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1.年明けの人事
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でかいな、というのが第一印象であった。とにかくでかい、縦に。いや、長い、というべきか。
兵站司令部の課長であるロルフ・ケラー少佐が「問題」の新人と対峙したのは、年明け最初の勤務の時である。
現れた新人は、明るい砂色の髪に薄氷のような灰色の目、いかにも冷淡な上流貴族らしい容姿だ。短く刈り込んだ髪型だけが軍人らしさを保っている。これをあともう少し伸ばして撫で付ければ、貴族と聞いて人々がイメージする典型例のようになるだろう。
だが、それ以上に印象が強いのは、圧倒されるような長身だった。
ロルフは兵站司令部の中では比較的背の高い部類だ。しかし、新人はさらに頭ひとつ大きい。貴族連中は良いものを食べるので背が高い、というのはよく知られた軽口だが、それにしてもここまで育ったのを見るのは初めてだ。付随するひょろっと長い手足は、うっかり蹴飛ばしでもしたら折れてしまいそうだ。
「えー、よろしく、ファルケンハウゼン少尉」
手を差し出しながら、内勤服が似合わない奴だとロルフは思った。なにせ服が負けている。完敗だ。
兵站司令部の基本的な制服は装飾もなく階級章も簡素なものだ。こういう派手な容姿の人間は、黒地に金糸で彩られた派手な軍装で騎手でもやらせておかなければ人材の無駄遣いの譏りを受けそうだ。実際、元は騎馬隊所属であったのだから、誰かが配属時に同じようなことを思ったに違いない。騎兵がいよいよ主戦場から減りつつある昨今、最後の華になるかもしれない……そしてその夢は儚く潰えた、というわけだ。
なにしろロルフはこれからこの新人に、地味で緻密な書類仕事をさせるのだ。建国来の騎馬隊の亡霊がさぞかし草葉の陰で歯噛みしている事だろう。恨むなら人事部相手にしてほしい。
「はい、よろしくお願いします」
握りかえす手もまた、でかかった。一見すると手指がほっそりして小綺麗な分、妙な感じだ。手のひらは意外に荒れた感触があり、力強い。ここだけは普通の新兵っぽさがあるな、とロルフは苦笑した。そうして油断したところで、冬空のようにひんやりとした色の瞳をうっかり見上げてしまって、一瞬怯んだ。
「……」
怖気にも似たものを感じて背筋がぞわりとし、ロルフは息を呑んでしまった。すぐさま目を伏せ短く息を吐いた。新人相手に何を動揺しているのか、情けない。上手く誤魔化せたと思いたいが。
初っ端からこんなことで、果たして自分は上官としてやっていけるんだろうか。早くもロルフは自信を持てないでいた。何も起きなければいい、とささやかな平和への願いを胸に抱く。とはいえ、少なくとも向こう3年は兵站司令部の平均身長データが狂うことは、もう確定しているが。
なお、「こいつがお行儀良くしてたの、ここだけだったな……」というのが後の正直な感想であった。
◇
ロルフ・ケラー少佐が、特別措置的な人事の件を打診されたのは、暮れも近い年末のことであった。
肌寒い室内は、小さなストーブでは心もとない。早くも薄暗い外は、年の瀬にふさわしく冷え冷えとした空気が漂っている。
明々とした照明のもと、大佐の机の上には書類が数枚置いてあった。席に座った大佐と机を挟んで向き合い、ロルフは立っていた。
この中央兵站司令部にて戦略支援課の実務を管理する課長の任についてもう随分たつ。内勤ばかりでは流石に筋肉質とはいかないが、厚みのある体躯に焦茶の髪をきっちり短く整え、いかにもな軍人らしさを保っている。薄緑の目の色だけが見目の堅苦しさを裏切っているが、けれど今はそれも険しく細められていた。
「私見を述べますが」
少佐は、言葉を選びながらも遺憾の意を示してみせた。
「教育係の任は専門機関に任せるのが一番なのではありませんか」
