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第十章 Every day life
第三話 曇る眼
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赤澤が外国人の雇用に関する要項の仮案を作成している途中、何気に隣で仕事をする新しい相棒をみると眉間を親指と人差し指の二本の指で押さえている。かと思うと目を細めてじっとパソコンの画面を眺めだす。
「老眼?」
アルバートは赤澤の声と単語に嫌な顔をした。
机は隣で、机と机の間は人が一人通れるくらいの距離しか空いていない。
「あまり聞きたくない言葉だな」
「俺も最近やばい。」
「遠くのものは見えるが、近くのものが見えづらい」
「老眼だな。それか眼精疲労じゃないか? 老眼だったら一度眼科を受診したほうがいいぞ! それで良くなることもあるらしい!」
と、赤澤が「俺も昔上司から聞いた受け売りだけどな」と付け加え情報をくれる。
治るなら早期に越した事はないと、アルバートは次の休日に早速予約を入れた。
◇ ◇ ◇
「眼精疲労ですね。でも少し老眼も出てきてるかもしれません」
医師に告げられたのは何とも悲しい現実だった。やはり歳には勝てないようだ。
「今は手術で老眼を改善する方法もありますよ。だいたい皆さん眼鏡かコンタクトレンズですが」
「手術?」
「はい。簡単な手術ですよ、15分程度で終わります」
「……少し考えさせてください」
眼精疲労用の目薬を処方され、とりあえず原因も分かったので眼科を出る。梅雨を間近に控えたこの季節は少し暑く、湿気も多い。扉を開けると少しムワッとした空気に顔をしかめる。
「次は、あっちか」
眼科へ行ったその足で次は別の場所を目指す。
「どうしたものか」
一応おかしな病気ではなかったとはいえ、やはり受け入れがたい。手術も場所が場所だけにアルバートは少し躊躇いがあった。かといって、このまま放置すればいつか仕事でミスをしてしまうかもしれない。
「やはり手術か……」
と悩みに悩むうちに、もう一つの目的地である、ショッピングモール前の時計台に到着していた。その下のベンチでは足をブラブラさせた青年が座っている。確実に春人であるのに、老眼の話を聞いてしまった今、自分の目は信憑性が薄い。
青年がアルバートに気が付き満開の笑顔を咲かさなければ、声をかけるのがもう少し遅かっただろう。
「すまない遅くなって」
「いつもアルが先につくから今日は30分前に来ていたんだ!」
外でデートは久しぶりだ。アルバートは新年度が始まり予想通り多忙を極めている。そのせいでお互いの家で夜遅くに会うか、たまに職場でこっそり会うかのどちらで、日差しの下できちんと会うのは久しぶりだった。
普段着の春人は年齢より少し若く見える。普段会社でのスーツの彼をみるといつもとの違いにドキッとしてしまうこともある。逆もしかりで、最近はスーツの春人ばかりだったので幼く見える普段着の彼に今は少しドキドキしている。
見とれていると春人の方から声をかけてきた。
「もしかして午前中、仕事だったの?」
「いや、病院へ行っていた」
春人の表情が不安に染まる。
「どこが悪いの?」
「目が少しね」
「目?」
「見えづらくなっていて」
この日本語に春人は勘違いをしたようで「アル、目が見えなくなるの?」と泣きそうな声を発した。
「いや……ただの眼精疲労だ」
春人の心配をよそに言われた言葉は社会人にはありがちな目の疲れだった。しかし、何だか他にも隠している気がする。言葉の合間の間が気になった。
「本当に?」
「恥ずかしい話なのだが……少し老眼も出ているらしい」
「えっ?」
老眼というまだ春人には無関係な言葉に一瞬思考が止まった。
「アルでも老眼になるんだ」
「それはそうだろ、もう今年で43だ」
「いやだってさ……夜はアレだし。老けないのかなって。あっ、そうだ! 眼鏡買いに行こうよ!」
「どうしたんだ急に」
「だって老眼なんでしょ?」
「そこまではっきり言われるのは複雑だ」
「それ用の眼鏡買いに行かない? 見に行くだけでもいいし!」
「しかし、今日は映画を見に行くのだろ?」
「そうだったけど、予定変更! 第一、眼精疲労なのに映画なんてダメだよ!」
映画を見に大型ショッピングモールに来ていたので、眼鏡を買うという予定変更は特に問題ない。
