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嵐の夜
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小春が回復してから、二人は、迷宮の中へと進んだ。
行きはかなり苦労したが、帰りはほとんど迷うことがない。どうやら、進みにくく出やすい迷路になっているらしい。
「弥太郎くん、今頃は両親に会っているでしょうか?」
晶紀が小春に尋ねる。
「どんな道のりなのか分からないけど、そんなにすぐには会えないんじゃないかな」
「そうかも知れませんね。弥太郎くん、早く会いたくて今頃うずうずしているんじゃないかしら。でも、死後の世界って本当にあるみたいですね」
「人間は死んだ後、どこかに旅立つみたいだね。でも、妖怪はどうなんだろう」
「妖怪だって、一つの命なのですから、きっと同じですよ」
「じゃあ、私はどうなると思う?」
小春は笑顔で晶紀の顔を見た。晶紀にはその顔がどこか悲しげに見えた。
「もちろん、小春様だって一つの命です。絶対に同じです」
「でも、鉄斎は消え去るって言っていたよ」
「他の生命と変わりはないとも言っていました」
晶紀の顔は真剣だった。小春につらい思いをしてほしくないのだろう。本当に消え去ってしまうのなら、何も残らないというのなら、それほど怖いことはない。
そんな晶紀の顔を小春はじっと見つめていたが、やがて口を開いた。
「晶紀さんは優しいんだな」
晶紀は目を見開いて
「そんな・・・私は思っていることを正直に言っているだけですわ」
と答える。小春は
「まあ、今から死んだ後のことを考える必要はないよ。鉄斎の言った通り、今は生き延びることを考えなくちゃね」
と言って笑った。
小春と晶紀は、迷宮への入口の門までなんとかたどり着くことができた。
しかし、その門を開ける方法が分からない。
「どうやってここから出ればいいんだ?」
門の近くは暗く、どこに何があるのか判別ができなかった。
「中に入る時に鍵穴がありましたよね。こちらにも同じ位置にあるのでは?」
晶紀の言葉に従い地面を探ってみると、鍵穴らしき円形の板に手が触れた。
「晶紀さん、予想通りだったよ。すごいじゃないか」
小春は晶紀のほうへと笑顔を向けた。
背中の大刀を手に取り、鍵穴の中へ刃を通してみると、大きな音とともに、今度は門が外側へと開き始めた。
門が十分に開いた所で、小春は大刀を鍵穴から抜き、晶紀とともに外へと出た。今はちょうど夜が明けたばかりの時だった。
「少し休憩しよう」
小春の提案により、門の近くで休息をとることにした。
「しかし、どうして晶紀さんは鬼に乗り移られたんだい?」
無事に脱出できたので、ようやく小春は疑問に思っていたことを晶紀に質問することができた。
「よく分かりませんが、大府で最初の生贄として捧げられたようなのです」
「大府で最初の生贄?」
「その青い鬼は私に向かってそう言いました」
「つまり、儀式には生贄が必要になるということか」
小春は、白魂の地で見聞きしたことを晶紀に話した。
「晶紀さん、冬音の屋敷に住んでいたんだろ? 生贄となる老人たちが集められていることは知らなかったのかい?」
「確かに、屋敷にいらっしゃる方は毎月変わっていました。でも、それは交代で務めていらっしゃるからだと思っていました。まさか、その方たちが生贄だなんて、信じられません」
「信じられないかも知れないが、おそらく事実だろうな。冬音は、生贄を差し出す代わりに、鬼が人を襲わないように仕向けていたのかな?」
小春の言葉に、晶紀は目を伏せてしまった。
晶紀にとっては、信頼していた冬音に裏切られたことになる。冬音は、今まで精一杯尽くしてきた晶紀を、儀式の生贄として大府に差し出したわけだ。動揺するなと言うほうが無理があるだろう。そんな晶紀の様子を見た小春は
「晶紀さん、もう冬音のことは信用しないほうがいい」
と晶紀に告げた。しかし、晶紀は
「でも、冬音様のおかげで鬼が出なくなったことは事実です。冬音様は、白魂や大府のためを思ってこんなことをしているに違いありません」
と反論した。
「まだ、冬音のことを信用するのかい?」
小春の質問に、晶紀は大きくうなずいた。
「じゃあ、冬音に会って話をしてみるかい?」
小春がそう提案すると、晶紀はしばらくうつむいていたが、やがて小春のほうを見て
「はい」
と答えた。
しばしの仮眠をとった後、小春と晶紀は出発した。
「さて、どうやって戻ろうか」
そうつぶやいた後、小春は晶紀のほうを見て
「あの崖を登ることはできるかい?」
と尋ねた。
崖を降りる時は、炎獄童子が晶紀の身体を操っていた。今は、晶紀自身が崖を登らなければならない。
「無理だと思います」
晶紀は素直にそう返事した。
小春の持っている地図には、今までたどってきた道以外には何の記述もない。
