貧乏オメガ令嬢は皇女殿下の掌の上

隙間ちほ

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2.小ネズミ、愛でられる

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 帝国の第一皇女、アーレンブルグ公アンネリーゼ殿下は、東方前線基地の臨時司令官である。皇太子である兄君と支持を二分し、ともすれば皇位をも手にできるとすら噂される、女傑である。
 その、アンネリーゼ殿下の膝上で、フィーネはガチガチに固まっていた。
 軍議中である。
 少し前に殿下が、休憩しましょう、と言った。謎に隣に立たされていたフィーネは、ようやく座れる、と胸を撫で下ろし……そして、有無をいわせずアンネリーゼの膝に乗せられた。腹に手を回され、ぬいぐるみかのように抱きしめられ、編んだ髪に顔を埋められる。ヒェ……と声にならない声をだすも、アンネリーゼの部下たちは誰一人として止めない。ただ、見ちゃいけないものを見させられてる顔で目を背けるだけである。
 そのままスゥーーー、と息を吸われて、フィーネは思わずぴくりと肩を振るわせた。
(ででで殿下?!な、何をなさっているので?!)
 軍のの重鎮もいる会議の最中である。シンと静まり返った空気がフィーネの口を辛うじてふさいだ。殿下が、ガチガチに固まったままのフィーネに構う様子はない。アンネリーゼの鼻先や唇が、うなじにわずかに触れる。その度にフィーネはびくりと震えてしまう。誰か止めてくれないだろうか、と必死の視線を送ってみても、部屋の誰もがそっと目を逸らすのだった。

 フィーネはすっかり「アンネリーゼ殿下のお気に入り・・・・・」として扱われた。昼はいつでも近くに侍り、離れるのは食事時か事務官仕事のある時だけ。夜は3日と明けず同衾させられた。初日のような無体をされない日がほとんどだったが、目を開けるたびに微笑むアンネリーゼがあまりに近くて、どうにも落ち着かないのだった。とはいえ、最上級であろうふかふかのベッドは気持ちよく、それはそれで悪くはないのだが。
「貴女、こんな良い匂いをさせて、それでベータを名乗ろうなんて無理な話よ」
 フィーネの降ろした髪に櫛を通しながら、アンネリーゼは呆れた声を出した。
「はぁ……」
 彼女の夜着の一つを着せられたフィーネは、そんなに匂うのかしら、とこっそり自分の胸元を見下ろした。自分で自分の体臭などわからない。特に、フィーネの給金で手が出るかもわからないような石鹸で隅から隅まで洗われた今、甘い香りで何もかもかき消されてしまっている。
 まるでわかっていないフィーネのぼんやりした返事に、アンネリーゼは背後から少しだけ身を乗り出して、耳元で声を顰めた。
「ここが女の城だって聞いて油断してたの?女軍人の中にどれだけアルファ・・・・がいるか、ご存知?」
「えっ、あっ……」
「知ってるでしょう?わたくしたちアルファの女が、男と同じもの・・を持ってるって」
「そ、それは……」
 サッとフィーネの頬が赤らみ、そして同じ勢いで青ざめた。
「早々にわたくしのお手付きという事になっていなければ、今頃どうなってたかしらねぇ?」
「そんな……」
 今更自分の立場の危うさと任務の危険さに思い至り、フィーネの声が震えた。
「ふふふ、冗談よ。わたくしの庭で粗相をするような不出来な輩は部下の中にはいないわ。せいぜい、少し強引に、口説かれるくらいかしら……ええ、表向きは……」
「ヒェ……」
 プルプルしながら怯えるフィーネの後頭部を見下ろしたアンネリーゼは、ちょっと困ったような、心配そうな表情を浮かべた。
「……貴女、ここを一歩でも出たら外には飢えた男兵士どもがウロウロしている事をすっかり忘れているようね。アルファ女なんて目じゃないくらいに危険でしてよ?わかっていて?」
「うう……」
 涙を飲むフィーネに、アンネリーゼは呆れたと言わんばかりのため息を一つこぼした。それから、丸く縮こまった背中を抱き寄せた。洗い立ての髪に口付け、指先ですいて弄ぶ。
「ふふふ、いい匂い」
 満足そうなアンネリーゼの豊かな胸にもたれながら、殿下と同じ匂いになってる、とフィーネは思った。恐れ多くも同じ石鹸を使い、同じ香油を塗られ、さらに殿下の服に袖を通しているので、自分から殿下の匂いがするのだ。フィーネは、なんだかドキドキした。
 