本音は「うちは幼稚園じゃねーんだよ」というところだが、ロルフは精一杯婉曲に表現した。向かいの大佐は笑みを深くしただけで答えない。ただ、机の上の書類を一枚、向きを変えてロルフの方へ押し出す。読め、ということだろう。
机上を見下ろして、ロルフはさらに目を眇めた。
「ヴィルヘルム、えー、……フォン・ファルケンハウゼン」
対象者の、いかにも貴族らしい長い名前をたどっていくと最後にようやく家名が出てくる。ロルフは片眉を上げた。
「読み間違いでなければ、現参謀総長閣下と家名が同じですね」
「お孫さんだと聞き及んでいるよ」
どうか遠縁であれという切なる願いは、にこやかに頬杖をついた大佐によって打ち砕かれた。
「左様で」
最悪、と胸の中で付け加え、ロルフは悪あがきを続けた。
「であるならば、転属はもっと別の場所がふさわしいのでは? 参謀本部とか」
「あそこは優秀なものを送り込む場所だよ。帝国軍人たるもの、いかなる血筋であろうとも特別扱いはしない」
「はぁ、そうですか」
咄嗟の舌打ちを飲み込んだことは褒めてほしいくらいだ。
「つまり上層部には兵站司令部が幼稚園に見えていると」
その代わり、婉曲な物言いは吹き飛んでしまったが。
兵站司令部で中枢部門の実質的まとめ役をこなす男は、付き合いの長いロルフからはみ出す不敬に実に寛大だった。にこにこした顔を崩さず、まるで小さな女の子がするように両手で頬杖をついている。そうして立ったままのロルフを見上げ、大佐は言った。
「君は、アルファだろう」
「……ええ、まぁ」
でたよ、とロルフは天を仰いだ。それを持ち出されては、反論の材料が一気に無くなってしまう。
神の名に由来したこの言葉は、一部の特性を持つ者たちを呼び表すのに使われて久しい。曰く、能力が高く、人の上に立つ才をもつ、支配者の証……強引、わがまま、他人を慮れない、貴族を煮込んだ鍋の底に残るやつ。――後半は、一般市民による忌憚なき評価である。
「人事票を見たまえよケラー少佐。ヴィルヘルム・フォン・ファルケンハウゼン少尉、特異性別『あり』で区分は『アルファ』! さすがに少将殿に新人教育をお願いする訳にはいかんだろ? なら実務担当者でこれに対抗できる貴族のアルファは君くらいだ」
「ええ……?」
「アルファというだけなら医療部門にも二人ばかりいるが、彼らは貴族じゃなかったはずだし」
小首を傾げる大佐に向かって、ロルフはただ引き攣った笑顔を向ける。
「ご冗談を、我が家は貴族を名乗るも烏滸がましいようなささやかな家名ですよ。爵位だってありません」
「だが曲がりなりにも貴族だ、ロルフ・ヴェルナー・フォン・ケラー少佐」
平素は使わない呼び方をされ、ロルフはますます苦虫を噛み潰したような顔になった。書類上にしか現れないロルフの正式な名である。
「……地主だか農家だかすらわからないような下流もいいとこの田舎貴族と、本物の上流階級出身のアルファを一緒にされるのは困ります」
「だが平民出の者に預けるより遥かにマシだ。大体脅されでもしたら……」
大佐は、いかにも恐ろしそうに首を引っ込めてみせた。
「『威圧』だったかな。あれをやられたら大概のものは怯えてしまう」
「威圧されたら俺だって怖いですよ?!」
いよいよロルフは取り繕いがほつれてきた。処罰モノの雑な口の聞き方をしてしまったが、大佐は肩をすくめるだけで不問に付した。
「そうはいうが、君。ほら、アルファ同士なら我々よりは耐えられるんだろう?」
「まさか! 無理です!」
「本当に?」
目を見開く大佐の視線から逃れるようによそを向きながら、ロルフはボソボソと答えた。
「正直に申し上げますと、これまでそんな事態になったことがありません。ので、分かりかねます」
「ケラー少佐」
まるでわがままを言う子供でも見るような顔で、ミュラー大佐は眉を下げた。
「これでもう3人目なんだ、そろそろ覚悟を決めたまえよ」
「……こんなことが三度も続くなんて聞いていないのですが」
ロルフの精一杯の嫌味にも大佐は全く動じない。
