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1巻

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 そのランタンを指さし、テッポがエルンに尋ねた。

「これ、消す?」
「半分だけ」

 えっ、うそ。
 無情にもランタンの覆いが半分下ろされ、光が弱くなる。

「おーい。的、どのくらい見える?」
「ほとんど見えないかな……」
「気にするな、おれは見えてる。始めろ」

 こういうエルンの強引さにも慣れてきたマヒロは、言われたとおり始めることにした。
 腰につけた袋に手を入れる。そこには道中拾い集めた、手ごろな大きさの石がいくつも入っている。縄の結び目の、一番上のひとつを狙って投げた。
 石は目標を外れ、うしろに積んである干し草の山に飛びこんだ。狙いを調整して、もう一投。今度は結び目をかすめて、縄を揺らした。
 エルンとテッポは縄の左右に立っている。いつ手元の狂った石が飛んでいくとも限らない場所なのに、平然としている。危なくないのかと以前聞いたら、『オレらに当てられるつもりなんだ?』とにやにやされたので、もう気にしないことにした。
 投石。
 これが、マヒロが習得中の〝中距離の攻撃方法〟だ。

『石を投げるだけ? で、いいんですか?』
『あ、地味だなって思ったな?』

 ちちち、とテッポは人差し指を振ってみせた。マヒロがエルンと勝負──にもならなかったけれど──をし、中距離攻撃を身につけろと言われた直後のことだ。
 テッポはすぐにマヒロを武器庫に案内して、いくつかをマヒロに提案した。短弓ショートボウ連接棍フレイル、投げナイフ、ブーメラン……
 拠点の草地に建つ石造りの建物の中は、さまざまな武器や防具でいっぱいだった。種類ごとに整頓されていて、手入れも行き届いている。ただし大きさや装飾はばらばらで、ひとつとして揃いのものがない。

『ここにあるのは共有の装備品だから、好きに持ってっていい。使わなくなったり、戦利品として取ってきたりしたものは、ここに置けば使いたい奴が使う。この焼き印がクラン所有のしるしだから、覚えといて』

 そう言ってテッポは手近な円月刀を手に取り、柄にされたうずまきのマークを見せた。

『この図柄には、どういう意味が……?』
『お前、都会っ子?』

 マヒロはなにを聞かれたのか理解しかねて、えーと、と考えた。

『よくわからないんです。昔の、っていうか、けっこう最近までの記憶がなくて』
『あらら、そら不便だな。でもいいこともありそうだな』

 テッポは驚くべき無頓着さでそう言うと、『これは、かたつむりだよ』と指さす。

『かたつむり?』
『そ。土着の言葉で、エタナって言うの。それでエタナ・クラン。縁起よさそうだろ?』

 かたつむりの縁起のよさにはぴんと来なかったものの、マークには素朴なかわいらしさがあって、マヒロは気に入った。

『なるほど』
『戦闘の経験はないんだったよな。四日でモノになる武器かあ……まずは剣の稽古を徹底的にする必要もあるわけだしなあ……うーん……あ、指が長いね、お前』

 マヒロの身体をあちこちさわって確かめながら、さらに少し考えて、テッポが出した答えが〝投石〟だったのだ。
 なぜそう考えたのかは、説明を聞けばすぐに納得した。
 いわく、武器を携帯する必要がなく、よって手入れの必要もなく、弓矢や投げナイフのように、的を外したときに手持ちの装備が減る心配もない。そのへんに落ちている石を拾い集めて使い、用がなくなったら捨てればいい。練習も気兼ねなくできる。
 そして訓練すれば、じゅうぶんな命中率と攻撃力を発揮する。