「とりあえず南西へ向かえばどこかに出るだろう」
小春は、立方体の形の石がある場所から南へ進んでみることにした。
旅の間、晶紀はただ黙々と小春に付いて歩いていた。小春も、そんな晶紀の姿を見ていると声が掛けづらかった。
石畳はすぐになくなり、緑に覆われた地面がかろうじて道があることを示していた。あたりは静かで、二人の歩く足音だけが聞こえる。
かなり長い間、二人は一言も話さないまま歩き続けた。だんだんと、空が暗くなっていく。もう、陽が落ちかけているようだ。
「暗くなる前に、野宿する場所を探すか」
小春が誰に言うとでもなくつぶやいた。晶紀は沈黙を守ったままであった。
たき火を囲み、二人は食事をとった。
食事のときも、どちらも何も話そうとはしない。
食事が済んで、小春が地面に寝転がっていた時である。晶紀が話を始めた。
「鬼が私に乗り移っていた時、その鬼の考えていることが私にも伝わってきました」
小春は、晶紀のほうへ耳を傾けた。
「それはあまりにも恐ろしく、私はほとんど気を失っていたのであまり覚えていないのですが、その鬼は昔、冬音様によって封じられていたそうです」
「それだけ、冬音の力が強いということか」
「おそらく、そうだと思います。冬音様は、鬼にその刀を破壊するように指示していました。それから、鬼は小春様の命も狙っていたようです」
「冬音は、鬼と取引していたというより、鬼を従えていたということか?」
「小春様・・・」
晶紀は小春の顔を覗き込んだ。真剣な表情だ。
「どうした?」
「冬音様は、鬼なのではないでしょうか?」
「冬音が鬼?」
小春は起き上がって晶紀の顔を見つめた。
「冬音様が人間でないことは間違いありません。歳を重ねても美しさは全く変わりませんし、鬼を封じるほどの力を持っていらっしゃるのです」
晶紀は小春から目を外し、さらに話を続けた。
「しかし、大府に入ることができるということは妖怪でもありません。そうすると、残るは鬼ということになります」
「その鬼が、どうして白魂や大府のためにこんな事をしているんだい?」
「それは・・・」
晶紀は言葉に詰まった。
「でも、晶紀さんの言うことは正しいのかも知れない。鬼は身体を維持するために人間の死体が必要だと鉄斎は言っていたな」
小春は額に手を当てながら話を続けた。
「その死体を確保するために儀式をしているとしたら」
小春の話を聞いて、晶紀が突然叫んだ。
「狩りです」
「えっ?」
晶紀の言葉を小春は理解することができなかった。
「鬼たちは、自分の身体を維持するために人間を狩っていたのです」
「そう言うことか」
「でも、昔は剣生様や小春様が鬼を退治していました。鬼のほうも命懸けだったでしょう」
小春は、晶紀の言いたいことがわかった。
「それで、もっと楽な方法を思いついたというわけか」
「人間の生贄がいれば、わざわざ狩りをする必要はなくなります」
「そこで冬音が白魂や大府に入り込み、生贄を差し出すように説得したというわけだな。冬音が鬼ならば、狩りを止めることも可能だろう」
小春は、晶紀に向かって
「これでもまだ、冬音のことを信用するかい?」
と言い添えた。
「いいえ、もう信用しません」
晶紀は、そう答えた。
翌朝、小春と晶紀は進むことができなくなっていた。
「まさか、こんなものがあるとはね」
小春が目の前にあるものを見てため息をつく。森の中から突然現れたそれは、東西に伸びた巨大な大地の裂け目だった。左右どちらを向いても、どこまで続いているのか見通すことができない。
たとえ小春であっても、向こう側まで飛び越えることは全くできそうにないくらいの幅がある。晶紀については言うまでもないだろう。
「こんなものがあるから、南からたどる道は地図になかったんですね」
晶紀が下を覗き込みながら口を開いた。崖の下は深く真っ暗で、何があるのか全くわからない。
「どうやって、こんな裂け目ができたんだろうか」
頭をかきながら、小春はつぶやいた。
とりあえず、二人は西の方向へ裂け目づたいに歩くことにした。裂け目はほぼ真っすぐに伸びている。まるで巨人が刀で地面を斬ったかのようだ。
「どこかで終わっているはずなんだけどな」
小春が晶紀に話しかけた。
「そうですよね。仙蛇の谷から大府へ通ることができるんですものね」
晶紀も自分を励ますように言ってはみたものの、その終わりがどれだけ遠いのか見当がつかず、心細くて仕方なかった。
どれだけ歩いただろうか。遠くに二つの石柱のようなものが見えてきた。
「あれは何だろう?」
「何でしょうか?すごく大きな柱のようですね」
近づくにつれて、それはきれいな円柱形の石であることがわかった。あの、迷宮へと続く石像と同じ材質でできているようだ。
「こんなところにも目印があるのか?」
