして立ち、見物人と同じくらいくつろいで見えるエルンがいる。

(やるっきゃないか……)

 革の巻かれた柄を両手で握り、身体の正面に構えた。
 エルンの様子は変わらない。深呼吸したくなる気持ちを抑え、マヒロは踏みこんだ。
 予備動作は最小にしたつもりだった。振りかぶりもせず、最初の一歩を踏み出すときにやりがちな〝沈む〟動作も入れなかった。たいていの人間なら、この一撃めで戸惑うはず。予測したタイミングよりはるかに速く、相手が自分に到達するからだ。
 たいていの人間なら……
 金属同士がぶつかる音がした。エルンの首のつけ根を狙って振りおろした剣は、ぎりぎりのところで止められている。マヒロのひじのあたりまで、しびれが来た。
 エルンは驚くべきことに、右手だけで剣を受け止めていた。
 そんなバカな、とよくよく見て気づく。エルンの手の甲から指に沿って、鉤爪状に湾曲した金属が伸びている。先端は刃物のように鋭利だ。

(クローだ!)

 これがエルンの武器か。まずい、まったく知識がない。
 はっといやな予感がして、踏みこんでいた右足を引いた。一瞬速く、エルンの左手がマヒロの腿を水平に薙ぐ。速すぎて、刃を目で追えない。

(熱っつ!)

 すさまじい摩擦熱が肌を焼いた。足をすっぱりやられた気がしたが、見ればズボンには傷ひとつついていない。爪の背中側を使ったらしい。刃の側を使われていたらどうなっていたか、考えるだけで冷や汗が出る。
 呼吸を整える間もなく、剣がぐいと押し戻され、再び金属同士が噛みあう音が響いた。クローの爪と爪の間に剣が挟まれたのだ。エルンがくいっと手首を回転させるのが見えて、反射的にマヒロは剣から両手を離した。
 剣が弾き飛ばされ、勢いよく回転しながら、テッポたちの頭の上を越えていく。
 かたくなに剣を握りしめていたら、確実に手を痛めていた。下手したら腕も。エルンが体勢を低くし、満足そうに唇を舐める。

「勘がいいな」

 マヒロはうしろに飛びのいた。本職の傭兵と生身の格闘なんてできるわけがない。初手が唯一のチャンスだとわかっていたからこそ、渾身の力で一撃必殺を狙ったのだ。武器がなくなった今、せめて距離を取らなかったら、即やられる。
 が、もう遅かった。
 気づいたときには地面の上に仰向けに倒され、のしかかるエルンの腕が喉仏を圧迫していた。手加減されているのはわかるが、それでも苦しい。

「はい、勝負あった!」

 パン、とテッポが手を鳴らした。身体の上の重みがふっと消え、目の前に手が差し出される。そこにはもうクローはない。前腕を覆っている手甲のような防具に、なにか仕掛けがあるんだろう。
 マヒロは深々と息を吐き、その手を取って立ちあがった。
 手も足も出なかった。

(まあ、あたり前か……)

 わかっていたこととはいえ、めげる。けれど、かけられた声は意外なものだった。

「わかったか? お前の勘は悪くない」
「え?」
「自分に合う剣を見つけて練習しろ。もっと軽くて、おそらく片刃のほうがいい。テッポ、ユーリャナ、相手をしてやってくれ。時間の許すかぎりおれもやる」
「了解」
「ほーい。マヒロ、あとで武器庫を案内してやるよ。いろいろあるから」
「それから中距離の攻撃方法もひとつ身につけろ。四日後の仕事につれていく」
「え?」

 衣服についた土を払いながら、マヒロはぽかんとしていた。

「わあ、初仕事だね」
「オレも行くやつだ。がんばろーな」

 先ほど弾き飛ばされた剣を、エルンが拾って戻ってきた。始末しておけという意味だろう、柄をマヒロに向けて差し出す。彼のほうが少し小さいので、軽く見あげられる形になる。
 雲の切れ間から日が差し、霧がさっと晴れた。エルンの目の下の黒い線がはっきりと見える。その線がなにかを思い起こさせると、マヒロはずっと気になっていた。
 わかった、チーターだ。
 エルンがにやりと笑んだ。口の端に、尖った白い犬歯がのぞく。

