こいじまい。 -Ep.the British-

ベンジャミン・スミス

文字の大きさ
68 / 112
第九章 The end

第四話 最後の花籠

しおりを挟む
「別れたいわけじゃないの。僕はアルが好きだよ。でも……だから、イギリスに帰る時が辛い。遠距離に戻る瞬間が、遠距離の時間より僕には辛い。まるで……」

こんな時に限って雄弁な口はどんどん気持ちを吐き出す。

「アルに振られている気分になるんだ」

アルバートが息を飲む音が聞こえる。

「それにもう落胆したくない。また仕事で来られないかもしれないじゃん」

わざと「仕事」の部分を強調してしまう。そんな自分に嫌気がさして最悪な気分になる。しかしそんな春人にアルバートは優しく声をかける。

『前回の事は本当に申し訳なかった。君をとても傷つけてしまった。しかし次は必ず行く。だから……』

春人を宥めてくれているその声は逆効果だった。自分はこんなにも傷ついているのにどうしてアルバートはそんなに普通でいられるのかが分からない。
だから余計に苛立ってしまう。

「ごめん。僕は会えない。会いたくないんだ」
『春人、考え直してくれ。そしてあった時にきちんと話し合おう。君が思っている事をちゃんと話してくれ』

もう駄目だ。アルバートの言動は何をとっても春人の怒りを買ってしまう。

(何その言い方。僕が寂しいのを隠しているって知ってるみたいじゃん)

アルバートも自身の本音を隠している。それを告白するつもりでこの提案を言った。
しかしこれが春人のギリギリ繋いでいた理性の糸を切ってしまう。

「別に何も思っていないよ!」

さっきまで「別れ際が辛い」と言っていたことなどお構いなしだ。

『では、それでも構わない。しかし私は君に話がある。帰国は3月の……』
「来なくていい! イギリスにずっと、ずーーっと、仕事と一緒にいればいいじゃん! 僕は絶対に会わないからね!」

日付は絶対に聞いてはいけない、と急いで捲し立てて電話を切る。メッセージの通知を切り、高ぶった気持ちを抑えようと、水を喉に流し込む。だが、上手く通らない。叫んで乾いたはずなのに、何かが流れるのを嫌がる様にせき止められる。

(弱すぎるよ……)

あまりにも弱い自分に嫌になる。

(まだ遠距離になって1年も経っていないのに……喧嘩なんて……)

アルバートからすれば、春人はよく頑張っている方だ、当の本人はそれが子どもじみて自分を責める事しかできない。
 反省もする、そしてアルバートを好きな気持ちもある。
だが、会えば自分を抑える事ができない気がして、それが怖くて日付を確認することはできなかった。

(きっとこれ以上口を開けば、その先にあるのは別れだ)

今以上に子どもの様に本音という我儘を言う春人に、愛想をつかして背中を向けるアルバートの夢をみてしまった。


 それから数日後。
来日の日付は分からない、メッセージも読んでいない。しかし彼が言った「中頃」にさしかかっていた。
なるべく家を空ける様にしていたが、花が来る曜日だけは無意識に配達の少し前に帰宅してしまった。

「ただいま、アル」

アルバート——薔薇の花籠は今朝捨てた。枯れたのだ。
しかしまだ綺麗だった二本はベッドの上で花弁を散らしている。

(昨日のままだ……)

残ったアルバートの欠片を拾い上げ、匂いを吸い込む。
あの電話からまだ薔薇は届いていない。もし今日来なければ、この花弁だけになってしまう。そして2人の関係ももしかすると……

(考えない!)

頭を振った春人、そこへインターフォンの音が重なる。
「花屋でーす」といういつもの女性の声がして、玄関へ向かった。
その途中のゴミ箱に花弁を捨てる。
新しいアルバートを迎える為に……

「こんにちは。いつもありがとうございます!」

いつも通り元気な店員に、憂鬱な表情を見られたくないと俯き加減に籠を受け取る春人。
そんな彼に女性店員は首を傾げ尋ねた。

「今日は薔薇じゃないんですね」

顔を上げる。

「え?」

一瞬、目の前で咲き誇る赤に「いつもと同じですよ」と言いかけたが、確かにいつもより小さい。
花弁の1枚1枚も薄く、艶も少ない。

「今日は赤いカーネーションをご注文されましたよ」
「……カーネーション」

よく見ると母の日に見かける花だった。

「カーネーションもお似合いですね。毎度ありがとうございます! では、失礼します」
「あっ、はい。ありがとうございました!」

何故いつもと花の種類が違うのか。置いていなかったのかと考えたが、店員の話しぶりから、意図的にカーネーションを選んでいる事が分かる。

(まさか薔薇でヤってることがバレた?)

