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「麻子さん、久しぶりね」
彩は、麻子の姿を見て手を振った。
「はじめまして、葉月さん。私はドナ。麻子ちゃんのサポートをしています」
麻子の横に立っていたドナが、彩に挨拶する。
「あなたがドナさんね。麻子さんから聞いてるわ。よろしくね」
鬼神たちは仕事に出かけているが、世間一般ではこの日は休日だった。どちらからともなく久しぶりに会う約束をした後、ドナが護衛のために一緒に出かけると主張し、結局3人で行動することになったのだ。まずは第一目的の新しいカフェを目指し、あとは適当に店を見て回るつもりだった。
「鬼神さん、大変みたいね。今日も仕事なんて」
「昨日は夜遅くまで仕事だったのに、今日も朝早く出かけて行きました。疲れを出さなきゃいいんですが」
麻子たちが心配するのを聞いて
「ずっと仕事がなくて体がなまっていたから、いい運動になっているんじゃないかしら」
とドナが笑いながら言った。
「スラム街は、どんな状況なのですか?」
好奇心に駆られて、彩が尋ねた。
「ひどい有様のようね。あまり詳しいことは話せないけど、感染者も多く見つかっているみたい」
「感染者が?」
彩が目を丸くした。
「今まで放置されていたのが信じられないわ」
ドナはそう言って、きれいなウェーブがかかった髪を掻き上げる。近くを通り過ぎる男性のほとんどは、ドナの美しい顔に魅せられていた。立ち止まって遠巻きに見ている者まで現れた。だんだんと、3人の周りに人だかりができていく。
「あの、そろそろ行きませんか?」
周囲の様子に気づいた麻子が、話し込んでいる彩とドナに言葉を掛けた。
「あら、ごめんなさい。別にこんなところでなくても、お店で話せばいいのよね」
彩は麻子に微笑みを返し、移動を始めようとした。
その時、声を掛ける者がいた。
「あの、すみません」
声の主は、一人の若い男だった。整った中性的な顔立ちで、耳に派手で大きなピアスを付けている。ショートカットの髪は銀色に染められ、顔の化粧のせいで肌が異常に白い。
「何ですか?」
彩が尋ねるが、男はそれを無視してドナへ話しかけた。
「これから、食事にでも行くのですか?」
「まあ、そんなところです」
「この近くだと、『アップルミント』かな?」
「なぜ、そんなことを聞くのですか?」
「あなたのような素敵な女性は初めてだ。もしよろしければ、いっしょに食事しませんか?」
「あら、お誘いうれしいけど、私は食事できないの」
「えっ、どうして?」
ドナは申し訳なさそうな顔で
「私は、アンドロイドです」
と答えた。
男は、意表を突かれたという顔でドナをまじまじと見つめ、その目を今度は彩と麻子に向けた。
気まずい沈黙の後、男は黙って立ち去っていく。
「何なの、あの男」
彩が、男の後ろ姿を睨みつけながら、わざと聞こえるような声で叫んだ。
外を歩いていると、こんなことはよくあるらしく、ドナは気にする様子もなく
「じゃあ、その新しいお店に早く行きましょう」
と彩たちを促した。
彩と麻子の目の前には、褐色のチョコレートケーキの周りに淡いピンク色の綿菓子が飾られた皿が並べられていた。
「きれい・・・」
「周りの綿菓子もチョコレートなんですって。作り方は企業秘密らしいけど」
まるで雲のような綿菓子をスプーンですくい上げる。繊維がほどけるように雲が破れ、スプーンに欠片が絡みついた。
口の中に入れると、予想以上に濃厚なチョコレートの風味が広がる。
「これはすごいわね」
彩が目を丸くした。
「不思議な食感。でも、すごくおいしい」
麻子も感心したようだ。
「ドナさん、ごめんね。待っているだけじゃ退屈だと思うけど」
2人が食べている様子をじっと見つめていたドナに、麻子は申し訳なく思ったらしい。
「あら、気にしなくても大丈夫よ。2人が食べているのを見るのも結構楽しいわ」
ドナは笑みを浮かべて麻子に応えた。
「ドナさんも、食べられるといいのにね。料理を味わえるのは人間の特権かしら」