映画館のある方へは行かず、春人はショッピングモールに入ると眼鏡ショップを探してアルバートを急かすようにして連れていった。
「アル、あそこ!」
春人が指さす先には、よくCMでもみかける店。店員が全員眼鏡をかけているのは店の指導なのかは分からないが皆スタイリッシュにみえる。だが、接客業の彼らも、外国人と日本人の来店には少し驚き、そして話しかけづらいのか様子を伺っていた。
「アルはお洒落なの似合いそう」と春人が日本語で話しかけると、英語の壁が消え、店員の表情が和らいだ。そしてそんな事お構いなしに、春人はカウンターに並ぶ眼鏡を中腰で品定めする。人差し指を唇に当て、柔らかいそこは凹み、アルバートは自身の唇を押し付けたくなる。
「アルはどれがいい?」
「ん?」
「ちゃんと見てる?」
「ああ、見ているよ。初めてだから迷っていただけだ」
「本当に? でも僕も視力悪くないから初めて来たなぁ……これどう?」
春人が適当に眼鏡を手に取る。黒縁の眼鏡だった。それとアルバートを見比べる。
「黒……似合ってるけど、プラチナブロンドが目立たないなあ」
そう言って隣の眼鏡を手に取る。
「赤!」
絶対にありえない。それは本人も分かっているようで悪戯っぽく笑いながら手渡してくる。
アルバートはもちろんかけずに元の位置に戻した。
「流石に赤はきついな」
「芸人さんみたいだよね!」
「たしかにそんなコメディアンもいたような気がする」
「青かな……緑かな?」
原色ばかりチョイスする春人。
そんな彼を横で見つめるアルバートはその楽しそうな笑顔に、腕時計を重ねた。
春人がクリスマスにプレゼントしてくれた時計は、あの時から数刻のズレもなく日本時間を刻んでいる。この贈り物もこうやって選んでくれたのだろうかと、綻んでしまう。
(見る程度に留めておこうと思ったが、春人が選んでくれるならば買ってしまおうか……)
そんな春人は薄ピンクの眼鏡を手にしている。
(それだけは勘弁してくれ)
そしてようやくアルバートの最初の試着となった色は……
「おお!! これいいかも、ブラウン!」
ダークブラウンのスクエア型の眼鏡。つけてみてとヒョコヒョコ跳ねる姿は期待が込められていて、鏡の前で春人から眼鏡を受け取る。まだ何の加工もされていないレンズなので特に視界に変化はないが両手で丁寧にかけて春人の方を見る。
「どうだろうか?」
「……」
「春人?」
「……あっ! いいんじゃない?! 似合ってるよ!」
「本当に? 不思議そうな表情をしているが?」
「似合ってるよ! 本当の本当!」
怪訝そうに春人を見るが、本人は頬を染めて顔を逸らす。真相を聞こうと口を開けば、タイミング悪く、店員が話しかけてきた。
「いかがなさいますか?」
「これにしよう」
「はやっ!」
「色も落ち着いているし、何より君が選んでくれたからね」
「赤は嫌がったのに!」
「あれは少々無理がある」
恋人同士の様な会話が混ざったが、店員は気にも止めない。それどころかアルバートの横顔を見つめていた。
「では、レンズの度数を合わせますので、あちらに……」
奥の調整室へとアルバートを案内する女性はまだうっとりとしている。そんな彼女に「よろしくお願いします」と紳士的に微笑むアルバート。接客中でなければ女性も黄色い悲鳴をあげていただろう。
正直、春人は目の前の光景が面白くない。
「僕店の外で待ってるね」
「君も一緒に……」
「待ってるから」
アルバートを残し店をあとにした春人は、手すりにもたれた。
ショッピングモールの構造としてはありがちな吹き抜け。見下ろすと一階フロアを行き交う人々が見える。
中には眼鏡をかけた人も……
「あんなの反則だよ」
どの眼鏡の男性を見てもアルバートを越える人物はいない。たった二つのレンズで飾られたイギリス人の顔の破壊力は抜群だった。ダンディーがいつにもましてインテリジェンスを増し、計算していたかのように春人の心臓を高鳴らせた。
「仕事中にかけるんだろな……なんかやだなあ……」
あまり他の人には見せたくない。
そんな気持ちでいっぱいだった。
先程の店員の表情が、会社での女性の反応を知らしめてくれる。
「はあああ」
何度目かの溜息を階下に降らせると、そのさらに上からバリトンボイスが降ってくる。
「春人」
後ろにアルバートがいた。
「あれ? もう終わったの?」
「度を合わせるのはね。施工に時間がかかるそうだから、何処かでお茶でもしようか」
