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02 運命

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パチパチと薪の爆ぜる音だけが聞こえている。

目の前の胸当てを纏って剣を帯びている彼―――はあまり口数が多い方ではないらしく、また真凛もそうだったので、二人の間にはしばしば沈黙が落ちていた。

こういった場合、元の世界では気まずい空気が流れたりしていたのだが、今は彼の方も気にするふうでもなかったので、真凛は安心した。

この静けさを楽しみたい気もしたが、敢えて口を開いた。

「余計なことかもしれないけど・・・夜も遅いのに、寝なくて大丈夫?もし私が気になるなら、どこかへ行ってるから」

彼はまた驚いた顔をした。

「お前・・・いや、アンタのせいじゃない。夜のこの森で、一人では眠れないというだけだ」

お前からアンタになった?
それは彼の中での私の昇格なのか、格下げなのか。どっちなんだろうか。

「それなら私が見張っててあげるよ。少し寝た方がいいよ」

「アンタがそんな事を気にする必要はない」

ピシャリと断られてがっくりする。
彼は焚き火に薪を足しながら、ちらりとこちらを見た。

「・・・アンタがどうのと言うわけじゃない。2、3日は寝なくても平気だし、いつもこうしてる。ここは魔の森と呼ばれてて危険なんだ」

真凛に視線を留めたまま、彼はそろそろと傍らに立て掛けてある剣に手を伸ばした。
すらりと鞘から抜き放つ。

「え?えっ?」

「こんなふうにだ」

彼は立ち上がりざまに焚き火を飛び越えたかと思うと、真凛の背後をも横一閃に薙ぎ払った。

猪とも熊ともつかぬ断末魔の鳴き声が響き、続いてドサリと重いものが倒れる音がした。

暗闇の中だったが、焚き火に照らされた手足は黒い毛皮に包まれていて、しばらくしてから地面に血溜まりをを広げて行く。

「ひっ・・・」

足元に流れてきた液体に、真凛は思わず飛び退いた。
剣を拭って鞘に戻しながら、彼は少しだけ複雑な視線を真凛に向けた。

「血の匂いで魔物や獣が集まってくる。夜明けまでもう少しあるが、俺はもう行く。アンタはどうする?」

「えっ、私?着いて行ってもいいの?」

「迷子なんだろ?」

「うん・・・ありがとう!」

「連れては行くが、冥界までは案内できない。アンタがはぐれた案内人を見つけるか、神殿にたどり着くか、どっちかだ」

彼は焚き火を消し、後始末をしながらぶっきらぼうに言った。

「どうして神殿?」

「冥界に送ってくれる」

冥界ってどんなところだろう?閻魔大王とかいて怖そうな気がする。
行ったら多分戻って来れないだろう。

「怖いからやめて」

「そういえば、はぐれたアンタの案内人って、どんな人間なんだ?」

「人間じゃないよ。ほた・・・うーん、光る虫だよ」

蛍と言いかけて、果たしてこの世界に蛍はいるのだろうかと心配になる。
またはいたとしても、蛍と言う名前とは限らない。

「むし?むしって、虫か?」

彼は『なに言ってんだコイツ』という目で見てきた。

「そう、お尻が光る虫」

「蛍のことか」

「そう、蛍。いるんだ、ここにも」

「ん~、いるんじゃないか?」

彼の適当な答え。
真凛はわずかに違和感を感じたものの、話が通じた嬉しさに、それを見落とした。

「その蛍が本当に虫だとして・・・もうすぐ日が昇るけど、ヤバイんじゃないか?肉食の虫とか鳥とか、いっぱいいるぞ」

「ええっ!どうしよう、探さなきゃ!」

「確か蛍は川の生き物だよな。この上流は滝になってるから、川沿いを下ってみよう」

「下ってみようって・・・大事な用事があるんじゃないの?」

「戻るついでだ。それとも神殿に行く気になったか?」

真凛は激しく首を振った。
これは暗に成仏しろと言われてる?
焦る真凛を見て、彼は小さく笑った。

「そういえばあなたの事、なんて呼べばいい?私は真凛だよ」

「シオンだ」

「シオン君、よろしくね」

野営の痕を消し、立ち上がったシオンの荷物は驚くほど少なかった。

川沿いを辿って歩き出した彼の背中越しに、白み始めた地平線が見えた。

この見知らぬ世界にたった一人取り残されるのは、どれほどの恐怖だろう。
例え単なる顔見知り程度だとしても、シオンの存在だけが、今の真凛の心を支えてくれている。

この出逢いが真凛にとってどんな意味を持つのか――――
今はまだ、知る由もなかった。







真凛たちのいる渓谷から遠く離れた砂漠地帯。
馬とラクダの中間のような動物が鞍をつけられ、旅人を運んでいる。
旅人の他にも隊商や鎧を着けた軍人たちが行き交うオアシスで、一人イライラと足を踏み鳴らす男がいた。

「遅い!来ないじゃないか、どうなってるんだ!」

男は胸から革紐で吊るした、通信機代わりの精霊石に向かって怒鳴った。

「いや・・・おかしいのぅ。まさか迷ったのかのぅ」

精霊石の向こうからは現在救済センター配属の神様、アルファの声――――正確には心話に近いのだが、神のため魔力が強すぎて、実際に声として聞こえる―――がした。

「お嬢ちゃんにつけてやった守護天使も戻って来ておらん。まぁ、もうちょっと待て」

「もう待てん。再構築する身体は先に制作に入る」

「えっ・・・まだお嬢ちゃんの希望を聞いておらん」

「知らん。遅れる方が悪い」

魔石の向こうでアルファがまだ何か言っていたが、男は構わず通信を切った。

無造作に切り揃えられた濃い茶の髪に、ヘイゼルの瞳。
すらりと背の高い男の表情は、黒縁の眼鏡によって隠されていた。
彼は人差し指で眼鏡を押し上げながら、薄く笑った。

「フン。それじゃあせいぜい、俺好みに作らせてもらうとするか」


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