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第一章 マーベリックのベッド
第四話 松田要
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「おはようジョシュア、よく眠れたか?」
「問題ない」
キッチンから慈愛に満ちた微笑みを向けるオリバーに、ジョシュアは嘘をついた。
過去を回想している間に本格的に目が冴え、そのまま朝を迎えてしまったのだ。オリバーが起きたのも気がついていた。タイミングを見計らってキッチンに顔を出すと、何も知らぬ男は料理をしながら朝の挨拶をしてくれた。昨夜の気まずさを感じぬ態度に、ジョシュアは不安を薄くしていく。
そしていつもの日常へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
その後も赤澤の行動は変わらず、ジョシュアも思い出しては荒れ、翌日に何食わぬ二人に戻るという日々を繰り返した。
ジョシュアはその度に罪悪感に駆られたが、オリバーは内心嬉しくて仕方なかった。
(昔のように私に甘えてくれている)
承認欲求が満たされ満足していた。ジョシュアも久しぶりの生活に意固地になって離れた12年分の甘えが出ていた。ほぼ依存に近いそれでも、お互いにとっては幸せ以外の何ものでもなかった。
だが、突如オリバーの幸せが崩れ始める。
「悪い。指導員を増やす。門司支社で研修を終えるまでの間だ」
ジョシュアの読みは当たった。仕事量が飽和状態になった赤澤から指導員追加の案がでた。
案といっても、もう増員メンバーは決まっていて、研修生からも意義がなく、直ぐに顔合わせにうつった。
「入ってくれ」
赤澤の声でミーティング室に入ってきたのは二人の青年。
「んじゃ、割り振りだけど──」
イギリス人のアルバート・ミラーはこの中でも最年少の月嶋春人、オリバーはそのまま赤澤が受け持ち、ジョシュアが──
「おう! よろしくな! 松田要だ!」
元気な声で自己紹介をした松田という日本人男性はジョシュアと抱きあった。
外国人特有の挨拶をすんなり受け入れた松田の見た目は若い。話し方も溌剌としていて、身振りの大きさが外国人と接してきた経験値の高さを物語っている。ジョシュアとほぼ変わらぬ身長で、真っ黒な天然パーマの髪、その下の笑顔、オリバーにとって嫌な香りがする。
壁を感じさせない笑顔と言うより、そもそも壁を感じない男だった──松田要は。
ジョシュアと似たものを感じ、オリバーは意識を奪われ赤澤の話を聞き逃した。
「オリバー?」
「……あっ、はい」
赤澤と向き合う。手元には件の大量のファイル。これを見ればまた先日のように荒れるかもしれないと横目で様子を伺う。
「ど、どうぞ」
ミラーの英国紳士っぷりを真似した月嶋と、その紳士による席の譲り合いが行われていた。笑って眺めるジョシュアに過去の怒りはない。そもそもオリバーたちの方が見えていない。
ようやく目が合うかと思ったが、松田ともう仲良さげに会話を始めていた。
「ジョシュアはアメリカではどんなことをしてるんだ?」
丁寧な会話から入る赤澤や月嶋とは違う喋りだし。しかし赤澤が話しかければ丁寧な対応。
相手に合わせて自分を変えることが出来ている。なにより、相手の心を直ぐに砕いていく。
「俺はアメリカで──」
ジョシュアは自身の仕事の話を意図も簡単に松田に教えている。
(嫌な予感がする……)
しかしそれは自分本位な感情だった。好きな男に近づく人間への嫉妬だった。
「オリバー?」
二度目の呼びかけに、ジョシュアと松田を頭の中から追い出した。
その後もやけに機嫌のいいジョシュアは、帰宅後も浮き足立っていた。
「明日から楽しみだ」