小春が柱に沿ってぐるりと一周した。それほど太い柱ではなく、小春と晶紀が手を伸ばせば二人で抱え込めるくらいだろう。裂け目は円柱のあたりだけ突き出た形になっていた。そして反対側も同じ構造である。なので、向こう側との距離はそこだけ半分程度に短くなっていた。小春はその様子を見るや、袋から縄を取り出して円柱に結びつけた。
「どうするおつもりですか?」
首を傾げ、晶紀が小春に問いかける。
「これなら向こう側に飛び越えられそうだ。これから試してみるよ」
「でも、私には無理ですわ」
「大丈夫、任せておいてくれ」
小春は縄の反対側を自分の腰に結びつけ、さらにもう一本の縄を取り出して、円柱に結んだ縄に、もやい結びでつないだ。そして、その縄の端を晶紀の腰に巻き付ける。
「命綱だよ。絶対に落ちないから安心して」
そう言って笑みを浮かべると、小春は大刀と荷物を持ったまま、崖のほうへ走り出した。
晶紀が口を押さえ、目を見開いて驚いているのを気にも留めず、小春は見事向こう側へ着地した。
驚いたままの晶紀を尻目に、自分の腰から解いた縄の端を今度は反対側の円柱に結びつける。これで裂け目に一本の縄が渡った。
「よし、今度は晶紀さんの番だ。その縄にぶら下がって、こちらまで来るんだ」
「えっ、そんな、無理です」
「命綱があるから、万が一手を離しても落ちはしないよ。下を向かず、私のほうを見ながら渡るんだ」
晶紀はしばらく戸惑っていたが、覚悟を決めたのか、真剣な表情で小春の顔を見ながら、ゆっくりと、崖の近くへ進んだ。その場でしゃがんで縄を両手で持ち、時間をかけてぶら下がった状態になっても、視線は小春から外そうとしない。
「手だけでぶら下がるとすぐに疲れてしまうから、足を縄に絡めるんだ」
言われたとおり、足を縄に引っ掛ける。意外にも器用に両足を絡めることができた。晶紀は顔が逆さまになりながら、まだ小春の顔をじっと見つめている。
真剣な顔で自分の顔を見つめたまま、ゆっくりと近づいてくる晶紀を見て、小春はその滑稽な姿に吹き出しそうになったが、なんとか笑いをこらえながら
「いいぞ、もう少しだ」
と晶紀を励ました。
ようやく反対側に到着した晶紀の脇を抱きかかえ、小春は安全な地面の上に引き上げた。こうして、二人は裂け目を渡ることに成功したのである。
自分で縄を解き、すっと立ち上がる晶紀を見て、
「意外と平気そうだったね」
と小春は笑みを浮かべたが、晶紀は笑いもせず、返事もしなかった。
「晶紀さん?」
小春が呼びかけると、晶紀は突然、涙を流して泣き顔になった。
「怖かった・・・」
そう言って小春に抱きついてきた晶紀に、小春は少し驚いたものの、すぐに笑顔で
「よくがんばったな」
と声を掛けた。
桜雪、正宗、紫音の三人は、早朝に大府を出発して八角村へと向かった。
「冬音さんは寂しがっていませんでしたか?」
正宗がからかうように桜雪に話し掛けた。
「私も付いて行くとは言い出さなかったな」
紫音が正宗に同調して後に続く。
「やめてくれよ、本当に同行すると言い出したらどうする気だったんだ」
桜雪が、うんざりしたような顔で応えた。
桜雪は、八角村へ行くことを冬音には伏せておくつもりだった。それを喋ってしまったのは正宗だ。正宗は、冬音がすでにその事を知っていると思っていたらしい。桜雪の家へ案内する時に口を滑らせてしまった。
しかし、桜雪が八角村に行くことを知っても、冬音は同行すると言い出すことはなかった。
「お前が行くと知った時は、絶対に付いて行くと言い出すと思ったんだがな」
紫音が笑みを浮かべながら桜雪に言った。
「もう、八角村にある宝石は全て見たのだから、満足したんだろうよ」
と桜雪は返す。
空はあいにくの曇り空だった。一行が森を抜けた夕方頃になると強い風が吹き、あたりの草を揺らし始めた。
「台風でも近づいているのか?」
紫音が空を見上げながらつぶやいた。
「もしそうなら、どこかでやり過ごさねばならぬな」
桜雪もそう言いながら空を見上げた。
「水無村に着いたら、しばらく様子を見ましょうか」
正宗の提案に二人は賛同した。
小春と晶紀は、道なき道を進んでいた。
木々の間を縫うように、二人は森の中を歩き続ける。
その木々は全てが曲がりくねった状態で生えていた。真っ直ぐに生えた木は一本も見当たらない。
「この木、幽霊谷に生えていたものによく似ているな」
道はぬかるみが多くなり、下り坂ということもあり滑りやすくなっていた。小春も晶紀も、何度か転びそうになった。
空は曇り、風が唸るような音を立てて吹いている。木々の葉どうしがこすれるザワザワとした音も鳴り響いていた。
「これは嵐でもやって来そうな気配だな」
小春が空を見上げて言った。
「どこか、雨風が凌げる場所を探さなくてはいけませんね」
晶紀が小春に話し掛けると
「とにかく、先を急ごう。夜になれば周りは暗くなって歩けなくなるだろう」
と小春は応えた。
やがて、風や木々の鳴らす音とは異なる音が聞こえてきた。
「あれは滝の音か?」