「教育係」という名の新人将校のお守りを最初に命じられたのは何年前だったか。たった一度の例外措置だと思っていた仕事が、いつの間にか数年に一度の恒例行事になっている。なぜか、毎回ロルフだけに。
老獪で厄介な上司を半眼で見下ろしながら、結局ロルフは息を吐いた。
「以前も申し上げましたが」
ロルフは困り果てた声を出した。演技でもなんでもなく、本当に困惑していた。
「特別な事はできないんですよ、うちでは。ただ他の新人同様に扱うだけです。それの何が再教育に寄与しているのか、こちらとしてはさっぱり」
「他の新人同様に、ね」
大佐の笑みが深くなる。我が意を得たりとばかりに。
「恐らくだが、上はそれを求めているのではないか?」
「はぁ、左様ですか。では今いる部署でも大いにそうなさればよろしい。日々雑務に追われている後方よりも、余程上手くおやりになるでしょう」
我ながら口が過ぎるな、と思わないでもなかったが、言わずにはいられなかった。はたして大佐は、ロルフの刺々しい皮肉など意に介さなかった。
「思うに、それができないからここに送られているのでは」
こんこん、と書類の上から机を鳴らす。その指は例の長ったらしい名前の上にある。
「前回は子爵の嫡男、前々回は伯爵の三男だ。そして今回も、伯爵家直系の嫡子」
そして参謀総長――実質的に最高司令官とも言える――の孫、とロルフは内心で付け加えた。
「貴族連中というのはどうにも面子とか体面とかを気にし過ぎる。口には出さずとも、軍での階級より優先されるだなんて不届きな考えすら持っている若造がいるくらいには」
ミュラー大佐は商家出身である。貴族社会から一線を引いた立場の彼にとっては、不条理で馬鹿馬鹿しい性質に思えるのだろう。事実、うっすらと苦々しい顔になりながら言葉を続けた。
「皆、上官への違背行為……要は命令違反や反抗的態度が重なったゆえの配置換えだ。単純に処罰しようにも後ろ盾が大き過ぎて躊躇するような家の。つまり、家名が低い相手の言うことを大人しく聞けるような坊やたちじゃない」
再びこちらを見上げた大佐はいつも通りのにこやかな表情に戻っていた。
「その点、君は上手く行っているだろう。ほら、君んとこの家はあれだ、威圧が弱いんだったか。それが上手く働いているんでは?」
「……威圧が低いんですよ、我が家は。代々静かなたちでしてね」
弱い、と低い、じゃ大違いだ。一族の、なけなしの名誉を守るためにロルフは反論した。大佐は些細な違いなどどうでも良さそうだったが。
大佐は、にっこりと、いよいよ話のまとめに入ろうとでも言いたそうな顔をした。
「三年後だ、ケラー少佐」
嫌な予感がしつつもロルフは問うほかない。
「何がでしょう」
「今回の教育係終了の暁には、昇進を確約してもらった」
「……左様で」
ぐらっと心が揺れた。
ロルフは今年で36歳である。三年後、すなわち39歳での中佐階級となれば、前線にいる貴族将校に匹敵する出世スピードだ。少なくとも派手な功績の挙げにくい内勤では相当な快挙である。実家がいくら貴族の端くれだろうと、後継でもない以上は己の身一つで生きねばならぬ。昇進の話はロルフにとって歓迎以外にない。
「おおっと、もう一押しか? ならばとっておきだ。なんと、上は士官学校の講師の椅子を用意するとまで言ってきた」
「……そうですか」
「かなりの厚遇だぞ少佐。ま、配属後に反抗されるより、学校にいるうちから教育して欲しいという思惑が透けて見えるが。あぁ、この権利は君が退役するまで取っておいてもいいそうだ」
「……」
老後の安泰な職まで斡旋されているとなれば、心は風見鶏よりも簡単にクルクルと回った。ぐらぐらに揺れる内心でロルフは呟く。昇進に釣られて、また3年も神経を使う管理業務と新人教育を並行するのか? 使えるようになった頃にはお役御免で転属していく徒労感をまた味わうんだぞ? 年初めに解放された時、もう二度と引き受けないと誓ったのを忘れたのか?
