こいじまい。 -Ep.the British-

ベンジャミン・スミス

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第一章 Unrequited love

第二話 月嶋春人

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 二人が出会ったのはまだ青紅葉が清涼な風に揺れる九月だった。
残った夏の海風がべたつく福岡県の門司もじ。門司港と対岸の山口県が一望できる建物に春人の勤務先はある。

「おはようございます!」

 元気よく出社した春人は22歳。
ここ東亜日本貿易会社門司支社の新入社員だ。若々しい黒髪に、165センチという高身長とは言い難い背丈。しかし、必死に努力する姿と可愛らしい顔つきに女性社員には定評がある。年配の女性から、若い女性にまで人気だ。

「おはよう月嶋!」
「おはようございます松田さん!」

 隣のデスクの男は春人の教育係の松田。
歳が一つ上で、仕事においては語学に長けており面倒見も良いため春人の教育係を任されている。
 一つ欠点があるとすれば……

「今日、昼飯一緒に食わねえ? あっ、女性社員もいるけど大丈夫?」
「いいですよ!」

 快諾した春人。それを聞いて、別のデスクの女性社員と、その女性社員にアプローチをかけられると内心喜ぶ松田が心の中でガッツポーズをした。

「もう告白したんですか? 昨日飲み会って言っていましたよね?」
「ああ。あれは会社の子じゃなくて別の合コン」
「アクティブですね」

 教育係松田の欠点はそのチャラさだ。
本人は「付き合ったら一途だぞ」と言うが信憑性はない。
 そして松田と話しているうちに始業の時間が迫っていた。

「村崎部長いないですね」

 春人が真ん中の部長席を見つめて呟く。

「ん?確かに。ああ、そっか!」

 思い出したように松田がミーティングルームに視線を送る。

「今日海外研修生が来るからあそこで事前打ち合わせしているんだろ」
「そんな事言っていましたね」

と、春人はどうでもよさそうな反応をした。
実際、海外研修生などどうでも良かった。
——村崎部長さえ出勤していれば。

 しばらくするとミーティング室の扉が開き、五人の男性が出てきた。
春人が待ち望んでいた男が先頭だ。
 村崎をトップとするここインテリア事業部の社員が一斉に前を向く。

「おはようございます」

 茶色の短髪が揺れて一礼する。それに合わせて社員も朝の挨拶をする。
 春人は熱い視線を送るが目が合う事はない。そんな村崎の視線は彼の横に並んでいる四人の男たちへと移る。
 一人は人事・広報部の赤澤で、春人も何度か見た事がある人物だ。
 だが他三人は知らない。それもそのはずだ、何故なら彼らは……

「本日よりイギリスとアメリカから三人の海外研修生を三名迎える事になりました」

——海外研修生だからだ。

 赤澤からの研修に関する説明と研修生の自己紹介の間も春人はずっと村崎に熱視線を送っていた。

「!」

 視線が合った。
しかし、村崎は気まずそうに逸らす。
彼は春人が向ける思いの正体を知っている。
本人から聞いたからだ、告白という形で。
それは恋。
 同性愛に偏見はないが、自身が既婚者という事もあり気持ちを受け取る事は出来ない。加えて同じ部署の部下だ。
毎日朝からこれでは村崎の身は持たない。仕事が始まるまでの辛抱だと自分に言い聞かせて今はグッと耐える。

「では、期間中よろしくお願いします」

 赤澤の説明が終わり、研修生が各々のデスクへ向かう。
 そして始業開始。村崎は赤澤とミーティングルームに引っ込んだ。
 扉が閉まってすぐ赤澤がクツクツと笑う。

「なるほどな。あれは大した新人だ」
「笑いごとじゃない」
「かなり村崎にお熱だな。……悪い。村崎部長にお熱だな」

わざわざ役職をつけて言い直した赤澤。それは彼らが同期であり、そして村崎が先に昇進したことを表している。

「でも仕事はできるんだろ?」
「それはお前も知っているだろう」
「そうだな。くくくっ、今年度の逸材だよ月嶋は」

 押し殺して笑う赤澤と村崎が春人にあったのは今年の四月、本社がある千葉県だった。
部長にも関わらず新人研修を任された彼は、初日にとんでもないルーキーを射落としてしまった。