「うぉい、集中力切れてるぞー」

 テッポの声にはっとした。
 見ればエルンが、大きくそれた石を、ひょいと首をかしげてよけたところだ。

「すみません!」
「休憩する? けっこう投げたろ」

 尋ねられたマヒロより先に、エルンが「いや」と答えた。地面に落ちた石を二、三個拾いあげ、的の前に立つ。マヒロはいやな予感に襲われた。

「あの……」
「そういえば、お前は〝実戦〟のほうが勘がいいんだったな」

 にやりとする口元で、牙が光る。殺気を感じて、マヒロはとっさに腰の袋に手を入れた。
 ふたりはほぼ同時に投げた。
 投げながら身体をひねったものの、わずかに遅く、マヒロの左胸に鋭い衝撃が走る。一瞬呼吸が止まったが、体勢を整える前になんとか二投目を放った。
 エルンが一投目を難なくかわしたのは、マヒロの予想どおりだ。だけど、間髪を入れず次の石が飛んできたら?
 大きな金色の目がはっと見開かれる。石は計算どおり、エルンの腰骨めがけて飛んでいく。ひとつ目の石をよけたあと、重心が乗って動かしづらくなる場所だ。
 エルンは自分を穿とうとする石をじっと見つめ、瞬きをした。まるでカメラのシャッターが切られたみたいだとマヒロは感じた。褐色の腕が、すっと動く。
 なにが起こったのか、マヒロにはよく見えなかった。ただ、石がふっと方向を変え、エルンをかすめて干し草の山に突っこんだのはわかった。
 最小限の動作で、石の軌道をずらしたのだ。

(どんな動体視力してんだよ……)

 あらためて思う、恐ろしい人だ。
 とはいえ、それはそれとして……

「マヒロの奴、悔しがってるぜ」
「悪くない攻撃だった」
「けっこう負けん気強いんだよなー」

 楽しそうなふたりの言葉に、マヒロはますますおもしろくない気分になった。それなりに努力を重ねてきているのに、このふたりには一発も当てたことがない。
 当てられないことが悔しいんじゃない。少しも夢を見せてくれないふたりの意地悪さに腹が立つのだ。時間を見つけてはマヒロを練習に誘い出し、親身になってアドバイスをくれるだけに、こういう容赦のなさが頭に来る。
 くっそ、と心中で毒づいたとき、ランタンの灯りと人の足音が近づいてきた。

「お邪魔します。エタナ・クランの方々ですか?」

 現れたのは、宿屋の下働きの少年だった。エルンが振り返る。

「手紙をお預かりしました。宛名はエルネスティさんとなっています」
「おれだ」

 折りたたまれた羊皮紙を差し出した少年は、エルンの顔を見てぎょっとしたように手を止めた。エルンは気にする様子もなく受け取り、目を通しはじめる。少年はそそくさと去っていった。

「ユーリャナからだ。『ピエニノ町ニテ新タナ仕事アリコレカラ出立其ノホウモ参加サレタシ』」
「ピエニかあ。日付は?」
「二日前だ。明日発てば同じころに着くな」

 紙をのぞきこんで、テッポがふーむと思案する。
 この世界に組織的な郵便機能はない。旅人に伝言や手紙を託すのだ。マヒロも仕事柄移動が多かったので、何度か託されたことがある。これもそのようにして届いたのだろう。

「ユーリャが来いって言うからには、オレら好みの仕事なんだろうな」
「そうだな。行くか。マヒロもな」

 意見を求められることすらなく、あっさり決まった。まあもとより、団長と世話役の決めたことに異存なんてない。

「夜明けと同時にここを出てピエニに向かう。いいな」
「はい。ありがとうございました」

 ピエニってどのへんだろう、と内心で首をひねりながら、袋に残っていた石を捨てる。明日の移動に備えて、練習は終わりだと思ったからだ。が……

「なにが『ありがとうございました』なんだ」
「えっ」

 エルンがマヒロを指さし、テッポに指示する。

「近くで指導してやれ」
「ほいー」

 野営で夜明かしし、日中は山道を歩き詰め、やっと着いた宿屋。
 疲れてて……という言葉を飲みこみ、捨てた石をまた拾った。疲労の話をするならみんな同じ。いや、ろくに貢献しなかったマヒロより、彼らのほうが上だ。
 深く息を吸って、集中する。

「お願いします」
「がんばれー」

 背後でテッポが囁く。

(なんか、部活みたいだな)