「エタナ・クランへようこそ、マヒロ」

 はじめて彼に、名前を呼ばれた。
 マヒロはまた、身体の芯がぞくっと震えるような、あの感覚を味わった。
  




   第二章


 夕刻の林間に石笛の音が響いた。

「撤収!」

 テッポの声も笛の音も、マヒロの耳には届いている。だけど聞こえていない。
 白い樹皮の木が立ち並ぶ一帯。頭上に繁った葉のせいで視界は常に薄暗い。太陽が沈みつつある今、マヒロが視認できるのは物体のぼんやりとしたシルエットだけだ。
 心臓の音がうるさい。
 さっきまで相対していた敵の姿を見落とすまいと、林の奥に目を凝らす。身体の前に構えた剣の先が、ちりちりと震えている。
 目が、視界の片隅で動くものを捉えた。考えるより早く、マヒロはその影を薙ぎ払うように剣を振った。切っ先がなにかをかすめ、はっと我に返る。
 エルンが立っていた。革の胸当てに刻まれたひと筋のへこみは、たった今マヒロの剣がつくったものだ。剣がかすめても、エルンは微動だにしなかった。
 振り抜いたまま空中で半端にとどまっていた剣を、エルンがそっと手で下ろす。
 闇と同化した風貌の中で、瞳だけが太陽の残光を反射して光っている。じっとマヒロを見つめる表情は、戦いのあととは思えないほど静かだ。エルンが口を開いた。

「撤収だ」
「あ……」

 マヒロは詰めていた息を吐いた。身体から力が抜けていく。落ち葉が積もってできた腐葉土の上に、剣が柔らかく落ちた。足元がおぼつかず、マヒロはバランスを崩し、尻餅をついた。
 かたわらにエルンがひざをつき、マヒロの剣を取りあげる。

「……すみません」
「なぜ謝る?」

 エルンは刃をじっくり確かめ、「木を何度か斬ったな」と愉快そうに言った。

「思った以上に、木の間隔が狭くて」
「そういう場所で、水平に剣を振ったらダメだ。さっきみたいに」

 ですよね、とマヒロはしょげた。教わったはずなのに。

「戻るぞ」

 うなだれるマヒロをよそに、エルンが立ちあがる。軽やかな足取りで歩いていくうしろ姿を、マヒロは情けない気持ちで見つめた。


「いや、落ちこむとこじゃないって。斬りあわなくて済めば、それが一番」

 気落ちするマヒロをテッポが慰める。
 初仕事は小さな隊商の護衛だった。エタナ・クランから参加したのはエルンとテッポ、マヒロとほか二名。クランの拠点のある街から出発し、山道を抜け、今いる街まで無事に送り届けて任務は完了した。荷車が通れる道を選んだために山中で一泊する必要があり、マヒロたちは交替で夜通し番をした。くたくただ。
 すでに日は暮れているから、今夜はこの街に泊まる。めいめい宿泊先を探していたところ、旅慣れた隊商のかしらが食事のおいしい宿屋を教えてくれたので、テッポと連れ立ってやってきた。

「とりあえず乾杯しようぜ」

 食事どきを過ぎているせいか、宿屋の食堂にはマヒロとテッポ以外だれもいない。テッポは陶製のピッチャーから麦酒をどばどば注ぎ、ガツンとカップをぶつけた。

「マヒロの初仕事が、けがもなく終わったことに、乾杯!」
「けががないっていうか、たんに戦わなかったっていうか……」
「またあー」

 太い丸太を輪切りにしたテーブルを、天井から吊り下げられたランプが照らしている。食事が運ばれてくると、マヒロは腰袋からフォークとスプーンを取り出した。
 この世界ではカップも客が持参し、店の飲み物を注いでもらう。水道も普及していない中、洗い物は汲み置きの水を使うしかない。店が大量の食器を持つこと自体、現実的じゃないんだろう。

「戦わなくてもいいんだって。今回の仕事は隊商を無傷で目的地に送り届けることであって、賊のせん滅じゃないんだから」
「直接戦わずに仕事が終わることって、よくあるの?」
「全然あるよ。つまんないけど、装備も消耗しないし、まあ、お得な回と思って終了」
「でも、こういう機会に少しでも山賊を減らすのも、広義の使命だったりとか」
「そんな使命、ないよ。少なくとも今回の依頼には含まれてない」
「そうなんだ?」
「だって、ほかの隊商が襲われるぶんにはむしろ歓迎だろ。傭兵が大けがでもすりゃ、こっちは競争相手が減る」
(野性味があるなあ)

