向日葵と恋文

ベンジャミン・スミス

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第六話

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 一九四七年。終戦から二年が経った。もう手紙も来ず、安否の知らせもない。
どこかで生きている。それだけを信じてひたすら待ち続けるには長い月日が経っていた。
 今年も昌は向日葵を二輪咲かせようとした。しかし、残念なことに、今年は咲く前に台風で折れてしまった。その日は、自慰にふける気も起きず帰路に着いた。
「すまない。約束を守れなくて。私は不甲斐ない男だ」
 昌は足を引きずり、頭を垂れながら帰宅した。帰宅後、やけに大きな郵便物が来ていた。中を覗くと遠方の親戚から女性の写真が同封された手紙が入っていた。
「もう、本当にしまいどきだ……」
 昌は千代を探す。千代は、食事の準備をしていた。
「おかえりなさいませ」
「……結婚しようと思うのだ」
 兄の言葉に千代は持っていた皿を落とし、山菜が散らばる。
「今……なんと?」
「だから──」
 歳もそこそこでおかしくもない話なのにどうしてこんなにも驚くのか不思議になりながら千代を見つめる。もう待っても徹司は帰ってこないかもしれない、それに帰って来たとしても徹司は千代と契りを結ぶ。
「また逃げるのですか?」
 散らばった山菜の煮つけも拾わず、千代が肩を震わす。
「また? 何からだ?」
 昌は自分が何から逃げているか理解していた。徹司の死と、生きていたとしても別の人の物になってしまう現実から逃げたかったのだ。どちらに転がっても自分には不幸でしかない。だが、それを千代が知るはずもないとすっ呆けたが、彼女は怒りでどんどん顔が紅潮していく。
「分かっているくせに!」
 皮膚が弾かれる音が居間に響く。自分が頬に平手を食らったことにようやく気が付いた昌は、まだ状況が呑み込めずに目を丸くして爆発した千代を見つめる。
「何だというのだ!」
「兄様は大馬鹿者です!」
「なっ!? 実の兄に向って……」
「兄様だけではありません! 徹司様も! 徹司様も、大馬鹿者です!」
 自分が流すことが出来なかった分も溢れているようにも見えるほど、千代の瞳からは涙が溢れていた。
「千代! まだ婚姻関係がないとはいえ徹司の事までも!」
「婚姻関係などこの先永遠に結べませぬ!」
 一瞬、徹司の死が脳内を駆け巡った。
「私は、徹司様に断られてしまったのです」
 着物の袖で目元を拭いながら千代は全てを打ち明けた。
「出兵されたあの日に──」


***

「私、徹司様を好いております」
 昌を追い掛けようとする徹司の軍服の袖を引っ張れば、固まるのが分かる。ゆっくりと千代に首を回した徹司の表情は悲しげな顔をしていた。
「すまないが、その気持ちは受け取ることができない」
「そうですか。他に誰か想い人が?」
「……いない」
 歯切れの悪い返事に千代は今から国の為に戦う男にため息を漏らしてしまった。
「実は私、徹司様が兄様を慕っているのを知っております」
「ええ!?」
「間抜けな声でございますね」
 徹司を驚かせた千代がフフフと上品に笑う。
「もちろん、兄様も徹司様を慕っておりますとも」
「それは、どうだろうか」
「二人とも不器用でございますから」
 これが最後の頼みの綱かもしれないと、徹司は覚悟を決めた。
「不器用な男から、一つ頼みがある」
「何でございましょうか」
「戦地から手紙を送りたい」
 お願いするほどの事ではないと首を傾げてしまう千代に、徹司は自身の望みを託した。
「手紙の検閲は厳しい。婚約者である君に送る振りをして昌に手紙を送りたいのだ。男の友人に送るなど、検閲に引っかかる可能性が大きい。しかし婚約者になら──」
「婚約者だなんて、言い得て妙ですね」
「すまない。利用する様な真似をして」
「それに私宛にして中身を兄様宛にすればよろしいのでは?もちろん文面は婚約者に送るような内容になされば問題ありません」
「それでは好きだと告げたようなものだろ」
 本当にまどろっこしい二人だと天を仰ぐ千代。
「かしこまりました。しかし、私も文の内容を拝見しても?」
「……」
「徹司様の事ですから何かしら細工をしてこられるでしょう?もし兄様がそれを解けなかった時に助言を与えるだけでございます」
「敵わないな」
 幼馴染の妹に両手を上げてしまう。不敵に笑う千代は「長年お慕い申しておりましたから。徹司様の事はお見通しです」と、凛として言った。
「頼んだ」
「はい。では、武運をお祈りいたします」
 長年見ていたからこそ、ある日兄と徹司の様子がおかしい事に気が付いた。
徹司の家へ通う物欲しげな兄の顔、そして視線が二人同時にあう事はないが、お互いを盗む様にうっとり見つめるその視線は、紛れもなく恋の色。それに自分が入るすきなど全くなく、いつの間にか恋心は消え去っていた。
 そして不器用な二人はいつになったら添い遂げるのか。じれったさを心の中に留めておきながら千代は昌の代わりに徹司を見送った。

***

「妹を甘くみないでくださいまし。お二人の事は気が付いておりました」
「では、何故結婚などと」
「それを出せばさすがの兄様も重い腰を上げて想いを告げると思いました。しかし想像以上に重かったようです」
「妹の幸せを願っただけだ」
「それを理由に逃げただけでは?」
 徹司と同じく、昌も千代にはお手上げ状態だった。
「情けない男だ」
「ええ、ええ、存じておりますとも。徹司様も、文に細工などして……お二人とも本当に……」
「その細工とは何のことだ」
 千代が今まで徹司から送られてきた手紙を昌に渡す。もう一度丁寧に読み返しが、何も昌宛ての物は見つからない。どう見ても丁寧な言葉で千代に宛てられたものばかりだった。
「上でございます」
「?」
「一通目に書いておりますでしょう。上……と」
「上?」
 天井を向けば、再び千代に平手を今度は軽く食らう。
「文から目を離しますな!」
「いたた……分かったからもう叩くのは勘弁してくれ。」
「まったく。では、兄様はごゆっくり縁側で恋文でも読んでいてください。私は片づけがございますので」
と背中を押され縁側へ追いやられる。
「あっ。先ほどの結婚の事でございますが、取りやめになさってくださいね。好いている方がいるのに結婚など、千代は許しませぬ。その代わり私の相手を見つけてくださいませ」
 そう早口で言って襖をピシャリと閉めてしまった。
「あのような逞しいおなごの貰い手を探すのか」
そう言いながら縁側に座り徹司からの手紙を広げる。
「目を離すな……」
 ジッと手紙を見つめる。
「上を見ろ……」
 文章をなぞっていた指で手紙の上部を擦る。縦書きで書かれている手紙の上部を指で右から左に滑らせた時、脳内が一気に沸騰し、鳥肌が立った。
「あ……い……し……て……い……る……」
 文章の一番上の文字たちを声に出して読む。他の手紙も急いで広げ、震える指先で徹司からの恋文を読み上げる。
「だきしめたい……あいたい……」
 そして終戦したあの日届いた最後の手紙には──
「きみが……ほしい……ああ徹司……」
 手紙にようやく溢れた雫がぽたぽたと堕ち、広がっていく。
「私もだ。愛している……君が欲しい……」
 胸に全ての手紙を抱きしめ、今まで我慢していた悲しみ、想い、全てをぶちまけた。
「徹司! 徹司!」
 もうどこにいるかも分からない男を想い、空に吼えた。


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