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第九章 The end

第二話 甘いのに苦い

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 新しい製品の模索、必要とされている国、複数の知識を応用させる新しい仕事を春人は難なくこなしていた。
これもそれも寂しさを紛らわすために始めた勉強のおかげ。

(やっぱり役に立った)

と内心ガッツポーズをする春人に村崎は心配そうに「ゆっくりでいいからな?」と声をかけてくる。

 いつの間にか年も明け、正月が過ぎ、2月になっていた。アルバートと春人の遠距離恋愛も半年以上が経っていた。
そして関係は相変わらずだ。

 繋がらない電話、数件のメッセージ、それに反して毎週届く薔薇。

(せめて何か理由をつけて電話しないと)

しかしその理由が「寂しいから」であってはいけない。それはアルバートの負担を大きくする。
だからこそ何かもっともな理由をつけなければならなかった。
 そしてその作戦は既に始まっていた。

(今日はきっと電話がくる)

そう確信している春人は早めに仕事を切り上げ、アルバートの香りが待つ家へ帰った。
 帰宅後、肌身離さずにスマートフォンを持つが、一向に鳴る気配がない。

(気遣いを大切にする紳士なら、絶対に電話をくれるはず)

そうなる様に仕向けたのだから。

 春人の作戦は簡単なものだった。
バレンタインデーのチョコレートを贈っただけ。
日本文化にしろ、去年の記憶と指定した日時を見ればさすがのアルバートもその意味に気が付くはずだ。
 
(早く鳴れ、早く鳴れ……)

ベッドの上に転がり、スマートフォンを握りしめるがメッセージすら受信しない。
時折、メールマガジンや学生時代の友人から連絡が来るたびに目を輝かせては落胆するばかり。
 友人に返信する事もせず、ただ握りしめて待った。
そしてそのまま寝てしまい、スマートフォンを握りしめた状態で朝を迎えてしまった。

「何で……どうして……」

連絡は一件もなく、それどころか充電すら減っていなかった。

仕事で受け取ることができなかった。
海外だから日本の様に郵便が正確とはいえない。

この2つの簡単な理由すら浮かばない程春人は混乱していた。
そして何も連絡がなかったこの日の夕方。今日は来るかもしれないと定時であがった春人を待っていたのはいつもの薔薇だった。

「素敵な方なんですね」

と毎週顔を合わせる花屋の女性店員はこの二人の関係に気が付いているのだろう。その裏では悲しい現実がある事も知らずに、頬を染めて聞いてくる。

「はい」
「毎週、お電話下さるんですよ。薔薇の調子まで聞かれて、優しい方ですね」

籠を握る手に力を込める。

(僕の調子は聞かない癖に)

どんどん心の中に嫌な自分が侵食してくる。

「ありがとうございます。では……」

まるでアルバートを花屋に盗られた気分になり、早々に扉を閉めた。

「……ッ!」

こんな薔薇捨ててやろうかとも思った。
しかし持ち上げた瞬間香る匂いにその腕を下ろす。

「いらっしゃい、アル」

そうして今日もベッドの側にアルバートを誘う。
 そして何度目かの薔薇の贈り物をされた数日後……

「あっ……」

スマートフォンが震えている。

「?!」

そこには待ち焦がれていた人の名前があった。

「もしもし?!」
『やあ、春人。元気かい?』

少し英語圏の砕けた挨拶の仕方をするアルバート。当然の事なのに、まるで寂しくなんてなかったと余裕を出している声に聞こえてしまう。
 しかし、久しぶりの恋人との電話に口角は上がったまま。

「元気だよ。いつも薔薇ありがとう」
『気にしないでくれ。日本へ行けないのだから当然だ』
「……仕事大変だもんね」

(ねえ、いつになったら来るの?)