 部活やってなかったけど、と自分で突っこみつつ、そんなことを考えた。


 ピエニでの任務には、エタナ・クランから総勢十名近くが参加した。任務を終えて、なんだかんだ二週間ぶりくらいで本拠地に帰ると、草地はがらんとしていた。
 ここに慣れるより先に初仕事に旅立ったけれど、戻ってくると、意外とほっとするものだ。荷物を下ろしたマヒロに、ユーリャナが声をかける。

「装備を解いたら温泉に行こうよ」
「温泉があるんだ?」
「ちょっと遠いんだけどね。初仕事からの帰還だもん、身体をねぎらってあげないと」

 浮かれかけたマヒロは、「あ、でも」と傾きかけた太陽を見あげた。

「おれ、夕食の支度が……」
「行ってこいよ。遠征帰りの日は、基本そういう仕事は免除される」

 テッポが荷解きをしながら、しっしっと追い払う仕草をする。

「だけど、新入りだし」
「団長と一緒に仕事ふたつこなしたら、新入りもなにもないって。オレも金勘定したら追いかけるから、行ってこい。ほい、新品の石鹸」

 そう言って、どこからか取り出した油紙の包みを、ぽんとマヒロの手に載せた。
 贅沢品だ。たっぷり使って全身を洗うことを想像すると、わくわくしてくる。

「じゃあ、エルンも」

 少し離れたところでしゃがんでいたエルンが、マヒロの呼びかけに顔を上げた。荷物を広げ、戦利品の確認をしていたらしい。

「なんだ?」
「ユーリャたちと温泉に行こうって話してて」
「そうか。ついでに食事もしてくるといい。ユーリャナは食通だ。うまい店を知ってる」
「エルンも行きましょうよ」

 それなりに期待をこめて誘ったものの、エルンは軽く肩をすくめただけだった。

「おれはいい」
「忙しいですか?」
「共同浴場は嫌いだ」

 そうなのか。
 そう言われては、無理に誘うのも気が引ける。マヒロはすごすごと荷解きに戻った。
 ほどなくして、広場の一角がざわつきはじめた。マヒロは振り返って、ぎょっとした。

(でっかいな……!)

 身の丈二メートル近くありそうな男を先頭に、四、五人の男が連れ立って野営地に入ってくる。知らない顔だが、仕事帰りの団員たちに違いない。挨拶をしないと。

「あの」
「おっ?」

 マヒロが駆け寄ったのと、向こうが声をあげたのは同時だった。先頭の大きな男が、くしゃっと顔を崩して陽気な笑顔を見せる。

「もしかしなくても、うわさの新入りだな? マー……」
「マヒロです」
「そうだ、なんか変わった名前なんだった。よろしく頼むぜ。おれはライノ」

 差し出された手は、握るとびっくりするほど分厚くて固い。見あげる位置にある顔は頑丈そうな首に支えられ、浅黒く日焼けした肌の中で明るい茶色の瞳が輝いている。
 背負っているのは、使いこまれた大剣だ。マヒロにはほぼ鉄板に見えた。こんなものを振り回されたら、近寄ることもできないだろう。
 うしろに四人の男が続いていた。すでに知っているメンバーがふたりと、知らないのがふたり。知らないふたりが口々に自己紹介をする。
 よかった、いい人たちだ。
 胸をなでおろしたとき、ライノがマヒロの背後に視線をやった。

「わざわざお出迎えか? 光栄だなあ、団長どの」

 皮肉な口調に驚いた。振り向いた先ではエルンが、いつもどおり力みのない姿勢で立っている。

「いや、たまたまいただけだ」
「冗談くらいわかれよ。おら、今回の報酬だ」

 投げつけるように放られた布袋を、エルンが片手で受けとめた。中を確認して、眉をひそめる。

「お前たちの取りぶんも入ってるように見えるが」
「何割だの何分の一だの、細かい計算は苦手なんでね」
「各自がする決まりだ」
「団長さまを信用してんだから、文句ねえだろ?」
「ぼくがやるよ、エルン」