彩の言葉には少し棘があった。先程の出来事をまだ根に持っているのだろうか。
「味わう、ということはしませんが、私たちにも味覚はありますよ」
ドナが反論する。麻子は驚いて
「味がわかるのですか?」
と尋ねた。
「だって、味がわからないと料理なんてできないでしょ? アンドロイドには味覚センサーが備わっています」
「でも、ドナさんが料理を口に入れるのを見たことがないわ」
「味覚センサーは指先にあるんです。だから、料理をしながら味も同時に確認できるんですよ」
「指先に舌があるなんて、なんだか不思議ね」
彩は、もし指で味が分かると、どうなるか想像した。手に触れるものなど、たくさんあるだろう。しかも、食材以外のものも。味が分かったところで、何の得にもならない。
「もし、人間が指に味覚を持っていたら、いろいろと不便ね」
彩の言葉に
「そうかも知れませんね」
とドナも同意した。
「味覚があるなら、嗅覚もあるんですよね」
麻子が尋ねてみる。
「厳密には、空気中の浮遊物の成分分析ですね。嗅覚とは少し異なりますが、似たようなことはできます」
「それは鼻を使って?」
「ええ。鼻から空気を吸い込んで行います。アンドロイドは呼吸は不要ですが、体内の熱を下げるために鼻と口から空気を取り込んでいるんですよ」
「すると、人間と違うのは味覚の部分だけなのね」
今度は彩が質問してみた。
「そうですね。面白いことに、アンドロイドが話す仕組みは人間とほとんど同じなんですよ。喉に声帯があって、それが震えて声が出るんです。アンドロイドの声帯は調節が可能なので・・・」
ドナの声が突然、男性のようになる。
「こうして声を変えることも可能です」
麻子が驚いて両手で口を押さえ
「すごい。じゃあ、どんな人の声も真似できるんですか?」
と尋ねた。
「相手の声の波形を分析すれば、その声に似せることができます」
「姿も似せれば、その人にすり替わることもできるじゃない」
彩の質問に
「実際にそんな事件があったのです。自分そっくりの顔にするようにアンドロイドに命じて、会社に通勤させていたのですが、そのアンドロイドが密告したことで露見しまして。それから、顔を誰かに似せることは禁じられました」
とドナは答えた。
「それは残念。私も同じことを考えていたわ」
彩がそう言ったので、麻子もドナも笑い出した。
「鬼神さん、顔色がよくないようですが、大丈夫ですか?」
マリーが鬼神に尋ねた。
「ああ、昨日の疲れがまだ残っているのかな?」
そう返事をする鬼神に対し
「ここは我々が作業しますから、鬼神さんは休んでいて下さい」
とマリーは声をかけてから祭壇の方へと向かった。
今いる場所は、昨日の祭壇の間である。人はすべて排除したので、あとは遺留品の調査だけだ。
横一列に並んだ鉄柱を順番に眺めてみるが、どれも血液などは付着しておらず、錆もない。ただ一本だけ、あの女性がつながれていた鉄柱には血液が付着し、緋色に輝いていた。
近くにいたアンドロイドが、鉄柱に液体を噴霧している。ルミノール反応が発生しないか調べているのだ。
別のアンドロイドは、地面に落ちた何かの破片のようなものを拾っていた。信者が固まっていた場所には、汚れた薄い布切れが散乱している。
見渡してみると、かなり広い部屋だ。50人近くも中にいたのだから当然である。他に部屋はなく、おそらく全員がここで寝起きをともにしていたのだろう。
鬼神は、中央にある不気味な模様を眺めていた。それはプリミティブな図形を複雑に組み合わせて書き込まれ、簡単に作ることのできるような代物ではなかった。
中央には大きな円。その中に描かれているのは左右対称な何かの像である。座った人の形に見えるが、四角や三角、丸などを並べて描かれた姿はまるで、小さな生き物が集まって一つの巨大な物体と化したようだ。
円の周囲には窓のような枠が描かれている。その中にも、何かの像を表した複雑な図形があった。枠は様々な点や線で装飾され、さらにその外側に向かって入り組んだ模様が不規則に散りばめられている。
