こいじまい。 -Ep.the British-

ベンジャミン・スミス

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第七章 Break Time

第二話 遅い夏

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 平穏が訪れたベッドの上で横になる恋人達。春人はそっと手を伸ばし、逞しい肩に触れる。まだ冷たい。乾ききってないアルバートの前髪を両手でかき上げジッと顔を見る。
指から伝わる冷たい感触に「ねえ……本物だよね?」と確かめる。

「幽霊とかじゃないよね?」

いまだにアルバートの存在が信じられない春人。身体半分、アルバートにのせ確かめようとする。
 圧し掛かる軽い肉体を抱き締め、アルバートは「ああ。ここにいるよ」と力強く言った。
しかし嬉しい反面、春人はもうその先を見ていた。

(今度は、いつ帰るんだろ)

腕の中で、どういえばいいのか迷う。
安易に聞けば寂しがっていることが知られ、アルバートの負担になってしまう。それだけは嫌だった。

「……出張、いつまで?」

こう聞くことしか出来なかった。

「明後日まで」

(つまり明後日には帰る……)

「明日の朝一の新幹線で関東の方へ行く」
「え? こっちにいるんじゃないの?」
「違う。出張へ行く前に君に会いに来たのだ」

アルバートが身体を傾け、腕時計を見る。それは春人がプレゼントしたもの。

「すまない、春人、もう行くよ。」
「……」

あまりにも短い逢瀬。
情事後の春人を包んでいた余韻が、急に重みを持つ。最後にもう一度触れておこうとアルバートの心音に耳を傾けた。
アルバートも強く春人を抱きしめ、そしてその肩を優しく押した。
 ベッドから起き上がり、何の抵抗もなくテキパキと帰る準備をしているアルバート。
服はまだ少し濡れていたが「終電」という言葉が頭を過り、仕方なく袖を通した。
 その姿を見ながら春人は唇を噛みしめる。

服の袖を掴み、引っ張って行けなくしてしまいたい。ここにいてと言いたい。

 アルバートがこちらを振り向き、春人は無理矢理微笑む。その不自然に上がった頬にキスが一つ落とされる。

「また明後日来るよ。」
「えっ?」

思ってもみなかった言葉に驚く。

「ついでに長期休暇をとってきた。再来週までいる。」
「本当に?! やった‼」

ガッツポーズをしながら飛び起き、ベッドが嬉しそうに軋む。
その姿を見て、根を詰めて仕事をしたアルバートの労力も報われた。

「では、そろそろ失礼するよ。荷物がホテルに着いているから今日は泊まれなくて申し訳ない。」
「気にしない! だって明後日からは一緒に居られるもん!」
「あまり一緒にはいられないだろ?」
「なんで? 仕事のあと会えばいいじゃん!」
「日本はお盆だろ?」

5月の長期休暇は通常運転だったが、お盆は会社全体が休みになる。

「もっと一緒にいられるじゃん!」
「ご実家には帰らないのか? 一応君がいない事を想定してホテルを予約している。気にせず帰省してくれ」
「アルがいるのに帰るわけない! ホテルもキャンセルしてうちにいればいいのに」
「しかし迷惑だろ?」
「迷惑じゃない! ちょっとでも一緒に居たいから。ね?」

春人からの嬉しい申し出をアルバートは受け入れた。

「駅まで送っていいい?」
「もう遅いから駄目だ」
「はあい……あっ」
「ん?」
「……びっくりしてあまり覚えていないんだけど。アルバート、佐久間さんと何を話してたの?」
「……別に」
「気になる!」

靴を履き終えたアルバートが振り向く。
春人が言っているのは、アルバートが佐久間へ放った牽制の一言だ。幸い、本人には聞こえておらず、どうしたものかと思考を巡らす。

「先日の礼を言った。君と、私の最後の仕事を片付けてくれたからね」
「嘘だ。だって、最初「私の恋人」どうのこうの言ってたじゃん」
「……私の恋人が世話になったと言っただけだ」
「え?!」

アルバートが簡単に関係をばらした事に、春人は驚愕の声を上げる。

「言っておくが、佐久間さんは私たちが付き合っているのを知っている」
「えええ?! 何で?!」
「それを話せば長くなる。また今度にしよう。仕事が終われば君との時間はたっぷりあるからね」

