こいじまい。 -Ep.the British-

ベンジャミン・スミス

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第三章 Love matures

第四話 壁の向こうの赤い人

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 アルバートは、今日から他の研修生や赤澤と共に福岡空港支社に来ていた。九州の全ての支社の人事を担っているのは門司支社の人事・広報部だ。つまりここには人事部がなく、赤澤だけは研修生と今後も付き添う事になっている。さすがにこちらに仲の良い優しい同期はいないようで、年明けから赤澤が三人の面倒を見る事になっている。そのせいか研修生の事前指導と言いつつ、赤澤が一番四苦八苦していた。新人のようにバタバタとし、デスクの上を散らかしている赤澤。
それを横目で眺めているとデスクの上でスマートフォンが震えた。画面には……

「お前も大変だな。」
「そうでもないよ。すまない席を外す。」
「あいよ。」

 画面にはアルバートがもともと勤務しているイギリスの貿易会社の番号が表示されていた。
オフィスを出てすぐに通話をタップし、まだ不慣れな職場の人気ひとけのない場所を探す。
その間も電話口では久しぶりに流暢な英語が聴こえ一瞬だけここが日本であることを忘れてしまう。緑色に発光した看板を見つけそこから外に出る。寒さにジャケットを置いてきたことを後悔したが、電話越しの困った声に必死に耳を澄ませた。
 アルバートが不在でも会社は問題ない。それでもどうしても彼を必要とする仕事もある為、時折電話が鳴るのだ。
 イギリスは今、朝方の四時半だ。早起きをして仕事を始めている姿を褒めたらとても喜んでいた。その嬉しそうな声と、誰かの声が重なる。

(今度はいつ聞けるだろうか……あの元気な声を……)

『Albert?』

名前を呼ばれハッとなる。謝罪をし、業務の支持をしてから通話を終了してため息をついた。
 非常階段からは都市高速が見え、あの先には海がある。
門司支社から一時間以上離れた職場の構造は理解できていないのに、海が近くにあるのを知っているのは最近来たからだ。その海の近くには水族館がある。
 アルバートと春人がデートしたあの水族館だ。
あれから春人の隙を狙っては口説き、二回目のデートに誘ってもらえた。まだ春人の心に村崎がいる事は明確だったが、「好きかも。」と嬉しい言葉を貰った後で、気が抜けないデートになるはずだった。だがその時に不埒な願いを神にしてしまったせいか、天罰が下る事となる。

(私は……)

——過ちを犯しかけた。

 最初はあの太陽の様な笑顔に心を奪われ、悲しい事実にもぶつかったが、春人の内面にも惹かれていった。仕事で落ち込むのは、真剣に向き合い、会社を良い方向にもっていこうとしているやる気の現れだ。そして相手を気遣える優しさも持ち合わせている。

 絶対に春人を恋人にしたい。

その欲望は日に日に強くなり、春人も少しずつ歩み寄り始めていた。それなのにアルバートは最後の最後でとんでもない場所へ足を踏み込む——ラブホテルだ。

 その存在を知った瞬間とんでもない早さで体中の血の気が引いき、見渡すとベッドの側には何やら怪しい物体と避妊具が二つ。抱くことを前提としたその準備の良さが目につき勘弁してほしかった。そんな意識してしまう空間に二人きりだというのに、アルバートに更なる追い打ちがかかった。

春人だ。

(目は口ほどに物を言うとは、まさにあのことだ。) 

タオルから見上げる漆黒の瞳は濡れていた。雨のせいではない。その湿り気は色を帯び、アルバートを吸い込んでしまうような魔力を持っている。
しかしそれに吸い込まれないようにグッと耐え、欲情する彼を突き放した。でないと、奥のベッドであの冷たくなった肌を激しく熱くさせてしまう。
 仮に快楽を刻み、その後「好き。付き合いたい。」と返事を貰っても、それは「付き合いたくない。」と言われている事に等しい。それだけは何としても避けねばならならなかった。だったら直ぐにホテルを出ればいいのに、窓のない部屋に外の様子が分からない。是が非でも性行為に及ばせようとしているような空間から脱出した時には夜だった。

(──春人に失礼な事をしてしまった。)