小春は、幽霊谷に滝があったことを思い出した。
「間違いない、このまま行けば幽霊谷に出られる」
さらに進むと、川が二人の行く手を遮った。
「おそらく、滝から続いている川だな」
小春が、川の中にある石にうまく飛び乗って向こう岸へと渡った。
「晶紀さん、渡れるかい?」
小春が晶紀のほうを見て叫ぶと、晶紀は
「やってみます」
と言って渡り始めた。
川の流れは速く、落ちれば流されてしまうだろう。小春はハラハラしながら晶紀の様子を見ていた。
途中、バランスを崩して倒れそうになった。
「危ない!」
運よくそばにあった石の上に片足を乗せ、なんとか体勢を立て直すことができた。
晶紀が無事に渡り終わった時は、本人よりも小春のほうが疲れた表情を見せていた。
「やりました! 渡ることができましたわ」
そう言って喜んでいる晶紀を見ながら
「まだ、先は長い。急ごう」
と小春は声を掛けた。
翌朝、桜雪は水無村の宿から外に出て様子を見た。
「昨日よりも風が強い。これからが本番というところか」
桜雪は独り言をつぶやいた。
ふと、遠くから歩いてくる二人の旅人らしき者に目が留まった。
「あれは小春殿ではないか?」
背中に刀を背負っているのを見て一人は小春だとわかったが、もう一人連れの女性が誰かわからない。
桜雪は、二人に近づいていった。
「小春殿、戻られたのですか?」
桜雪が声を掛けると、下を向いて歩いていた二人は顔を上げた。
もう一人の女性の顔を見て桜雪は驚いて声を上げた。
「あなたは晶紀殿ではないか」
そう言ったまま、桜雪は絶句してしまった。
「桜雪様!」
晶紀が思わず声に出した。
小春は、そのまま固まってしまった二人を黙って眺めていた。
「いったい、どうして小春殿といっしょに旅を?」
宿に入り、桜雪は晶紀に尋ねた。
「話せば長くなりますが・・・」
晶紀は、事の顛末を説明し、桜雪たちは、その話を聞いて愕然とした。
「冬音殿が鬼と結託していたとは」
紫音が絞り出すような声で言った。
「生贄を差し出す代わりに人間を襲うことはしないように取引をしていたということですか」
正宗がいつになく真剣な顔で口を開いた。
「鬼は身体を維持するために、鬼が魂を奪った人間の死体を必要としている。人間を狩るより、生贄を手に入れるほうが鬼たちにとっても危険は少ない」
小春の言葉に、桜雪が
「そこに目をつけて冬音殿が取引したということか。しかし、なぜ彼女がそんなことを?」
と尋ねた。
「冬音様も鬼なのではないかと思います」
晶紀がそれに応えた。
桜雪ら三人は、驚いた顔を晶紀のほうに向けた。
「冬音殿が鬼・・・」
一番驚いたのは桜雪のようだ。そうつぶやいたまま言葉を失ってしまった。
外は強い風が吹き、戸がガタガタと音を立て始めた。
「ところで、なぜここにいるんだい?」
小春が桜雪に尋ねた。
「今から、八角村へ行くところだ。今夜、行われる予定だった儀式は中止になったんだ。これから、鬼がまた現れるかも知れないからな。それを知らせに行き、札の納品時には護衛をする予定だ」
桜雪は、正宗と紫音のほうを見て
「しかし、小春殿と晶紀殿の話、年寄衆にも伝えねばなるまい」
と話を続けた。
「俺が小春殿たちといっしょに大府へ戻ろう。一応、兵士長だからな」
紫音が笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、俺と正宗で八角村へ行くことにしよう」
桜雪の言葉に、正宗はうなずいた。
「いずれにしても、今日はこれ以上は進めない。おそらく、台風が近づいているのだろう」
その日は、小春と晶紀も別の宿へ移動して、台風が過ぎるまで待つことにした。
「明日の朝には通過してくれるかな?」
小春が何気なく晶紀に尋ねた。
「私は、できるだけ早く通過してほしいですわ」
晶紀が不安そうな顔で答える。
やがて、凄まじい暴風雨が宿を襲い、壁がミシミシと音を立てるほどになった。
晶紀は、ずっと小春の腕にしがみついていた。
「晶紀さん、家の中にいれば大丈夫だよ」
小春の言葉に、晶紀は
「でも、家が崩れたりしないかと心配で」
と言って離れようとはしない。
外からの風で、行灯の炎が大きく揺らめく。小春は、だんだんと眠気を覚えた。
「晶紀さん、もう寝ないか?」
「こんな状態では眠ることなどできません」
「私は横になりたいんだが」
晶紀が掴んでいた手をぱっと放して
「ごめんなさい」
と謝った。
「一眠りすれば、もう通過しているよ。気にせずに眠るのが一番さ」
そう言って小春はゴロリと横になった。
そんな小春の姿を見て、晶紀は小春の事をうらやましく思った。晶紀にはこの中で眠る事などとてもできない。
低く唸るような音が、強くなったり弱くなったりしながら絶えず聞こえてくる。
時々、猛烈な風がまるで体当たりでもしているかのように家を揺らした。
それでも、小春は何ともないような顔をして眠っている。
