叶え哉

まぜこ

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第五章

第十話 セリヌンティウス-1

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 生霊の巣窟だ、と鶴井と冴木は思った。
 ここはあるマンションの一室。身なりの良い中年女を筆頭に、いくつもの生霊を引っ提げた人間たちが集う組織の事務所に、二人は来ていた。
 彼らの本来の目的も知らず歓迎する中年女とその手下たち。したり顔で意味の分からないことを熱弁する彼女らがあまりに臭く、鶴井は鼻を摘まんだ。

「冴木さん。耐えられません。なんですかこのキツい花の匂いは」
「花の匂い? そんな匂いはしない。するのは化粧品と汗とワキガの臭いだけだ」
「ああ、化粧品の匂いですか。汗とワキガは別に気になりませんが、どうもこの鼻につく人工的な花の匂いは好きになれない……」

 冴木と鶴井はそれぞれ別の目的でここを訪れた。冴木は組織のトップである中年女を、鶴井は捜している生霊が憑いた女二人を殺すためだ。片手では足りないほどの生霊をくっつけている彼女らの巣に潜り込み目的を果たすため、鶴井と冴木は協力することにしたのだった。

 小規模な組織のため、鶴井も目当ての人間をすぐに見つけることができた。冴木が中年女の相手をしている間に、鶴井は一人の女に話しかけた。

「こんにちは」

 顔を上げた女は、鶴井を端正な顔立ちを見て赤面した。貧相な胸の谷間を晒し、尻が見えそうなほど短いスカートを履いているにもかかわらず、女は顔を背け小さく返事をする。案外うぶな女のようだ。

「ここの商品に興味がありましてね。教えていただいても?」
「あっ、は、はい。少しお待ちくださいね。も、持ってきます。パンフレットとか、サンプルとか」

 女が持ってきたのは、サプリや洗剤、空気清浄機などだった。商品知識はたまげたもので、ペラペラと小難しい知識やデータの数字を諳んじる。その時には内気な性格はなりをひそめ、服装のイメージと合った人格になっていた。
 鶴井はサプリを一粒つまみ、口の中に放り投げる。味はなかなか悪くない。

「へえ。気に入りました。僕も入会しようかな」
「ほ、本当ですかっ? 嬉しいですっ」

 女の尻から、畜生の臭いがした。

「ええ。ただ、僕今日はちょっと忙しくて。日を改めてでもいいですか?」
「はい、もちろんです。私たちも、そちらの方が助かりますので」
「あ、そうだ。その時は、もう一人連れて来てもらえませんか。僕の知り合いの友人らしくて。一目お会いしたいです」

 名前を告げると女は快諾した。
 手続きは一週間後、鶴井の事務所で行われることになった。鶴井は女と連絡先を交換し、約束の日まで毎日やりとりをした。
 約束の日の朝、冴木の事務所で暇をつぶしていた鶴井は、スマホを眺めながら口を開く。

「冴木さあん。どうして僕ってこんなにモテるんでしょうか」
「顔と体が良いからだろう。どうした。また女を発情させたのか」

 鶴井は疲れ切った表情で頷き、スマホ画面を見せた。

「はい、そのようで。彼女からの通知が鳴りやみません」
「はは。殺すついでに抱いてやったらどうだ」
「僕のペニスはそんなに安くありませんよ、失敬な」

 頬を膨らませる鶴井に、冴木は片眉を上げて嘲る。

「男にはしゃぶらせたくせにな」
「なっ、なぜそこのことをっ」
「お前が連れている生霊から聞いた。聞いたというより、愚痴を聞かされた」

 鶴井は顔を真っ赤にさせ、密告した生霊の首根っこを掴む。

「お、おい。どうしてそんなことを冴木さんなんかに話すんだ。一番言ったらダメな人でしょうが」

 しかし生霊は頬を膨らませるだけでそっぽを向いた。相当お怒りの様子だ。

「あのね。ぼ、僕は別にあの男と性交したかったわけじゃない。ただ、ボウフラを孕んだ彼が、屈辱と恐怖であんまり可愛く泣くものだから、ちょ、ちょっとだけ興奮しただけで。勃起したついでに――」
「鶴井。それは全く言い訳にならない。むしろ逆効果だから大人しく謝れ」
「すみません」
「はじめからそうしておけばよかったものを」

 五体の生霊に囲まれ恨み言を囁かれている鶴井を尻目に、冴木は鞄片手に立ち上がる。

「じゃあ、私は外回りに行ってくる。お前も頑張れよ」

 冴木が去った所長室で、鶴井は生霊に土下座して許しを請うた。
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