壁によりかかり、掌を合わせ口の前に祈るように持ってくる。そこにキスをして上機嫌を飛ばす。
「良い奴を見つけた」
「……」
「カナメ マツダ。きっと俺と気が合うぞ!」
「……」
「おい、聞いてるのか?」
「すまない。換気扇で聞こえなかった」
そう言うが、オリバーは換気扇を止めずにフライパンの中でソテーされるキノコから目を離さない。
「まあいいや」
ジョシュアはオリバーにもう一度説明することなく、文庫本を手にソファーに腰掛けた。
つま先がリズミカルにトントンと床の上で踊り、口角は上がったままだ。
(やはり、的中したな……松田要……厄介だな)
ジョシュアに似た、枠に捕われない性格は当たっていた。
二人が今日どんな会話をしたかは分からない。だが、ジョシュアにとって有益な話がなされたのは確かだった。
オリバーはジョシュアが松田をアメリカに引き抜くとかではなく、ただ単に自分の居場所が奪われる恐怖を感じていた。
今まででも何度かそういった気持ちにはなった。しかしようやくあの添い寝の日々が戻り、甘えてくれるジョシュアを失う気がして焦りに焦っていたのだ。
フライパンのキノコがはみ出る。それを拾う小さなトングは震えていた。
(いくつになってもジョシュアの隣を奪われるのが怖い)
気取ったポーカーフェイスの下では、幼馴染のまま足踏みをする姿。前に踏み出せず、今は後ろへと下がろうとしている。
(この研修が終わるまでだ)
グッと堪える。
赤澤は「門司支社の間のみ」と言っていた。二人は年内まで今いる門司支社で研修をし、その後は別の支社に移動する。赤澤は引き続き指導担当を担うが、松田と月嶋はそもそもの業務が違うため、引き継がない。
(耐えろ。夜になればあいつは私と寝る)
幼馴染の一線を超えることは無い。それでも今の立ち位置を死守できればそれでよかった。
オリバーの嫉妬とは裏腹に、ジョシュアはまだ頬を緩めて文庫本を捲っている。何度も盗み見てはその笑顔の真意を探る自分に嫌気がさし、オリバーは早急に調理を進めた。
「問題ない」
キッチンから慈愛に満ちた微笑みを向けるオリバーに、ジョシュアは嘘をついた。
過去を回想している間に本格的に目が冴え、そのまま朝を迎えてしまったのだ。オリバーが起きたのも気がついていた。タイミングを見計らってキッチンに顔を出すと、何も知らぬ男は料理をしながら朝の挨拶をしてくれた。昨夜の気まずさを感じぬ態度に、ジョシュアは不安を薄くしていく。
そしていつもの日常へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
その後も赤澤の行動は変わらず、ジョシュアも思い出しては荒れ、翌日に何食わぬ二人に戻るという日々を繰り返した。
ジョシュアはその度に罪悪感に駆られたが、オリバーは内心嬉しくて仕方なかった。
(昔のように私に甘えてくれている)
承認欲求が満たされ満足していた。ジョシュアも久しぶりの生活に意固地になって離れた12年分の甘えが出ていた。ほぼ依存に近いそれでも、お互いにとっては幸せ以外の何ものでもなかった。
だが、突如オリバーの幸せが崩れ始める。
「悪い。指導員を増やす。門司支社で研修を終えるまでの間だ」
ジョシュアの読みは当たった。仕事量が飽和状態になった赤澤から指導員追加の案がでた。
案といっても、もう増員メンバーは決まっていて、研修生からも意義がなく、直ぐに顔合わせにうつった。
「入ってくれ」
赤澤の声でミーティング室に入ってきたのは二人の青年。
「んじゃ、割り振りだけど──」
イギリス人のアルバート・ミラーはこの中でも最年少の月嶋春人、オリバーはそのまま赤澤が受け持ち、ジョシュアが──
「おう! よろしくな! 松田要だ!」
元気な声で自己紹介をした松田という日本人男性はジョシュアと抱きあった。