晶紀はしかたなく、身体を横たえた。小春に背中をピッタリと付けて、横向きになってまぶたを閉じた。
行きはかなり苦労したが、帰りはほとんど迷うことがない。どうやら、進みにくく出やすい迷路になっているらしい。
「弥太郎くん、今頃は両親に会っているでしょうか?」
晶紀が小春に尋ねる。
「どんな道のりなのか分からないけど、そんなにすぐには会えないんじゃないかな」
「そうかも知れませんね。弥太郎くん、早く会いたくて今頃うずうずしているんじゃないかしら。でも、死後の世界って本当にあるみたいですね」
「人間は死んだ後、どこかに旅立つみたいだね。でも、妖怪はどうなんだろう」
「妖怪だって、一つの命なのですから、きっと同じですよ」
「じゃあ、私はどうなると思う?」
小春は笑顔で晶紀の顔を見た。晶紀にはその顔がどこか悲しげに見えた。
「もちろん、小春様だって一つの命です。絶対に同じです」
「でも、鉄斎は消え去るって言っていたよ」
「他の生命と変わりはないとも言っていました」
晶紀の顔は真剣だった。小春につらい思いをしてほしくないのだろう。本当に消え去ってしまうのなら、何も残らないというのなら、それほど怖いことはない。
そんな晶紀の顔を小春はじっと見つめていたが、やがて口を開いた。
「晶紀さんは優しいんだな」
晶紀は目を見開いて
「そんな・・・私は思っていることを正直に言っているだけですわ」
と答える。小春は
「まあ、今から死んだ後のことを考える必要はないよ。鉄斎の言った通り、今は生き延びることを考えなくちゃね」
と言って笑った。
小春と晶紀は、迷宮への入口の門までなんとかたどり着くことができた。
しかし、その門を開ける方法が分からない。
「どうやってここから出ればいいんだ?」
門の近くは暗く、どこに何があるのか判別ができなかった。
「中に入る時に鍵穴がありましたよね。こちらにも同じ位置にあるのでは?」
晶紀の言葉に従い地面を探ってみると、鍵穴らしき円形の板に手が触れた。
「晶紀さん、予想通りだったよ。すごいじゃないか」
小春は晶紀のほうへと笑顔を向けた。
背中の大刀を手に取り、鍵穴の中へ刃を通してみると、大きな音とともに、今度は門が外側へと開き始めた。
門が十分に開いた所で、小春は大刀を鍵穴から抜き、晶紀とともに外へと出た。今はちょうど夜が明けたばかりの時だった。
「少し休憩しよう」
小春の提案により、門の近くで休息をとることにした。
「しかし、どうして晶紀さんは鬼に乗り移られたんだい?」
無事に脱出できたので、ようやく小春は疑問に思っていたことを晶紀に質問することができた。
「よく分かりませんが、大府で最初の生贄として捧げられたようなのです」
「大府で最初の生贄?」
「その青い鬼は私に向かってそう言いました」
「つまり、儀式には生贄が必要になるということか」
小春は、白魂の地で見聞きしたことを晶紀に話した。
「晶紀さん、冬音の屋敷に住んでいたんだろ? 生贄となる老人たちが集められていることは知らなかったのかい?」
「確かに、屋敷にいらっしゃる方は毎月変わっていました。でも、それは交代で務めていらっしゃるからだと思っていました。まさか、その方たちが生贄だなんて、信じられません」
「信じられないかも知れないが、おそらく事実だろうな。冬音は、生贄を差し出す代わりに、鬼が人を襲わないように仕向けていたのかな?」
小春の言葉に、晶紀は目を伏せてしまった。
晶紀にとっては、信頼していた冬音に裏切られたことになる。冬音は、今まで精一杯尽くしてきた晶紀を、儀式の生贄として大府に差し出したわけだ。動揺するなと言うほうが無理があるだろう。そんな晶紀の様子を見た小春は
「晶紀さん、もう冬音のことは信用しないほうがいい」
と晶紀に告げた。しかし、晶紀は
「でも、冬音様のおかげで鬼が出なくなったことは事実です。冬音様は、白魂や大府のためを思ってこんなことをしているに違いありません」
と反論した。
「まだ、冬音のことを信用するのかい?」
小春の質問に、晶紀は大きくうなずいた。
「じゃあ、冬音に会って話をしてみるかい?」
小春がそう提案すると、晶紀はしばらくうつむいていたが、やがて小春のほうを見て
「はい」
と答えた。
しばしの仮眠をとった後、小春と晶紀は出発した。
「さて、どうやって戻ろうか」
そうつぶやいた後、小春は晶紀のほうを見て
「あの崖を登ることはできるかい?」
と尋ねた。
崖を降りる時は、炎獄童子が晶紀の身体を操っていた。今は、晶紀自身が崖を登らなければならない。
「無理だと思います」
晶紀は素直にそう返事した。
小春の持っている地図には、今までたどってきた道以外には何の記述もない。
「とりあえず南西へ向かえばどこかに出るだろう」
小春は、立方体の形の石がある場所から南へ進んでみることにした。
旅の間、晶紀はただ黙々と小春に付いて歩いていた。小春も、そんな晶紀の姿を見ていると声が掛けづらかった。
