こいじまい。 -Ep.the British-

ベンジャミン・スミス

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第九章 The end

第七話 最後の恋

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 アルバートはもう恋愛はできないと諦めていた。社会の風潮や紳士的な落ち着いた性格も相まって本気に捉えられず、いつも悲しい結末を迎え、気づけば40歳になっていた。
 しかし恋愛だけが全てではない。仕事がある。
貿易実務として上り詰め、見聞を広めようと日本への研修にも志願した。

「しかし、私はそこで恋に落ちた。言わずもがな君だ、春人」

恋愛をしない決心を一瞬で溶かした太陽。不可抗力で落ちていった恋はアルバートを今までに無いほど燃え上がらせた。

「太陽のような笑顔、真っ直ぐな性格、どんどん惹かれていった」
「そ、そんな人どこにでもいるよ!」
「私の周りにはいなかった。それにこれから出会ったとしても、初めてそれを教えてくれた君に敵う人はいない。だから、君だけは絶対に手放したくない。それがどんな困難に見舞われようとも、紳士らしさを無くそうともね」

あの支配欲と独占欲は、アルバートが恋愛で初めて見せたものだったのだ。

「赤澤さんにヘッドハンティングをされた時、迷いはなかった。直ぐに退職届を提出した」
「でも人事ってことはもう貿易実務としては働けないよ」
「もう20年も携わってきた。次は会社をまわす側として働くのも悪くない。それに……」

アルバートが春人の頬にキスをする。

「君のそばにいられる。それさえあればもう何もいらない。誰かをここまで愛したのは初めてだ。二度とこんな恋はできないだろう」

たとえ振られたとしても春人以上の男には出会えない。

──だから、これは最後の恋なのだ。

「これからも君と最後の恋がしたい。愛しているよ春人」

重なる唇。42歳の熱い告白に春人は唇と熱い身体で返事をした。
止まらぬ放熱を擦りあわせ、混ざり合う吐息がシーツに吸い込まれていく。

               *

 激しく愛し合った後、目を覚ました春人の前にアルバートの姿はなかった。急いで部屋を見渡すと、カーテンが少し開いていて、その奥にアルバートがいた。
月夜の下で少し上を向くアルバートからは白煙が上がっている。

「アル?」
「まだ寝ていなさい」
「一緒にいる」

ベランダに出ると少し肌寒い。それをアルバートが抱き寄せて温めてくれる。

「ねえ、どうして副部長の件教えてくれなかったの?」
「赤澤さんに口止めされていた。それに君が顔に出やすい点に関しては私も同意だった。あと、この話が白紙に戻れば君を悲しませてしまう。だから言えなかったのだ」
「そっか。いつ聞いたの?」
「君の誕生日の少し前。本当にあの時はすまなかった。言い訳になるが、引継ぎに手間取ってね。土日も返上で仕事をした。その結果日本へ行く事も叶わず、かつ寂しさに負けたもう一人の23歳まで家に押しかけて来たよ」

