こいじまい。 -Ep.the British-

ベンジャミン・スミス

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第三章 Love matures

第二話 ラブホテル

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 本殿は若者で賑わっていた。

「若い人が多いな」
「受験シーズンだもんね」

 学問の神を祀るここへは毎年多くの受験生が殺到する。

「でも僕たちはもう関係ないから仕事の事かな。んー、業績アップ? あっ」

 学問に関係ないどころかとんでもない事に気が付いた春人が短く声を上げた。

「?」
「アルバートってキリスト教?」

 本殿に向けて遠い目をしたその視線が答えを物語っていた。

「ごめん! うわー、やっちゃった。怒られちゃう?」

 誰に怒られると思っているのか、変な事を気にする春人に苦笑いが零れる。他にも外国人観光客は周りにいる。楽しむ為なら問題ないとも思ったが一応「では素晴らしい日本の建築物に礼を言うとしよう」と、これを日本の神に伝える事にした。

「本当にごめんね!」

 そう言いながらお願いし始めた春人の横でアルバートも手を合わせた。
 目を瞑った瞬間、暗闇に浮かんできたのは、今日を楽しませてくれた横の日本男児。

(天罰が下るかもしれない。でも今だけは……)

——この恋が成熟しますように。

と、願いを込めて頭を下げた。
アルバートが目を開けると、春人はまだ何か祈っていた。「さてと。戻ろうか!」と、顔を上げた時には強く力んで願ったのか顔がほんのり色づいていた。

「この後どうする? 一応、これで帰るつもりだったんだけど」
「この前博多の方へ行きたがっていただろ?今から行くかい?」
「え? いいの?」
「ああ。買い物があるなら付き合うよ」

 乗り換えで博多を利用するついでに二人はこのまま買い物をして帰ることにした。
 博多へ行き、春人はあまりのビルの高さに上を向きっぱなしだ。人とぶつからないようにアルバートがエスコートしていく。そして駅から離れて散策しているうちに、いつのまにかオフィス街に紛れ込んでいた。

「春人、こっち」

 路上に並んでいる自転車にキョロキョロしている春人が衝突しかけ、アルバートが自分の方へ引き寄せる。
腕を掴まれた春人は、アルバートの体温を急に感じ、聴覚も溶かされかけていた。
 アルバートは何かを耐えるような表情の春人を訝し気に見つめる。

「どうかした?」
「名前呼ばれるのって嬉しいね」
「そうだな。春人も、アルバートでなくアルって気軽に呼んでくれて構わないよ」

 小さく開いた口が「それって」と愛称の特別感を必死に理解しようとする。

「会社では君だけだ」

 特別な呼び名に、喜びが隠せず笑顔として溢れ出る。名前一つで縮まっていく距離と、独占による微かな優越感に気温が二度くらい上がった気がする。

 しかし、実際は下がってきていて、幸せな二人を追いかける様に暗雲が背後から迫っていた。

——ゴロゴロ。

「?」

 大気を震わす音が轟き、寒空を見上げるといつの間にか灰色がかっていた。そしてひんやりとした天からの恵みが頬に落ちて伝っていく。

「雨だ」

と、気付いた時には極寒のシャワーが降り注ぎ始め、慌てて雨宿りできそうな場所を探すが、オフィス街故に入れそうなところはどこにもない。しばらくするとカフェを見つけたが、その時には飲食店に入店できるような恰好ではなかった。

「困ったな」

 アルバートが大きな手の傘を春人の頭に乗せてくれていて、指から滴る雫の先に春人はとんでもない物を見つけてしまった。思わず「ホテルだ」と漏らしてしまい口を噤んだが、雨音の隙間からアルバートはきちんと聞きとっていた。

「そこで雨宿りしよう。でないと風邪をひいてしまう」
「で、でもあそこは!」

 アルバートから見れば、目の前の建物は塗装の剥がれた壁をそのまま残した古風な建物に見えていたかもしれない。しかし春人から見ればそれはいかがわしく、中の派手な内装をカモフラージュしている様にしかみえない。唯一カラフルな看板は下品な色をしている。
 足取り重くなる春人を疲労困憊だと勘違いしたアルバートはタッチパネルで部屋を選ぶ仕様に違和感を持つことなく受付を済ませてしまった。
 選択した部屋に入り、もう一枚の扉が現れ、アルバートの眉間に皺が寄る。そして部屋の内装をみて更に皺を深くした。だが、黒髪からポタポタと雫を落とす春人の為にタオルを探す。
その間も春人は緊張で足が竦んでいた。握ったズボンからは水が浮き上がってくる。足元にできる小さな水溜りに視線を落としていると、ふわりと柔らかい物に包まれた。

