【完結】クズとピエロ【長編】

綴子

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それは甘い毒

Chapter1-4

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「そんなに怖がらないでよ。俺は別に早苗くんをいじめに来たんじゃないんだから」

 俊哉はそう言うものの、正直憂さ晴らしに来たとしか思えない。早苗の警戒心はより強くした。こういう相手に隙を見せるべきではないのだ。

「そんなことを言われたところで、『はい、そうですか』なんて納得するような人間じゃないですよ。オレは」
「割と抜けてるくせに、警戒心は一丁前に強いよね」
「馬鹿にしてます?」
「そんなことないよ。それより今日は、早苗くんにとっても損にはならない話をしに来たんだよ」
「てっきり憂さ晴らしに絡まれてるのかと思いました」
「本当にすごく失礼だね」

 そうは言ったものの、俊哉はなんだか凄く楽しそうだ。またもや薄気味悪いものを感じて早苗は身震いした。

「それよりも、話ってなんですか?」
「なかなか急かすじゃん。ちょっと待ってね。今、心の準備してるから」

 早苗がそう言うと俊哉はしばらくの間、何度も唸る。そんな彼の様子を、早苗は黙ってじっと見守っていた。すると、何度か咳払いをしてから彼は思いもよらない提案をしてきた。

「――早苗くんにね、俺の番になって欲しいんだ」
「はあ!?」

 動揺のあまり大きな声が出てしまったし、体が跳ねて膝の上に置いていた拳をテーブルに強打した。店内に大きな音が響く。時折こちらの様子を確認していた店員が、心配そうにこちらを見ているのと目が合ったので騒がしくしてしまった謝罪も兼ねて軽く会釈をする。
 とんでもない発言をしてこの状況の原因を作った目の前の人物を、微かに涙の浮かぶ目で思い切り睨みつけた。早苗の手の甲はジンジンと痛み、ぶつけた所には赤い線が薄らと浮かんできた。

「手、大丈夫? すごい音だったけど」
「痛いに決まってるじゃないですか。でも、そんなことはどうでもいいんですよ! なんでいきなりそうなるんですか。オレが京介さんと付き合ってるの知ってますよね?」
「そりゃあ知ってるけどさ、アイツなかなかのクズじゃん。早苗くんの立場から見たら。まあ、俺の弟がそもそもの原因なんだけどさ……」

 俊哉はバツが悪そうに頭をかく。そんな相手の様子を見て、早苗は喉元まででかかった文句を言えなくなってしまった。
 確かに原因は彼の弟である伊織ではあるが、ここで俊哉を責めるのはお門違いだということはわかっている。

「確かに、京介さんのオレに対する扱いはなかなかなものですけど……。そこで、俊哉先輩と番うっていうのは意味がわからないです。まさかとは、思いますが、恋人に蔑ろにされているオレに同情してそんなこと言い出したんですか?」
「あー……まあ、それだけではないよ。俺にとっても早苗くんが丁度いい相手だったというか……」
「丁度いい相手?」
「ほら、あまり伊織に対して同情的でないとことか……」
「なるほど?」

 言いにくそうに言葉を必死に濁している俊哉が、何を言わんとしているのか、早苗には何となくわかったような気がした。

「ほら、『運命の番』が他の相手と番うなんて、伊織先輩が可哀想! とか言わないタイプでしょ?」
「運命じゃないってさっきご自分で言っていたじゃないですか」
「俺は伊織を運命だとは思ってないよ。そういうの感じないし。でも、伊織が俺を『運命の番』だって言っている話は聞いたことがあるでしょ?」
「有名な話ですよね。兄弟間で『運命の番』。それなのに兄はそれに気がつかないふりをして弟を蔑ろにしているってやつですね」
「そう、それ。別にふりじゃなく、本当に俺は伊織を運命だとは思えない。だから、アイツから離れるためにはこれしか方法がないと思ったんだ」

 彼はつまるところ、伊織のいう『運命の番』から抜け出したくて早苗を利用したいと言いたいのだろう。今まで饒舌に話していたと言うのに、突然言い訳がましい喋り方になったのは、やはりそういうことだったのかと納得できた。

 そういうことならば、確かに自分は適任なのかもしれない、と早苗は思った。小松兄弟の抱える問題について、どちらの味方につくか選ばなければならないと言われたら、早苗は間違いなく俊哉の味方になるだろう。
 けれどもそれは、彼の主張が正しいと思っているからではない。伊織の味方になりたくないからという理由だ。しかし、今の俊哉にとってはきっとそれだけで十分なのだろう。

 突拍子もない提案に驚いたものの、不思議なことに早苗の中に一蹴するという選択肢は生まれなかった。
 むしろ、この提案に乗るのは面白いかもしれないとすら思えた。きっと、自分でも気がつかないところで、あまりに自分のことを蔑ろにする京介に対しての愛情が冷めてしまっていたのかもしれない。

「ごめんね。変な提案して……」

 しばらくの間黙り込んでしまったせいで、俊哉は早苗が怒ったと勘違いしたのだろう。謝りながら俊哉は伝票に手を伸ばした。早苗は彼が、伝票を取る寸前で腕を掴むことに成功した。

「待ってください。その話、もう少し詳しく聞かせてくれませんか?」

 俊哉は、早苗が怒っているわけではなかったことに安堵したようで、再びソファに座り直した。早苗もそれに合わせてすぐに手を離した。

「――てっきり怒らせたかと思ったよ。とんでもない提案をしたのは分かってたから」
「とんでもない提案をしているって自覚はあったんですね」
「そりゃあ、あるに決まってるよ。番になるって、アルファよりオメガの方がリスクが高いんだから」

 彼の言うとおり、番になるということはオメガ側が高いリスクを負うことになる。
 それを踏まえた上で、未だに彼の提案を断ることが出来ないでいる自分は、自分で自覚している以上に、自暴自棄にもなっているのかもしれないと早苗は思い、乾いた笑いが出た。

「しかも、俊哉先輩もオレも相手のことを好きって訳でもないですからね。正直リスクしかないとしか言えませんよね……」
「いや、俺はそれなりに早苗くんのことを好ましく思ってるよ」
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