いったい、どれだけの時間を掛けてこの模様は描かれたのだろうか。鬼神には容易に想像することができない。正気を保ったまま完成させることは不可能だと、精神の平衡を失った人間だからこそ為せる技なのだろうと、鬼神は確信した。
「その絵に興味があるようですね」
いつの間にか、近くにマリーが立っていた。
「見ていると、こっちが毒されていくような気がするよ。狂人が描いたとしか思えない」
「感じ方は、人によって様々です」
「じゃあ、マリーはこの模様を見てどう感じるんだ?」
マリーは、床の模様をじっと見つめていたが、やがて
「私には、単なる単純な図形の集まりにしか感じません」
と言った。
「死体の身元はもう特定できたのか?」
電子ペーパーを片手に、竜崎は浜本に尋ねた。
「冷蔵庫の死体は完了です。全て、行方不明者のリストの中にいました」
「骨のほうは時間がかかりそうか?」
「そうですね。何しろバラバラで数もよく分かりませんからね」
竜崎は軽くうなずいて、持っていた電子ペーパーに目を移した。
「口を割ろうとしない連中は11人。さて、どうしたものかな」
「前の4人とは違って、出された食事を食べる者もいるようですね」
「全員が信者だというわけではないからな。それに、残りの27人の中にも素性を話さないやつはいるのだろう?」
「ええ。でも、全員の名前は顔から割り出すことができましたよ。行方不明者登録、あるいは指名手配されていた者ばかりです」
「あとはスラム街の中で罪を犯してないか調べないといけない。まだまだ、時間はかかりそうだな」
竜崎の言葉に、浜本は大きなため息をついた。
「ため息をついたって仕事がなくなるわけではないさ。さあ、取調室へ戻るぞ」
2人は、並んで取調室へと歩いていった。
アンドロイドが手際よく死体をカプセルに入れて運ぶ様子を、立花はじっと眺めていた。
「待っているだけでは退屈ですよね。すみません、間もなく終わりますから」
ウィリーが、立花に話しかけた。
「退屈なんてしないわよ。夢にでも出てきそうだわ」
「別に見ている必要はないですよ。ここで襲われる心配はないでしょうから。外で新鮮な空気を吸えばリフレッシュできるでしょう」
「そうね・・・でも、最後まで見届けるわ。あんたたちに働かせてばかりじゃあ、ね」
小部屋の壁に沿ってライトが並べられている。それは室内の全ての闇を拭い去っていた。そのおかげで不気味さは半減していたが、変色した死体がありえない形に折れ曲がり、重なっている様子がはっきりと見えるようになり、それは吐き気を覚えるほどの光景だった。
死体を処理するアンドロイドの横で、別のアンドロイドは遺留品がないか捜索していた。床は灰色の絨毯が敷き詰められているが、カビのせいで至るところ黒く変色している。死体の周りには赤いろうそくが並べられていた。それが何を意味するのかはよく分からない。
やがて、死体は全て運び出された。死体のあった場所には、くっきりと黒いシミが残っている。捜索も完了し、高温プラズマによる滅菌作業が始まった。
「これが終われば、ようやくここからおさらばね」
立花がため息をついた。
「お疲れさまでした。あとは片付けだけですね」
そう声をかけたウィリーは、立花が唖然とした表情で床に目を落としていることに気づいて
「どうしましたか?」
と尋ねた。
「なに、あれ?」
ゆっくりと右手を上げて指を差す、その先をウィリーの電子の目が捉えた。絨毯は燃え尽き、セラミック製の床がその下から姿を現している。そこには、どうやって描いたのか、不気味な模様が浮かび上がっていた。
「彩さん、こんなところまで付き合わせちゃって、ごめんなさい」
麻子が彩に頭を下げた。
「あら、別にいいわよ。それより、無事に申請が通るといいわね」
彩は笑みを浮かべ、麻子に向かって手をひらひらさせながら応える。
ドナが麻子のサポートをするための手続きを進めていたのだが、ようやく承認が得られることになったらしい。その連絡が来たのが、ちょうど雑貨店にいるときである。
