さよならをいう前に

九時木

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 甘美な昨日と打って代わり、その日は煙草で肺を汚したい気分でした。

 今手がけているその狂いのない作品を、すっかり逸脱させてしまいたいと思っていました。

 仕事中にオフィスを抜け出し、冷たい廊下でしゃがみ込み、一人で耳障りな音楽を聴いていたい。

 ふとそんな青少年の非行めいた行為に走りたくなってしまったのです。

 外部環境との関係を一切断ち切り、ひたすら後悔しそうなことを尽くしてしまいたくなっていました。

 口を片手で覆い、不吉な笑みを隠しながら、しわついた用紙でそこら中を散らかしてしまおうかと考えました。

 鬱屈以外に何も表さないその態度を、何の恥じらいもなく実行してみたくなりました。


 私は椅子に座り、のけぞるような姿勢で、好物のキャンディーを目にして無垢な笑顔を浮かべている少女を描いていました。

 温かく守られたその場所で、目を輝かせているその少女を。

 一人また一人と立ち去っていく音。がらんどうの机の上と空席。気がつけば、オフィスにはほとんど人が残っていませんでした。

 一人、普段は活き活きとした人間が、その日は気分が沈んだように顔を暗くし、ぽつぽつと帰っていきました。

 「お前などに私が手に負えるものか」と、私は心の中で、相手の中にひたと隠れていそうな優しさを冷笑しました。

 また、「この場所には、残る者だけが残ればいいのだ」と、そんな殺伐とした言葉が私を一色に染めつつありました。

 帰っていった人は、宿敵でも何でもありませんでした。ただ、自分が自分であるという瞬間的かつ強烈な実感が、私の意思を過激なものへと傾けていたのです。

 一言で表せば、神経の昂りです。何でも思いのままにしてみようという衝動が、私の中で再び姿を現そうとしていました。


 私はオフィスに流れる空気を遮断し、自分の飲み干したいものだけを飲み干しました。

 怒涛の勢いで迫り来る、あの抑えがたい破壊衝動をです。傍から見れば、まるでやけ酒のようだったかもしれません。

 実際は一人で、自分だけの空間を味わっているというだけだったのですが、それはやけ酒と大差ないのでしょう。

 自暴自棄で、何もかもすっかり無かったことにしてしまいたいという思いと、そう変わりないのです。

 見ていられない態度ですね。しかし、そうでもしなければ、私のこの感情に行き場はないのです。

 その時は、この力のみなぎりは何でも大袈裟にしてみせることから始まるのだと、悪魔のような虚栄心が私に囁きかけていました。


 ところで、世の中には、暴力と哀れみの混在した作品があります。

 哀れみの方は聖母マリアのようなものです。暴力の方は、何処においても触れるに値しないものです。

 しかし、この歪んだ塊の方が、私の手を取ろうとしていました。

 手つきが荒くなり始めていました。時間が経つにつれ、平穏な世界にひびが入ってしまいそうだと、死んだ目がそう呟くようになっていました。

 それでも、目の前で幸せそうに笑う少女を壊したくありませんでした。だから、私は自分の感情を押さえつけ、1枚絵と向き合い続けていました。

 もがき暴れ回る心臓を、まるで刃で固定しているような有様でした。私の目はその心の動きを超然と眺めるだけで、ただ描くに徹しているようでした。


 ようやくその日の時間が終わり、私は筆を置きました。

 少女は確かに笑っているようでした。オフィスに残った一人が、絵の中の少女を見て顔をほころばせ、喜んでくれました。

 しかし、私には何も映っていませんでした。少女が笑っていたのかどうかも、今の私には覚えがありません。

 ふと煙草を吸ってみたくなりました。まだ汚れたことのないまっさらな肺を確かに汚したいという思いだけが、煙の香りを想起させながら、私の中に居座っていました。
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