「あっ、うん。どこいく?」
「そうだな……少し休憩する?」
「なんで?」
「何だかボーッとしているようだが」
(そりゃ、あんなカッコイイアルを見たんだからそうなるよ)
「大丈夫だよ。でも時間あるならお茶しようか」
無難な選択をして2人はモール内のカフェへ向かう。眼鏡を選んでくれたお礼にとアルバートがご馳走し、時間まで仕事の話で時間を潰した。
「そういえば、先日インテリア事業部に行ったのだが、何やら慌ただしかったね」
「え? いつ?」
「いつだったかな。君を一目見ようとしたが、松田さんとファイルに埋もれていた」
「ああ! この前、松田さんが書類のファイルミスしちゃった日か!」
「そうだったのか。彼も疲労が溜まっているのでは?」
「アルだって、眼精疲労出ているんだから無理しちゃ駄目だよ!」
他人の事を言えない恋人は、アールグレイのカップを傾けている。
まだその顔には眼鏡の存在は無く、曇る事もない。
「仕事中、眼鏡つけるの?」
「そうするつもりだ。しかし、見えにくい時だけにするよ。ずっとかけていると逆に疲れそうだ」
「ふーん」
自分で眼鏡を買いに行こうと提案しておいて今さら後悔してきた。その表情はご馳走してもらったココアには映らない。だが、ココアの様に心が独占欲で濁っているのだけははっきり分かる。
「そろそろ時間だ。行こうか」
「うん!」
眼鏡屋で品を受け取り、今後の予定を確認する。
「ところで映画は本当に良かっただろうか」
「アルが疲れてない時にまた来ようよ!」
「別に疲れてはいないが」
「目の話!」
「気を遣わせてすまない。では、この後はどうする?」
うーんと唸りながら、春人が眼鏡ショップの時と同じように人差し指で唇を撫でる。
そのままエスカレーターに乗り、今後の予定を考える。思考で傾いた黒髪に触れたい気持ちを押さえ、アルバートは後ろから、2メートル近い身体を曲げ春人に囁いた。
「春人」
「なに?」
「……君を今すぐ攫いたい」
「?!」
驚いて振り向いた春人には欲情している水色の瞳。それに吸い込まれ、疎かになった足元はエスカレーターのステップで躓いた。
「うわッ」
すかさずアルバートが腕を回し、支える。そして「うちにおいで」と誘惑する。わざと落とされたトーンに春人も抗えず、黙って頷く。横を歩きながら、指を掠めさせ、春人の興奮をアルバートが高める。
アルバートの家に到着した時には、もう春人の股間は張っていて、玄関で抱きついた。
「老眼?」
アルバートは赤澤の声と単語に嫌な顔をした。
机は隣で、机と机の間は人が一人通れるくらいの距離しか空いていない。
「あまり聞きたくない言葉だな」
「俺も最近やばい。」
「遠くのものは見えるが、近くのものが見えづらい」
「老眼だな。それか眼精疲労じゃないか? 老眼だったら一度眼科を受診したほうがいいぞ! それで良くなることもあるらしい!」
と、赤澤が「俺も昔上司から聞いた受け売りだけどな」と付け加え情報をくれる。
治るなら早期に越した事はないと、アルバートは次の休日に早速予約を入れた。
◇ ◇ ◇
「眼精疲労ですね。でも少し老眼も出てきてるかもしれません」
医師に告げられたのは何とも悲しい現実だった。やはり歳には勝てないようだ。
「今は手術で老眼を改善する方法もありますよ。だいたい皆さん眼鏡かコンタクトレンズですが」
「手術?」
「はい。簡単な手術ですよ、15分程度で終わります」
「……少し考えさせてください」
眼精疲労用の目薬を処方され、とりあえず原因も分かったので眼科を出る。梅雨を間近に控えたこの季節は少し暑く、湿気も多い。扉を開けると少しムワッとした空気に顔をしかめる。
「次は、あっちか」
眼科へ行ったその足で次は別の場所を目指す。
「どうしたものか」
一応おかしな病気ではなかったとはいえ、やはり受け入れがたい。手術も場所が場所だけにアルバートは少し躊躇いがあった。かといって、このまま放置すればいつか仕事でミスをしてしまうかもしれない。
「やはり手術か……」
と悩みに悩むうちに、もう一つの目的地である、ショッピングモール前の時計台に到着していた。その下のベンチでは足をブラブラさせた青年が座っている。確実に春人であるのに、老眼の話を聞いてしまった今、自分の目は信憑性が薄い。
青年がアルバートに気が付き満開の笑顔を咲かさなければ、声をかけるのがもう少し遅かっただろう。
「すまない遅くなって」
