さよならをいう前に

九時木

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 今まで書いてきたものが、結局何を書きたかったのか途端にわからなくなってしまいました。

 何もかもが遠回しでじれったく、無駄なように感じました。どの文章も自分とは無関係で、どうでもよく見えました。

 確信がないのです。自分という一つの存在に対する確信が一切ありません。だから、自分自身がどうしてもぼやけた人間に見えてしまうのです。


 私は何のために生きているのか、何を目的に生きているのか。

 何のために物書きを終わらせるのか、その選択が一体自分の何のためになるのか?

 物を書く際は姿勢が大事とは言ったものの、私にとってどんな姿勢が大事なのか。

 結局、私はどんな自分を大事にしたいのか……。


 好きなものを好きでいようとするひたむきさ、守りたいものを守ろうとする強さ。

 わがままなのでしょうか。そのような性質を掲げることにも疲れてしまった自分がいます。

 目的を持ち、役割を背負うのが嫌なのです。そこに自由よりも先に責任を感じてしまうから嫌になってしまいます。

 それはつらいことです。本当につらいのは、責任を背負う人間には自分が何故つらいのかがわからないことです。

 何がつらいのか、何のせいなのかわからないまま、ただただ重いものがのしかかっていて苦しいと頭を抱えるだけなのです。

 何かを目指したいわけではない。何かを達成したいわけでもない。

 ただ自由になりたい。何も背負わない、他人にも自分にも要求されることのない自由が欲しい。

 楽をしたい。何の咎めもなしに楽をしたい。少しの間だけでも、悩みや苦しみから解放されたい。

 何も考えずにいたい。一切の判断を放棄し、何も手をつけなくてもいいのだと言えるだけの確信が欲しい。


 今自分が必要だと思っているものが、実は全て不要なのかもしれないと、ふとそんな考えが浮かびました。

 私が生きているこの世界では、あまりにも判断を求められすぎているように見えました。

 どうするのが最善か、どうすれば誰も傷つかないのか。そんな善意に押し殺されそうになっていました。


 頭の中で、「それよりもさらに大事なものは?」という問答を延々と繰り返しました。

 身も心も荒みきった結果、そこで正常に機能するのは、生きなければという本能だけのようでした。

 何の理由もなく湧き出るその先天性だけです。腑に落ちません、納得できません。

 要らないものを削ぎ落とした。だが、余計なものを削ぎ落としたその結果に心からは頷けそうになかった。

 真っ暗な世界でした。何も見えませんでした。そんな中で、本能だけが動いていました。

 せめて本能だけでも大事にできないでしょうか。全てを切り落とした世界で、ただ一つだけ残ったその存在を認めることは許されるでしょうか。

 せめて自分自身は、肝心の自分自身は許してくれるでしょうか。


 物を書きたいたいう気持ち、ただただ書いていたいという気持ち。

 物書きが心を表してくれそうだから、続けています。しかし書けば書くほど、表しきれないことにもどかしさを覚えるだけです。

 伝わりきらないことにつらくなり、自暴自棄になるだけです。それならばいっそ書かない方がましなのではないかと、そう思うほどです。

 はじめから答えは決まっていました。もう何も書かないことが私を楽にするのです。

 自分にはその答えしか確信できません。それでも、未だに書くことを止められません。


 「物書きとしての私は、一体何を求めているのか?」きっとそんな問いすら、私を疲れさせてしまうだけです。

 部屋を見渡すと、本棚には何十冊もの本が並べられていました。他人が書いた本たちは、どれも確かなものを書ききったという顔をしていました。

 「なぜそれほどの確信を持てるのか?」という疑念が、私の歪んだ自尊心を芽生えさせました。

 闇が見えています。目の前に闇が広がっています。問題に対してこれ以上の救いを与えるなという、一切の異論を認めない闇です。

 ああ、愉しくない。どれもこれも自信に満ちてはいるが、探究心が足りず、結局は浅はかで頼りげのないものばかりではないか。

 いかにも確かそうな文体でこちらに真実を突きつけているが、読んでみればどれも核心をついておらず、生ぬるいものばかりではないか。

 甘んじている。みな、自分が真理から離れていくことに妥協している。探求を止めてしまっている自分に納得し、そんな自分を正当化している。

 他者の不満に気づいてすらいない連中もいる。そんな連中が世界に溶け込んだような気になり、問題を遠巻きに見ることで、見せかけの平穏を保っている。


 ふと、そんな傲慢な言葉を吐く悪童が、私の前に現れました。知ったかぶりの小僧が、私の脇腹をつつきました。

 悪童の意地悪な笑みが、私の顔を占領し、私を愉しませてくれました。

 少しだけ気分が良いです。この見下すような愚かさだけが、私の罪悪感をほんの一時的にでも忘れさせてくれているようです。


 不意に、知らぬ人から電話がかかってきました。自動音声のアンケートです。

 「ご回答いただければもれなく特典をプレゼント」とのことでした。

 「馬鹿だな」と、口が反射神経で呟きました。それから何の思考も介さない嘲笑が、部屋に響き渡りました。

 馬鹿だなと思わせる以外に、何の内容もありませんでした。どうやら、それが今の私には本当に嬉しいようでした。

 「ありがとう」と感謝しました。私は自動音声の書き起こしを見つめながら、それに向かって聖母マリアのように両手を組みました。

 その日の私を愉しませたのは、愚かでありふれた自動音声でした。世界の愚かさを真正面から突きつけているような、少なくともそう解釈するだけの余地があるその存在でした。

 そうして、これほど何の恥らいもない悪は他にないだろうと高揚し、充分に高揚しきってから、私は自動音声の着信履歴を静かに削除しました。
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