 弱肉強食、優勝劣敗。自分に利益があるか否か、リスクよりリターンのほうが多いか否か、勝てるか否か。ここでは、人の行動原理はとてもシンプルだ。
 白いシチューを口に運ぶ。塩気の薄さを肉とミルクの風味で補っているような、素朴な味だ。

「じゃあ、毎回血みどろの戦いをくり広げるわけじゃないんだ」
「藩同士の戦争じゃあるまいし。実力がある相手ほどこっちの能力も読み取れるから、無駄な争いは仕掛けてこないよ。だからなるべく高い金を払って、いい傭兵を雇うわけ。ユーリャの話はしたろ? オレが今回の賊なら、エルン団長の気配を感じただけで死んだふりするね」
「そういうこと、できたら事前に教えてくれないかな」
「そしたら油断しちゃうだろ」

 にやにやしているテッポは、半分は確信犯だったに違いない。いつ敵と遭遇し、戦闘になるかとガチガチに緊張していたマヒロを、微笑ましく見守っていたのだろう。
 くそー、と内心で舌打ちしながら、パンをちぎってシチューに浸す。そのとき、ランプの灯りがゆらりと揺れた。いつの間にか、テーブルの横にエルンが立っていた。
 ここはふたり席だ。上司に席を譲る気分で腰を浮かせてから、思い直す。そういう文化の傭兵団じゃないし、エルンもおかしな気遣いは歓迎しない。逡巡している一瞬の間に、椅子に半端にできたスペースに、エルンが遠慮なく腰を下ろした。
 座り直そうとしていたマヒロは、エルンの身体に弾かれて、半分だけ椅子に引っかかった状態になる。エルンは気にする様子もなく、持っていた布の袋をテーブルに投げた。

「うわ、もうもらえたんだ?」

 テッポが声を弾ませ、袋の端を持ちあげる。

「しかもだいぶ多い」
「隊商はおれたちの仕事ぶりにいたく満足だったらしい」
「そりゃお互いさまだね! 無茶な要求もなかったし、さらに金払いがいいなんて」
「最高の顧客だ」

 満足げにうなずき、エルンはマヒロのカップに手を伸ばした。まるで自分のものであるかのようにテッポと乾杯すると、ぐいと飲み干す。
 ご機嫌だ。
 数日かけた仕事が首尾よく終わって、気分がいいのかもしれない。そもそもエルンとテッポ、ユーリャナの三人は、クランの中でも仲がいいのだった。

ちあげ前からちょいちょい一緒に仕事してたからさ』

 前にテッポがそう教えてくれた。
 ふと気がついた。
 エルンは〝マヒロの隣〟に座ったわけじゃない。〝テッポの正面〟に座ったのだ。

(なんだ……)

 ……『なんだ』ってなんだよ?
 自問するマヒロの前で、テッポが「これ、もう分けていいよな?」と袋の中身をテーブルの上に空けた。皿と皿の間に、硬貨がざらっと流れ出る。

「ひい、ふう……。まずこれが、団に入れるぶん」

 よりわけた小さな山を、ほかと混ざらないようテーブルの端に寄せる。続けて数えながら、残りの山を三つに分けた。

「これがエルンとオレ。残りがマヒロだな、ほい。初収入おめでと」

 自分の前に押し出された硬貨の山を、マヒロはありがたく受け取った。エルンとテッポは指名料が加算されるため、マヒロより多くもらうのは当然としても、マヒロがもらった額も事前に聞いていたよりだいぶ多い。

「おれまで、こんなにもらえるんですか」
「隊商の代表は、お前を名指しで褒めてた。報酬が増えたのはお前のおかげでもある」
「おれ、べつに特別なこと、してませんけど」