「いつもアルが先につくから今日は30分前に来ていたんだ!」
外でデートは久しぶりだ。アルバートは新年度が始まり予想通り多忙を極めている。そのせいでお互いの家で夜遅くに会うか、たまに職場でこっそり会うかのどちらで、日差しの下できちんと会うのは久しぶりだった。
普段着の春人は年齢より少し若く見える。普段会社でのスーツの彼をみるといつもとの違いにドキッとしてしまうこともある。逆もしかりで、最近はスーツの春人ばかりだったので幼く見える普段着の彼に今は少しドキドキしている。
見とれていると春人の方から声をかけてきた。
「もしかして午前中、仕事だったの?」
「いや、病院へ行っていた」
春人の表情が不安に染まる。
「どこが悪いの?」
「目が少しね」
「目?」
「見えづらくなっていて」
この日本語に春人は勘違いをしたようで「アル、目が見えなくなるの?」と泣きそうな声を発した。
「いや……ただの眼精疲労だ」
春人の心配をよそに言われた言葉は社会人にはありがちな目の疲れだった。しかし、何だか他にも隠している気がする。言葉の合間の間が気になった。
「本当に?」
「恥ずかしい話なのだが……少し老眼も出ているらしい」
「えっ?」
老眼というまだ春人には無関係な言葉に一瞬思考が止まった。
「アルでも老眼になるんだ」
「それはそうだろ、もう今年で43だ」
「いやだってさ……夜はアレだし。老けないのかなって。あっ、そうだ! 眼鏡買いに行こうよ!」
「どうしたんだ急に」
「だって老眼なんでしょ?」
「そこまではっきり言われるのは複雑だ」
「それ用の眼鏡買いに行かない? 見に行くだけでもいいし!」
「しかし、今日は映画を見に行くのだろ?」
「そうだったけど、予定変更! 第一、眼精疲労なのに映画なんてダメだよ!」
映画を見に大型ショッピングモールに来ていたので、眼鏡を買うという予定変更は特に問題ない。
映画館のある方へは行かず、春人はショッピングモールに入ると眼鏡ショップを探してアルバートを急かすようにして連れていった。
「アル、あそこ!」
春人が指さす先には、よくCMでもみかける店。店員が全員眼鏡をかけているのは店の指導なのかは分からないが皆スタイリッシュにみえる。だが、接客業の彼らも、外国人と日本人の来店には少し驚き、そして話しかけづらいのか様子を伺っていた。
「アルはお洒落なの似合いそう」と春人が日本語で話しかけると、英語の壁が消え、店員の表情が和らいだ。そしてそんな事お構いなしに、春人はカウンターに並ぶ眼鏡を中腰で品定めする。人差し指を唇に当て、柔らかいそこは凹み、アルバートは自身の唇を押し付けたくなる。
「アルはどれがいい?」
「ん?」
「ちゃんと見てる?」
「ああ、見ているよ。初めてだから迷っていただけだ」
「本当に? でも僕も視力悪くないから初めて来たなぁ……これどう?」
春人が適当に眼鏡を手に取る。黒縁の眼鏡だった。それとアルバートを見比べる。
「黒……似合ってるけど、プラチナブロンドが目立たないなあ」
そう言って隣の眼鏡を手に取る。
「赤!」
絶対にありえない。それは本人も分かっているようで悪戯っぽく笑いながら手渡してくる。
アルバートはもちろんかけずに元の位置に戻した。
「流石に赤はきついな」
「芸人さんみたいだよね!」
「たしかにそんなコメディアンもいたような気がする」
「青かな……緑かな?」
原色ばかりチョイスする春人。
そんな彼を横で見つめるアルバートはその楽しそうな笑顔に、腕時計を重ねた。
春人がクリスマスにプレゼントしてくれた時計は、あの時から数刻のズレもなく日本時間を刻んでいる。この贈り物もこうやって選んでくれたのだろうかと、綻んでしまう。
(見る程度に留めておこうと思ったが、春人が選んでくれるならば買ってしまおうか……)
そんな春人は薄ピンクの眼鏡を手にしている。
(それだけは勘弁してくれ)
そしてようやくアルバートの最初の試着となった色は……
「おお!! これいいかも、ブラウン!」
ダークブラウンのスクエア型の眼鏡。つけてみてとヒョコヒョコ跳ねる姿は期待が込められていて、鏡の前で春人から眼鏡を受け取る。まだ何の加工もされていないレンズなので特に視界に変化はないが両手で丁寧にかけて春人の方を見る。
「どうだろうか?」
「……」
「春人?」
「……あっ! いいんじゃない?! 似合ってるよ!」
「本当に? 不思議そうな表情をしているが?」
