魔王失格

ゼン

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魔王失格

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我が名はザーヴェル。

この世界を支配する大魔王だ。

世界は我を恐れ、震え上がる。

我がその気になれば、この世界を無に帰すことは容易い。

我の野望――それは、世界を漆黒の闇で染めることだ。

「エイコールよ、勇者ミリティオスの居場所を見つけたのか?」

「はい。シロアポリスにて仲間と行動する姿を捉えたと、キメラから報告がありました」

「仲間は何人いる」

「三人です。戦士、魔法使い、賢者。彼らは既に我々が派遣した魔物たちを討伐し、恐るべき力を持っています。特に勇者ミリティオスは日に日に剣技が脅威になっているそうです。……ツガルまで侵入してくる可能性は非常に高いです。対策は如何なさいますか」

「ふん、人間如きが小癪な真似を。我ら魔物族は負けぬ。早急に、ミタカにアンゴール部隊を配置せよ」

「はい!」

王座の間には厳粛な空気が漂っている。

我は指先一つで、この世界を破滅させることができる。

それは紛れもない事実だ。

だが、そんなことに何の意味がある?

 破滅させた世界で、我は何を得るというのか。

そうだ、我はただの飾りだ。王座に座り、己を威厳ある存在だと装うための演技を強いられている。

シゼリアが見ているときだけ、何とかその役を演じている。

シゼリアとは、我が恋をしている魔物だ。

もちろん、彼女も我に恋をしている。

だが、魔王としての我に恋をしているのかは疑問である。

シゼリアは元をたどれば人間。

故に「人間のような優しさ」を求めているのではないか。

それこそ、我の天敵「勇者」のように、心を動かす術を持つ者の方が、彼女を虜にできるのではないか。

我が持つ魔法は「死」をもたらす術だけ。

殺してしまおうか、それとも、共に死のうか。

いや、我の魔法は強大。

恐ろしくて堪らない。

思えば滑稽なものだ。

世界を滅ぼす力を持ちながら、その力に自らが怯えている。

大魔王という地位を持っておきながら、人間よりも臆病なのだ。

これでは、勇者に首を取られるのは時間の問題であろう。我が、情けなくてたまらない。

「……あ、うん、ちょっと待って。うーん、そうか。あれ、いや、うん」

「ザーヴェル様?」

「いや、うん、もしさ、アンゴールが突破されちゃったらさ、もう、ツガルじゃん? そうなるとさ、うん、いやぁ、怖いよね普通に。僕、痛いの嫌だし。なんとしてでも防がないと、だよね? 勇者の剣技? 痛そうじゃん。うん、絶対。ねぇ、エイコール。なんとかして」

「ザーヴェル様、でしたらいっそのこと、シロアポリスへアンゴール部隊を送らせましょう。そうしてミタカには、ダンフォルス部隊を待機させるのは如何でしょうか?」

「あ、うん。それいいね。そうしよう。あ、でもね、ダンフォルスは竹馬の友だし、アンゴールだって大事だし。うーん、あんまし酷な扱いはね、したくないな」

「ザーヴェル様! 貴方様は大魔王様ですよ? 誰もが恐る極悪大魔王! そのお方が手下の心配などする必要がないのですよ!」

「でもなー。うーん。僕はね、正直、戦うのはあまり好きではない。僕は戦っている場合ではないしさ。エイコール、さっきまでシゼリアがいたけど、どこに行ってしまったかな」

「ザーヴェル様、さっきまで妙に大魔王様らしかったのはやはり、シゼリアがいたからですか。どうもいつもと様子がおかしいと思っておりましたよ。まったく、貴方様には奥様がいらっしゃるというのに」

「エイコールよ、魔王だって、恋がしたいんだよ」

「ザーヴェル様。貴方様には進むべき運命がございます。運命は変えられないのですよ」

「ふん、エイコールめ。まあいい。とりあえずさ、血酒。持ってきてよ。飲まないと憂鬱でね。あ、人間の女の血じゃないと、ダメだよ。男の血は飲めたもんじゃないから」

「もう、わかりましたよ」

大魔王となって、もう何千年が過ぎただろうか。

幾度となく勇者が現れたが、そのたびに手下たちが抹殺してくれたおかげで、私は王座でただその報告を聞くだけで済んできた。何もしなくても終わる、そんな物語の繰り返しだった。

