【完結】狼は吠えない ー元アルファの少佐、副官のつがいにされるー

隙間ちほ

文字の大きさ
21 / 31

21.転化の理由

しおりを挟む
 一週間後、宿舎に診察に訪れた医師は、一つの仮説をロルフに聞かせた。
 曰く、オメガとしての外性器および生殖器官が後天的に形成されたのではないかという。
「正確には、長く未成熟で存在していたのが、短期間で急激に正常範囲にまで成長した、というべきですが」
 髪も髭も白い老医師は、淡々と述べた。
「それゆえに、士官学校や入隊時に特異性検査をすり抜けた可能性があります」
 軍の検査は、臭気反応検査と診察で行われる。検査で陽性の者が特異性ありとされ、診察で種別を判断される。男性で外性器変化がなければアルファ、あればオメガ。女性はその逆だ。
「アルファ女性は、思春期以降に外性器の顕著な形態変化が起こる場合がよく見られます。ならば、オメガ男性が同じような経緯を辿ることも想像に難くない」
 医師の語り口は冷静だった。
「貴方はその経緯がたまたま非常にゆっくりで、入隊時の特異性検査ではまだ表出してなかったのかもしれません。検査で漏れるケースは珍しくありません。特に貴方のように臭気反応があるのに身体変化が未達の場合を、今の検査方法では想定していない」
 ほんの少しのためらいの後、それでも医師はきっぱりと告げた。
「貴方は、言うなれば成熟遅れが原因の特異性誤認です」
 医師の言葉にロルフは項垂れた。痛ましそうな視線から逃れるように。
「そうですか」
 自分は初めからずっとオメガだったのだな、とロルフは自嘲した。アルファだったことは一度もなかった。思い込みだったのだ。
 
 ――アルファのロルフ・ケラーなんて、はじめから、どこにも存在しなかった。
 
 自分で自分に放った言葉にざっくりと深く切られたような気分になる。
 医師は静かに続けた。
「お身内に、ずっと後になってから特異性が出てきた人はいらっしゃいませんか?」
 ロルフは口篭った。答える事で何か決定的になりそうで。それでも結局、口にした。
「…………祖母が、そうです。長く特異性はないと言われていました。けど、確か自分が二つか三つくらいの時に顕在したと聞いています」
「顕在の理由はご存知ですか?」
「わかりません。ただ、祖父はアルファで、ある日急に祖母が変わったと言い出したとか」
「ああ、なるほど。長く特異性別者の側に居るとそういう事がある、と聞いた事があります。そうですか、お婆様が」
 老医師はわずかに興味深そうな様子を見せた。
「貴方のお婆様は女性オメガですか?」
 ロルフは頷く。
「見た目の変化がないパターンですね。これは臭気反応がないとどうしても見逃してしまう」
 もっと良い検査方法があると良いのですが、困ったように医師は言った。
「お祖母様の例は、貴方と同じだと言って良いでしょう。長くアルファの側にいる事で、未発達だった特異性別が現れやすくなる。とくに相手が強いアルファだと影響も大きい」
 長く? 少尉が来たのはたった半年じゃないか……そこまで考えて、ロルフは両手で顔を覆った。
「あぁ、クソ……」
 ――貴族の子息の教育係だ。合わせて7年も続けた。3人とも上流階級の、とびきり家柄の良い、つまりは高位のアルファだ。それを毎日ほぼ付きっきりで。
 
「……やっぱり引き受けるべきじゃなかったな」
 ロルフは、低く唸るように絞り出した。深い深いため息をこぼし、知らず自嘲の笑みを浮かべる。今更だ、と胸の内で何度も呟く。
 