石畳はすぐになくなり、緑に覆われた地面がかろうじて道があることを示していた。あたりは静かで、二人の歩く足音だけが聞こえる。
かなり長い間、二人は一言も話さないまま歩き続けた。だんだんと、空が暗くなっていく。もう、陽が落ちかけているようだ。
「暗くなる前に、野宿する場所を探すか」
小春が誰に言うとでもなくつぶやいた。晶紀は沈黙を守ったままであった。
たき火を囲み、二人は食事をとった。
食事のときも、どちらも何も話そうとはしない。
食事が済んで、小春が地面に寝転がっていた時である。晶紀が話を始めた。
「鬼が私に乗り移っていた時、その鬼の考えていることが私にも伝わってきました」
小春は、晶紀のほうへ耳を傾けた。
「それはあまりにも恐ろしく、私はほとんど気を失っていたのであまり覚えていないのですが、その鬼は昔、冬音様によって封じられていたそうです」
「それだけ、冬音の力が強いということか」
「おそらく、そうだと思います。冬音様は、鬼にその刀を破壊するように指示していました。それから、鬼は小春様の命も狙っていたようです」
「冬音は、鬼と取引していたというより、鬼を従えていたということか?」
「小春様・・・」
晶紀は小春の顔を覗き込んだ。真剣な表情だ。
「どうした?」
「冬音様は、鬼なのではないでしょうか?」
「冬音が鬼?」
小春は起き上がって晶紀の顔を見つめた。
「冬音様が人間でないことは間違いありません。歳を重ねても美しさは全く変わりませんし、鬼を封じるほどの力を持っていらっしゃるのです」
晶紀は小春から目を外し、さらに話を続けた。
「しかし、大府に入ることができるということは妖怪でもありません。そうすると、残るは鬼ということになります」
「その鬼が、どうして白魂や大府のためにこんな事をしているんだい?」
「それは・・・」
晶紀は言葉に詰まった。
「でも、晶紀さんの言うことは正しいのかも知れない。鬼は身体を維持するために人間の死体が必要だと鉄斎は言っていたな」
小春は額に手を当てながら話を続けた。
「その死体を確保するために儀式をしているとしたら」
小春の話を聞いて、晶紀が突然叫んだ。
「狩りです」
「えっ?」
晶紀の言葉を小春は理解することができなかった。
「鬼たちは、自分の身体を維持するために人間を狩っていたのです」
「そう言うことか」
「でも、昔は剣生様や小春様が鬼を退治していました。鬼のほうも命懸けだったでしょう」
小春は、晶紀の言いたいことがわかった。
「それで、もっと楽な方法を思いついたというわけか」
「人間の生贄がいれば、わざわざ狩りをする必要はなくなります」
「そこで冬音が白魂や大府に入り込み、生贄を差し出すように説得したというわけだな。冬音が鬼ならば、狩りを止めることも可能だろう」
小春は、晶紀に向かって
「これでもまだ、冬音のことを信用するかい?」
と言い添えた。
「いいえ、もう信用しません」
晶紀は、そう答えた。
翌朝、小春と晶紀は進むことができなくなっていた。
「まさか、こんなものがあるとはね」
小春が目の前にあるものを見てため息をつく。森の中から突然現れたそれは、東西に伸びた巨大な大地の裂け目だった。左右どちらを向いても、どこまで続いているのか見通すことができない。
たとえ小春であっても、向こう側まで飛び越えることは全くできそうにないくらいの幅がある。晶紀については言うまでもないだろう。
「こんなものがあるから、南からたどる道は地図になかったんですね」
晶紀が下を覗き込みながら口を開いた。崖の下は深く真っ暗で、何があるのか全くわからない。
「どうやって、こんな裂け目ができたんだろうか」
頭をかきながら、小春はつぶやいた。
とりあえず、二人は西の方向へ裂け目づたいに歩くことにした。裂け目はほぼ真っすぐに伸びている。まるで巨人が刀で地面を斬ったかのようだ。
「どこかで終わっているはずなんだけどな」
小春が晶紀に話しかけた。
「そうですよね。仙蛇の谷から大府へ通ることができるんですものね」
晶紀も自分を励ますように言ってはみたものの、その終わりがどれだけ遠いのか見当がつかず、心細くて仕方なかった。
どれだけ歩いただろうか。遠くに二つの石柱のようなものが見えてきた。
「あれは何だろう?」
「何でしょうか?すごく大きな柱のようですね」
近づくにつれて、それはきれいな円柱形の石であることがわかった。あの、迷宮へと続く石像と同じ材質でできているようだ。
「こんなところにも目印があるのか?」
小春が柱に沿ってぐるりと一周した。それほど太い柱ではなく、小春と晶紀が手を伸ばせば二人で抱え込めるくらいだろう。裂け目は円柱のあたりだけ突き出た形になっていた。そして反対側も同じ構造である。なので、向こう側との距離はそこだけ半分程度に短くなっていた。小春はその様子を見るや、袋から縄を取り出して円柱に結びつけた。
