それでも愛は回ってる!

和清(WaSei)

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第6章 魔法少女の事情

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 夜というのは、どうしてこんなにも開放的になるのだろう?
 アイカに連れられて池袋の繁華街を離れたオレは、なんだか妙にワクワクと言うか、ソワソワと言うか、寝る場所を失った事も忘れ、そんな気分になっていた。
 高速下の大きな道路を池袋からずっと歩いてきたオレとアイカ。
 近くには、足下が森みたいになっている大木のようなタワーマンションは見えるし、そうじゃなくても道路沿いに建ち並ぶマンション群はどれも高くて、灯りが灯っていて、東京の夜景の一部になっている。あんな場所に住んだらどんな気分なのだろう? なんて事を考えてしまう。
 視線を落とせば、ガードレールの向こう側を、車がヘッドライトの尾を引いて次から次へと走り去ってゆく。夜だというのに人通りも少なくなく、酔っ払いとか、家路を急ぐ人とか、無数のそんな人達とすれ違う。田舎じゃまずありえない体験だ。田舎は夜になると本当に人が居なくなる。街灯なんかも、ほとんど無いから夜道も暗いし、下手したら見ちゃいけないもんまで見えたりして……
「この辺りは、本当に東京の夜って感じだな」
 オレは、お上りさん丸出しで辺りをキョロキョロとしながらアイカにそう言う。
「そうかな? わたしは子供頃から住んでいるから、そういうのはわからないや……」
 アイカはすでに地味な服装に戻っている。変身解除に一度テントを使い、また畳んで、今はオレが担いでいる。言うまでもなく、地味服のアイカのテンションは相変わらず低め。
 しかし、そんなアイカとは逆に、オレのテンションはある物を見て爆上がりしてしまった。
「うおっ! 路面電車だ! アイカ! 東京にも路面電車って走ってるんだな! オレ、広島でしか見たことないよ!」
「都電荒川線って言うんだよ……」
「なんか東京の路面電車って、古くさいの通り越して逆にエモいよなぁ~」
「そうかもね……」
 ホント、テンション低いなぁ……
 まあ、こんな状況で路面電車一つでテンション上がってるオレも、どうかと思うけど……
 結局オレは、しばらくアイカの家に世話になる事になった。
 言い出したのはアイカだ。声を掛けたからには責任があるって。
 でも、オレもアイカに迷惑かけたくなかったから、
「いいよ。そのへんのベンチで寝るから」
 と言ったのだが、それは断固反対された。
「そんなのすぐにお巡りさんに見つかるし、その前に何があるかわからないし、だいいち風邪ひくよ!」
 何も悪い事しているわけでもないのに、この逃亡犯みたいな気分はなんだ? でもまあ、東京はヤバイ奴も多いって聞くし、オレみたいな未成年こどもが夜の公園のベンチで寝ていたりしたら、確かにどんなヤツが寄ってくるかわからない。それに、寒いというのも頷ける。
 だが、オレはどうしてもアイカが心配だった。
「なあアイカ、本当にいいのか?」
 歩きながらオレは、アイカの横顔に改めて問い掛ける。だが、アイカは振り返らず言うのだった。
「仕方ないじゃん。こういう事になっちゃったわけだし……」
「まあ、そうだけど……」
「玲子ちゃんから、わたしの事は何か聞いてる?」
「驚く程の物好きだって事は聞かされたよ」
「それはいまさら」
「今までも、四人くらい家出女子を助けてきたんだろ?」
「助けになったかどうかは、わからないけどね……」
「まあ、な……」
「今まで子達は、家に寝泊まりさせてたの。初めは勇貴君もそうしようかと思ったんだけど、わたしんってちょっと散らかっててさ、女の子に見られるんだったらいいんだけど、男の子はちょっと恥ずかしいかなって――ごめんね」
「気にすんなよ。東京の公園にテントで寝泊まりなんて、こんなオモシロ体験なかなか出来ねーし。こういった経験が良い曲生んだりするしな」
「前向きなんだね……」
「前、向き過ぎて、家出しちゃってるけどな」
 そう言ってオレは自虐的に笑う。アイカも、ほんの少しだけ笑顔を見せたが、なぜだか寂しそうだった……


 しばらく歩くと、「こっち……」と、アイカは大きな道路から横に外れて小道に入っていった。その後ろをついて行くオレ。
 ふと気が付くと、右には長く大きな生垣が作られていた。その生垣の向こうに見えたのは……
「墓……?」
「雑司ヶ谷霊園。東京三大霊園の一つだよ。有名人のお墓も多いけど、心霊スポットでも有名な場所。わたしは見たことないけど」
 田舎の夜道より怖いかも……
「ここだよ」
 雑司ヶ谷霊園からさらに横道に逸れた場所に、アイカの家はあった。それは、オレの地元でも見かけるような、何の変哲も無い二階建ての茶色いアパートだった。
「まだ早いからママは帰っていないと思うけど、家に入ったらすぐにわたしの部屋の押し入れに隠れてね。いつ帰ってくるかわからないから」
 う~ん、逃亡犯から今度は、動物嫌いの親を持つ小学生に拾われた犬猫の気分……
 それにしても、アイカって他の家族はいないのか?