 張り詰めた空気を和らげたのは、いつの間にかそばにいたユーリャナだった。エルンから袋を受け取り、ライノたちに微笑みかける。

「お帰り。お疲れさま」
「おお。お前らも大仕事やっつけたんだろ? おれたちのところまで噂が飛んできたぜ」
「おかげさまで。ぼくらはこのあと温泉に行くんだけど、そちらもどう?」
「ぼくら?」

 ライノが片方の眉を上げ、エルンを見やる。エルンはふいとその場を離れ、草地の奥へ歩いていった。空気の悪さを感じ取って、マヒロはなにか言わなくてはと慌てる。

「あ、おれと、あとテッポが行くんだ。エルンも誘ったんだけど、いいって」

 どっと笑いが起こった。ライノと連れたちが腹を抱えて笑っている。マヒロはぽかんとした。

「誘ったのかよ! そりゃ、あいつは行かないだろ」
「え、うん……?」
「お誘いはありがたいが、今夜はおれらも予定があるんでな、また今度。じゃあな」

 たくましい手でマヒロの背中を叩き、彼らは連れ立って焚き火のほうへ去っていった。


 市街地と逆方向へ三十分ほど歩くと、唐突に温泉が湧いていた。
 行程の後半は石ころだらけの上り道だった。マヒロは道々、石を拾っては天高く投げ、飛んでいる鳥をターゲットに投石の練習をした。あたったらかわいそうだからあたらないように心掛けたが、気を遣うまでもなくあたりそうになかった。真上に投げるのは難しいのだ。
 小高い丘を越えようとするあたりから、前方にもくもくと立ち昇る水蒸気が見えてきた。丘のてっぺんに立ったときは、思わず「わあ」と声が出た。
 透き通った川の流れのあちこちで、湯気が上がっている。川幅は十メートルもなく、水深もそう深くはなさそうだ。大きな獣なら歩いて渡れるだろう。
 川原は角の丸くなった大きな石がごろごろしており、素足で歩くのにちょうどいい。申し訳程度に立った木の衝立が、公共浴場としての体裁を保っている。マヒロはユーリャナにならって、さっそく服を脱いだ。

「沸いてるところに行っちゃダメだよ、火傷じゃすまないから」
「川の水、めちゃくちゃ冷たい!」
「ちょうどよく混ざってる場所を探すんだ。このへんかな」

 話しながらユーリャナは、ひと抱えほどの石を次々と積んで川の一部をせき止め、あっという間に即席の湯舟をこしらえる。

「うん、ちょうどいい湯加減だ。さあ入ろう」
「ありが、と……」

 マヒロの視線は、ついユーリャナの身体に行く。服を着ていると美しい顔とたおやかな仕草が目につくが、こうしてさらされた肌は古傷だらけだ。矢じりがえぐった傷、刃物がかすめた傷、刺された傷。マヒロも傷の種類の判別がつくようになっていた。
 気持ちよさそうに湯に身体を沈め、ユーリャナがひときわ目立つ腹の傷を指でなぞる。

「気になる?」
「ピエニではじめて一緒に仕事したけど、ユーリャってほとんど接近戦しないよね。それでもこんなに傷がつくもの?」
「たまに戦ってる実感がほしくなるとき、ない?」
「わざとやられるってこと?」
「そう。生きてるーって感じがして、燃えるんだよね」

 夢見るような口調だ。これをなんと呼ぶんだろう。心の闇か、性癖か。

(人って、わからないもんだなあ)

 熱い風呂が苦手なマヒロは、川の流れに近いほうを選んでそっと浸かった。ため息が出るほど気持ちいい。無色、無臭の温泉だ。

「あー……」

 慣れない仕事で積み重なった緊張がほどけていく。ピエニでの任務は、富豪の娘の婚礼行列の警護だった。日本でいうところの暴力団の組長のような家柄らしく、一族が総出になる機会を狙って、ライバルの組が襲撃に来るのが長年のおなじみなんだそうだ。実際、乱闘になった。
 口が浸からないぎりぎりのところまで沈み、温かい水流と浮力を楽しむ。ふふっと笑い声が聞こえて目を開けると、ユーリャナが微笑ましそうな視線を向けていた。