 この状況をどうにかして打破しなければと思案しながら非常階段に踵を返そうとした時だった。

——ブブブブブ

 再びスマートフォンが着信を知らせる。スッと仕事モードに切り替えたが、画面を見て頬が緩みそうになった。

「春人。」

次の電話の主はイギリスの同僚からではなく、今思い浮かべていた春人から。
 直ぐに画面をタップしたい衝動に駆られたが、アルバートから笑顔が消える。

——まさか……

最悪の答えが頭を過る。一番聞きたくない告白の返事を貰ってしまうかもしれない。
 しかし、それは自分が蒔いた種だ。それが最悪の形で芽吹いても、愛情を込めれば綺麗な花を咲かせるかもしれない。

(そのためにはどんな努力も、勿論謝罪も厭わない。)

春人を強く想うアルバートは意を決して電話に出た。

『もしもし。』
「もしもし。」

どこか緊張した声を出す春人。

『今、大丈夫?』
「問題ないよ。君こそ大丈夫かい?」
『うん。昼休みだから。』

そこから何も聞こえなくなった。
風の音だけが嫌な音を伝える。

『昨日のホテルの事なんだけど。』

予感が膨らむ。

『僕とアルバートは文化が違うから昨日みたいなことがまた起こる気がするんだ。』

当たり前の現実なのに、今のアルバートには異文化の違いを受け入れることが出来ない。それを受け入れて「そうだね。」と返事をすれば、きっと最悪のゴールへ繋がってしまう気がした。
きちんと説明をしようと口を開いたが、どこに着地しても自分が春人に抱いた下心が浮き彫りになる。だが、それを隠していればこのまま終わってしまうかもしれない。何より嘘をついたり隠したりすることがアルバートは嫌だった。
電話口の春人が話の続きをするより先に、アルバートの中の誠実な心が顔を出した。そして謝罪をしようと口を開いたのだが……

『ごめんなさい。』

先に春人から謝罪の言葉を言われてしまう。
それを告白の返事だと受け取ったアルバートは手から力が抜け、スマートフォンを落としそうになった。現実が受け入れられず震える手でしっかりと握り、何とか言葉を探すが日本語どころか英語も出てこない。
 かろうじ出たのは昨日呼ぶことを許された名前のみ。

「春人。」
『あんなところに連れ込んでごめんなさい。』

もう一度謝罪の言葉が聞こえてきたが、それはアルバートが想像していた内容とは違っていた。
 アルバートの心の曇りが少しずつ晴れていく。

「私が連れ込んだのだ。謝るのは私の方だ。本当に申し訳なかった。」
『でもアルバートはあそこが何処か知らなかったでしょ?僕は知ってた。なのに止めなかった。』

春人が肺の空気を全て吐き出す音がする。

『これからも文化の違いであんなことになるかもしれないけど、またデートしてくれる?』

照れているのが少し上がった声のトーンで分かる。
そしてアルバートはその心地よい声に顔が綻んでいく。

「勿論だ。」
『よかった!僕、嫌われちゃったと思って。』
「何故?」
『だって避けられたから。』

もう懺悔する覚悟をして、アルバートは春人に全てを話した。

『アルバートにも下心があるんだ。』
「ああ。いつかは君ともそういう関係になりたいと思っている。しかし昨日は本望ではなかった。だから君が嫌いであんな行動をとってしまったわけではない。」
『安心した。電話して正解だったよ。』

春人の相変わらずの行動力にアルバートも感謝し見習いたいと思った。
 だから、今度は自分から誘う事にした。

「もしよければ、クリスマスを私と過ごしてくれないかい?」
『も、もちろん!でもそっちのクリスマスって……』
「基本は家族と過ごす。だが、今回は日本式にのっとって君と過ごしたい。」
『こっちのクリスマスって恋人と過ごすんだよ?』
「それまで私と君の関係が変わっているかは分からない。でも私は春人と過ごしたい。」

少しの間があき、春人が息を吸う。

『僕もアルバートとクリスマス過ごしたいな。』

と、嬉しい返事がきた。
 
「ありがとう。」

 少し早めのサンタクロースが来た気分だった。若かりし頃のワクワク感を蘇り、今年のクリスマスが一段と楽しみになった。
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