苦笑いをするアルバートが、煙草をふかす。
 ようやく遠距離恋愛中のアルバートの行動が見えてきて、全ての霧が晴れた。
その安心感で、大胆にも外で彼に寄り添う。

——チュッ

「外だよ……」
「君こそ」

お互いに目を細め、もう一度口づけをする。
アルバートのキスは煙草の香り。苦みは甘美な時間へと春人を誘い始める。

「やはり君は顔に出る。まだ欲しいのかい?」

不敵な笑みを浮かべるアルバート。

「べ、別に!」

春人はそっぽを向く。
その横で携帯灰皿に煙草を捨てたアルバートが春人の腕を掴んで部屋に入る。
そしてそのままベッドへ押し倒した。

「晩御飯どうするの?」

ムードに似合わぬ事をいう春人は付き合った頃と変わらない。

「お腹空いた?」
「そりゃ、もちろん。」
「そうか、では……もう1度君を頂いてから食べるとするか。」
「えー?!」

 悪態をつきながらも抵抗をしない春人と今までの時間を埋める様に本日二度目の行為にふけった。
 結局二人が食事をしたのは翌日の朝だった。


 先に起きていたアルバートがベッドの中で本棚に飾っていた春人の万華鏡を覗いていた。

「春の花火だ」
「僕も見たい」

そして一緒に万華鏡を覗き、中で咲く赤い花火を楽しむ。
 万華鏡に差し込む光は、カーテンの隙間から洩れる太陽の光。

——今の2人は同じ空の下

◇            ◇              ◇


 春人は入社3年目を迎えた。3年間変わらぬ、オフィス、デスクに部長、先輩に囲まれ今日も仕事が始まる。

「月嶋、悪い! 俺これから出るからこれ赤澤部長に渡しといて!」

松田がジャケットに腕を通しながら書類を渡す。「人事 赤澤行き」と書かれている。
出張に出る先輩の代わりに快くその仕事を引き受けた。
 何故なら……

(少しなら見られるかな?)

人事・広報部には恋人がいるからだ。
 前髪をいじりながら今のにやけた顔を隠し、階段を上がる。
ガラス張りの正面から見ても、赤澤の姿は確認できない。しかし、デスクに置いておこうと、深呼吸をして扉を押した。

「失礼します」

何人かがチラリとこちらを見たが、直ぐに仕事に戻る。そのまま真ん中奥の部長席まで行く間、隣の副部長席は見ない。
 赤澤のデスクに書類を置いて去ろうとしたが「月嶋さん、それ見せてもらってもいいかな?」と避けていた副部長席から声をかけられた。

「……はい」

少しだけ上がるトーン。
それを楽しむように目じりを下げた人事・広報部副部長アルバート・ミラーが手を出す。そこに自分の手を乗せたい衝動を押さえ、書類を渡した。

「私が代わりに確認するよ」

その間、一緒にいられると不埒な考えが頭を過る。しかし、

「仕事に戻ってくれて構わない」

とあえなく退去を命じられた。
 いじけた顔をしないように頬を引きしめ、人事・広報部を後にする。
 先輩が既に出張にいってからっぽになったデスクの横に腰かける。
そして天を仰いだ。

(仕事人なんだよな)

研修生の頃と違い、アルバートはその手腕を大いに奮っていた。仕事は完璧、そして厳しい、だが指導も的確、文句の付けどころがない。
 だが、春人は知っている。
甘える時もあるし、優しい時もある、たまに漢字を読み間違える姿も春人だけが知っている大好きな姿。

(仕事が忙しくてなかなかゆっくり時間は取れていなかったけど、週末はデートだ!)

と春人もアルバートに後押しされて気持ちを切り替えた。
 しかし折角切り替えた気持ちを揺るがす声がした。

「月嶋さん」
「え? アルッ、えーと、ミラー副部長、どうかされましたか?」

さっき書類を渡したはずのアルバートが後ろにいた。
慌てて席を立つが、制されて椅子に逆戻りする。

「先ほどの書類だが、いくつか訂正して欲しい個所がある。松田さんは不在のようだから君に伝言を頼んでもいいかい?」
「はい!」

デスクに置かれる書類には赤で訂正が入れられていた。

(仕事早いなあ)

こういう時、春人はアルバートに惚れ直してしまう。

「ここと、ここ」

春人の耳元を掠めて後ろから伸びてくる逞しい腕。ジャケットが時折耳輪に触れるのは

(気持ちい……)

わざとだ。
 赤くなる耳を眼下に捉え、アルバートは少しだけ声を低くした。

──ゾクッ

 反応してしまう。咎めようと視線だけ後ろに向ければ、春人を覆い隠すほどの大きな身体。左手は腰に当て、その時できるスーツの皺ですら色気を放っている。

「それと、これは松田さんではなく月嶋さんに。間違って渡さないように」

名前を呼ばれ、視線を前に戻す。そこには松田の書類の下からメモ用紙が出てきた。

「では、よろしくお願いします」

と最後はジャケットでなく指が頬と耳を掠め去っていった。
 仕事に没頭する振りをして、顔の赤みが収まるのを待つ。そして数分後、先ほどのメモ用紙を覗く。

——18時 第1会議室

と、記載されていた。

(アルバートも限界なんだ)

くすっと笑ってしまう。
忙しい彼が限界を迎えた時に渡すメモ。それは春人を補給する為の大事なお誘い。

 もう時間を遡る必要のなくなった腕時計に指を這わす。そして時間を進める。

 18時まであと4時間。
副部長と平社員は、一瞬だけ恋人へと姿を変える。

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