外国人特有の挨拶をすんなり受け入れた松田の見た目は若い。話し方も溌剌としていて、身振りの大きさが外国人と接してきた経験値の高さを物語っている。ジョシュアとほぼ変わらぬ身長で、真っ黒な天然パーマの髪、その下の笑顔、オリバーにとって嫌な香りがする。
壁を感じさせない笑顔と言うより、そもそも壁を感じない男だった──松田要は。
ジョシュアと似たものを感じ、オリバーは意識を奪われ赤澤の話を聞き逃した。
「オリバー?」
「……あっ、はい」
赤澤と向き合う。手元には件の大量のファイル。これを見ればまた先日のように荒れるかもしれないと横目で様子を伺う。
「ど、どうぞ」
ミラーの英国紳士っぷりを真似した月嶋と、その紳士による席の譲り合いが行われていた。笑って眺めるジョシュアに過去の怒りはない。そもそもオリバーたちの方が見えていない。
ようやく目が合うかと思ったが、松田ともう仲良さげに会話を始めていた。
「ジョシュアはアメリカではどんなことをしてるんだ?」
丁寧な会話から入る赤澤や月嶋とは違う喋りだし。しかし赤澤が話しかければ丁寧な対応。
相手に合わせて自分を変えることが出来ている。なにより、相手の心を直ぐに砕いていく。
「俺はアメリカで──」
ジョシュアは自身の仕事の話を意図も簡単に松田に教えている。
(嫌な予感がする……)
しかしそれは自分本位な感情だった。好きな男に近づく人間への嫉妬だった。
「オリバー?」
二度目の呼びかけに、ジョシュアと松田を頭の中から追い出した。
その後もやけに機嫌のいいジョシュアは、帰宅後も浮き足立っていた。
「明日から楽しみだ」
壁によりかかり、掌を合わせ口の前に祈るように持ってくる。そこにキスをして上機嫌を飛ばす。
「良い奴を見つけた」
「……」
「カナメ マツダ。きっと俺と気が合うぞ!」
「……」
「おい、聞いてるのか?」
「すまない。換気扇で聞こえなかった」
そう言うが、オリバーは換気扇を止めずにフライパンの中でソテーされるキノコから目を離さない。
「まあいいや」
ジョシュアはオリバーにもう一度説明することなく、文庫本を手にソファーに腰掛けた。
つま先がリズミカルにトントンと床の上で踊り、口角は上がったままだ。
(やはり、的中したな……松田要……厄介だな)
ジョシュアに似た、枠に捕われない性格は当たっていた。
二人が今日どんな会話をしたかは分からない。だが、ジョシュアにとって有益な話がなされたのは確かだった。
オリバーはジョシュアが松田をアメリカに引き抜くとかではなく、ただ単に自分の居場所が奪われる恐怖を感じていた。
今まででも何度かそういった気持ちにはなった。しかしようやくあの添い寝の日々が戻り、甘えてくれるジョシュアを失う気がして焦りに焦っていたのだ。
フライパンのキノコがはみ出る。それを拾う小さなトングは震えていた。
(いくつになってもジョシュアの隣を奪われるのが怖い)
気取ったポーカーフェイスの下では、幼馴染のまま足踏みをする姿。前に踏み出せず、今は後ろへと下がろうとしている。
(この研修が終わるまでだ)
グッと堪える。
赤澤は「門司支社の間のみ」と言っていた。二人は年内まで今いる門司支社で研修をし、その後は別の支社に移動する。赤澤は引き続き指導担当を担うが、松田と月嶋はそもそもの業務が違うため、引き継がない。
(耐えろ。夜になればあいつは私と寝る)
幼馴染の一線を超えることは無い。それでも今の立ち位置を死守できればそれでよかった。
オリバーの嫉妬とは裏腹に、ジョシュアはまだ頬を緩めて文庫本を捲っている。何度も盗み見てはその笑顔の真意を探る自分に嫌気がさし、オリバーは早急に調理を進めた。
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