瓶詰めの神

東城夜月

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第八話 狩り①

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香水は、第一校舎の昇降口からなごみ達が待機している教室に向かって、随所に撒かれた。有希ゆきの罠は階下の死角に仕掛けられ、裕矢ゆうや綾部あやべはその付近で待ち伏せし、背後から都丸とまるを襲撃するという目算だ。校舎内を舞台にしたのは、開けた場所では他の生徒の目につきやすいという理由だった。
 既に外には月が昇っている。校舎内には電灯が点いているが、夜の校舎というだけで薄気味悪く、また他に何もない山の中でこの学園だけが光に浮かび上がっているのが異様でもあった。
 内心、本当に都丸がやってくるのか疑問であった。和ですらそう思っているのだから、有希と湊は尚更だろう。案外、何も起こらずに朝になってしまうかもしれない──そんな考えは、存外すぐに打ち砕かれた。
「来た」
 湊が呟き、素早く窓の下に身を隠した。
「本当に、こんな方法で?」
「間違いない、都丸や。校舎内に入ってくる」
 有希と湊が言葉を交わすのを聞いて、和も信じられない、と驚愕する。裕矢と綾部も昇降口が見える場所から警戒しているはずだ。間もなく階下か、この教室で殺し合いが始まる。不安から、手が小刻みに震えた。

「来たぞ」
 綾部にそう告げて、裕矢は素早く窓から離れ、階段付近の曲がり角に身を隠す。
「本当に来たんですか? 犬みたいな人ですね」
「全く可愛くもねえがな」
 言いながら、裕矢は制服のスラックスで掌の汗を拭い、鉄バットを握り直す。できれば殺したくはない。縛って転がしておくなりなんなりして無力化できればそれがいい。だが、そう簡単には行かないだろうなと予感していた。
 何分都丸は背が高い。いつも大勢の生徒に囲まれていてもどこに立っているかわかるほどだ。それほど筋肉質な体格ではないが、裕矢と並んで頭一つ分違うだけで、向こうが有利なのは明らかだ。身長が違えば、当然リーチも変わってくる。綾部と合わせて二対一、数の有利を生かした上で、奇襲も成功させなければ勝てないだろう。何より恐ろしいのは、既に二人の生徒を殺害しているという躊躇の無さだ。
「俺が出会い頭に正面から行く、そしたらお前は後ろからやれ」
武村たけむらさんを人質に取られたからって、勝ちを焦らないでくださいよ」
 そう言った綾部の頭越しに、何かが光ったように見えた。
 裕矢は咄嗟に跳躍して、綾部に覆い被さる。頭上で、何かが空を切って飛んでいく音がした。振り返ると、壁に一本の矢が刺さっている。光って見えたのは、恐らく矢尻だろう。
 アーチェリーの持ち主が、近くにいる──。
 そう思って再度矢が飛んできた方向を見ると、そこには夜叉がいた。髪を振り乱し、血走った目で鉈を振りかぶる女子生徒が。
 裕矢は綾部を突き飛ばし、自分は床に転がる。その床を、鉈が鋭い音を立てて打ち据えた。
 この女が誰かは後回しだ。今最悪な事は、都丸と彼女に挟まれること。
「綾部、走るぞ!」
 裕矢は女子生徒が来た方向へ走り出した。ここは南側で、校舎は南から北に向かってコの字型になっている。北の階段から上って、和達が待機している教室に向かう。この状況ではそれしか考えられなかった。
 後ろから、アーチェリーの弦がしなる音と、矢が空を切る音がした。綾部が悲鳴を上げて崩れ落ちる。その横では、床の上で矢が力なく回転していた。綾部のスラックスにじわじわと血が滲んでいく。壁か床に当たって跳ね返った矢が、彼の足を捕らえたのだろう。
永友ながともさん、行ってください!」
 綾部は鉄バットを杖にして立ち上がると、女子生徒に向けて構えた。彼女の追跡を振り切れないと踏んだのだろう。だが、手負いの彼一人で、明らかに越えてはならない一線を越えてしまっている彼女と渡り合えるのか。
「武村さんを、早く!」
 行かなければ、和が殺される。あの高遠たかとおという女は、都丸と対峙すれば間違いなく和を盾にするだろう。
「死ぬなよ!」
 口に出しても詮無いこととわかってはいた。だが、言わずにはいられなかった。
 背後で、金属がぶつかり合う音がした。
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