だが、今回は違うかもしれない。いや、違う、と感じているだけなのだろうか。

勇者ミリティオス――その名を聞いただけで、胸の奥に冷たい手が触れるような感覚を覚える。

以前、彼の雷鳴の剣技をYouTubeで見たことがある。

あれは魔王界YouTuberが勝手にアップロードした戦闘記録だったのだろう。

魔界でも動画投稿が流行っているらしいが、どうにも鬱陶しい。

画面越しにも関わらず、心臓が縮こまり、全身が硬直。

剣の一閃が映像の中で閃くたび、震撼した。

「ザーヴェル様、血酒で御座います」

「おお、今日はやけに透き通った血だね」

「先日、オークが捕虜してきた若い女の血です。未だ、生きておりますのでいつでも飲むことができます。中々の上玉だそうですよ」

「ほう、では、この目で確かめてみようかな。どれほど甘美な血の香りが漂うのか、期待しているよ」

「……まったく、ザーヴェル様の興味の向かう先は、いつも食事と恋愛ばかりですね」

「魔王なんていうものは、常に命を狙われているんだから、仕方ないだろう」
 
 魔王城の地下には、捕虜となった人間の女を収容する牢屋がある。

だが、そこに囚われているのは若い女だけだ。

十代から二十代まで――それ意外の者はこの牢に足を踏み入れることなく、抹殺される運命にある。

男は勿論、年増の女も同じだ。

人間は年を重ねるにつれて、その血の香りが濁り、肉も老いて不快な匂いを纏う。

無価値なものに労力を割くほど、この牢は甘くない。

そして、働かせるなどもってのほかだ。我々は奴隷を求めているわけではない。

この牢屋は、選び抜かれた者だけが入ることを許される「贄の祭壇」なのだ。

「ザーヴェル様、こちらです」

エイコールに案内され、牢屋の中を覗き込む。

「ほう、中々、上玉ではないか」

三人の女がいる。

それぞれ怯えた目をこちらに向けているが、その中の一人、眼鏡を掛けた女の瞳が、妙に我の心を刺した。

「おい、名は何という」

「……エヴァミナです」

「エヴァミナ、か。おい、この女を出せ」

 そう告げた途端、エヴァミナが叫んだ。

「待ってください!私、何でもしますから、殺さないでください……!」

その瞳に見つめられると、内面の奥深く、普段触れられることのない淵を覗き込まれるような感覚に陥る。

ゾクゾクする。

その声、震える体、そして鼻腔をくすぐる甘美な血の香り。

すべてが、我を堕落させる誘惑のように感じられた。

この女は、ただの捕虜ではない。異様に心を掴んでくる。

「ザーヴェル様、もう、食べてしまうのですか?」

「違う!僕……あ、いや、我の部屋に連れていくのだ」

「……なるほど」

「後の仕事は、エイコール!君に任せる」
 
部屋に戻ると、エヴァミナをそっと椅子に座らせた。

我は、彼女の怯えた顔を見ながら、小さく笑った。

「ごめんね、さっきは怖がらせちゃって」

「……え?」

「僕はザーヴェル。一応、大魔王なんだ」

「あ、えっと……私、殺されるんですよね?」

「いや、殺さないよ。君に死んでもらうなんて、もったいないじゃないか」

「じゃあ、どうして……?」

彼女の瞳が怯えと困惑の間を揺れる。

その視線に少しだけ息苦しさを覚えた。

我は彼女に少しだけ近づき、柔らかく笑った。

「死ぬ気で恋をしてみたいと思ってね、君と」

それからというもの、我とエヴァミナの関係は不思議なものとなった。

彼女は怯えながらも我に従い、少しずつではあるが笑顔を見せるようになっていった。

恋とは、こういうものなのか。

世界を滅ぼすよりも、心が乱れることの方がよほど恐ろしい。

そんな折、ついに――勇者ミリティオスが、ツガルの地に姿を現した。

「ザーヴェル様、敵軍が城門を突破しようとしております!」

「うん……えっと、それは困ったな。どうしよう、僕、痛いのほんと無理なんだよ……」

戦う覚悟はあった。だが、体は震えていた。

「エヴァミナ、逃げよう。君と二人で、どこか遠くへ」

「……え?でも……ザーヴェル様……あなたは魔王なんですよ?」

「うん。魔王だけどさ、魔王だからって、最後まで魔王でいる必要ある?」

そうして我らは、城の秘密通路を抜け、暗い山道を進み、見下ろすと、王座の間には激しい戦いの光が煌めいていた。

 ――そのとき、爆風が轟いた。

「エイコールが……?」

目を凝らすと、戦場に立っていたのはエイコールだった。

ミリティオスは倒れ、剣は折れ、魔法使いも賢者も沈黙していた。

エイコールが、ひとり、すべてを終わらせていたのだ。

「……なぜ……」

エイコールは、我の方を見上げることなく、ただ静かに王座へと座った。

「ザーヴェル様。あなたは魔王失格です」

 彼の言葉は、非難でも憎しみでもなかった。

 ただ、真実だった。

 エヴァミナが手を握ってくれた。

「でも、私は、ザーヴェル様で良かったと思います」

 そう言ってくれたことだけが、我が唯一、魔王だった証だろう。

 世界は救われた。だが、それを救ったのは、我ではなかった。

 ――『魔王失格』。

 だが、それでもいい。

 エヴァミナと共に、静かな村の片隅で、血酒の代わりに葡萄ジュースを啜りながら、

 今日も、我は笑って生きている。

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