「麻子ちゃん、たった今、連絡があってね。私が麻子ちゃんと暮らす件、どうやら認められそうなんだけど、承認前に本人の同意が取れているか確認が必要なの。直接、役所まで行く必要があるんだけど、いつ行こうか?」
「そうですね・・・今度の休みの日はどうですか? 一週間後になるけど」
「その日は役所も休みよ。すると、2週間後かな?」
電子ペーパー用の筆記具を物色していた彩がその話を聞いて
「今日は開いてないの?」
と尋ねた。
「開いてますけど、帰る頃には閉まっていますよ」
今日は夕食もいっしょに食べる約束をしていたため、その後では間に合わない。
「今から行けばいいじゃない」
彩の言葉を聞いて
「でも、今から服を見に行こうって・・・」
と麻子が返した。彩は、麻子に見せたい服があるらしく、その店に立ち寄る話になっていたのだ。しかし、彩は
「手続きにはそんなに時間はかからないでしょ? 終わってからでも十分時間はあるじゃない」
と言って肩をすくめた。結局、彩の提案を受け入れることになり、こうして役所の入り口までたどり着いたのである。
役所は、何の飾り気もない灰色の建物で、入り口にある看板には古めかしい文字で『B街区 行政サービスコーナー』と書かれていた。3人以外に人影は見当たらない。今は、たいていの手続きがオンラインで可能だから、役所に人が来ることはほとんどないのだ。
ドナはすでに行き先を把握しているらしく、建物に入ってからは迷うことなく進んでいった。エレベーターで12階に上がり、外の景色が一望できる大きな窓を横目に広い廊下を渡って、事務机がずらりと並んだ広い部屋に入ると、カウンターには一人の女性が立っていた。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
ドナが麻子に、カウンターの前に立つよう促した。
「あなたが紫龍麻子さんですね。今から本人確認をします。そのままの状態でお待ち下さい」
カウンターの女性は、微笑みを浮かべながら麻子の顔をじっと見つめた。顔が一致するかチェックしているのだろう。
「本人確認ができました。あなたはこれから、ドナさんのサポートを受けることになります。サポートは、あなたが契約解除を申し出るか、養子縁組等により、あなたが新たな親を得るか、もしくはあなたが亡くなるまで継続します。ドナさんは、あなたのプライベートに関しても把握することがありますが、それを第三者に提供することは決してありません。御存知の通り、アンドロイドの捉えた映像は基幹システムに記録されますが、プライベートに関わるものについては記録されませんのでご安心下さい。それから・・・」
女性は麻子に、様々な規定について長々と説明した。はじめのうちは真剣に聞いていた麻子であったが、話がだんだんと難しくなり、内容が把握できなくなると、女性の顔のほうが気になりだした。
非常に可愛らしい顔であった。アイドルとして活躍していてもおかしくはない。麻子は、この女性が踊りながら歌う姿を想像してみた。今は鮮やかなキャロットオレンジのスーツに身を包んでいるけど、フリルの付いたフープスカートなどが似合いそう。長い髪はバッサリ切ってショートカットにすると、もっと可愛くなるかも。あとは・・・
「それでは紫龍さん、以上の内容について同意していただけますか?」
女性の問いに、麻子はハッと我に返った。しばらく、沈黙の時間が流れる。
「どうしたの、麻子ちゃん?」
ドナが声を掛けた。
「ごめんなさい、その、途中から話をよく聞いてなくて・・・」
消え入るような声で、麻子は答えた。下を向き、耳が真っ赤になっている。
女性は微笑みを絶やさず
「ちょっと難しい話が多かったかな? 大丈夫、細かな話は後でドナさんに聞けばいいから。ここでは、ドナさんのサポートを受け入れる意志があるか、それだけ教えてちょうだい」
ともう一度問いかけた。麻子はその問いに
「はい、よろしくお願いします」
とはっきりと答えた。
彩は、麻子の姿を見て手を振った。
