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炎と竜の記録
小さな願い
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起きた時、リオンは最初自分の目が見なくなってしまったのだろうかと思った。
そしてそれが違うと分かったのは遠くにいくつもの輝く粒が見えて、それが外から差し込んでいる光だと分かってからだ。
「何処だろう?」
記憶が曖昧だ。
自分は確かに村の広場にいて、そこでクリフより押し付けられた論文を読んでいたはずだが。
取りあえず、この場に留まっていても意味がないので光の方へ向かう。
自然のものか作られた人工物かは分からないが、少なくとも暗闇の中にいるよりはマシである。
目印もなにもあったものではないのでどの程度の距離があるのか分からなったが、歩いてみると案外近くから降り注いでいたらしい。冷たく滑らかな壁があり、これは押してもビクともしなかったが、平衡感覚の揺らぐ闇の中では体を支える助けとなり、歩数にして100に満たない数で光の下へ辿り着く。
光のあたりにそっと触れると、壁とあまり変わらない感触ながら僅かに動いた。
動きに合わせて光も大きくなったので、リオンは両手に力を込めて押し込む。
ズズズ、と重い物を引きずるような音と共に闇に亀裂が走り、煌々と光が降り注いでくる。
十分通れるほど開いた頃で、眩しさに手をかざしながらリオンは光の中へと踏み込んでいった。
「ここは……」
言葉を失う。
崩れた石柱、風化の進んだ大理石の道、立ち並ぶ建物はどれも鍾乳石のような乳白色で美しい。ただそれらに彫り込まれていたのであろう彫刻の数々は殆どが原形をとどめないほど風雨に削られ、罅割れや剥がれ落ちているものもあった。
リオンは唖然としたまま一歩踏み出す。
『目を覚ましたか』
頭上より聞こえた声にリオンは振り返る。
そしてその顔と体は凍り付いた。
『どうした? ああ、恐れているのか』
そこにはドラゴンがいた。
太陽の如き真紅のウロコに身を包み、燃え滾る炎のような臙脂色の瞳。想像もつかない力を秘めているであろう均整の取れた体躯で悠々と尻尾を振っていた。
『まあ恐れているなら、それで問題ない。むしろ都合がいいか?』
ドラゴンは独り言のように呟く。
襲ってくる様子が無いのは幸い去ったが、ドラゴンが人間と言葉を交わしているなど吟遊詩人の奏でる詩の中でしか聞いたことが無い。その非常識さの衝撃からリオンは立ち直るのに時間がかかっていた。
なんでもいいか、とドラゴンは考えるのを止める。
『人間、着いてこい』
そう言うとドラゴンはバサリと羽ばたく。温かな風がリオンの脇を走り抜け、積もっていた砂埃を舞い上げた。
空は青く雲一つない。
視線を上げたリオンは、そこが窪地となっているのだとようやく知った。
ぐるりと丸く取り囲む岩壁は別々の山というには高さに均整が取れすぎているのだ。
視線をドラゴンへと戻す。かの存在は空のある一点からリオンを見下ろして待っているようだ。どうやらその下に何かがあるらしい。
リオンはコツコツと硬質な道を歩いて向かう。
人が消えて久しいだろう廃都の中、その中心部へ進むにつれて気温は上昇していく。
真夏のような暑さを感じつつ向かった先には巨大な穴が開いていた。
『中を見ろ』
いつの間にか後ろに降りてきていたドラゴンの命令に素直に従う事にする。
どうせ逃げることはできないし、殺されなかった理由はきっとこの穴の中にあるのだろうと。
「赤い――ウロコ? いやドラゴンか?」
鈍い赤色の体躯に折りたたまれた翼、背を背びれのように走るトゲ。丸まっているために始めは何か分からなかったが、一つ一つの特徴を拾っていけば答えは一つに収束する。
驚くべきはその大きさである。
穴はそれほど深いものでは無いから、大きさの比較は正確で容易。目の前の巨大、その背より伸びるトゲの一つ一つが既に背後に座すドラゴンの体長に迫るほどの大きさを持っている。
『我が父だ』
気がつけば頭上より首を伸ばして同じものを見ていたドラゴンが呟く。
『我が父は真なる者へ己を昇華させんとしたが――失敗してしまった。多くの炎を失い体の炉は冷え切ろうとしている』