「…………」
口を引き結んだロルフの内面など見透かしているかのように、大佐は頬杖をついたまま、微笑みを浮かべて見上げてくる。こちらの答えなど、一つしかないとでも言うかのように。
――ああ、くそ、またこの手の問題を引き受けるつもりなのか? こんな見え見えの餌につられて。内心で己を叱咤してみたが手遅れだった。
渋々、という態度を崩さないように頷くのは、なかなか骨が折れた。
引き受けるべきじゃなかった、とロルフが呻くことになるのは、まだずっと先の話である。
兵站司令部の課長であるロルフ・ケラー少佐が「問題」の新人と対峙したのは、年明け最初の勤務の時である。
現れた新人は、明るい砂色の髪に薄氷のような灰色の目、いかにも冷淡な上流貴族らしい容姿だ。短く刈り込んだ髪型だけが軍人らしさを保っている。これをあともう少し伸ばして撫で付ければ、貴族と聞いて人々がイメージする典型例のようになるだろう。
だが、それ以上に印象が強いのは、圧倒されるような長身だった。
ロルフは兵站司令部の中では比較的背の高い部類だ。しかし、新人はさらに頭ひとつ大きい。貴族連中は良いものを食べるので背が高い、というのはよく知られた軽口だが、それにしてもここまで育ったのを見るのは初めてだ。付随するひょろっと長い手足は、うっかり蹴飛ばしでもしたら折れてしまいそうだ。
「えー、よろしく、ファルケンハウゼン少尉」
手を差し出しながら、内勤服が似合わない奴だとロルフは思った。なにせ服が負けている。完敗だ。
兵站司令部の基本的な制服は装飾もなく階級章も簡素なものだ。こういう派手な容姿の人間は、黒地に金糸で彩られた派手な軍装で騎手でもやらせておかなければ人材の無駄遣いの譏りを受けそうだ。実際、元は騎馬隊所属であったのだから、誰かが配属時に同じようなことを思ったに違いない。騎兵がいよいよ主戦場から減りつつある昨今、最後の華になるかもしれない……そしてその夢は儚く潰えた、というわけだ。
なにしろロルフはこれからこの新人に、地味で緻密な書類仕事をさせるのだ。建国来の騎馬隊の亡霊がさぞかし草葉の陰で歯噛みしている事だろう。恨むなら人事部相手にしてほしい。
「はい、よろしくお願いします」
握りかえす手もまた、でかかった。一見すると手指がほっそりして小綺麗な分、妙な感じだ。手のひらは意外に荒れた感触があり、力強い。ここだけは普通の新兵っぽさがあるな、とロルフは苦笑した。そうして油断したところで、冬空のようにひんやりとした色の瞳をうっかり見上げてしまって、一瞬怯んだ。
「……」
怖気にも似たものを感じて背筋がぞわりとし、ロルフは息を呑んでしまった。すぐさま目を伏せ短く息を吐いた。新人相手に何を動揺しているのか、情けない。上手く誤魔化せたと思いたいが。
初っ端からこんなことで、果たして自分は上官としてやっていけるんだろうか。早くもロルフは自信を持てないでいた。何も起きなければいい、とささやかな平和への願いを胸に抱く。とはいえ、少なくとも向こう3年は兵站司令部の平均身長データが狂うことは、もう確定しているが。
なお、「こいつがお行儀良くしてたの、ここだけだったな……」というのが後の正直な感想であった。
◇
ロルフ・ケラー少佐が、特別措置的な人事の件を打診されたのは、暮れも近い年末のことであった。
肌寒い室内は、小さなストーブでは心もとない。早くも薄暗い外は、年の瀬にふさわしく冷え冷えとした空気が漂っている。
明々とした照明のもと、大佐の机の上には書類が数枚置いてあった。席に座った大佐と机を挟んで向き合い、ロルフは立っていた。
この中央兵站司令部にて戦略支援課の実務を管理する課長の任についてもう随分たつ。内勤ばかりでは流石に筋肉質とはいかないが、厚みのある体躯に焦茶の髪をきっちり短く整え、いかにもな軍人らしさを保っている。薄緑の目の色だけが見目の堅苦しさを裏切っているが、けれど今はそれも険しく細められていた。
「私見を述べますが」
少佐は、言葉を選びながらも遺憾の意を示してみせた。
「教育係の任は専門機関に任せるのが一番なのではありませんか」
本音は「うちは幼稚園じゃねーんだよ」というところだが、ロルフは精一杯婉曲に表現した。向かいの大佐は笑みを深くしただけで答えない。ただ、机の上の書類を一枚、向きを変えてロルフの方へ押し出す。読め、ということだろう。