「期待のルーキー……呑み込みも早く、態度も真面目、仕事に向ける情熱はとても良く模範生だ。なのにどうして俺なんかに」
「だから言っただろ? 「逸材」って。簡単に言えば変わり者」
「お前、そういう意味で言っていたのか。」

 人事として、新人の赴任先を決める為に千葉に赴いた赤澤。そこで見た光景はとんでもなかった。
——期待のルーキーに愛の告白をされた同期・村崎和也がいたのだから。

「優しすぎるだけの男の何がいいんだろな」

さっぱりだと肩を竦める赤澤。その横で優しすぎる男が重いため息を漏らした。

「俺、そんなに優しすぎるのか?」
「ああ。超がつく程な。月嶋にだって言われたんだろ?」

 春人の告白理由はありがちな理由だった。
指導の的確さ、懇切丁寧なその性格、そして爽やかな見た目。
彼にとって相手が既婚者の同性だろうと惚れる要素が三つ揃えば恋に落ちるには十分だった。

「本人にも断る時に言ったが、一時の気の迷いじゃないのか?」

 好意を抱かれたと認めたくない村崎が、告白されたにもかかわらず現実から逃げようとする。それにこれなら春人も傷つかずに諦めると思ったのだ。その様子をみた赤澤が人差し指を突き付ける。

「失礼ですがね部長様。そういう断り方が超がつくほど優しいって言うんですよ」

と、皮肉の様に言われた自身の性格に村崎は何も返すことが出来ない。
「図星か」と言う赤澤を置いて先にミーティングルームを出る。
すでに仕事に精を出す社員達。
その中でも一際動く春人。好青年な彼にすり寄る女性社員はごまんといる。
 「誰でもいいから月嶋を落としてくれ」と、心で願いながら村崎も仕事にとりかかった。
 そして昼休み女性社員を連れ立ってオフィスを出て行く春人に先ほどの願掛けをもう一度行う村崎がいた。


 ◇        ◇       ◇

 社内食堂で春人と松田、そして女性社員三人と食事をとる。

「月嶋君、いっぱい食べるのね」

 食欲旺盛な春人は大盛り定食に、うどん付きだ。

「まだまだ食べ盛りなんだね。」
「はい!」

笑ってごまかし、あとは食事に集中する。
横に座る松田は、もう一人の女性と話し込んでいる。彼女がお目当てのようだ。

「仕事慣れた?」

話しかけられてしまえば答えるしかない。口内にいっぱいのうどんを咀嚼し押し込む。

「なんとか」
「新人研修で一番優秀ってきいていたけどどうなの?」
「それは……」

そのような事、自分では分からない。隣の松田に目配せをすれば、目をぱちくりとさせた。

「え? 何?」

かなり話し込んでいたようだ。
隣で会話する春人はいないも同然だ。

「月嶋君よ! 仕事の調子どうなの? 松田君、教育係でしょ?」
「ああ、それか。よくできるよ。俺、全くいらないよな?」
「そんな事ないですよ! まだ教えてもらう事ばかりです。」
「よく言うぜ。何でも一人でして、さっさと村崎部長の所に持っていくくせに」

「偉いね」「凄いわ」と女性社員は口々に言うが、別に仕事が早いわけではない。
 少しでも村崎と会話がしたいのだ。

「そういや、新人研修の担当、村崎部長だったんだろ? いいよなあ……俺の時は函館支社のおっかない人で最悪だった。」
「最初の三週間だけでしたが、とても優しい人でした!」