ドラゴンの離れるような足音を聞きリオンは振り返る。
『我が炉の炎ではダメだった。あまりに弱く父の炉を再び熱することは叶わなかった。故にここへ来た。古き竜たる父を生み出したこの母なる山の息吹こそが、その冷え切った炉を再び熱く滾らせることを出来るからだ』
「でもこの山は……」
『そう、山は既に冷え切っていた。遥か地の底に残る僅かな燻りを汲み上げることで今は父の命を繋いでいるところだ』
リオンはとても驚いたが、それはドラゴンの言葉にではない。
目の前のドラゴンがまるで人間のように悲しそうに見えた事に驚いたのだ。
圧倒的な力を持つ絶対の強者が、矮小な人間と同じように無力さに打ちひしがれている姿に。
『我はお前に頼みがある』
ドラゴンは振り返りリオンをまっすぐに見る。
『我が父の炉に再び熱を灯して欲しい。一時でも構わん。我はもう一度、この天を雄々しく翔けるその姿を見たいのだ』
頼む、とドラゴンは頭を下げた。
閉じられた目は眠ってしまったかのように静かで、しかしその尻尾は不安そうに今も揺れている。
リオンは悩んだ。
自分程度の能力で果たしてこの願いを叶えることは出来るのだろうか。
それにこの巨大なドラゴンが元気になったとして、ただ空を飛ぶだけとは限らない。
もしも村や町、国家をその圧倒的な力を持って脅かすようになったらどうする。
これほどの巨体は記録に無いのだ。もし伝説に語られる古のドラゴンであれば、今の神なき世界に抗える力は果たしてどれほどあるだろう。
不安。
己一人の命が目の前のドラゴンの機嫌をそこねて摘み取られる程度であれば、世界にとっては幸福かもしれない。いや、それも結局はただの時間稼ぎにしかならないのかもしれないが。
リオンはいまだじっと動かず言葉を待つドラゴンを見る。
「……私を買いかぶり過ぎですよ」
ビクッと尻尾が跳ね、開かれた瞳は悲しそうな光を宿している。
「でも、出来る範囲で頑張って見ます」
そうリオンが続けると、ドラゴンは頭を上げ目を真ん丸にしてリオンを見た。
力なく微笑むリオンをジッと見つめ、それから再び頭をさげた。
『ありがとう』
リオンは生まれて初めてドラゴンから感謝の言葉を聞いたのだった。
そしてそれが違うと分かったのは遠くにいくつもの輝く粒が見えて、それが外から差し込んでいる光だと分かってからだ。
「何処だろう?」
記憶が曖昧だ。
自分は確かに村の広場にいて、そこでクリフより押し付けられた論文を読んでいたはずだが。
取りあえず、この場に留まっていても意味がないので光の方へ向かう。
自然のものか作られた人工物かは分からないが、少なくとも暗闇の中にいるよりはマシである。
目印もなにもあったものではないのでどの程度の距離があるのか分からなったが、歩いてみると案外近くから降り注いでいたらしい。冷たく滑らかな壁があり、これは押してもビクともしなかったが、平衡感覚の揺らぐ闇の中では体を支える助けとなり、歩数にして100に満たない数で光の下へ辿り着く。
光のあたりにそっと触れると、壁とあまり変わらない感触ながら僅かに動いた。
動きに合わせて光も大きくなったので、リオンは両手に力を込めて押し込む。
ズズズ、と重い物を引きずるような音と共に闇に亀裂が走り、煌々と光が降り注いでくる。
十分通れるほど開いた頃で、眩しさに手をかざしながらリオンは光の中へと踏み込んでいった。
「ここは……」
言葉を失う。
崩れた石柱、風化の進んだ大理石の道、立ち並ぶ建物はどれも鍾乳石のような乳白色で美しい。ただそれらに彫り込まれていたのであろう彫刻の数々は殆どが原形をとどめないほど風雨に削られ、罅割れや剥がれ落ちているものもあった。
リオンは唖然としたまま一歩踏み出す。
『目を覚ましたか』
頭上より聞こえた声にリオンは振り返る。
そしてその顔と体は凍り付いた。
『どうした? ああ、恐れているのか』
そこにはドラゴンがいた。
太陽の如き真紅のウロコに身を包み、燃え滾る炎のような臙脂色の瞳。想像もつかない力を秘めているであろう均整の取れた体躯で悠々と尻尾を振っていた。
『まあ恐れているなら、それで問題ない。むしろ都合がいいか?』
ドラゴンは独り言のように呟く。