「ねえアイカ、家には誰もいないの? お父さんとか、兄弟とか」
「うん。ママと二人暮らし。いわゆる母子家庭」
 母子家庭か――田舎にもないわけじゃないけど、東京で母子家庭って聞くと、なんかスゴくやるせない気持ちになる……
 アイカの背中を見詰めながら、オレはアイカのアパートの階段を上って行く。アイカの自宅は、四つくらい玄関が並ぶ奥の角部屋だった。
 玄関のすぐ横にある小さな窓に、灯りは灯っていない。どうやらアイカのお母さんはまだ帰ってないようで、オレは思わずホッとする。
「靴は忘れずに持って上がってね」
 言いながらアイカは玄関のカギを開け、先に中へと入って行く。
 と、そこでオレはある事に気付いた。
 もしかしてオレ、女の子の部屋に入るの初めてじゃね?
 なんか急にドキドキしてきた……
 ……が、玄関をくぐった途端、そんなドキドキはどこかに吹き飛んでしまった。
 アイカが玄関の電気を点けてオレの目に入ったのは、ビールや酎ハイの空き缶、コンビニ弁当の容器、水のペットボトル、そんな物がテーブルの上から床にまであちこちに散乱したダイニングキッチンだった。料理をする場所だけは、小綺麗に片付いている。しかし、それ以外は酷い有様だ。食器を入れる戸棚のガラス戸も割れていて、プン、と酒臭いような、何かが腐ったような、すえた臭いまでした。
 これ、アイカがやった――わけねーよな……
「ごめんね。今日は一日外だったから、あまり片付ける時間が無くって……あっ、まだガラスの破片とか落ちてるかもしれないから気をつけてね」
「う、うん……」
 言われた通り、オレは靴を脱いで持って上がると、足下を注意しながら奥へと行く。
 玄関からキッチン、その奥には、ガラス障子が開けたままの六畳間くらいの畳の部屋がある。まあ、キッチンよりはマシだが、布団は敷きっぱなし、女物の服や下着が脱ぎ散らかされ、化粧品なども散乱している。
 ちょっと散らかってるとは言っていたけど、ちょっとどころじゃないぞ、コレ……
「アイカの家って、いつもこんななの……?」
「いつもは、もう少し片付いているんだけど……昨日は、ちょっとママとケンカになっちゃって……」
「ケンカ? じゃあ、そこの戸棚のガラス戸が割れているのも?」
「うん……」
 いや、限度ってもんがあるだろ……
「アイカってさ、親と仲悪いの?」
「そんな事ないよ。普通にママと会話もするし……だけど、ママも機嫌が悪い時はあるから。勇貴君も、親とそういう経験くらいあるでしょ?」
「ま、まあ……」
 会話しながらアイカは、慣れた感じでテキパキと散乱しているゴミを片付けてゆく。
「勇貴君は、先にわたしの部屋に入ってて。そのママの部屋の右隣の部屋ね。わたしもここ片付けたらすぐに行くから」
 オレは頷き、散乱している物を踏まないように、アイカが自分の部屋だと言った木製の引き戸を開ける。
 そこには、何も無かった。
 ぬいぐるみとか、カワイイ小物とか、そんな物は何も見当たらず、勉強机と小さな洋服ダンス、その上に裁縫道具があるだけ。四畳半程度の部屋なのに、やたらと広く見える。それから、引き戸の内側には掛金が取り付けてあった。
 ――カギ……?
 女の子の部屋って初めて入ったけど、少なくとも一般的な女の子の部屋じゃない事くらいはオレでもわかった。
 と、そこに外から足音が響いてきた。
「ママ帰ってきた! 勇貴君、早くわたしの部屋の押し入れに隠れて!」
「わかった」と、慌てて返事をして、アイカの部屋に入ってすぐに戸を閉める。それから押し入れを開ける。が、布団を含め、色々と物が入っていて、オレの入る隙間が無い。
「どうしろっていうんだ、これ……」
 玄関の開く音が聞こえ、同時に女の怒鳴り声が聞こえてきたのは、それからすぐだった。
良子りょうこ! まだ片付けてねーのかよ!」
 りょうこ? アイカの事か?