「マヒロって、いくつ?」
「二十七だと思う」
「そっか、記憶がないんだっけ。ぼくのひとつ下かあ。もう少し下に見えてたよ」
「じゃあ実際、もう少し下なのかも」
「かもね。なんで二十七だと思うの?」

 マヒロは少し考え、「残ってる記憶から、なんとなく」とできるかぎり正直に答えた。

「なるほど、じゃあ正しそうだな。エルンよりお兄さんなんだね」
「えっ!」

 そのとき、丘の向こうから「うおーい」と声がした。

「あ、テッポだ。あはは、もう脱ぎはじめてる」

 言葉のとおり、岩場を駆けおりてくるテッポはすでに上半身裸だ。その勢いのままブーツとズボンと下着を脱ぎ捨て、盛大にしぶきを上げて川に飛びこむ。
 マヒロとユーリャナは頭から湯をかぶったが、それも気持ちいい。

「ねえ、マヒロって二十七歳なんだって、知ってた?」
「うえっ、そうなの? せいぜいはたちを少し超えたくらいかと」
「エルンってぼくらの三つ下だったよね?」
「テッポってユーリャと同い年なんだ!?」

 つい大声が出た。のぼせやすいのか、テッポが真っ赤になった顔で眉をひそめる。

「どのくらいだと思ってたんだよ?」
「その……傭兵歴は長いけど、歳はおれと同じくらいかなって」
「オレがはたちそこそこの小僧に見えるってのか!」
「それは、テッポが想像してたおれの年齢だろ」
「ぼく、くつろぎに来たんだけど。静かにしてくれないと川上で身体を洗うよ」

 ユーリャナの脅しは、地味にいやだ。
 空はオレンジ色に染まりつつある。山に帰る鳥の群れが、見事なほどいっせいに飛ぶ方角を変える。マヒロは湯気の間から、ぼんやり頭上を眺めた。

「エルンも来ればよかったのに」

 ユーリャナが優しく目を細める。

「そうだね。今日はちょうど、だれもいないし」
「人がいるのがいやなんだ?」

 何気なく聞き返したマヒロに、テッポたちが顔を見あわせた。

「……言ったじゃん、こいつ、記憶ないんだって」
「でも普通に生活できてるじゃない。常識みたいなものはなくしてないんだとばかり」
「なんの話?」

 ふたりはマヒロのほうへ顔を寄せ、だれもいないのに声をひそめた。

獣人ビーストがこういうとこを使ってると、いまだにうるさい奴がいるの! 宿屋や食堂ならまだしも、浴場はとくにな。肌を出すからバレやすいし」
「時代遅れだよねえ。要職で活躍する獣人も増えてきてるっていうのに」
「それだって、ごく一部の話だしな」

 これでわかっただろ、と言わんばかりに話は終わってしまった。マヒロは目をぱちぱちさせ、なんとなくわかったふりをしてあとで情報を集めるか、なんのことやらさっぱりだと正直に表明するか迷った。相手がこのふたりならと、後者に決めた。

「獣人って?」

 予想どおり、狂人を見るような目つきをもらった。ユーリャナの表情はむしろ、気の毒がっているといったほうが近い。

「そこからなんだ?」
「マヒロ……お前、出身どこだ? いや、どのへんの気がするんだ?」
「ええっと、川岸で目が覚めたから、たぶんその川の上流のどこかだと思う。あの、南を流れてる大きな川。そこに流れこむ支流のひとつだって聞いた」
「シーヴェット川だな。本流まで行ってたら最悪、海まで流されてたぞ、よかったなー」
「とすると、山の集落のどれかの出身かな。でも、獣人を知らない地域じゃないでしょ。やっぱり忘れちゃったんじゃない?」
「想像してたより大変そうだな。お前、ほかになにを知らないんだ?」