「どうするおつもりですか?」
首を傾げ、晶紀が小春に問いかける。
「これなら向こう側に飛び越えられそうだ。これから試してみるよ」
「でも、私には無理ですわ」
「大丈夫、任せておいてくれ」
小春は縄の反対側を自分の腰に結びつけ、さらにもう一本の縄を取り出して、円柱に結んだ縄に、もやい結びでつないだ。そして、その縄の端を晶紀の腰に巻き付ける。
「命綱だよ。絶対に落ちないから安心して」
そう言って笑みを浮かべると、小春は大刀と荷物を持ったまま、崖のほうへ走り出した。
晶紀が口を押さえ、目を見開いて驚いているのを気にも留めず、小春は見事向こう側へ着地した。
驚いたままの晶紀を尻目に、自分の腰から解いた縄の端を今度は反対側の円柱に結びつける。これで裂け目に一本の縄が渡った。
「よし、今度は晶紀さんの番だ。その縄にぶら下がって、こちらまで来るんだ」
「えっ、そんな、無理です」
「命綱があるから、万が一手を離しても落ちはしないよ。下を向かず、私のほうを見ながら渡るんだ」
晶紀はしばらく戸惑っていたが、覚悟を決めたのか、真剣な表情で小春の顔を見ながら、ゆっくりと、崖の近くへ進んだ。その場でしゃがんで縄を両手で持ち、時間をかけてぶら下がった状態になっても、視線は小春から外そうとしない。
「手だけでぶら下がるとすぐに疲れてしまうから、足を縄に絡めるんだ」
言われたとおり、足を縄に引っ掛ける。意外にも器用に両足を絡めることができた。晶紀は顔が逆さまになりながら、まだ小春の顔をじっと見つめている。
真剣な顔で自分の顔を見つめたまま、ゆっくりと近づいてくる晶紀を見て、小春はその滑稽な姿に吹き出しそうになったが、なんとか笑いをこらえながら
「いいぞ、もう少しだ」
と晶紀を励ました。
ようやく反対側に到着した晶紀の脇を抱きかかえ、小春は安全な地面の上に引き上げた。こうして、二人は裂け目を渡ることに成功したのである。
自分で縄を解き、すっと立ち上がる晶紀を見て、
「意外と平気そうだったね」
と小春は笑みを浮かべたが、晶紀は笑いもせず、返事もしなかった。
「晶紀さん?」
小春が呼びかけると、晶紀は突然、涙を流して泣き顔になった。
「怖かった・・・」
そう言って小春に抱きついてきた晶紀に、小春は少し驚いたものの、すぐに笑顔で
「よくがんばったな」
と声を掛けた。
桜雪、正宗、紫音の三人は、早朝に大府を出発して八角村へと向かった。
「冬音さんは寂しがっていませんでしたか?」
正宗がからかうように桜雪に話し掛けた。
「私も付いて行くとは言い出さなかったな」
紫音が正宗に同調して後に続く。
「やめてくれよ、本当に同行すると言い出したらどうする気だったんだ」
桜雪が、うんざりしたような顔で応えた。
桜雪は、八角村へ行くことを冬音には伏せておくつもりだった。それを喋ってしまったのは正宗だ。正宗は、冬音がすでにその事を知っていると思っていたらしい。桜雪の家へ案内する時に口を滑らせてしまった。
しかし、桜雪が八角村に行くことを知っても、冬音は同行すると言い出すことはなかった。
「お前が行くと知った時は、絶対に付いて行くと言い出すと思ったんだがな」
紫音が笑みを浮かべながら桜雪に言った。
「もう、八角村にある宝石は全て見たのだから、満足したんだろうよ」
と桜雪は返す。
空はあいにくの曇り空だった。一行が森を抜けた夕方頃になると強い風が吹き、あたりの草を揺らし始めた。
「台風でも近づいているのか?」
紫音が空を見上げながらつぶやいた。
「もしそうなら、どこかでやり過ごさねばならぬな」
桜雪もそう言いながら空を見上げた。
「水無村に着いたら、しばらく様子を見ましょうか」
正宗の提案に二人は賛同した。
小春と晶紀は、道なき道を進んでいた。
木々の間を縫うように、二人は森の中を歩き続ける。
その木々は全てが曲がりくねった状態で生えていた。真っ直ぐに生えた木は一本も見当たらない。
「この木、幽霊谷に生えていたものによく似ているな」
道はぬかるみが多くなり、下り坂ということもあり滑りやすくなっていた。小春も晶紀も、何度か転びそうになった。
空は曇り、風が唸るような音を立てて吹いている。木々の葉どうしがこすれるザワザワとした音も鳴り響いていた。
「これは嵐でもやって来そうな気配だな」
小春が空を見上げて言った。
「どこか、雨風が凌げる場所を探さなくてはいけませんね」
晶紀が小春に話し掛けると
「とにかく、先を急ごう。夜になれば周りは暗くなって歩けなくなるだろう」
と小春は応えた。
やがて、風や木々の鳴らす音とは異なる音が聞こえてきた。
「あれは滝の音か?」
小春は、幽霊谷に滝があったことを思い出した。
「間違いない、このまま行けば幽霊谷に出られる」
さらに進むと、川が二人の行く手を遮った。
「おそらく、滝から続いている川だな」
小春が、川の中にある石にうまく飛び乗って向こう岸へと渡った。