そう言いたい口を噛みしめる。

「ありがとう。今日はどうしたの?」
『素敵な贈り物が届いたから電話をしようと思って』
「贈り物?」
『チョコレート』
「チョコ? ああ! あれか!」

あまりにも嫌な思い出だった為、記憶の奥に押し込んでいた。

「今日届いたの?」
『ついさっきね。日付が大切なのに、真面目に仕事をしてもらわないと困るね』
「仕方ないよ。でもよかった届いて」
『ありがとう。大切に食べるよ』
「感想聞かせてね!」
『勿論だ』

(その感想もいつ連絡が来るか分からないけど)

春人は手で口元を覆う。

(こんなの嫌味じゃん……)

『春人?』
「え?」
『どうかしたのかい?』
「別に……何もないよ……」

久しぶりの電話で浮かぶのは寂しさからくる嫌味ばかり。

(ダメだ、こんな事言ったら嫌われちゃう……)

頭を振り、別の話題に移ろうとしたその時だった。

『……、……calling……』
「アル?」

電話口でアルバートとは違う男性の声がする。それを制しているのか、英語で宥めるアルバートの声はやけに優しい。

(嘘……誰?)

「アル?」

もう一度呼ぶが、アルバートはまだ英語で何か話している。気になるが、聞いたら何か嫌な事を知ってしまいそうでわざと耳を遠ざけた。

(そもそもアルは今何をしていたんだ。仕事? 家? それとも……嫌だ、知りたくない)

スマートフォンは耳から離れ、春人は電話を切った。
 心臓が早鐘を打っている。

(仕事なんて嘘じゃん。いや、そもそも仕事とは言っていなかった。それにあの喋り方は仕事とは違う。何してるの?)

色々な感情と思考が行き来し、混在し、頭がパニックを起こす。胃が締め付けられ立っていられない。
今までに感じた事のない不安に襲われ、足の力を失った身体はベッドに倒れた。

「信じなきゃ。アルは浮気なんてしない」

自分に言い聞かせる。
振動し始める端末がシーツを震わせる。どんな言い訳を聞かされるか分からず、出る事ができない。なにより、今出てしまえば今まで隠していた本音をぶちまけてしまう気がした。

(いいや。もし何か言われたら、僕も仕事のフリをすればいい)

アルバートが仕事かどうかなんてわからない。しかし勝手に「」だなんて不貞腐れた解釈をし、電話を無視した。

 急に押しかけた複数の感情にドッと疲れてしまい、意識を手放す。
 目が覚めた時には陽が昇り始めていて、休みなのを良い事に、また目を閉じた。
次に目覚めた時は昼。アルバートは眠っている時間帯だ。それに妙な安心感を覚え、ようやくスマートフォンをチェックすることができた。
電話と何件かのメッセージが来ていた。メッセージには動画と画像が添付されている。それを再生する。

「……誰?」

 動画では、アンティークな部屋でウロウロするプラチナブロンドの男性が写っていた。アルバートかと思ったが、髪形が妙にお洒落だ。
その男性がテーブルの上にある箱を見つける。

「これ、僕が送ったチョコだ」

春人が送ったチョコレートの箱を手にした男性が、カメラの方を向く。そして唇の片方だけ極端に上げ、外国人特有の茶化す様な笑みを浮かべ『Haruto?』と言っている。

「この人……」

その男性はアルバートにそっくりだった。しかし若々しい。

「弟?」

動画内からアルバートの声がする。『Yes.』そして返却するようにお願いしている。
それを返さず逃げる男性にアルバートは『Luxus.』と声を何度もかけていた。

「やっぱり弟だ」

電話口でしていた声は弟のラクサス・ミラーのものだったのだ。
 チョコレートの箱を取り返すべく、そこで動画は切れていた。
しかし一緒に添付されていた画像に全て解決する。
数枚送られてきた画像には、チョコレートの箱を大切そうに開けるアルバート、そしてチョコレートを口に入れているアルバート、その瞬間を弟に盗撮されている事に気付き眉間に皺を寄せているもの、そして最後は箱を撫でるアルバートとその端に自撮りで写り込むラクサスの写真だった。

普通なら「よかった。浮気じゃなかったんだ」で済む問題。
 しかし、寂しさで押し潰されている春人には

「弟と会う時間はあるんだ……」

とうとう、心の声を外に漏らしてしまった。
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