「はじめまして、葉月さん。私はドナ。麻子ちゃんのサポートをしています」
麻子の横に立っていたドナが、彩に挨拶する。
「あなたがドナさんね。麻子さんから聞いてるわ。よろしくね」
鬼神たちは仕事に出かけているが、世間一般ではこの日は休日だった。どちらからともなく久しぶりに会う約束をした後、ドナが護衛のために一緒に出かけると主張し、結局3人で行動することになったのだ。まずは第一目的の新しいカフェを目指し、あとは適当に店を見て回るつもりだった。
「鬼神さん、大変みたいね。今日も仕事なんて」
「昨日は夜遅くまで仕事だったのに、今日も朝早く出かけて行きました。疲れを出さなきゃいいんですが」
麻子たちが心配するのを聞いて
「ずっと仕事がなくて体がなまっていたから、いい運動になっているんじゃないかしら」
とドナが笑いながら言った。
「スラム街は、どんな状況なのですか?」
好奇心に駆られて、彩が尋ねた。
「ひどい有様のようね。あまり詳しいことは話せないけど、感染者も多く見つかっているみたい」
「感染者が?」
彩が目を丸くした。
「今まで放置されていたのが信じられないわ」
ドナはそう言って、きれいなウェーブがかかった髪を掻き上げる。近くを通り過ぎる男性のほとんどは、ドナの美しい顔に魅せられていた。立ち止まって遠巻きに見ている者まで現れた。だんだんと、3人の周りに人だかりができていく。
「あの、そろそろ行きませんか?」
周囲の様子に気づいた麻子が、話し込んでいる彩とドナに言葉を掛けた。
「あら、ごめんなさい。別にこんなところでなくても、お店で話せばいいのよね」
彩は麻子に微笑みを返し、移動を始めようとした。
その時、声を掛ける者がいた。
「あの、すみません」
声の主は、一人の若い男だった。整った中性的な顔立ちで、耳に派手で大きなピアスを付けている。ショートカットの髪は銀色に染められ、顔の化粧のせいで肌が異常に白い。
「何ですか?」
彩が尋ねるが、男はそれを無視してドナへ話しかけた。
「これから、食事にでも行くのですか?」
「まあ、そんなところです」
「この近くだと、『アップルミント』かな?」
「なぜ、そんなことを聞くのですか?」
「あなたのような素敵な女性は初めてだ。もしよろしければ、いっしょに食事しませんか?」
「あら、お誘いうれしいけど、私は食事できないの」
「えっ、どうして?」
ドナは申し訳なさそうな顔で
「私は、アンドロイドです」
と答えた。
男は、意表を突かれたという顔でドナをまじまじと見つめ、その目を今度は彩と麻子に向けた。
気まずい沈黙の後、男は黙って立ち去っていく。
「何なの、あの男」
彩が、男の後ろ姿を睨みつけながら、わざと聞こえるような声で叫んだ。
外を歩いていると、こんなことはよくあるらしく、ドナは気にする様子もなく
「じゃあ、その新しいお店に早く行きましょう」
と彩たちを促した。
彩と麻子の目の前には、褐色のチョコレートケーキの周りに淡いピンク色の綿菓子が飾られた皿が並べられていた。
「きれい・・・」
「周りの綿菓子もチョコレートなんですって。作り方は企業秘密らしいけど」
まるで雲のような綿菓子をスプーンですくい上げる。繊維がほどけるように雲が破れ、スプーンに欠片が絡みついた。
口の中に入れると、予想以上に濃厚なチョコレートの風味が広がる。
「これはすごいわね」
彩が目を丸くした。
「不思議な食感。でも、すごくおいしい」
麻子も感心したようだ。
「ドナさん、ごめんね。待っているだけじゃ退屈だと思うけど」
2人が食べている様子をじっと見つめていたドナに、麻子は申し訳なく思ったらしい。
「あら、気にしなくても大丈夫よ。2人が食べているのを見るのも結構楽しいわ」
ドナは笑みを浮かべて麻子に応えた。
「ドナさんも、食べられるといいのにね。料理を味わえるのは人間の特権かしら」
彩の言葉には少し棘があった。先程の出来事をまだ根に持っているのだろうか。
「味わう、ということはしませんが、私たちにも味覚はありますよ」
ドナが反論する。麻子は驚いて