 思わず表情が綻んでしまう。それを「可愛い」とはしゃぐ女性社員の黄色い声は届かない。
春人はあの三週間を思い返していたから。



 四月初め、まだ勤務先が決まっていない新人たちは千葉県の本社にいた。
ここで貿易実務のあらかたの指導を受ける。
 研修初日、スーツに身を包んだ春人は村崎和也と出会う。

「門司支社に勤務しています。村崎和也です。今日から三週間指導を行います。よろしくお願いします」

 爽やかな風貌に研修室の女性社員が一瞬ざわついたが、その後、左手の薬指に煌めくリングを見てため息をついていた。それは春人も同じだった。
 目眩が起こるほど動悸がし、胸が苦しくなった。
しかしその原因が何か分からないまま研修は始まってしまう。
もうこの時、恋に落ちていた事も気がつかぬまま。
 そして丁寧な指導は教師以上だった。博識、そして分かりやすい説明。このような人が上司だったら最高だと思わせる。
 だが、必死に食らいついても自身の理解不足が酷ければ意味がない。
その結果、「分からない事があれば、研修後も控室に居るのでどうぞ」と言う彼の善意に甘える事にした。

 その後、研修を終えて指導員の控室へ行くと茶色の頭髪を見とめる。声をかけると「熱心だな。」と喜びながら、別の部屋へと移動した。
そこで更に丁寧な指導を受けた。まるで自分にだけ向けられているかのような行為に優越感に浸ってしまう。褒められるたびに嬉しくなる。

「月嶋は呑み込みが早いな」

 研修では見せなかった笑顔で言われた賛辞が決定打だった。
 心臓が落下する。安直だが、あの時の感覚はこれに近い。あれが誰かに心を落とされる瞬間なのだと知った。

──一目惚れだったのだ。

「村崎さんが好きです」「……」「好きなんです」「俺は既婚者だ」「でも好きなんです。駄目ですか? 優しくて、笑顔も素敵で本当に好きなんです」

 一目惚れした男の語彙力のない告白。
いつの間にか椅子から立ち上がっていた春人が詰め寄る。
しかし、村崎も距離を取った。

「それは……一時の気の迷いじゃないのか?」

認めたくないのか必死にあの手この手を使う村崎に「好き」だと言い続けた新人研修時代。それは受け入れてもらえず、彼は指導者としての期間をこなすと門司支社へと戻っていった。
 研修期間が続くその後も忘れられず、春人が勤務地に選んだのは地元北海道ではなく福岡県の門司支社だった。

そして人事発表の日、まさか部署まで同じになるとは思わなかった。しかも上司だ。

——それからも彼の片想いは続いている。
勿論今も……。

「本当に素敵な人ですよね」

 素直な気持ちが口から零れる。それが淡い思いとは知らない一人が声を上げた。

「素敵な人といえば……研修生もかっこよかったですよね!」

 松田の狙う女性社員の興奮した声。
他は賛同し、松田は眉間に皺を寄せ、春人は首を傾けた。

「やっぱり外国の人は堀の深さが違うわよね! でも月嶋君の可愛い顔も素敵よ! ついでに松田君も!」
「ついで……」

 落胆する松田。そして未だに研究生の顔が思い出せない春人。

「ヴェネットさんもよかったし、ダグラスさんもかっこよかったわ!」
「でもやっぱりミラーさんかな?いくつなんだろ?」
「結構いってそうよね。それこそ村崎部長くらい」

 その単語に再び春人の意識は持っていかれる。心を掻き乱す魔法の言葉に頭がクラクラして研修生の事などどうでもよくなった。

「そろそろ戻るか」

食後だというのに覇気のない松田の声かけにみな腕時計を確認し、片づけを始める。

オフィスへ戻り、村崎を見つめた後、ちらりと視線を動かす。
 プラチナブロンド、オレンジがかったブラウン、グレーと日本人離れした髪色が目に留まる。だが、三人とも資料作成で、その頭が上がることはなかった。
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