 必要ないと言われたものの、エルンに対してだけは敬語が抜けないマヒロだ。そんなマヒロを横目で見て、エルンはにやっと笑った。

「礼儀正しいところが気に入ったそうだ」
「あー、いないもんな、こういうの」
「それから正直で真面目だと」

 その評価には思い当たることがある。マヒロは肩を落とした。

「やっぱり試されてました?」
「さすがに気づいてたか」

 くくっと喉を鳴らし、エルンがマヒロの背中を叩いて励ます。
 隊商の護衛をしながら山道を歩いているとき、最後尾の荷車から包みがひとつ転がり落ちた。ちょうどマヒロの目の前だった。
 とくに深く考えず、マヒロはそれを拾って荷車に戻した。もう落ちないように、ほかの荷物の間にぎゅっと押しこみさえした。重さと手触りから、中身はおそらく宝飾品と思われた。
 こんな大事なもの、落としたらダメじゃん。
 隊商の不注意に眉をひそめるような思いで歩き続ける。なんとなく視線を感じたのはそのときだった。正確に言うと、視線が消えたのを感じた。だれかが見ていたのだ。
 変な気を起こさなくてよかった、とのんきに胸をなでおろし、だいぶあとになってから、それこそが狙いだったのではと思いあたった。

「偉いなー、オレだったら中身を確かめるくらいはしてたぜ」
「でも、盗みはしないよね?」

 テッポが肩をすくめた。

「まあね、でもそれはたんに、今、暮らしに困ってないからだ。それがなくて、しかるべき報酬の約束もなかったりしたらわからないよ。金は必要だもんな」
「……エルンなら?」

 マヒロは遠慮がちに尋ねた。テーブルに頬杖をついたエルンが、顔をこちらに向ける。触れあわざるを得ない距離のせいで、くっついた腕から筋肉の動きが伝わってきた。
 彼の答えは簡潔だった。

「落としたぞ、と知らせてやる」

 なるほど、さすがです。
 あらかた食べ終わるころ、エルンがくいと親指で戸口を差した。

「寝る前に練習するぞ」
「真っ暗ですよ」
「だからだ」

 そう言って席を立ってしまう。マヒロは急いで残りを平らげ、麦酒を飲み干してあとを追った。

「行ってら~」

 気楽に手を振って送り出すテッポに、エルンが戸口で振り返る。

「お前も来い」
「はい……」

 テッポは名残惜しそうに、服についたパンくずを払った。
  

 糸みたいに細い三日月が、稜線に消えようとしているところだった。
 エルンのあとについて宿屋の裏口を出たマヒロは、厩の横を抜け、物置小屋のような建屋の前を通りすぎようとして、なにかにつまずいた。暗くて足元が見えないのだ。
 おそらく鉄製の農具のようなものだろう。転びはしなかったものの、爪先をしたたか打って痛みに呻いた。異変に気づいたのか、数歩先でエルンが足を止める。
 そこに、ゆらゆら揺れるオレンジ色の光が追いかけてきた。

「おーい、マヒロ。少なくともお前はこれ、いるだろ」

 テッポがランタンを持ってきたのだ。おかげで半径二メートルほどが明るく照らされ、マヒロはほっとした。一方、エルンは顔をしかめ、ぎゅっと目を閉じている。

「手ぶらで出てくんだもんな。このへんで練習するだろ? ここに掛けとくぜ」

 テッポは背伸びをして、近くの木の枝にランタンを引っ掛けた。
 よほど大きな通りの重要な場所でもない限り街灯などないので、日が暮れたらどこへ行くにも灯りを持って出る必要がある。マヒロもそれには慣れていたつもりだったが……

「うっかりしてた。ありがとう」
「団長といると、やりがちだよな」

 そうなのだ。平然と闇の中に出ていき、すたすた歩くので、ついこっちも同じ調子でついていってしまう。

「この木がいい」

 エルンは並んで立つ細い木を選ぶと、木と木の間に縄を張りはじめた。マヒロとテッポも一緒になって、的になる結び目をつくりながら、縦横無尽に縄をくくりつける作業をする。
 エルンがそばに来たとき、マヒロは尋ねてみたくなった。

「体質みたいなものですか?」
「うん?」
「その、夜でも普通に見えるっていう」

 エルンが肩をすくめる。

「便利そうですよね」

 それに、特殊能力みたいでかっこいい。というのはさすがに子どもじみている気がするので、胸にしまっておく。エルンは再び肩をすくめただけで応えた。

「始めるぞ。お前は離れろ。もっと」

 もっとだ、という指示に従って、マヒロは張りめぐらした縄から十メートルほど距離を取った。ランタンのおかげで縄は見えるが、今度は自分の周囲が見えない。


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