【完結】狼は吠えない ー元アルファの少佐、副官のつがいにされるー

隙間ちほ

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22.退役

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 安静期間が終わってからも、ロルフは休みを取ったままにした。
 謹慎期間が終わったらしいヴィルは、泣く泣く勤務に出ていった……ロルフの部屋から。先日の件以来、夜間まで完全に入り浸られるようになってしまったのだ。
 ちなみに、例の一件により、ファルケンハウゼン少尉には馬場への永続的な立ち入り禁止措置がとられた。なので彼が早朝出て行く事もなくなった。取り決めがほとんどヴァグナー少佐によるものである点には若干の私情を感じなくもないが、措置としては当然だ。むしろそれで済ませてもらえたのは奇跡だとすらロルフは思っている。当人はしょんぼりと肩を落としているが。
 その日の朝、いつも通り名残惜しそうにヴィルは部屋を出た。さっさと行けとばかりに手を振り、足音が階段を降りるのを確認したあと、ロルフは部屋の中を片付け始めた。クロゼットから引きずり出した古い箱の中に、私物をどんどん放り込む。一部は小さなカバンに詰める。次いで返却すべき支給品を整理しベッドの上に並べていく。
 その中には、燦然と輝くオーダーメイドの支給品風シャツもあった。
「……」
 結局一度も着てない。着たら負けな気がするので。
 ロルフは、しばらく腕組みをしたままベッド横で仁王立ちになってシャツを眺めていた。
「……置いて行こう」
 なにせ、これを抜くと返却すべき支給品の数が合わなくなるのだ。取り込んでる相手に返せというべきなのだろうが……仕方ない。あいつが悪い。
 荷物はひどく少なかった。私服が数枚、私物の本と筆記具、その他の細々したものは箱に詰めた。郵送してもらうようメモを挟んでおく。あとはほとんどが支給品だ。軍用コートだけは購入品だから、このまま着ていくことにした。
 ヴィルが勝手に持ち込んだ物の方が嵩張るな、とロルフは苦笑した。いくつものクッションに文机にランプに毛布、何かと大きいものばかりだ。何を言われても仕事の手を止めないロルフに憤慨しながらも、少しでも楽になるようにとせっせと持ってきたのだ。ほんのわずかな期間だったというのに。
 スッキリ片付いた室内を見渡し、支度を整え終わったロルフは静かに部屋を出た。
 勤務に出たヴィルがこの部屋を見るのは、昼の休憩時間か、あるいは夕方の勤務終わりか。それだけ時間があれば、自分は遠くにいるだろう。
 ロルフはほんの少しだけ胸がチクチクするような心地になる。それでも、無視してドアを閉めた。
 この部屋を割り当てられたのは、最初に『教育係』を拝命した時だ。佐官用宿舎に新人を入れるにあたっての措置に伴った、急遽の昇進と引越しだった。当時は「思わぬ役得だ」なんて思ったものだ。ロルフの口元に、自然と苦い笑みが浮かんだ。
 もう戻ることもないだろう。この数年ですっかり見慣れた扉に背を向けた。