チュッとリップ音を鳴らし、その後お別れのキスもして、アルバートは春人の家を去った。

 玄関で残された春人は幸せに浸りながらも、腕を組んで唸った。

「どうしてバレたんだろ」

これでアルバートとの関係が人に知られるのは2回目だ。最初は村崎、そして佐久間。村崎を好きだったころはアルバートにもバレていた。それは、たまたまその人物たちが春人を観察対象としていたからだが、当の本人は自分に落ち度があるのかもしれないと、すぐ感情が出る顔をペチンと叩いた。

(明日、佐久間さんに聞いてみようかな)

アルバートに「今度にしよう」と言われたのも忘れ、春人はそんな事を考えながら久しぶりに深い眠りについた。

◇          ◇        ◇

 翌日、アルバートと2、3通やりとりをして出社する。すぐに返信が来る事がとても不思議で、つい鼻歌交じりに歩いてしまう。

「おはよう!」
「おはようございます、佐久間さん!」

昨日の事など何も感じさせず、爽やかに挨拶をしてくる佐久間に春人は身体を近づけた。

「そんなに近寄るとミラーさんに怒られちゃうよ」

聞きたいことは聞かずとも答えが出た。

「僕とアルバートの事知っていたんですか?」
「うん。ミラーさんが帰国する時に見たんだ。月嶋君の表情で何となく気がついちゃった。普通の関係じゃないなって」
「言ってくれて良かったのに」
「なかなか相談してくれなかったから、やっぱり知られるのが嫌なのかなって躊躇ったの」
「すみません、気を遣わせて」
「俺、ミラーさんと同じ銘柄の煙草吸ってるでしょ?」
「はい」
「空港でミラーさんが吸ってるところみたから。同じ煙草を見て、ようやく相談する気になるかなとか思ったけど……月嶋君って案外強がりだね」

佐久間は困ったように笑った。
実際のゴールは「月嶋からの相談」ではなく、その香りに誘われた「月嶋を奪う」事だったが、アルバートの急な来日に阻まれてしまった。
 そんな策略を知らない春人は、いたく申し訳なさそうな表情を佐久間に向ける。

「ごめんなさい。でも、もう大丈夫です」
「どうして?」
「しばらく日本にいてくれるらしくて」
「そっか。良かったね。でも、また帰っちゃうんでしょ?」
「……はい」
「寂しい時はいつでも俺が相手してあげる。またご飯食べに行こう!」
「ありがとうございます! 佐久間さん、やっぱり優しいなあ」

満足気に微笑む佐久間の秘めた想いに気付く事無く、春人は彼のレールに再び乗る事になる。
しかし、流石の佐久間でも、今は何もする事は出来ない。とりあえず春人を元の場所へと返すことにした。
 
 そして一時的に脅威が去った春人は、珍しく残業もせずに帰り、部屋を綺麗にした。アルバートを迎える準備は万端だ。
 約束の日、駅で待ち合わせをして綺麗になった家へと向かう。
 
「ところで日本での仕事ってなんだったの?」
「ん? 色々。」
「教えてよ!」
「秘密だ。それに、今は仕事のことは忘れて、君との生活を楽しみたい。」
「返事がアルバートらしくて、何だか幸せだな」

夕日に染まった春人がそれよりも明るく朗らかに笑う。

「でも、すごいね! そんなに休み取れたんだ!」
「日本人が働きすぎなのだ。夏のバカンスだよ。他の人も普通に二週間近く休みを取っている。」
「なるほど。」
「そういえば、佐久間さんは大丈夫だった?」
「うん! 何で付き合ってるの知ってるか聞いちゃった」
「私があとで教えるといっただろう」
「だって気になりすぎちゃって。空港で見たんだって」
「そうか」
「あとアルバートが空港で煙草を吸っているのも見たって言ってた。やっぱりアルバートって目立つんだね」

佐久間にとってアルバートが目につく理由はそれではない。しかし、今下手に行動は起こせないと、アルバートは佐久間の本心を春人には言わない。
 たとえその時に銘柄を目撃され、それを誘惑する手段にされたとしても言えなかった。

(春人は佐久間さんを信じ込んでいる。何を言っても聞かないだろう)

最悪アルバートの心証が下がり、相手の思うつぼになってしまう。だからこそ慎重に行動を起こす必要があった。

「家に到着! 頑張って掃除したから綺麗だよ。あと、これ」

春人がポケットからキラリと光る何かを差し出す。

「同棲みたいだね」

受け取ったのは合鍵。
サマーバケーションの始まりを告げるそれをアルバートは大切に受け取った。

「ありがとう」

目の前で笑う彼は、夏を更に熱くする太陽のような笑顔。大好きな彼の表情に今だけは佐久間の事も忘れてしまえた。
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