「味がわかるのですか?」
と尋ねた。
「だって、味がわからないと料理なんてできないでしょ? アンドロイドには味覚センサーが備わっています」
「でも、ドナさんが料理を口に入れるのを見たことがないわ」
「味覚センサーは指先にあるんです。だから、料理をしながら味も同時に確認できるんですよ」
「指先に舌があるなんて、なんだか不思議ね」
彩は、もし指で味が分かると、どうなるか想像した。手に触れるものなど、たくさんあるだろう。しかも、食材以外のものも。味が分かったところで、何の得にもならない。
「もし、人間が指に味覚を持っていたら、いろいろと不便ね」
彩の言葉に
「そうかも知れませんね」
とドナも同意した。
「味覚があるなら、嗅覚もあるんですよね」
麻子が尋ねてみる。
「厳密には、空気中の浮遊物の成分分析ですね。嗅覚とは少し異なりますが、似たようなことはできます」
「それは鼻を使って?」
「ええ。鼻から空気を吸い込んで行います。アンドロイドは呼吸は不要ですが、体内の熱を下げるために鼻と口から空気を取り込んでいるんですよ」
「すると、人間と違うのは味覚の部分だけなのね」
今度は彩が質問してみた。
「そうですね。面白いことに、アンドロイドが話す仕組みは人間とほとんど同じなんですよ。喉に声帯があって、それが震えて声が出るんです。アンドロイドの声帯は調節が可能なので・・・」
ドナの声が突然、男性のようになる。
「こうして声を変えることも可能です」
麻子が驚いて両手で口を押さえ
「すごい。じゃあ、どんな人の声も真似できるんですか?」
と尋ねた。
「相手の声の波形を分析すれば、その声に似せることができます」
「姿も似せれば、その人にすり替わることもできるじゃない」
彩の質問に
「実際にそんな事件があったのです。自分そっくりの顔にするようにアンドロイドに命じて、会社に通勤させていたのですが、そのアンドロイドが密告したことで露見しまして。それから、顔を誰かに似せることは禁じられました」
とドナは答えた。
「それは残念。私も同じことを考えていたわ」
彩がそう言ったので、麻子もドナも笑い出した。
「鬼神さん、顔色がよくないようですが、大丈夫ですか?」
マリーが鬼神に尋ねた。
「ああ、昨日の疲れがまだ残っているのかな?」
そう返事をする鬼神に対し
「ここは我々が作業しますから、鬼神さんは休んでいて下さい」
とマリーは声をかけてから祭壇の方へと向かった。
今いる場所は、昨日の祭壇の間である。人はすべて排除したので、あとは遺留品の調査だけだ。
横一列に並んだ鉄柱を順番に眺めてみるが、どれも血液などは付着しておらず、錆もない。ただ一本だけ、あの女性がつながれていた鉄柱には血液が付着し、緋色に輝いていた。
近くにいたアンドロイドが、鉄柱に液体を噴霧している。ルミノール反応が発生しないか調べているのだ。
別のアンドロイドは、地面に落ちた何かの破片のようなものを拾っていた。信者が固まっていた場所には、汚れた薄い布切れが散乱している。
見渡してみると、かなり広い部屋だ。50人近くも中にいたのだから当然である。他に部屋はなく、おそらく全員がここで寝起きをともにしていたのだろう。
鬼神は、中央にある不気味な模様を眺めていた。それはプリミティブな図形を複雑に組み合わせて書き込まれ、簡単に作ることのできるような代物ではなかった。
中央には大きな円。その中に描かれているのは左右対称な何かの像である。座った人の形に見えるが、四角や三角、丸などを並べて描かれた姿はまるで、小さな生き物が集まって一つの巨大な物体と化したようだ。
円の周囲には窓のような枠が描かれている。その中にも、何かの像を表した複雑な図形があった。枠は様々な点や線で装飾され、さらにその外側に向かって入り組んだ模様が不規則に散りばめられている。
いったい、どれだけの時間を掛けてこの模様は描かれたのだろうか。鬼神には容易に想像することができない。正気を保ったまま完成させることは不可能だと、精神の平衡を失った人間だからこそ為せる技なのだろうと、鬼神は確信した。
