こいじまい。-Ep.smoking-

ベンジャミン・スミス

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第九章 松田要と米国人

第二話 ジョシュア・ヴェネット

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 輸出課のオフィスは今日も各国の取引会社からの電話がひっきりなしにかかっていた。要のデスクも例外でなく、先ほど受話器を置いたばかりなのにまた電話が鳴る。すぐさま受話器をあげる要。

「Hello.──本城さん、中国の会社からです」

中国の企業からの電話は隣の本城へとつなぐ。本城はすぐさま紙とペンを取り出し、自分のデスクの電話に手を伸ばす。

「ありがとう。何番?」
「3番です」

3のボタンを押して要は電話を切る。そして横の本城が自身のデスクの電話の3を押す。

「你好」

本城が淡々と中国語を話し始めるが、何と言っているかは全く分からない。英語しかできない要には未知の世界だ。本城が電話を切ったあと、すぐさままた電話が鳴る。一息つく間もなかったため、小さくため息をついていたが、内線のランプが光っていた為、少し肩の荷が下り本城の頬が緩む。

「はい。輸出課の本城です。はい、お疲れ様です。……はい、います。少々お待ちください」

本城がこちらをちらりと見る。どうやら次は要宛への電話のようだ。電話番号は統一で、どこのデスクの電話に誰宛の連絡が来るかは分からない。

「松田君、内線」
「誰ですか?」
「支社長」

支社長、つまりこの日本支社のトップ。

(俺に何の用だ)

「お電話代わりました。輸出課の松田です。はい、かしこまりました、すぐに伺います」

緊急の呼び出しだった。要はすぐさま支社長室へ向かう。途中、トイレで身なりを整え、鏡を覗き込めば顔色が悪い。ここ最近、土日も出勤し、時間があれば仁に電話をかけた。繋がらない電話に、宛先不明で返ってくるメールと、要の精神はガリガリと削られていた。

(あいつメアド変えやがったな……)

それだけでなく、勢いで「別れる」と言ってしまった自分の愚かさにも参っていた。

「ふぅーっよしっ!!」

パンパンと頬を叩く。

「待ってろ……仁」

(必ず、お前のそばに戻ってやる)

身なりを整える為にお手洗いへ寄ったはずなのに、いつの間にか仁への誓いを胸に刻んで支社長室へ向かう。

 そこに自分と仁をさらに引き離す人物がいるとも知らずに。

 コンコンと軽く音を立ててノックをすると中から「どうぞ」と声が返事がして、深呼吸をしたあと「失礼します!」と扉を開け、一礼して入る。ここに入るのは出向初日以来だ。こんな短期間でまたここを訪れることになるとは思わなかった。顔を上げると、年配の支社長とこちらに背を向けて女の人が一人、高級そうなソファーに座っていた。支社長と女性は向かい合って座っていて、必然的に要と支社長は完璧に視線がぶつかる。

「申し訳ございません。お取り込み中でしたか……」

慌てて退出しようとしたが

「いや、君への客だ。入ってくれ」

と、支社長に手招きされる。出ようと開けかけた扉を閉めてソファーの前の方へ回り込む。
グレーの髪は、馬の尻尾のように細く後ろで結んであった。長さ的には腰までは及んでいなかったが長い。スーツは紺色で、首や袖から覗くシャツはオシャレなラインが入っていた。到底女の格好とは思いにくい。

(もしかして男か?)

顔を確認する前に、自分の客という人物は立ち上がり、要の方へと向き直った。そしてニヒルに笑った客に息を呑む。

「久しぶり、要」
「ジョシュア?!」

要の客人とは、懐かしい研修生だった。

「元気だったかい?!」

ギューっと抱きつかれて外国人特有の歓迎をされてしまう。思わず引き離してしまいそうになった。

ジョシュア・ヴェネット。要が東亜日本貿易会社にいるときに研修生としてアメリカからやってきた。要が指導担当で、職場だけでなくプライベートでも仲が良かった。合コンもしたことがあり、ヴェネットはそのままCAさんをお持ち帰りし、要は心底悔しがった。そんな昔の事を思い出す要だったが、既に研修を終えてアメリカに帰国していたはずだ。そんな人物が今更自分に何の用があるのかさっぱりだった。

