【完結】クズとピエロ【長編】

綴子

文字の大きさ
32 / 44
それは甘い毒

Chapter5-7

しおりを挟む

「剣崎を呼んだから来るまでここで待ってろ」

 話を終えた剣崎はそう言うと、そう言うとロッカーからノートパソコンを取り出し、早苗の目の前で仕事をし始めた。
 することも無くなった早苗は、目の前のマグカップに手を伸ばす。散々警戒していたそれは、中身はなんてことのないただの冷たくなってしまったミントティーだった。緊張していたこともあり自分では気が付かない程度に匂い酔いをしていたようで、そのミントティーを嚥下すると胸の当たりがスッとした。

 余裕が出てきたので、チョコレートの方にも手を伸ばす。ここに来たばかりの時はあった警戒心も、いつの間にかなくなっていた。チョコレートを舌に乗せると、口腔内の温度でゆっくりと溶けていく。想像していたよりも甘味は強くなく心地よい苦味とナッツの香ばしさが口の中に広がった。舌触りもいつも口にするような市販のチョコレートとは違い、まるでシルクを舌の上で転がしているのではないかと錯覚するほどに滑らかであった。

 2粒目のチョコレートに手を伸ばしかけたところで扉がノックされる。扉を開けたのは蛇池が呼んだ剣崎であった。

「お待たせしてしまってすみません。あ、チョコ食べてからで全然いいっすからね」

 早苗がチョコレートに手を伸ばしていたことに目敏く気がついた剣崎がそう言ったが、早苗は子供扱いされたようで顔から火が出るほど恥ずかしかった。
 しかし、1粒数百円のチョコレートを残していくのは勿体ないので口に押し込み急いで咀嚼する。チョコレートを飲み込で、向かいの椅子に置かれていた荷物を持って早苗は剣崎の待つ扉の方へ歩いていった。

「お世話になりました」

 入り口で振り返った早苗が蛇池に向かってそう言葉を発すると、蛇池はパソコンに顔を向けたまま「おう」と短い返事をよこした。
 剣崎に促されるまま、先ほどの道のりを逆に進む。緊張が解けていたせいで、先ほどよりも廊下に漂うムスクの匂いを濃く感じた。先ほど無理矢理押し込まれたシルバーカラーのスポーツカーの後部座席のドアを開ける。すると、先客がいることに気がついた。

「あ、さっきの……」
「お疲れ様、逢沢さん。僕はこれから出張なんです。ご一緒させてもらいますね」

 先に剣崎の車に乗っていたのはリッカだった。驚いた早苗がドアを開けたまま固まっていると、リッカは自分の隣をポンポンと叩いて、早苗を乗車するように促す。
 早苗が彼に従って隣に腰を下ろすと、上品な薔薇に似た甘い香りを感じた。同性だが思わずドキドキしてしまうくらい官能的であると感じた。

「それじゃあ、出発しますね。逢沢さんの家ってどこです? アパートとかなら建物名だけでも大丈夫すよ」

 運転席に乗り込んだ剣崎が早苗に問う。

「カーサ・アリビオです」
「カーサ、アリビオっすね」

 ナビに建物名を入力すると、1件の検索結果が表示された。

「ここすか?」

 住所を確認して早苗が頷くと、経路を確認した剣崎は「逢沢さん家が先っすね」と言ってから車を走らせ始めた。
 車内には先程とは違った緊張感が流れていた。

 早苗が座っているのは運転席の後ろ。街灯の明かりで先程自分が付けたであろう、蹴った跡を見つけて早苗がソワソワと居心地悪そうにしているとリッカが話しかけてきた。

「蛇池にいじめられませんでしたか?」
「え? あ、はい」
「それなら良かったです。言葉崩していいですか?」
「どうぞ」
「良かった。逢沢さんって小松俊哉とはどんな関係なの? 付き合ってるとか?」
「えっと……」

 早苗が言い淀んでいると、リッカは『俊哉とはいつ出会ったのか』『小松伊織という厄介な弟がいることは知っていたのか』『どうして付き合おうと思ったのか』とまくし立てるように矢継ぎ早に質問をしてきた。