 ◇
 
 大佐に退役を願い出たとき、案の定制止はされなかった。
「このような状況ですから。申し訳ないですが、この先の勤務はご期待に添えないでしょう」
「そう、か」
 妊娠と体質変化を伝えたときの大佐の顔と言ったら。気まずそうに目を白黒させたのがいっそおかしかった。報告は行っているはずなので知っているだろうに。とはいえロルフ自身でも妙な報告をしているという違和感は拭えなかった。聞く方もまた同じなのだろうか。
「後任が来るまでは、シュルツ大尉が対応できるでしょう。必要な資料は揃えています。できれば彼を昇進させてやりたかったのですが……ま、あとは大佐の采配に期待しております」
「シュルツ大尉を代行に、ということか? だが、いきなりでは彼も不憫じゃないか? もう少し猶予をやっても……」
 ミュラー大佐の言葉に、ロルフは静かに首を振った。
「また先日のように急な不調が起きないとも限らないですから」
「ああ……、そうだな」
 大佐はほんのわずかに顔を顰めた。
「この後はどうするんだ?」
「そうですね、ひとまず田舎に帰ります。他に行く宛もないですから」
「……そうか」
 それは、つがい相手の元に行かないという宣言も同然だ。ロルフの意図を察した大佐は、はっきりと苦い顔をした。この後何が起きるか、想像したのだろう。
「ところで」
 あえて声色を固くして、ロルフは言った。
「どうも自分は、長くアルファと接触した事で体質が変化した、らしいですよ」
「あー……そう、なのか」
 大佐の表情が更に苦虫を噛み潰したようになるのを眺めながら、ロルフは淡々と言葉を続ける。
「教育係なんかのせいですよ、こんな事が起きたのは」
「それは、まぁ、その……」
「元は貴方が請け負った話でしたね」
「あぁ……、そう、だな……」
 雲行きが悪くなるのを察知した大佐の返答から、みるみる覇気が失われていく。ロルフは静かな目を真っ直ぐ大佐に向けたまま、わずかに声を低くした。
「もしもの時は、助けてくれますよね?」
 ごくり、と大佐が唾を飲み込んだ。
「……もしも、とは?」
「さぁ」
「…………」
 沈黙は数秒で終わった。
「君を助けるのは、やぶさかでは無い。無いが……」
 ちら、とロルフのまだ目立たない腹に目をやり、大佐は眉間の皺を一層深くした。渋い顔で思案したあと、帝都の家はわかるな、と言った。頷くロルフに、ミュラー大佐は続けた。
「家のものには君のことを言っておこう。いつでも来ていい」
 それから、絞り出すように言った。
「とんでもない火種だ……」
 年下の身重の部下を家庭ある身で匿うなど、よほど上手く立ち回らなければ、ろくでもない修羅場が待っているのは想像するまでも無い。その上ロルフは、つがい相手の意向を無視した行動に出ると宣言したも同然である。つまり参謀総長から追われる可能性のある人間を匿うことになる。上流階級の貴族に楯突く行為なのは言わずもがな、下手をすると軍の上層部から詰められかねない。
 家内になんて説明すればいいんだ、とぼやいて胃の痛そうな顔をしている大佐が少しだけ可笑しかった。
 リスクしかない行為を、それでも大佐は承諾した。
「……ありがとうございます」
 これで、ロルフは一つ逃亡先を確保できた。ほっとすると同時に、罪悪感が湧いた。自分からそう仕向けた事なのに、ロルフは胸にささくれができたような気分になった。
「やれやれ、他に要望は?」
 げっそりした大佐は、もうなんでも来いと言わんばかりの態度だった。ロルフは苦笑した。
「宿舎と執務室の荷物の処分と、支給品の返却を頼みます」
「なんだ、それくらい。他は?」
 ロルフは静かに首を振った。それからふと思い出したように付け加える。
「ああ、でも、そうですね。もしこの後ファルケンハウゼン少尉に行き先を聞かれても、黙っておいてくれると助かります」
「……一番面倒な相手を……!」
 いよいよ頭を抱えたミュラー大佐に、ロルフはにこりと笑いかけた。


「言い訳をしてもいいかな?」
「ええ、どうぞ」
 大佐の言葉にロルフは頷く。
「教育係を引き受けたのは、君に上層部との繋がりができると思ったんだ」
 曰く、上層部の問題解決に手を貸したとなれば、ロルフに上層部との伝手ができる。すなわち昇進もしやすくなる。このまま上手くいけば、ゆくゆくは将官だって夢物語ではない。果ては兵站司令部全体の総括の座に手が届く事だって考えられる。
「意外ですね」
 ロルフは目を瞬かせた。
「おや、私が実は壮大な野心を抱えていたってことが、かい?」
「いや……それは別に。ただ、貴方はそういうのは自分でやりたい人だと思っていました」
「ははは」
 大佐は肩をすくめた。
「将軍職なんて、商人には逆立ちしたって手が届かんよ」
「……だから代わりに俺を?」
 大佐は、にこりと笑った。
「なに、うちの実家は今は甥っ子が継いでるがね、兵站司令部重鎮が私のいうことを聞くぞって言えば、引退後も親戚連中にデカい顔ができるからなぁ。しばらくはそれで十分だ」
「いや、いうこと聞くわけないでしょ……」
 ロルフは呆れた声を出した。
「まぁでも、君は頼めば少しは融通を利かせてくれるだろう?」
「聞きませんよ」
「ふふふ、そうかな」
「聞きません」
 多分、と心の中で付け加えた。
「……壮大な野望は良いですけど、そういうのは相談してください」
「君、あんまり野心なさそうだから。嫌がるかと思って」
「勝手に駒にされる方が嫌ですよ」
「ま、結局は夢物語だったな。良い案だと思ってたんだけどなぁ……」
 大佐は深々とため息をついた。なんとも壮大かつ勝手な話だ。こればかりは頓挫してくれて良かったと思わずにはいられない。
「君なら行けるんじゃないかと思ってたのは本気だ」
「そりゃ……どうも」
 他になんと言えば良いかわからず、ロルフは曖昧に礼を言った。
 大佐は柔らかく微笑んでロルフを見上げた。
 


 こうしてロルフは、長く勤めた司令部を後にした。士官学校を出て以来、実に16年ばかり過ごした場所との別れは、案外あっさりしたものだ。もう見ることもないかもしれない、と建屋を振り返る。吐いた息が曇った。
 汽車の時間は充分に余裕がある。11月の気温は寒い。コートの襟を立ててロルフは駅に向かった。
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