「元気だけど、すごく驚いてる!」
「だろうね。いやぁ無事に出向できたみたいでよかったよ!」
「はっ? 無事に出向?」

危険地域からの脱出のような言葉に要は固まり、ヴェネットは更に口角をあげる。

「どうだい?なかなかビックリしただろ?」
「お前のせいだったのか!!」

ビックリどころの話ではない。意図も簡単に出向が成功し、満足そうな表情だったが、それが何人の人間を不幸にしたか分かっていない。

「ちょっと二人きりで話をしないかい?」

ヴェネットが支社長の方をちらりと見ると、確かにさっきから支社長が蚊帳の外で可哀想なことになっていた。

「四階の小会議室が空いていますよ」

気まずそうに指遊びをしていた支社長が空いている部屋を教えてくれる。支社長が丁寧な話し方をする事に違和感があったがしかし、ヴェネットの登場、出向の原因などが重なり、そこまで重く受け止められなかった。そして要の背中を押し、二人で支社長室を出る。四階まで行く間、ヴェネットを上から下まで見る。190cm近くはあるであろう身長に、高級そうなスーツ、ブランド物の腕時計を着けていた。そのせいか研修生の時とは全くオーラが違ってしまった。

「どうかした?」
「あっ、いや。っていうか、アメリカに帰ったんじゃなかったのか?」
「研修の後帰国したよ。でも今回は君に話があってきたんだよ!」

むしろ要の方が聞きたいことはたくさんあった。むしろはっきり問い詰めなければならない。なぜ要の出向にヴェネットが関わっているのか。

 小会議室に入り、電気をつけ、もう一度このアメリカ人と向き合う要に腕を広げるヴェネット。

「では、もう一度……久しぶりに会えて本当にうれしいよ要!」

本日二度目のハグをされる。

(もう勘弁してくれ)

ヴェネットの背中をポンポンと叩いたが、それは歓迎の意と捉えられてしまう。

「何かカジュアルになったな」

研修生の頃のピシッとした感じはなく、どちらかというとファッション系の会社にでも務めているのかと言いたくなるような出で立ちで、髪の毛もこんなに長くはなかった。

「まぁ、あの研修は父親からの武者修行みたいなものだったからね!」
「父親?」

(何のことだ。そもそも……)

「支社長が畏まっていけど、あれは何でだ?」
「ああ、俺が本社で少し地位があるからだろう。それに前は、社長の息子だったし」
「社長の息子?!」
「もともとは、USAーV貿易会社の社長の息子だ。研修のあとすぐに吸収合併でサンライズ貿易会社に組み込まれてね。でも、父も重役についているし、俺自身も次期候補だ。今は社長の秘書をしている」

良い役職を貰えたとは言うが、どこか悲しそうな顔になる。この件に関しては彼の苦悩があったに違いない。しかし、彼が悲しい顔をした原因はこれだけではなかった。

「いや、訂正しておこう……元社長の秘書だ」
「そういえば亡くなったらしいな」
「知っていたのか?」
「そりゃ出向になった時、少しは調べるだろ。ただ、研修の時はピンチヒッターでジョシュアの履歴書に目を通していなかったから、通してたら直ぐに解決したのに」
「ぬかったね。しかし、きちんとサイモン社長の事まで調べていたのには拍手を送るよ」
「調べたらすぐに出てきたぞ」

 この会社を調べた時、一番最初に検索に引っかかったのは、社長であるガスパール・サイモン氏の不慮の事故による死去だった。しかし、そんな大物と自分に関係があるわけがないと思い、記憶の隅に追いやったのだ。

「でも、それと俺の出向の関係性が全く見えないんだけど」
「まぁ落ち着いて、ちゃんと説明するから」

ヤレヤレというジェスチャーをしている。

「要、折り入って頼みがある」
「頼み?」
「ああ」

急に真面目な研修生の頃を思わせる顔付きになり、色素の薄い瞳が要を見つめる。その目には野心のような、何か熱いものが宿っているように見えた。

「俺と一緒にアメリカに来て欲しい」

ヴェネットは、現在、会社がトップ不在ということ、そして跡目争いにより、内部で派閥ができ始めていることを話してくれた。自身も後々は重役の空席を狙う予定だと、そしてそのためにも自分の周りをきちんと固めておきたいという。そして、アメリカで彼を支えるメンバーの一人に選んでくれているとうことも。

「……」
「どうだろうか?」
「どうって……そんな急には」

出向したのはきっと、自分に至らない点があったからなのだと思っていた。部長たちはそれを必死に隠しているのかもしれないと何度も思った。けど、本当に部長たちも、知らなかったのだ。

「俺は君の仕事に関する能力はとても高く、素晴らしいと考えている。なによりあの研修期間で君と貿易の未来について語り合ったのが忘れられない。俺と同じ幅広い視野と野心が備わっている。もちろん語学面でも文句なしだ。、信頼もできる。君に是非ともアメリカで俺を支えて欲しいんだ」

褒められて凄く嬉しい話なのに、要の頭には全然入ってこない。それよりも言い知れぬ恐怖に苛まれて足に力が入らない。規模があまりにも大きすぎる話に頭がついていかない。

「俺じゃなくても他にもいるだろ?」
「日本人では要だけだ」
「日本人じゃないといけない理由は?」
「俺はアメリカ人にとらわれる必要はないと思っている。弊社は貿易会社で、あらゆる国に網をはる。ならば、仲間も国籍にとらわれる必要は無いだろ?」