「その絵に興味があるようですね」
いつの間にか、近くにマリーが立っていた。
「見ていると、こっちが毒されていくような気がするよ。狂人が描いたとしか思えない」
「感じ方は、人によって様々です」
「じゃあ、マリーはこの模様を見てどう感じるんだ?」
マリーは、床の模様をじっと見つめていたが、やがて
「私には、単なる単純な図形の集まりにしか感じません」
と言った。
「死体の身元はもう特定できたのか?」
電子ペーパーを片手に、竜崎は浜本に尋ねた。
「冷蔵庫の死体は完了です。全て、行方不明者のリストの中にいました」
「骨のほうは時間がかかりそうか?」
「そうですね。何しろバラバラで数もよく分かりませんからね」
竜崎は軽くうなずいて、持っていた電子ペーパーに目を移した。
「口を割ろうとしない連中は11人。さて、どうしたものかな」
「前の4人とは違って、出された食事を食べる者もいるようですね」
「全員が信者だというわけではないからな。それに、残りの27人の中にも素性を話さないやつはいるのだろう?」
「ええ。でも、全員の名前は顔から割り出すことができましたよ。行方不明者登録、あるいは指名手配されていた者ばかりです」
「あとはスラム街の中で罪を犯してないか調べないといけない。まだまだ、時間はかかりそうだな」
竜崎の言葉に、浜本は大きなため息をついた。
「ため息をついたって仕事がなくなるわけではないさ。さあ、取調室へ戻るぞ」
2人は、並んで取調室へと歩いていった。
アンドロイドが手際よく死体をカプセルに入れて運ぶ様子を、立花はじっと眺めていた。
「待っているだけでは退屈ですよね。すみません、間もなく終わりますから」
ウィリーが、立花に話しかけた。
「退屈なんてしないわよ。夢にでも出てきそうだわ」
「別に見ている必要はないですよ。ここで襲われる心配はないでしょうから。外で新鮮な空気を吸えばリフレッシュできるでしょう」
「そうね・・・でも、最後まで見届けるわ。あんたたちに働かせてばかりじゃあ、ね」
小部屋の壁に沿ってライトが並べられている。それは室内の全ての闇を拭い去っていた。そのおかげで不気味さは半減していたが、変色した死体がありえない形に折れ曲がり、重なっている様子がはっきりと見えるようになり、それは吐き気を覚えるほどの光景だった。
死体を処理するアンドロイドの横で、別のアンドロイドは遺留品がないか捜索していた。床は灰色の絨毯が敷き詰められているが、カビのせいで至るところ黒く変色している。死体の周りには赤いろうそくが並べられていた。それが何を意味するのかはよく分からない。
やがて、死体は全て運び出された。死体のあった場所には、くっきりと黒いシミが残っている。捜索も完了し、高温プラズマによる滅菌作業が始まった。
「これが終われば、ようやくここからおさらばね」
立花がため息をついた。
「お疲れさまでした。あとは片付けだけですね」
そう声をかけたウィリーは、立花が唖然とした表情で床に目を落としていることに気づいて
「どうしましたか?」
と尋ねた。
「なに、あれ?」
ゆっくりと右手を上げて指を差す、その先をウィリーの電子の目が捉えた。絨毯は燃え尽き、セラミック製の床がその下から姿を現している。そこには、どうやって描いたのか、不気味な模様が浮かび上がっていた。
「彩さん、こんなところまで付き合わせちゃって、ごめんなさい」
麻子が彩に頭を下げた。
「あら、別にいいわよ。それより、無事に申請が通るといいわね」
彩は笑みを浮かべ、麻子に向かって手をひらひらさせながら応える。
ドナが麻子のサポートをするための手続きを進めていたのだが、ようやく承認が得られることになったらしい。その連絡が来たのが、ちょうど雑貨店にいるときである。
「麻子ちゃん、たった今、連絡があってね。私が麻子ちゃんと暮らす件、どうやら認められそうなんだけど、承認前に本人の同意が取れているか確認が必要なの。直接、役所まで行く必要があるんだけど、いつ行こうか?」