襲ってくる様子が無いのは幸い去ったが、ドラゴンが人間と言葉を交わしているなど吟遊詩人の奏でる詩の中でしか聞いたことが無い。その非常識さの衝撃からリオンは立ち直るのに時間がかかっていた。
なんでもいいか、とドラゴンは考えるのを止める。
『人間、着いてこい』
そう言うとドラゴンはバサリと羽ばたく。温かな風がリオンの脇を走り抜け、積もっていた砂埃を舞い上げた。
空は青く雲一つない。
視線を上げたリオンは、そこが窪地となっているのだとようやく知った。
ぐるりと丸く取り囲む岩壁は別々の山というには高さに均整が取れすぎているのだ。
視線をドラゴンへと戻す。かの存在は空のある一点からリオンを見下ろして待っているようだ。どうやらその下に何かがあるらしい。
リオンはコツコツと硬質な道を歩いて向かう。
人が消えて久しいだろう廃都の中、その中心部へ進むにつれて気温は上昇していく。
真夏のような暑さを感じつつ向かった先には巨大な穴が開いていた。
『中を見ろ』
いつの間にか後ろに降りてきていたドラゴンの命令に素直に従う事にする。
どうせ逃げることはできないし、殺されなかった理由はきっとこの穴の中にあるのだろうと。
「赤い――ウロコ? いやドラゴンか?」
鈍い赤色の体躯に折りたたまれた翼、背を背びれのように走るトゲ。丸まっているために始めは何か分からなかったが、一つ一つの特徴を拾っていけば答えは一つに収束する。
驚くべきはその大きさである。
穴はそれほど深いものでは無いから、大きさの比較は正確で容易。目の前の巨大、その背より伸びるトゲの一つ一つが既に背後に座すドラゴンの体長に迫るほどの大きさを持っている。
『我が父だ』
気がつけば頭上より首を伸ばして同じものを見ていたドラゴンが呟く。
『我が父は真なる者へ己を昇華させんとしたが――失敗してしまった。多くの炎を失い体の炉は冷え切ろうとしている』
ドラゴンの離れるような足音を聞きリオンは振り返る。
『我が炉の炎ではダメだった。あまりに弱く父の炉を再び熱することは叶わなかった。故にここへ来た。古き竜たる父を生み出したこの母なる山の息吹こそが、その冷え切った炉を再び熱く滾らせることを出来るからだ』
「でもこの山は……」
『そう、山は既に冷え切っていた。遥か地の底に残る僅かな燻りを汲み上げることで今は父の命を繋いでいるところだ』
リオンはとても驚いたが、それはドラゴンの言葉にではない。
目の前のドラゴンがまるで人間のように悲しそうに見えた事に驚いたのだ。
圧倒的な力を持つ絶対の強者が、矮小な人間と同じように無力さに打ちひしがれている姿に。
『我はお前に頼みがある』
ドラゴンは振り返りリオンをまっすぐに見る。
『我が父の炉に再び熱を灯して欲しい。一時でも構わん。我はもう一度、この天を雄々しく翔けるその姿を見たいのだ』
頼む、とドラゴンは頭を下げた。
閉じられた目は眠ってしまったかのように静かで、しかしその尻尾は不安そうに今も揺れている。
リオンは悩んだ。
自分程度の能力で果たしてこの願いを叶えることは出来るのだろうか。
それにこの巨大なドラゴンが元気になったとして、ただ空を飛ぶだけとは限らない。
もしも村や町、国家をその圧倒的な力を持って脅かすようになったらどうする。
これほどの巨体は記録に無いのだ。もし伝説に語られる古のドラゴンであれば、今の神なき世界に抗える力は果たしてどれほどあるだろう。
不安。
己一人の命が目の前のドラゴンの機嫌をそこねて摘み取られる程度であれば、世界にとっては幸福かもしれない。いや、それも結局はただの時間稼ぎにしかならないのかもしれないが。
リオンはいまだじっと動かず言葉を待つドラゴンを見る。
「……私を買いかぶり過ぎですよ」
ビクッと尻尾が跳ね、開かれた瞳は悲しそうな光を宿している。
「でも、出来る範囲で頑張って見ます」
そうリオンが続けると、ドラゴンは頭を上げ目を真ん丸にしてリオンを見た。
力なく微笑むリオンをジッと見つめ、それから再び頭をさげた。
『ありがとう』
リオンは生まれて初めてドラゴンから感謝の言葉を聞いたのだった。
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