 
 臨時とはいえ、軍の一部を預かるアンネリーゼ殿下の近くには、常に怖そうな女性士官たちが忙しそうにしている。日のほとんどを殿下の横にぼんやり立っているか座っているかのフィーネは、さぞかし暇なお荷物にしか見えないのだろう――実際その通りだ、とフィーネは項垂れた――ジロリと睨まれたりこっそりとため息をつかれるのはしょっちゅうだ。
 かと言って、事務官として働いている間が平穏というわけでもない。
 殿下に囲われるようになってから、フィーネがオメガなことは公然の秘密となっていた。準男性として扱われるアルファ女性に比べて、オメガは古典的な家庭的役割を背負うのが習いである。この仕事はオメガに出来るのか?という顔をされるのもしばしば、時には面と向かって「貴女には少し難しいかも」と濁される事すらあり、萎縮する日々である。とはいえ、どちらがマシかと言われたら、少なくともやる事のある方なのは間違いない。
「あの私、なんのお仕事もせず、殿下の部下の方々にご迷惑になるばかりです。なので、あまり頻繁にお側にお邪魔するのは、遠慮させていただこうかと……」
 フィーネがしどろもどろに提案したとき、アンネリーゼは首を傾げた。
「ギゼラに何か言われたの?」
「えっと、どなた様です……?」
「わたくしの側近。いつも無愛想に横に立ってる子よ」
 ああ、とフィーネは頷いた。一際冷たそうなスラリとした女性を思い浮かべる。彼女の視線からは、嫌悪や軽蔑といったものを感じたことはない。どちらかというと、ひたすらに興味関心のない、野のトカゲでもみてるような温度に近い。悪意よりはよほど良いが、居心地は別に良くなかった。
 それからフィーネは、慌てて首を振った。
「あっ、いえ、違います。あの方に何か言われたとかではありません」
「そう、なら良いわ。あの子ったらいつも真顔で怖いでしょ。愛想ってものを親の腹に捨ててきたのよ」
 フィーネの内心を知ってか知らずか、アンネリーゼはおもしろそうに笑った。なんかまるで、気の置けない友達みたいな言い方だ、とフィーネは思った。何故かほんの少しだけ、モヤっとした。


 夜、フィーネはまたしても殿下の自室にいた。ただし今日はいつもと違い、仕事である。自分を送り出した「義理の大叔父」へのお手紙を、殿下に添削してもらっているのだ。
「基本は悪くないわね。後見人に近況を知らせる手紙としてよく書けてるわ」
 アンネリーゼから甘やかでない仕事の時の声で褒められるのは、思った以上に嬉しかった。
 ところが、フィーネが顔を綻ばせたのも束の間、鋭い指摘が矢のように飛んできた。これは書いていい、これはダメ、これはこう変えて……次々に細かく指示を出される。指摘されたところを直していくと、ほぼ全て書き直しである。
(よ、よく書けてるって褒めてくれたのに!)
 殿下の嘘つき、と心の中だけで文句を垂れたつもりだったが、何故かバレてしまった。
「なぁに?何か言いたいことがおありかしら?」
「いえ……ございません……」
 こうして何枚もの紙が無駄になってしまった。お給金が紙代でなくなる、とフィーネは涙目になった。
 萎れた顔で手紙の書き直しを始めたフィーネを、アンネリーゼは、満足そうに眺めた。
「それから、そうねぇ……殿下は私に夢中です、とでも書いておきなさい」
「ええ……?それは少し、大袈裟に思われませんか?」
 殿下の指示に、フィーネの手が止まる。大仰だし、あと少し恥ずかしさもあった。しかしアンネリーゼは、艶然とした笑みを浮かべる。
「あら、本当のことよ」
 すい、と伸びてきた形の良い指先が、フィーネの顎を取った。そのまま殿下の親指が、ゆっくりと唇を撫でる。
「わたくしがどれだけ夢中か、まだわかっていないと言うなら、じっくり教えてあげてもよくってよ?」
(……あれっ、なんか雰囲気変わっちゃった?!)
 などとフィーネが狼狽えているうちに、あれよという間にペンを取り上げられてしまった。

 
 いつのまにかフィーネは、軍の事務官から殿下の秘書官扱いになっていた。側にいるのが仕事になってしまったのである。とはいえ前ほどぼんやりするしかないようなことはなくなった。何せ、書類仕事の遅れがちな殿下に仕事を促す係が、もっぱらフィーネの役割になったのだ。
「貴女から渡してちょうだい」
 そのほうが捗るから、と側近に書類を渡された時はなんのことかと思ったが、なるほど殿下はフィーネから渡されたものは一番に仕上げる事にしているらしい。その間、フィーネは横でお茶を入れたり刺繍をしたりと、静かに見守るのみである。アンネリーゼ殿下も、無理なく二人きりで過ごせるとあって初めの頃は非常にご機嫌であった……フィーネが毎日山盛りの書類を運んでくるようになるまでは。
 今日も、「しまった、逃げそびれた」と顔に書いた殿下は、けれどもフィーネの前でサボるのは気が咎めるのか、ほんのりと渋い顔で書類を受け取る。
「これは……軍とは関係ないものではなくって?」
 少しでも減らそうという心算なのか、殿下はちらっと上目遣いでフィーネの隣に立つ側近を見上げた。けれども腹心の応えはいつもと同じ冷たさであった。
「殿下の直轄領の書類です。名目上とはいえご確認はしていただかなくては」
「……ええ、もちろん。ほんの少し、優先度が下がっていただけのことよ」
「左様で」
 優雅に微笑むアンネリーゼと、ぴくりとも笑わない側近がしばし見つめ合う。なんだかピリピリした空気になって、フィーネは緊張した。
 側近が退室したあと、ため息をついたアンネリーゼは徐にフィーネを引き寄せた。
「で、殿下?!」
「ちょっと疲れたわ、休憩させてちょうだい……」
 有無を言わせず、スゥーーーーっと胸元を吸われてしまった。顔中に疑問符を浮かべながらも、フィーネはされるがままになっているしかない。
(殿下は本当にこれで休憩になるのかしら?)
 フィーネはそう思ったが、藪蛇な気がしてならないので黙っていた。

 
 こんなにも毎日一緒にいると、側にいるのが当たり前になりすぎて、なんだかよくないような、贅沢すぎるような気分だ。けれども実際、殿下と離れて一人部屋にいると、寂しいような、不安なような気持ちにすらなるのだ。
 でも人前でスゥーって吸うのはやめてほしい、とフィーネは思った。
 
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