 そんなことを言われても。
 マヒロは促されて、ふたりと一緒に河原に上がった。使った水が湯舟に流れこまないよう少し下流に移動して、石鹸と布で身体をこすりはじめる。

「獣人てのは、そのまんまだよ。獣の特徴を持った人間のこと」
「特徴って、たとえば?」
「人によって違う。牙があったり、爪が鉤爪だったり、身体中に体毛が生えてたり。出現する獣もばらばらだ。犬もいれば猫もいる。ネズミやウサギ、羊や牛もいる。クマとか狒々ヒヒも見たことある。複数の特徴が混ざってたりもする」
「角が生えてる人もいるよね。たいてい切っちゃってるけど」

 三人で一列になり、テッポに背中をこすってもらいながら、マヒロはじっと考えた。
 ひとつ、やっぱりここは異世界だ。
 ひとつ、そんな目立つ特徴があるなら、会えばわかるんじゃないか? なぜ今まで、エルン以外の獣人に遭遇したことがないんだろう。
 そして、ひとつ……

「……こういうところを使うと、いまだにうるさいっていうのは?」

 肩越しに振り返ると、テッポがおもしろくなさそうに口を尖らせる。

「獣人って、歴史的に立場が複雑なんだよ。あからさまに迫害されてた時代もあったし、見世物にされてた時代もあった。今でも、奴隷とか家畜みたいに扱ってる家とか、獣人は雇わないって店とか、普通にある」
「なんで?」
「なんでって……」

 テッポの目があちらこちらに泳ぎ、最後に上を向いた。

「なんでだろうな?」
「いつの時代も、なにかを排斥しようとする心理の源は〝恐れ〟だよ」

 テッポのうしろから、ユーリャナが穏やかに言う。

「得体の知れないものは怖い。怖いから遠ざける。もしくは支配したがる」

 向きを変え、今度はマヒロがテッポの背中をこする。知ってはいたが、テッポも傷だらけだ。

「獣人は、獣人から生まれてくるの?」
「そうだったらわかりやすいんだけどな。違う。いきなり生まれてくるし、獣人から生まれた子がただの人間だったってのも聞く」
「突然変異みたいなものなのかな」
「わからん。その昔、魔術師が呪いをかけたとか、でっかい災いがあって人間と獣が混ざっちまったとか、いろんな言い伝えはあるけど」

 エルンになにかの動物の特徴が表れているとしたら、間違いなく猫の仲間だろう。猫みたいだと感じていたのは、間違ってはいなかったのだ。

「でも、エルンは宿屋も食堂も、行くよね」
「今度、注意して見てみろよ。出入りしてるだけで、泊まってもいないし注文もしてないから」

 これには衝撃を受けた。
 言われてみればそうかもしれない。エルンが宿屋で休んでいるところを見たことがあるか? 店で給仕を受けているところは? 店員と親しく会話しているところは?
 愕然としながら、機械的に手を動かす。

「ライノが、あんまりエルンと仲がよくなさそうなのも、そのせい?」
「あー、あれは別の話。ライノはたんに、自分より身体の小さいエルンに一度も勝てないから悔しいんだ。だから絡んでんの。読み書きも苦手だし」
「ぼくが教えてあげるって言ってるのにな」
「歯向かいたいお年頃なんだろ。さっ、そろそろ流して帰ろうぜ」

 ほかほかと上気した裸体をさらして、テッポが川へ入っていく。マヒロもあとに続き、温かな流れで全身をすすぎ、石鹸の泡を落とした。
 それから、沈んでいく太陽と競いあうように、来た道を急いで戻った。


 あくる日の夕方。
 エタナ・クランの本拠地で、マヒロは夕食をつくっていた。
 今朝も何人かの団員が仕事から戻ってきたから、二十人ぶんほどの食事がいる。
 平たい鍋で野菜と米を炒め、その上にきのこと貝をたっぷり乗せる。さらにその上に、大きな葉っぱで包んだ魚を乗せた。魚はあらかじめ表面をあぶって、香ばしい焼き色をつけてある。
 ふたをしたところで人の気配を感じて、マヒロは顔を上げた。

「変わった匂いがする」

 エルンが鼻をひくつかせ、焚き火の上の鍋を見おろしている。


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