机上を見下ろして、ロルフはさらに目を眇めた。
「ヴィルヘルム、えー、……フォン・ファルケンハウゼン」
対象者の、いかにも貴族らしい長い名前をたどっていくと最後にようやく家名が出てくる。ロルフは片眉を上げた。
「読み間違いでなければ、現参謀総長閣下と家名が同じですね」
「お孫さんだと聞き及んでいるよ」
どうか遠縁であれという切なる願いは、にこやかに頬杖をついた大佐によって打ち砕かれた。
「左様で」
最悪、と胸の中で付け加え、ロルフは悪あがきを続けた。
「であるならば、転属はもっと別の場所がふさわしいのでは? 参謀本部とか」
「あそこは優秀なものを送り込む場所だよ。帝国軍人たるもの、いかなる血筋であろうとも特別扱いはしない」
「はぁ、そうですか」
咄嗟の舌打ちを飲み込んだことは褒めてほしいくらいだ。
「つまり上層部には兵站司令部が幼稚園に見えていると」
その代わり、婉曲な物言いは吹き飛んでしまったが。
兵站司令部で中枢部門の実質的まとめ役をこなす男は、付き合いの長いロルフからはみ出す不敬に実に寛大だった。にこにこした顔を崩さず、まるで小さな女の子がするように両手で頬杖をついている。そうして立ったままのロルフを見上げ、大佐は言った。
「君は、アルファだろう」
「……ええ、まぁ」
でたよ、とロルフは天を仰いだ。それを持ち出されては、反論の材料が一気に無くなってしまう。
神の名に由来したこの言葉は、一部の特性を持つ者たちを呼び表すのに使われて久しい。曰く、能力が高く、人の上に立つ才をもつ、支配者の証……強引、わがまま、他人を慮れない、貴族を煮込んだ鍋の底に残るやつ。――後半は、一般市民による忌憚なき評価である。
「人事票を見たまえよケラー少佐。ヴィルヘルム・フォン・ファルケンハウゼン少尉、特異性別『あり』で区分は『アルファ』! さすがに少将殿に新人教育をお願いする訳にはいかんだろ? なら実務担当者でこれに対抗できる貴族のアルファは君くらいだ」
「ええ……?」
「アルファというだけなら医療部門にも二人ばかりいるが、彼らは貴族じゃなかったはずだし」
小首を傾げる大佐に向かって、ロルフはただ引き攣った笑顔を向ける。
「ご冗談を、我が家は貴族を名乗るも烏滸がましいようなささやかな家名ですよ。爵位だってありません」
「だが曲がりなりにも貴族だ、ロルフ・ヴェルナー・フォン・ケラー少佐」
平素は使わない呼び方をされ、ロルフはますます苦虫を噛み潰したような顔になった。書類上にしか現れないロルフの正式な名である。
「……地主だか農家だかすらわからないような下流もいいとこの田舎貴族と、本物の上流階級出身のアルファを一緒にされるのは困ります」
「だが平民出の者に預けるより遥かにマシだ。大体脅されでもしたら……」
大佐は、いかにも恐ろしそうに首を引っ込めてみせた。
「『威圧』だったかな。あれをやられたら大概のものは怯えてしまう」
「威圧されたら俺だって怖いですよ?!」
いよいよロルフは取り繕いがほつれてきた。処罰モノの雑な口の聞き方をしてしまったが、大佐は肩をすくめるだけで不問に付した。
「そうはいうが、君。ほら、アルファ同士なら我々よりは耐えられるんだろう?」
「まさか! 無理です!」
「本当に?」
目を見開く大佐の視線から逃れるようによそを向きながら、ロルフはボソボソと答えた。
「正直に申し上げますと、これまでそんな事態になったことがありません。ので、分かりかねます」
「ケラー少佐」
まるでわがままを言う子供でも見るような顔で、ミュラー大佐は眉を下げた。
「これでもう3人目なんだ、そろそろ覚悟を決めたまえよ」
「……こんなことが三度も続くなんて聞いていないのですが」
ロルフの精一杯の嫌味にも大佐は全く動じない。
「教育係」という名の新人将校のお守りを最初に命じられたのは何年前だったか。たった一度の例外措置だと思っていた仕事が、いつの間にか数年に一度の恒例行事になっている。なぜか、毎回ロルフだけに。
老獪で厄介な上司を半眼で見下ろしながら、結局ロルフは息を吐いた。
「以前も申し上げましたが」
ロルフは困り果てた声を出した。演技でもなんでもなく、本当に困惑していた。