「似合ってるよ! 本当の本当!」
怪訝そうに春人を見るが、本人は頬を染めて顔を逸らす。真相を聞こうと口を開けば、タイミング悪く、店員が話しかけてきた。
「いかがなさいますか?」
「これにしよう」
「はやっ!」
「色も落ち着いているし、何より君が選んでくれたからね」
「赤は嫌がったのに!」
「あれは少々無理がある」
恋人同士の様な会話が混ざったが、店員は気にも止めない。それどころかアルバートの横顔を見つめていた。
「では、レンズの度数を合わせますので、あちらに……」
奥の調整室へとアルバートを案内する女性はまだうっとりとしている。そんな彼女に「よろしくお願いします」と紳士的に微笑むアルバート。接客中でなければ女性も黄色い悲鳴をあげていただろう。
正直、春人は目の前の光景が面白くない。
「僕店の外で待ってるね」
「君も一緒に……」
「待ってるから」
アルバートを残し店をあとにした春人は、手すりにもたれた。
ショッピングモールの構造としてはありがちな吹き抜け。見下ろすと一階フロアを行き交う人々が見える。
中には眼鏡をかけた人も……
「あんなの反則だよ」
どの眼鏡の男性を見てもアルバートを越える人物はいない。たった二つのレンズで飾られたイギリス人の顔の破壊力は抜群だった。ダンディーがいつにもましてインテリジェンスを増し、計算していたかのように春人の心臓を高鳴らせた。
「仕事中にかけるんだろな……なんかやだなあ……」
あまり他の人には見せたくない。
そんな気持ちでいっぱいだった。
先程の店員の表情が、会社での女性の反応を知らしめてくれる。
「はあああ」
何度目かの溜息を階下に降らせると、そのさらに上からバリトンボイスが降ってくる。
「春人」
後ろにアルバートがいた。
「あれ? もう終わったの?」
「度を合わせるのはね。施工に時間がかかるそうだから、何処かでお茶でもしようか」
「あっ、うん。どこいく?」
「そうだな……少し休憩する?」
「なんで?」
「何だかボーッとしているようだが」
(そりゃ、あんなカッコイイアルを見たんだからそうなるよ)
「大丈夫だよ。でも時間あるならお茶しようか」
無難な選択をして2人はモール内のカフェへ向かう。眼鏡を選んでくれたお礼にとアルバートがご馳走し、時間まで仕事の話で時間を潰した。
「そういえば、先日インテリア事業部に行ったのだが、何やら慌ただしかったね」
「え? いつ?」
「いつだったかな。君を一目見ようとしたが、松田さんとファイルに埋もれていた」
「ああ! この前、松田さんが書類のファイルミスしちゃった日か!」
「そうだったのか。彼も疲労が溜まっているのでは?」
「アルだって、眼精疲労出ているんだから無理しちゃ駄目だよ!」
他人の事を言えない恋人は、アールグレイのカップを傾けている。
まだその顔には眼鏡の存在は無く、曇る事もない。
「仕事中、眼鏡つけるの?」
「そうするつもりだ。しかし、見えにくい時だけにするよ。ずっとかけていると逆に疲れそうだ」
「ふーん」
自分で眼鏡を買いに行こうと提案しておいて今さら後悔してきた。その表情はご馳走してもらったココアには映らない。だが、ココアの様に心が独占欲で濁っているのだけははっきり分かる。
「そろそろ時間だ。行こうか」
「うん!」
眼鏡屋で品を受け取り、今後の予定を確認する。
「ところで映画は本当に良かっただろうか」
「アルが疲れてない時にまた来ようよ!」
「別に疲れてはいないが」
「目の話!」
「気を遣わせてすまない。では、この後はどうする?」
うーんと唸りながら、春人が眼鏡ショップの時と同じように人差し指で唇を撫でる。
そのままエスカレーターに乗り、今後の予定を考える。思考で傾いた黒髪に触れたい気持ちを押さえ、アルバートは後ろから、2メートル近い身体を曲げ春人に囁いた。
「春人」
「なに?」
「……君を今すぐ攫いたい」
「?!」
驚いて振り向いた春人には欲情している水色の瞳。それに吸い込まれ、疎かになった足元はエスカレーターのステップで躓いた。
「うわッ」
すかさずアルバートが腕を回し、支える。そして「うちにおいで」と誘惑する。わざと落とされたトーンに春人も抗えず、黙って頷く。横を歩きながら、指を掠めさせ、春人の興奮をアルバートが高める。
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