「そうですね・・・今度の休みの日はどうですか? 一週間後になるけど」
「その日は役所も休みよ。すると、2週間後かな?」
電子ペーパー用の筆記具を物色していた彩がその話を聞いて
「今日は開いてないの?」
と尋ねた。
「開いてますけど、帰る頃には閉まっていますよ」
今日は夕食もいっしょに食べる約束をしていたため、その後では間に合わない。
「今から行けばいいじゃない」
彩の言葉を聞いて
「でも、今から服を見に行こうって・・・」
と麻子が返した。彩は、麻子に見せたい服があるらしく、その店に立ち寄る話になっていたのだ。しかし、彩は
「手続きにはそんなに時間はかからないでしょ? 終わってからでも十分時間はあるじゃない」
と言って肩をすくめた。結局、彩の提案を受け入れることになり、こうして役所の入り口までたどり着いたのである。
役所は、何の飾り気もない灰色の建物で、入り口にある看板には古めかしい文字で『B街区 行政サービスコーナー』と書かれていた。3人以外に人影は見当たらない。今は、たいていの手続きがオンラインで可能だから、役所に人が来ることはほとんどないのだ。
ドナはすでに行き先を把握しているらしく、建物に入ってからは迷うことなく進んでいった。エレベーターで12階に上がり、外の景色が一望できる大きな窓を横目に広い廊下を渡って、事務机がずらりと並んだ広い部屋に入ると、カウンターには一人の女性が立っていた。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
ドナが麻子に、カウンターの前に立つよう促した。
「あなたが紫龍麻子さんですね。今から本人確認をします。そのままの状態でお待ち下さい」
カウンターの女性は、微笑みを浮かべながら麻子の顔をじっと見つめた。顔が一致するかチェックしているのだろう。
「本人確認ができました。あなたはこれから、ドナさんのサポートを受けることになります。サポートは、あなたが契約解除を申し出るか、養子縁組等により、あなたが新たな親を得るか、もしくはあなたが亡くなるまで継続します。ドナさんは、あなたのプライベートに関しても把握することがありますが、それを第三者に提供することは決してありません。御存知の通り、アンドロイドの捉えた映像は基幹システムに記録されますが、プライベートに関わるものについては記録されませんのでご安心下さい。それから・・・」
女性は麻子に、様々な規定について長々と説明した。はじめのうちは真剣に聞いていた麻子であったが、話がだんだんと難しくなり、内容が把握できなくなると、女性の顔のほうが気になりだした。
非常に可愛らしい顔であった。アイドルとして活躍していてもおかしくはない。麻子は、この女性が踊りながら歌う姿を想像してみた。今は鮮やかなキャロットオレンジのスーツに身を包んでいるけど、フリルの付いたフープスカートなどが似合いそう。長い髪はバッサリ切ってショートカットにすると、もっと可愛くなるかも。あとは・・・
「それでは紫龍さん、以上の内容について同意していただけますか?」
女性の問いに、麻子はハッと我に返った。しばらく、沈黙の時間が流れる。
「どうしたの、麻子ちゃん?」
ドナが声を掛けた。
「ごめんなさい、その、途中から話をよく聞いてなくて・・・」
消え入るような声で、麻子は答えた。下を向き、耳が真っ赤になっている。
女性は微笑みを絶やさず
「ちょっと難しい話が多かったかな? 大丈夫、細かな話は後でドナさんに聞けばいいから。ここでは、ドナさんのサポートを受け入れる意志があるか、それだけ教えてちょうだい」
ともう一度問いかけた。麻子はその問いに
「はい、よろしくお願いします」
とはっきりと答えた。
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この物語はフィクションです。
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