「リッカさん、そんなにどんどん質問されても逢沢さんが答えられないっすよ」

 答えることが出来ずタジタジなっている早苗を見かねて、剣崎はリッカにストップをかけた。

「ごめんね。ついつい、気になっちゃって……」

 はた……と理性を取り戻したかのようにリッカは早苗に謝る。

「いえ……リッカさんも俊哉先輩のことを知っているんですか? さっき伊織先輩のことも知っていそうでしたし」
「あれ、蛇池から聞いてない? 僕が小松俊哉の元恋人って話」
「あ、アレってリッカさんの話だったんですか?!」

 蛇池から聞かされた悲惨な体験をした俊哉の恋人が、まさかリッカだとは思っていなかった早苗は慄いた。

「どの程度聞かされたかは知らないけど、小松伊織に嵌められて見知らぬアルファと番わされたかと思えば、薬を一服盛られて人生詰んだオメガの話を聞いたんだったら、それは僕の話だね」

 あっけらかんと言い切るリッカに早苗はなんと返せばいいのかわからずに困惑する。

「そんなにあっさりと重い身の上話を聞かされても逢沢さんが困惑するだけっすよ」

 剣崎の言葉に同意するように早苗が激しく首を縦に振ると、リッカさんは参ったように頬を掻いた。

「僕の中ではケリのついたことだから、つい……。それに、逢沢さんがもし小松俊哉と付き合ってるならそういう危険があるんだってことを伝えたかっただけなんだけど……」
「にしたって事情知ってる人ならともかく、初対面でそんなこと聞かされても返答に困るだけっすよ。リッカさんの自虐ネタは聞いてる方のメンタル抉ってくるんすから」

 リッカがそんな話を切り出したのは、どうやら早苗を思ってのことだったらしい。

「なんか、さっきからごめん。逢沢さんのこと困らせてばかりだね」
「い、いえ。オレのこと心配してくださったんですよね。ご自分も大変な思いをしたのに、他人を思いやれるのってすごいと思います」
「……そんなこと言われたの初めてだな。前にもね、似たようなことがあってさ。その当時の俊哉の恋人に話した事があるんだけど、余計なお世話だって言われちゃったんだよね。元カレがしゃしゃってきてウザイみたいに言われちゃったんだ」
「そう考える人は少なくないかもしれないですね」

 確かに、俊哉のことが本当に好きで恋人になったならリッカの忠告は余計なお世話と言いたくなる気持ちもわからなく無い。早苗も、京介の元恋人が現れてリッカと同じようなことを言ったなら言葉にはしなくてもその元恋人のことを疎ましく思ったかもしれない。

「逢沢さんもこんなこと言われて本当は余計なお世話って思うよね、ははっ……ごめん。僕は俊哉が原因で傷付く人をこれ以上増やしたくないんだ」
「いえ。そんなことないですよ。それにオレの場合、事情がちょっと違ってくるので……」

 早苗は言葉を濁し気味に答えた。何処か物悲しそうにしているのを見て、リッカはまだ、俊哉に未練があるのかもしれないと思ったからである。
しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

運命じゃない人

万里
BL
旭は、7年間連れ添った相手から突然別れを告げられる。「運命の番に出会ったんだ」と語る彼の言葉は、旭の心を深く傷つけた。積み重ねた日々も未来の約束も、その一言で崩れ去り、番を解消される。残された部屋には彼の痕跡はなく、孤独と喪失感だけが残った。 理解しようと努めるも、涙は止まらず、食事も眠りもままならない。やがて「番に捨てられたΩは死ぬ」という言葉が頭を支配し、旭は絶望の中で自らの手首を切る。意識が遠のき、次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 8/16番外編出しました!!!!! 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭 3/6 2000❤️ありがとうございます😭 4/29 3000❤️ありがとうございます😭 8/13 4000❤️ありがとうございます😭

当たり前の幸せ

ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

処理中です...