「どうして、今になって……」
 口篭ったロルフの言いたいことを、医師は汲み取った。
「たまたまかもしれません。偶然にも、コップの淵に溜まった水の、最後の一滴だったのかも」
「……」
「あるいは、単に相性が良かったか」
 医師はあくまで冷静な言い方をした。たまたま少尉を側に置いていた間にオメガ性が現出し、そして否応なしにつがいになった。なんて酷い偶然だろう。
「……もっとロマンチックな表現をしても良いかもしれませんが」
「結構です」
 すぐさま首を振ったロルフの反応など見越していたのだろう、医師は苦笑した。
「医学的な見地から言える範囲はここまでです」
 大丈夫ですか、と優しく問われて、ロルフは頷いた。仮説でも良いから意見を聞きたいと申し出たのはロルフだ。悪戯に傷を深める事になるとわかっていても、聞かずにはいられなかった。
「……悪い子ではないんですよ、坊ちゃんは」
 医師は苦く笑みを浮かべたまま、どこか遠くを見る目をした。
「坊ちゃんのお母上は、本当に早くに亡くなってしまった。それから周囲が少し過保護になったのは否めませんが……」
 初めて聞く少尉の話に、ロルフは思わず顔を上げた。
「坊ちゃんの母上を看取ったのは私です。私はその場にいて、なのに何もして差し上げられなかった。どうしようもなかったと頭でわかっていても、今でも忘れられない。ご家族から恨まれても仕方なかったと思ってました」
 大奥様は寛容な方で、責めたりなさらなかったし、これまで通りに付き合いを続けてくださった。そう続ける医師の顔はどことなく暗く、彼がまだ過去に罪悪感を抱えているのはすぐにわかった。
「だから、こうしてまた坊ちゃんの大事な方に関わらせてもらえて、私は嬉しいんです。やっと時計を進められたような気分だ」
 医師は、にこりとした。
「あの通り、坊ちゃんは少々気がはやるたちではありますが、決して悪い子じゃあないんですよ」
「……そう、ですか」
 知っています、と答えそうになって、ロルフ言葉に詰まった。肯定しようとした自分自身に驚いた。

 
「やぁ、やっと拾えた」
 腹に聴診器を当てたまま、医師は明るい声を出した。真剣な表情で聴診器を支えて腕時計を睨み、それから何かを書類に書き込んだ。顔を上げて、ロルフに向かって微笑む。
「安心していいですよ、とても元気そうな音がする」
「……そう、ですか」
「心音を聞いてみますか?」
 はい、と言えなかった。ロルフは黙って首を振った。医師はただ頷き、何も言わなかった。
 それを聞いてしまうと、ますます戻れない気がした。

 ◇

 あれ以来出血がない事や、他に兆候が見られないこと、心音が確認できた事などから、ロルフの安静は解かれた。
「懐妊によって子宮が広がる過程で、人によっては出血は起きますからね。形成されたばかりの子宮なら尚更だ」
 それでも、無理はしないようにといい含められた。戸惑うロルフに、医師は真剣な顔を向ける。
「もしまた出血が起きたら、その時は深刻な状態も視野に入れなければなりません。たとえ少量だとしても必ず連絡を」
 気おされるようにロルフは頷く。それから医師は、この先ますますお腹は大きくなることを淡々と告げた。
「動けるうちに、身の振り方をお決めになったほうがよろしいかと」
「……ええ、はい」
 随分と控えめな表現だったが、医師の言わんとすることはロルフにもわかる。
 軍の中に妊婦は居ない。本来であればロルフのような人間が存在できる余地はない。そんな風にできていないのだ。
 一人になった部屋で、ベッドの上に横たわったままロルフは腹を撫でた。シャツの上からでもわかる膨らみの中からは、心音が聞こえるという。ほんの少しだけ、唇を噛んだ。
 自分とは違う心臓を持った別個の生き物がここに居る。そのことを今更奇妙に感じた。出血の最中、無かったことになるかもしれない、と一瞬思った事への後悔が胸を塞ぐ。けれどもどうすればいいのかわからなかった。
 戸が開いたのは、そのときだった。
「先生はもう帰られたんですね、さっきすれ違いました」
 ニコニコしながらヴィルが入ってきた。手には夕食のトレーを持っている。
「安静は今日でおしまいだって。良かった」
 ロルフはベッドに横たわったままヴィルを見上げた。医師の推測が正しければ、彼は自分を書き換えた相手と言える。そう思うと胸の奥がひどくざわつく。これに近づいてしまったから、自分の命運は大きく狂ってしまった。
 ――いや、違う。それはヴィルだけの責任ではない。
 ロルフはわずかに視線を下げた。そもそも、再教育なんて仕組みが原因だったかもしれないのだ。ならば彼だけに、燻るものをぶつけるのは不公平だ。
 枕に片頬を埋めたままじっと動かないロルフを、不調と思ったのか、ヴィルが心配そうに手を握ってきた。
「大丈夫ですか? 食事は取れそう?」
「……」
 黙って見上げていると次は額に触れられた。短く落ちてくる髪を避けて、熱を測るように。けれどヴィルの手の方がよほど暖かい。熱がないと理解した手が、今度はそっと頬を撫でる。慰めるように。優しい手つきで。
「……ロルフ?」
 ヴィルの声が次第に不安を滲ませていく。胸が痛むのは、親を早くに亡くしたなんて聞いてしまったせいだ。
 ロルフは目を伏せ、長く息を吐いた。ゆるゆると自分の手を持ち上げ、ヴィルの手の上に重ねる。
「平気だ、ちょっと……疲れただけで」
 ――離れないといけない。
 そう考えたら途端、胸の奥が絞られるように息苦しくなった。けれどもロルフは気づかないふりをした。
 ――離れなければ、そうでなければ、きっとこのまま受け入れてしまう。
 ほっとしたように笑みを浮かべる相手を見上げながら、ロルフは静かに決めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

