黙っていれば優良物件

ベンジャミン・スミス

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第一章 ギルベルト・ライズナー

第三話 海

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 航に分け与えられた部屋は、廊下に面した一室だった。十畳以上もある部屋は、航の住んでいた部屋よりはるかに広い。廊下にはまだドアもあったため、一人ではもてあます家にギルベルトは住んでいることになる。
 業者によってベッドと段ボールが運ばれた部屋を見渡す。広すぎてベッドとテーブルがお粗末に見える。

「金持ちは違うな」

 航は通勤にも使っているリュックを置いて、ベッドに腰掛けた。ゆっくり今の状況を考える間もなくノックオンがする。

「入ってもいいかい?」

 強引なことをしておきながらギルベルトは丁寧だ。

「どうぞ」

 部屋に入ってきたギルベルトは手に小さめのタブレットを持っていた。

「これで撮影してくれる?」
「……」
「不服かい?」
「それは、まあ。だって急に裸撮れって言われても困ります」
「確かにそうだね。僕としたことが手順をだいぶ間違えたよ。でも、これは決定事項なんだ。君の仕事はこれ」

 そう言って両手でタブレットをテーブルにおいた。詳しい説明は結局なし。航はお高いタブレットを床にたたきつけたい衝動に駆られた。
 
「……失礼するよ」

 さっさと部屋から出ていけ、そう思ったが、ギルベルトの手は航に伸びてきた。
 そしてシャツのボタンを外さずに、裾から捲った。

「え? はああ?!」
「静かに」
「無理ですよ! 何するんですか?!」
「大丈夫。とって食うわけではない」
「いや、でも……恥ずかしいじゃないですか!」
「ははは。可愛いな」
「ッ?!」
「いい身体をしているね」
「お世辞なんていりません」

 露わにされた腹部は鍛えているわけではないので腹筋は浮かんでいない。しかし太っているわけではない、真っ平らなそこが晒される。ちょうど乳首が見えるか見えないかの位置でギルベルトは手を止める。そして捲った裾を航に咥えさせようとする。

「咥えてからカメラをもって」
「主任が撮ればいいじゃないですか!」
「それでは意味がない。さあ、早く。利き手は右かな?」

 王子が姫を誘うように手を取られる。なのに無理矢理タブレットを握らされる。

「角度は僕が合わせる。自撮りと分かるように伸びた腕を入れたいからもう少し腕を内側に――」

 ギルベルトはてきぱきと作業をする。その瞳は至って真面目で、彼の本気が伝わる。この男は本当にこの底辺部署を変えるために来たのだと、航は感心してしまった。

「天才は仕事を選ばない……」
「何か言ったかい?」
「いいえ。この角度でいいですか?」

 ギルベルトが部屋に放つオーラに航は絆されてしまう。黙って裾を口に押し込んだ。

「問題ない。では、シャッターを押してくれ」
「んっ……あれ?」

 口から袖がポロリと落ちて乳首がかくれた。唸りながら試行錯誤するが自撮りをしたことない航はなかなかシャッターを押せない。本体を支えてくれているギルベルトが航の後ろに回り込む。

「?!」

 航が手を伸ばすふりをして、ギルベルトがシャッターを押せばいいのに、彼はわざわざ航の後ろから手を伸ばし、一緒に自分撮りを手伝った。

「一緒に映っちゃいますよ?!」
「あとで加工すればどうとでもなる。君は一人でも撮影できるように練習したまえ」

 航が一人で撮影できるように指南しているつもりなのかもしれない。だが、鼓膜を揺らす低音と耳をくすぐる吐息のせいで、航は集中できなかった。

「捲るよ」

 シワになったシャツがもう一度捲られる。その時、指先が突起の先端に触れた気がした。

「んっ」

 ギルベルトは気にもとめない。

──カシャッ

 呆けている航そっちのけで、ギルベルトは撮影した画像を確認し、加工を施した。

「これでどうかな?」

 加工された写真にギルベルトは映っていない。航の顔も顎から下のみでプライバシーは守られていた。乳首は服から半分、しかも右のみだ。

「チラ見せでいいんですか?」
「ああ。片方だけ、しかもその片方も少しだけ見えていることこそが、閲覧者の想像力を掻きたてる。今日は暗めの写真だが、次は光を大目に取り入れてみよう。いい桃色をしている。きっと君のその突起はいいモデルになるよ」

 航は自分の乳首をまじまじとみた。確かに黒ずみのないピンク色だ。桜の花弁といい勝負かもしれない。

「こんな素人の撮影でそこまで映えるとも思えませんけど」
「素人だからいいのだ。プロの撮影だと、やらせ感が出てしまう。君たちの運営するサイトの人間は手の届きそうな相手を望んでいる。サクラと分かればそれだけで興奮が半減だ」
「確かに、それなら無料動画サイトのエロビデオで十分ですもんね」
「そうだ。このサイトだからこそ、手に入るものがある、という強みがなければ生き残れないよ」

 ギルベルトはタブレットをタップし長い指を素早く動かした。「完璧だ」と指をならし、タブレットを航に渡した。

「君のアカウントだ」

 航が液晶画面を見ると、そこには「海」といアカウント名で自社が運営するゲイサイトに登録されていた。

「どうして海なんですか?」
「君の名前の漢字は海を渡る意味を持つのだろ? だからだ」
「日本語お上手ですね」
「日本での生活も長いからね」

 ギルベルトは航の頭を撫でた。

「……あの」
「ん?」
「昔、本社でお会いしましたよね?」

 ギルベルトの手が止まる。航はぎくりとした。

「もしかして、俺のこと知ってるんですか?」
「西島さんの、何を?」
「何をって……」
「存在は知ってたよ。それ以外は知らないな」
「そうですか」

 ギルベルトはくるりと背を向ける。

「もう写真は投稿しておいたから。一日最低一枚はお願いしたい。そのタブレットは僕も使って逐一確認するつもりだ。だからこそ同居しているのだ。あと、他の社員にはこの仕事は秘密にしておくように。君はモデルから写真を拝借しているというていで」
「はい」
「よろしくね」

 彼は部屋を出て行った。仕事の熱が伝染し、思わず撮影を許した航だったが、急に羞恥心に苛まれる。仕事だ、仕事だと言い聞かせ、サイトを開く。

──海
彼氏がいない20代。誰かに体を見られたくて登録しました。仲良くしてください。

 ギルベルトが打ったであろう紹介文。彼が書いたとは思えない陳腐なもの。だが、そう思わせることこそが彼の策略だと知ったばかりだ。
 そして数年前、まだ航が新入社員だった頃、本社で一緒に勤務していた。当時の航にはギルベルトがとても輝いて見え、手の届かない男だった。だが、彼との思い出に良いものはない。その記憶に蓋をし、再び再会した男と、秘密の仕事が始まった。
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