「晶紀さん、渡れるかい?」
小春が晶紀のほうを見て叫ぶと、晶紀は
「やってみます」
と言って渡り始めた。
川の流れは速く、落ちれば流されてしまうだろう。小春はハラハラしながら晶紀の様子を見ていた。
途中、バランスを崩して倒れそうになった。
「危ない!」
運よくそばにあった石の上に片足を乗せ、なんとか体勢を立て直すことができた。
晶紀が無事に渡り終わった時は、本人よりも小春のほうが疲れた表情を見せていた。
「やりました! 渡ることができましたわ」
そう言って喜んでいる晶紀を見ながら
「まだ、先は長い。急ごう」
と小春は声を掛けた。
翌朝、桜雪は水無村の宿から外に出て様子を見た。
「昨日よりも風が強い。これからが本番というところか」
桜雪は独り言をつぶやいた。
ふと、遠くから歩いてくる二人の旅人らしき者に目が留まった。
「あれは小春殿ではないか?」
背中に刀を背負っているのを見て一人は小春だとわかったが、もう一人連れの女性が誰かわからない。
桜雪は、二人に近づいていった。
「小春殿、戻られたのですか?」
桜雪が声を掛けると、下を向いて歩いていた二人は顔を上げた。
もう一人の女性の顔を見て桜雪は驚いて声を上げた。
「あなたは晶紀殿ではないか」
そう言ったまま、桜雪は絶句してしまった。
「桜雪様!」
晶紀が思わず声に出した。
小春は、そのまま固まってしまった二人を黙って眺めていた。
「いったい、どうして小春殿といっしょに旅を?」
宿に入り、桜雪は晶紀に尋ねた。
「話せば長くなりますが・・・」
晶紀は、事の顛末を説明し、桜雪たちは、その話を聞いて愕然とした。
「冬音殿が鬼と結託していたとは」
紫音が絞り出すような声で言った。
「生贄を差し出す代わりに人間を襲うことはしないように取引をしていたということですか」
正宗がいつになく真剣な顔で口を開いた。
「鬼は身体を維持するために、鬼が魂を奪った人間の死体を必要としている。人間を狩るより、生贄を手に入れるほうが鬼たちにとっても危険は少ない」
小春の言葉に、桜雪が
「そこに目をつけて冬音殿が取引したということか。しかし、なぜ彼女がそんなことを?」
と尋ねた。
「冬音様も鬼なのではないかと思います」
晶紀がそれに応えた。
桜雪ら三人は、驚いた顔を晶紀のほうに向けた。
「冬音殿が鬼・・・」
一番驚いたのは桜雪のようだ。そうつぶやいたまま言葉を失ってしまった。
外は強い風が吹き、戸がガタガタと音を立て始めた。
「ところで、なぜここにいるんだい?」
小春が桜雪に尋ねた。
「今から、八角村へ行くところだ。今夜、行われる予定だった儀式は中止になったんだ。これから、鬼がまた現れるかも知れないからな。それを知らせに行き、札の納品時には護衛をする予定だ」
桜雪は、正宗と紫音のほうを見て
「しかし、小春殿と晶紀殿の話、年寄衆にも伝えねばなるまい」
と話を続けた。
「俺が小春殿たちといっしょに大府へ戻ろう。一応、兵士長だからな」
紫音が笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、俺と正宗で八角村へ行くことにしよう」
桜雪の言葉に、正宗はうなずいた。
「いずれにしても、今日はこれ以上は進めない。おそらく、台風が近づいているのだろう」
その日は、小春と晶紀も別の宿へ移動して、台風が過ぎるまで待つことにした。
「明日の朝には通過してくれるかな?」
小春が何気なく晶紀に尋ねた。
「私は、できるだけ早く通過してほしいですわ」
晶紀が不安そうな顔で答える。
やがて、凄まじい暴風雨が宿を襲い、壁がミシミシと音を立てるほどになった。
晶紀は、ずっと小春の腕にしがみついていた。
「晶紀さん、家の中にいれば大丈夫だよ」
小春の言葉に、晶紀は
「でも、家が崩れたりしないかと心配で」
と言って離れようとはしない。
外からの風で、行灯の炎が大きく揺らめく。小春は、だんだんと眠気を覚えた。
「晶紀さん、もう寝ないか?」
「こんな状態では眠ることなどできません」
「私は横になりたいんだが」
晶紀が掴んでいた手をぱっと放して
「ごめんなさい」
と謝った。
「一眠りすれば、もう通過しているよ。気にせずに眠るのが一番さ」
そう言って小春はゴロリと横になった。
そんな小春の姿を見て、晶紀は小春の事をうらやましく思った。晶紀にはこの中で眠る事などとてもできない。
低く唸るような音が、強くなったり弱くなったりしながら絶えず聞こえてくる。
時々、猛烈な風がまるで体当たりでもしているかのように家を揺らした。
それでも、小春は何ともないような顔をして眠っている。
晶紀はしかたなく、身体を横たえた。小春に背中をピッタリと付けて、横向きになってまぶたを閉じた。
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