地味メガネだと思ってた同僚が、眼鏡を外したら国宝級でした~無愛想な美人と、チャラ営業のすれ違い恋愛

中岡 始
BL
誰にも気づかれたくない。 誰の心にも触れたくない。 無表情と無関心を盾に、オフィスの隅で静かに生きる天王寺悠(てんのうじ・ゆう)。 その存在に、誰も興味を持たなかった――彼を除いて。 明るく人懐こい営業マン・梅田隼人(うめだ・はやと)は、 偶然見た「眼鏡を外した天王寺」の姿に、衝撃を受ける。 無機質な顔の奥に隠れていたのは、 誰よりも美しく、誰よりも脆い、ひとりの青年だった。 気づいてしまったから、もう目を逸らせない。 知りたくなったから、もう引き返せない。 すれ違いと無関心、 優しさと孤独、 微かな笑顔と、隠された心。 これは、 触れれば壊れそうな彼に、 それでも手を伸ばしてしまった、 不器用な男たちの恋のはなし。

【完結】かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
番外編はTwitter(べったー)に載せていきますので、よかったらぜひ🤲 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

【完結】おじさんダンジョン配信者ですが、S級探索者の騎士を助けたら妙に懐かれてしまいました

大河
BL
世界を変えた「ダンジョン」出現から30年── かつて一線で活躍した元探索者・レイジ(42)は、今や東京の片隅で地味な初心者向け配信を続ける"おじさん配信者"。安物機材、スポンサーゼロ、視聴者数も控えめ。華やかな人気配信者とは対照的だが、その真摯な解説は密かに「信頼できる初心者向け動画」として評価されていた。 そんな平穏な日常が一変する。ダンジョン中層に災厄級モンスターが突如出現、人気配信パーティが全滅の危機に!迷わず単身で救助に向かうレイジ。絶体絶命のピンチを救ったのは、国家直属のS級騎士・ソウマだった。 冷静沈着、美形かつ最強。誰もが憧れる騎士の青年は、なぜかレイジを見た瞬間に顔を赤らめて……? 若き美貌の騎士×地味なおじさん配信者のバディが織りなす、年の差、立場の差、すべてを越えて始まる予想外の恋の物語。

本気になった幼なじみがメロすぎます!

文月あお
BL
同じマンションに住む年下の幼なじみ・玲央は、イケメンで、生意気だけど根はいいやつだし、とてもモテる。 俺は失恋するたびに「玲央みたいな男に生まれたかったなぁ」なんて思う。 いいなぁ玲央は。きっと俺より経験豊富なんだろうな――と、つい出来心で聞いてしまったんだ。 「やっぱ唇ってさ、やわらけーの?」 その軽率な質問が、俺と玲央の幼なじみライフを、まるっと変えてしまった。 「忘れないでよ、今日のこと」 「唯くんは俺の隣しかだめだから」 「なんで邪魔してたか、わかんねーの?」 俺と玲央は幼なじみで。男同士で。生まれたときからずっと一緒で。 俺の恋の相手は女の子のはずだし、玲央の恋の相手は、もっと素敵な人であるはずなのに。 「素数でも数えてなきゃ、俺はふつーにこうなんだよ、唯くんといたら」 そんな必死な顔で迫ってくんなよ……メロすぎんだろーが……! 【攻め】倉田玲央(高一)×【受け】五十嵐唯(高三)

【完結】君を上手に振る方法

社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」 「………はいっ?」 ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。 スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。 お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが―― 「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」 偽物の恋人から始まった不思議な関係。 デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。 この関係って、一体なに? 「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」 年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。 ✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

処理中です...