 要は、この計画を若者らしいグローバルな考えだと関心する。しかし、それを感心のみで聞けるのは自分が第三者という部外者だった場合のみだ。
 今回は部外者ではなく自身に降りかかる問題だ。

「勿論タダでとは言わない」

会議室の電話の横に備えられているメモ用紙を一枚とり、数字を書き出し、そして最後に達筆な筆記体でサインをしている。

「これでどうだ」

そこには今の二倍の給与の額が記載されていた。

「必ず約束する。俺のサインも入れておいた。きちんとした書面でないのが申し訳ないが」
「さすがにお金積まれても」
「別に金で君を買おうと思ってはいないよ! これだけの金額を貰えるだけの役職についてもらうという話だ」

大金の書かれたメモ用紙をギュッと握る。

「それだけではなく、出世コースにものるだろうし、君には悪い話ではないと思うけど」

 誰が聞いても魅力的な話だ。この若さで、アメリカにキャリア組として渡米、破格の給与が与えられて、やりがいのある仕事を続けることが出来る。

「でも、こんな俺じゃ……」
「謙遜だね、君はこっちに出向してまだ少しだが、もう既に一つ契約が取れそうなんだろ?」
「インドの方だけど」

しかしこれは要が一から築いたものではない。アジア地域に強いと分かり、友添が勝手に電話を変わったのだ。あちらの企業はもともとこの会社に委託するつもりだったようなので要でなくても可能だった案件だった。

「大丈夫。功績があれば問題ない。引き抜くには十分だ。そのために一度こっちに出向してもらっているんだよ! さすがに一気に本社へとまでは行かなくてね!」

(いやいや、今回の出向もどうかと思うぞ。みんな怪しんでたし)

「で、君の答えは?」

どんなに魅力的なものを積まれても、要にはYESとは答えることができなかった。お金、地位、名誉、確かにほしい。けどそれを手に入れても満たされない。それはそれらが一番欲しいものではないから。一番欲しいのは

——仁……

 アメリカに行けば、もうどうすることも出来なくなる。国内にいる今ですら別れてしまった要と仁。やり直すのにどれほど時間が掛かるか分からない。それなのに外国ともなればその望みすら絶たれてしまう。普通の人間なら日本に残るか、それともアメリカに行くかで悩むはずだ。しかし頭の中はどうやって断って、仁とやり直すかでいっぱいだった。そしてもし、やり直すことができたあかつきには……

(俺はアメリカに行くか……行かないか。違う、それよりどうやってもう一度付き合うかだ……)

 しかし、やり直せたとしてもアメリカに行けばまた同じことを繰り返す可能性は大いにある。

(仁をアメリカに……)

無謀な考えが頭に浮かぶ。必死に思考を巡らせる要に、ヴェネットは何を勘違いしたのか

「ふぅー。要、すまない。そんな難しい顔をさせてしまって」
「あっ、いやごめん。俺こそ考え込んでて。この話って、いつまでに答えだしたらいいんだ?」

不敵な笑みを浮かべられ、嫌な予感がする。

「今すぐ……だ」

要は唇を噛み締めた。

「アハハ! 嘘だよ!」
「はっ?」

 要の表情を楽しみ、ジョシュアは机をバンバン叩いて笑いだす。

「一週間だ」
「一週間……」
「一週間後、また来るよ。その時に答えを聞かせてくれ」

ヴェネットは片手を上げて「See you again.」と言って会議室から出て行った。要は脱力して床に座り込み、遠くなった天井を仰ぐ。

「1週間て、短すぎだろ。その間に決めるなん無理だ。そもそも俺には仁が……いや、別れたけど……でも……」

──やり直したい

「アメリカより仁だ」

この一週間が最大の勝負になる。ポケットからスマートフォンを出す。残念ながら仁からの連絡はひとつもないし、試しにもう一度メールしたがやはり宛先不明で返ってくる。

「あぁーもう!」

(せめて、元気かどうかだけでも知りたい)

門田との電話を思い出す。階段から落ちていた仁を門田は大したことは無いと言っていたが、門田自身が本人に会ったわけではない。もしどこかケガをしていたら……そんな心配が要を埋め尽くす。

「くっそ」

立ち上がり、せっかく整えた髪をガシガシと掻きながらオフィスへと戻る。そしてデスクの卓上カレンダーを手にとり、頭の中でスケジュールを組む。今日は月曜日で、平日に福岡に帰ることは不可能だ。どうスケジュールを組んでも土日しかない。パソコンですぐさま新幹線の予約をとる。

(会って、謝って……)

その後をどうするか考える前に要のデスクの電話が鳴る。少しイライラしながら受話器に手を伸ばす。
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