「ごめんね、ママ。今日はボランティアがあったから。すぐに終わるから」
「ふざけんなよ! 外に人待たせてんだよ!」
 その怒鳴り声の後、何かが壁にぶつかる音が……
「ママ、靴投げないで。よけい散らかるよ」
「なに? 親に文句があるって言うの?」
 親……
「良子、アンタ、あのイカれた服出しな。また破いてやるから」
「ヤダよ。やめて……」
「いいから出せって言ってるだろ!」
「ヤダったら! ママ、やめてって!」
 ついに、我慢の限界というものがきた。
 オレは勢いよくアイカの部屋の戸を開ける。見れば、アイカは魔法少女の衣装が入った自分のボストンバッグを抱えてうずくまり、それを四十代前後アラフォーくらいの中年女がムキになって奪おうとしていた。
 オレを見てキョトンとする女をオレは突き飛ばし、アイカを背中にしてその女を見下ろす。
 塗りたくった化粧、派手な原色の服、そして酒臭い。昨日助けた泥酔オヤジ以上だ。これが、アイカの母親……
「勇貴君、わたしは大丈夫だから、部屋に行ってて」
「大丈夫なわけあるかよ。そもそもオレが大丈夫じゃねーよ」
 と、アイカの母親は、オレを見てゲラゲラとバカ笑いを始めた。
「なに良子? ボランティアとか偉そうな事言って、男連れ込んでたの? アハハハハハッ! アバズレの娘は、所詮アバズレってわけだ!」
 オレは、アイカの母親を睨み付けた。
「アンタなんなんだ? オレの親も大概だけど、アンタよりは遙かにマシだよ」
「ふん、クソガキが偉そうに。アタシが子供を育てるのに、どんな苦労をしてきたかも知らないでさ!」
「ああ、知らないよ。知らないけど、子供の大事な物を奪って引き裂いて、それが親のやる事かって言ってるんだよ」
「はいはいはい、親、親、親ね。そうだよガキ、アタシは良子の母親だよ」
 と、アイカの母親はフラフラと立ち上がって、床に置いていたハンドバッグから財布を取り出すと、一万円をアイカに放った。
「良子、こんなシケた場所でヤッたって盛り上がらないだろうから、それでラブホでも行ってきな」
 それからオレを見て、下卑た笑いを見せた。
「おいガキ。娘のラブホ代を出してやるなんて、アタシはいい親だろ?」
 オレは、目の前にある厚化粧した顔をブン殴ってやりたい衝動を必死に抑えた。
 そんなオレは、アイカの部屋に戻ってギターと靴を持ってくると、アイカのボストンバッグを肩に担ぎ、アイカの手を取って立ち上がらせた。
「アイカ、こんなのと一緒に居ちゃダメだ」
「でも……」
 構わずオレはアイカを連れて玄関へと行く。
 そこに、クズ母の声が飛んだ。
「そんなイカれた服着て外を出歩くような女のどこがいいのか知らないけどさ、欲しけりゃ持っていきなよ。それともナニ? あのイカれた服でヤルのいいのか? アハハハッ! この変態ガキ!」
「イカれているのは、どっちだよ?」
 そうオレは言い返し、アイカの腕を引っ張って玄関を出る。
 アイカがどうしてオレを家に入れるのをためらっていたのか、よくわかった。本当は、今までの家出女子だって入れたくはなかっただろう。だけど、女子を公園でテントに寝泊まりさせるわけにもいかなかったから……
 アイカ、どんな目で見られてたんだろう……
 クソッ!
 渡り廊下からアパートの階段まで行くと、その下では軽薄そうな雰囲気の酔っ払いの男二人女一人が、フラフラとした足取りでバカ騒ぎしていた。あのクズ母の知り合いだろう。オレは、アイカの手を引いてその真ん中を堂々と突っ切ってやった。
 と、その時、オレの肩が千鳥足の男の一人とぶつかった。
「痛ってぇなぁ。なんだテメエ……!」
 男は、行こうとするオレの背中にそう文句を言ってきた。だからオレも、振り向きざまに言い返してやった。
「うるさいんだよ。大人のくせに近所迷惑って言葉知らないのかよ……!」
「っんだと、コラァ!」
 男がそう怒声を上げて、
「ちょっと、やめなよ!」
 と、女の声が聞こえた時には、オレは男に横っ面を殴られ、アスファルトに転がっていた。
 声を無くして立ち尽くすアイカ。
 さらに殴りかかろうとしてくる男。
 しかし、そこにもう一人の男が声を上げて割って入った。
「何やってんだバカ! そんな中坊みたいなガキ殴ってんじゃねえよ!」
「んだよ! このクソガキがわりいんだろ!」
 オレが悪いだって? ふざけんな……ふざけんなッ!
「ふざけんなよ、チクショウッ!」
 オレは拳を握り締めて立ち上がる。が――
「勇貴君!」
 アイカの声が背中に刺さった。
「良子ちゃんだよね? こっちは大丈夫だから、彼氏連れて早く行っちゃいな」
 女にそう言われ、アイカは俺の手を握る。同時に俺は転がっていたギターとアイカのボストンバッグを拾い上げ、アイカに手を引かれた。
「逃げんのかクソガキッ!」
 ――そうだよ。クソガキだよオレは……だからオレは……
 背中に聞こえてくる男の言葉に、オレは唇を噛み締めた。
 オレの手を引くアイカの手は、少し震えていた。
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