もしくは……

(もう薔薇なんて送るに値しないって事かな? でもそれならそもそも花自体を送るのを止めるか……)

カーネーションの理由は分からずじまい。
今日は部屋に持っていく気がせず、玄関の棚に飾る。
ふわりと香るのはいつもと違う香り。それでも上品な香りに、洒落た事をしてくれる恋人の性格がチラつく。
 そしてそれが一つの答えを導き出す。

「花言葉……」

スマートフォンを取り出し花言葉を検索する。

「……薔薇ってたくさんあるんだ」

青いバラに、ピンクの薔薇、白い薔薇にそれぞれ意味がある。アルバートが送ってくれていたのは赤い薔薇。

「赤い薔薇は……熱烈な恋、情熱、愛情、あなたを愛しています。ひょえええ」

想像していたが、口にするには恥ずかしい言葉の数々に赤面してしまう。そしてスクロールして今日の花を探す。

「カーネーションは……無垢で深い愛、純粋な愛か」

カーネーションにも色ごとに意味があるようだが、薔薇に比べるとどこか軽い気がする。それはそもそも薔薇は情熱的だという先入観があるからなのか、突如種類を変えられて春人の思考が消極的になっているからかは分からない。
どちらにしろ今の春人には「……愛の深さが変わったって事?」としか捉えられなかった。

「アルの本心が分からないよ……なんか全然違う生き物みたい」

(そうだ。僕たちにはそもそも障害が多すぎた。同性に、年齢、身体もだいぶ違う、そして何より、彼は……)

「イギリス人……そうか、アルは外国人だ」

遠距離恋愛をしていたというのにすっかり忘れていた。アルバートは外国人だ。文化が違う。
そもそもラブホテルの時にそれで一度はズレが生じた。

「でも、僕たちは乗り越えた」

異文化を受け入れ、お互いを知り、付き合うまでにこぎつけたのだ。
今、確実にあの頃より関係は後退している。
 最初の頃の気持ちに戻って、春人はもう一度スマートフォンで花言葉を検索した。

「花言葉、カーネーション、外国……あっ、出た」

西洋には西洋の花言葉がある事が検索結果で分かった。それをタップしてカーネーションの花言葉を知る。
 だいたい日本の花言葉と変わらない。しかし決定的に一つ増えている言葉があった。

「My heart aches for you」

——あなたに会いたくて堪らない

「……アルバート」

アルバートの愛は変わっていなかった。それどころか哀愁を纏っている。
 どんな形であれあんなことを言ってしまった春人にまだ気持ちを伝えるアルバート。その行為に春人は自分を恥じ、その場にしゃがみ込んだ。

(ちゃんと、話さなきゃ)

遠距離恋愛でもお互いの性格まで変わる訳では無い。変わってしまったのは向き合い方。
相手を知った振りをして、本当の姿や付き合い方が見えなくなっていた。

(僕らは話し合うことが出来る。そしてまたやり直すことができるはずだ)

花言葉を教えてくれた画面を切り替える。
久しく見ていなかった名前に電話をかける。時差を確認する時間も、溜まっていたメッセージをチェックするのも今はおしかった。

『もしもし?』

アルバートはすぐに出た。

「アル!」
『よかった、春人。ようやく出てくれたね』

その声は今まで音沙汰がなかった焦りからか、少し忙しなく聞こえる。

「僕、言いたいことがあるんだ!」
『私もだ。君にきちんと伝えなければならないことがある』
「……いつ、日本に来るの?」

機械が塞いでいないもう片方の耳が扉の向こうの音を捉える。
それはだんだん近づいてくる。

──コツ、コツ

それに誘われるように春人は立ち上がった。

『もう……』

受話器から聞こえる低い声が……

「いるよ」

扉の外から聞こえる。

「?!」

急いで鍵を開ける。それとほぼ同時に触れていないドアレバーが下がる。

──ガチャッ

開け放たれた扉、その向こうには

「春人、逢いたかった」

今日届かなかった薔薇と同じ香りを纏った男が立っていた。
しおりを挟む
感想 26

あなたにおすすめの小説

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...