「特別な事はできないんですよ、うちでは。ただ他の新人同様に扱うだけです。それの何が再教育に寄与しているのか、こちらとしてはさっぱり」
「他の新人同様に、ね」
大佐の笑みが深くなる。我が意を得たりとばかりに。
「恐らくだが、上はそれを求めているのではないか?」
「はぁ、左様ですか。では今いる部署でも大いにそうなさればよろしい。日々雑務に追われている後方よりも、余程上手くおやりになるでしょう」
我ながら口が過ぎるな、と思わないでもなかったが、言わずにはいられなかった。はたして大佐は、ロルフの刺々しい皮肉など意に介さなかった。
「思うに、それができないからここに送られているのでは」
こんこん、と書類の上から机を鳴らす。その指は例の長ったらしい名前の上にある。
「前回は子爵の嫡男、前々回は伯爵の三男だ。そして今回も、伯爵家直系の嫡子」
そして参謀総長――実質的に最高司令官とも言える――の孫、とロルフは内心で付け加えた。
「貴族連中というのはどうにも面子とか体面とかを気にし過ぎる。口には出さずとも、軍での階級より優先されるだなんて不届きな考えすら持っている若造がいるくらいには」
ミュラー大佐は商家出身である。貴族社会から一線を引いた立場の彼にとっては、不条理で馬鹿馬鹿しい性質に思えるのだろう。事実、うっすらと苦々しい顔になりながら言葉を続けた。
「皆、上官への違背行為……要は命令違反や反抗的態度が重なったゆえの配置換えだ。単純に処罰しようにも後ろ盾が大き過ぎて躊躇するような家の。つまり、家名が低い相手の言うことを大人しく聞けるような坊やたちじゃない」
再びこちらを見上げた大佐はいつも通りのにこやかな表情に戻っていた。
「その点、君は上手く行っているだろう。ほら、君んとこの家はあれだ、威圧が弱いんだったか。それが上手く働いているんでは?」
「……威圧が低いんですよ、我が家は。代々静かなたちでしてね」
弱い、と低い、じゃ大違いだ。一族の、なけなしの名誉を守るためにロルフは反論した。大佐は些細な違いなどどうでも良さそうだったが。
大佐は、にっこりと、いよいよ話のまとめに入ろうとでも言いたそうな顔をした。
「三年後だ、ケラー少佐」
嫌な予感がしつつもロルフは問うほかない。
「何がでしょう」
「今回の教育係終了の暁には、昇進を確約してもらった」
「……左様で」
ぐらっと心が揺れた。
ロルフは今年で36歳である。三年後、すなわち39歳での中佐階級となれば、前線にいる貴族将校に匹敵する出世スピードだ。少なくとも派手な功績の挙げにくい内勤では相当な快挙である。実家がいくら貴族の端くれだろうと、後継でもない以上は己の身一つで生きねばならぬ。昇進の話はロルフにとって歓迎以外にない。
「おおっと、もう一押しか? ならばとっておきだ。なんと、上は士官学校の講師の椅子を用意するとまで言ってきた」
「……そうですか」
「かなりの厚遇だぞ少佐。ま、配属後に反抗されるより、学校にいるうちから教育して欲しいという思惑が透けて見えるが。あぁ、この権利は君が退役するまで取っておいてもいいそうだ」
「……」
老後の安泰な職まで斡旋されているとなれば、心は風見鶏よりも簡単にクルクルと回った。ぐらぐらに揺れる内心でロルフは呟く。昇進に釣られて、また3年も神経を使う管理業務と新人教育を並行するのか? 使えるようになった頃にはお役御免で転属していく徒労感をまた味わうんだぞ? 年初めに解放された時、もう二度と引き受けないと誓ったのを忘れたのか?
「…………」
口を引き結んだロルフの内面など見透かしているかのように、大佐は頬杖をついたまま、微笑みを浮かべて見上げてくる。こちらの答えなど、一つしかないとでも言うかのように。
――ああ、くそ、またこの手の問題を引き受けるつもりなのか? こんな見え見えの餌につられて。内心で己を叱咤してみたが手遅れだった。
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榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
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