「大丈夫かい? 座ろうか?」
「?! ……べ、ベッドに?!」

 ソファーを通り越して奥の大きなベッドを凝視する。

「眠いのかい?」
「え? あ……違うのか」

 意識し過ぎてとんでもない勘違いをしてしまい、再び視線を落としてしまう。狭い視界を頼りにソファーまで歩き、濡れないようにタオルがひかれた革張りのそこへ腰を下ろす。大きく沈んだが、何故かそれに反発してしまう。そんな無駄な抵抗を春人がしている間に、アルバートは優しく髪を乾かしてくれていた。
 俯いている春人から視線を外し、部屋の中をグルリと見渡す。何度か泊まったことがあるビジネスホテルとは内装が全く違う。

「日本のホテルにしては派手な印象を受けるね? パーティーでもするのかい?」

 タオルの下で、春人の肩が跳ねる。

「それに無人のホテルとは……さすが日本だな。ん?」

 ようやく目があった春人はアルバートを不思議そうに見つめていた。

「ここ、ラブホテルだよ」

今度はアルバートが不思議そうな顔をする番だった。

「Love」
「うん。」
「ホテルだろ?」
「そうだけど……用途がちょっと違うの」
「パーティー?」

 どうしても言いたくない春人だったが、アルバートは全く理解が出来ておらず、興味津々な表情をしている。そんな彼に残酷だが現実を突きつける。

「ここ、エッチするホテルなの」
「H?」

 綺麗な発音の八番目のアルファベットが返ってくる。はっきり言ったはずなのに、更に言わねばならないのは苦しい。何度も目を泳がせこれなら分かるだろうという単語を必死に探す。

「せ、せ……」

 この続きが出てこない。これを言えば、確実にアルバートを意識させてしまう。まだ付き合ってもいないのにそんな関係になってしまうのは春人の中では複雑だった。そもそも男同士での行為の仕方を知らない。
だが、首を傾げるアルバートに急かされ、必死に喉の奥から声を振り絞った。

「セックス」
「性別?」

 直訳したあと、ハッと息を呑む。まだ答えに辿り着かないアルバートもさすがに気が付いたようだ。「性別……じゃない方の意味かい?」と恐る恐る聞き返してきた。
 それに黙って頷く春人。ごり押しで「Make love.」と付け足すとアルバートが外国人らしい頭を抱えるリアクションをとった。
悲壮感を漂わせ漏れ出る英語が、アルバートの落ち込みようを物語っている。

「知らないの? ラブホテル」
「もし日本文化が伝来してイギリスに建ったとしても知らないだろうね。一生無縁の代物だ」

 ラブホテル文化が浸透している日本人がキョトンとしているので、アルバートはタオルで拭くのを再開しながら説明した。

「いかがわしい目的のホテルに恋人を連れ込むのは失礼だろう。肉体関係を主体に付き合っているわけではないのだから」
「……身体だけの関係の人だっているよ。そういう人が使うんだよ」

 語弊のある言い方だ。
恋人も夫婦もここを利用する。しかし、アルバートの言葉と興味のなさに、「春人は抱く対象ではない」と被害妄想してしまい気持ちが逸り煽ってしまった。

(最悪だ。何でこんな事言っちゃったんだろう)

 何もされなければアルバートは順序を守る信頼出来る男だと株が上がる。しかし春人の心には「求められたい」という気持ちが充満していて、必死に矛盾と葛藤していた。

「春人?」

 アルバートは何も言わなくなった春人の顎を持ち上げる。そして何も言わず距離を取った。

「アル?」

 目を細めるアルバートは一言「すまない」とだけ言う。
その瞬間捻じれたような痛みが春人の胸を襲い、「うん。僕こそごめん。まさか知らないとは思わなくて」と謝罪し、春人も少し後ろに下がった。

 それでも二人の距離は人が一人入るくらい狭い。
それなのにその距離がとても果てしなく感じてしまう。折角今日一日で距離が縮まったと浮かれていた春人には大きな後退だった。

「風邪ひいたの? 顔色が悪いよ」

 声をかけるだけでいいのに、春人はアルバートの裾を握った。何かに縋る様に、この胸の高鳴りに応えてほしいと指先から伝える。
後から思えば、理性が半分なかったに等しかった。自分が制御できずに本能が、卑猥な空間に感化されて暴走する。それは更に加速し、春人はアルバートの人差し指に自分の指を絡めた。

「まだ冷えているね。私も冷えているからあまり近づかない方がいい」

と、人差し指がするりとすり抜け、二人の距離が更に離れる。

「……」

(こんなホテルに来たから嫌われたんだ)

と、付き合ってもいないのに欲をだだ漏れにし、ここが何処か知っているのに強く反対しなかった己を春人は責めた。英国紳士をがっかりさせてしまった自分をこれでもかという程、心の中で叱りつけた。

 しかし、もう遅い。

 アルバートは春人と距離を取ろうとするし、春人もそれで落ち込むのが嫌で1ミリも彼に近づかなかった。

 その後、外の様子も分からず、二人は無言で休憩した後、夜の門司へと帰った。
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