こいじまい。 -Ep.the British-

ベンジャミン・スミス

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第一章 Unrequited love

第一話 アルバートと春人

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 湯気が立つカップに息を吹きかけながら春人はリビングへ慎重に歩き出した。心配しながらついていくアルバートは、リビングのウッドテーブルにカップを置いた。横では黒いノートパソコンがジジジと音を出している。
 辞書と書類がアルバートの性格を表す様に綺麗にまとめてある。これが春人なら辞書は床に落ち、書類は散乱していただろう。
 椅子に姿勢よく座ったアルバートが紅茶を一口飲みながら、パソコン画面を見つめた。
 真剣な眼差しに春人は恐る恐る声をかける。

「仕事?」
「ああ」
「……ごめん」
「何故君が謝るのだ?」
「僕が家に来たからだよね?」
「昨夜ここに君を誘ったのは私だ」

 アルバートが立ち上がり、春人からカップを奪う。そして、ゆっくり抱きしめ、耳元で低く囁いた。

「会社であまりにも可愛い君を見て、我慢が効かなくなったのは私の方だ」
「あれは棚の位置が高くて……」

胸の中でモゴモゴと言い訳をする春人。

 昨夜、会社でファイルを直そうと背伸びしたところ、後ろから背高いアルバートにファイルを取られてしまった。アルバートは助けたつもりだったが、あまりの恥ずかしさで赤面した春人はそのまま俯いてしまった。

何も言わない春人、そして誰もいないオフィス。アルバートは俯くその顎を取った。持ち上げたそこには「ああ」と思わずため息が漏れてしまうほどの表情があった。
 火照った表情、濡れた瞳、理性を擽るのは簡単だった。

「だから、君が気にする必要はない。あの表情に誘われた私が悪かったのだ」
「そ、そんな事……」

 本当は背中に触れるアルバートの体温、至近距離で香る体臭、そしてさらっと助けてくれたことに興奮してしまったとは口が裂けても春人は言えない。しかし、背の低い恋人の自尊心を傷つけ、恥ずかしい思いをさせた上に、その姿に欲情した自分を責め続けているアルバートに春人はこれだけは伝えた。

「僕もしたかったし」

と、本心を伝えながら顔を上げる。視線が合った瞬間、アルバートの眉間に皺が寄り、余裕が隠れてしまった。

「いけない子だ、春人」

 昨夜の既視感が広がり、水色の瞳が欲を押さえようと視野を狭めたが遅かった。それより先に春人がアルバートの背中に腕を回し、その手から熱を伝えてくる。
 パソコンが二人に触発されたかのように上がった熱を冷まそうと音を上げる。
 だが、もうその音は届いていない。

二度目の恋人との甘い時間の訪れを予感したが……

——ブー、ブー

「あっ、僕だ……村崎部長?」

春人のポケットでスマートフォンが震えた。
二人の間に冷たい空気が入り込む。
 そして春人が口にした名前にアルバートは更に緊張した。

「もしもし、月嶋です!」

 電話の内容は聞こえないし、盗み聞きする様な無粋な真似はしない。

「はい、はい……ありがとうございます!」

 数回返事をして笑顔になる春人。
ただの上司と部下の電話だ。気に病む必要はない。しかし、春人にとって村崎は特別だった。それを知っているからこそ、アルバートは気になってしまう。

「では、失礼します!」

電話を切った春人はいたく上機嫌で、喜びを表すかのように背伸びをした。

「褒められちゃった!」
「良かったではないか」

無理に笑うアルバートに、春人は抱きついた。

「アルバートの事」
「私?」
「うん! 研修の記録簿、よくできていたって!」

 研修の記録簿、二人の今の社会的関係を表す物。
 研修生と指導員、それが二人の関係だ。指導員が……

「それは私ではなく、春人の指導が素晴らしくて褒めたのではないか?」
 
 海外研修生を必死に指導する若き指導員月嶋春人がムッとする。

「アルバートの事も褒めてたよ! 恋人が褒められると嬉しいよね!」

(ああ、それであんな表情を……)

 急に安心感が芽生えるアルバート。
そして、スマートフォンの画面を見つめる春人の瞳は熱を帯びていなかった。それは、春人の恋が一つ終わったことを示している。

——春人にとって村崎は、片想いの相手だったのだ……



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