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第十一話 死者の記憶
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物心ついた時から冬は嫌いだった。世間はクリスマスで浮かれて、子供達はサンタクロースに頼むプレゼントについての話題ばかり口にする。だが、綾部の家にクリスマスというものは存在しなかった。
一度だけ、クリスマスプレゼントが欲しいとねだったことがある。あれは違う宗教の祭りだからとにべもなくかわされ、幼い綾部はつい口にしてしまったのだ。「宗教なんかやめたい」と。
母親は血相を変え、「育て方を間違えた」と何度も叫んだ。
「なんてことを言うの! やっぱり幼稚園なんか行かせるべきじゃなかった! 馬鹿なことばっかり覚えてきて!」
その夜、母親は父親にそのことを伝えたようだった。当然父親にも厳しく叱責された。その後両親は何事かを話し合っていたようだった。次の日から、綾部は幼稚園に行かせてもらえなくなった。
当時はなにがなんだかわからず、クリスマスプレゼントをねだったら幼稚園を辞めさせられた、としか認識していなかったが、今ならわかる。あの夜、母親は父親と相談して、仕事を辞めて綾部を家で教育することにしたのだ。幼児の浅はかな、宗教なんかやめたい、という言葉を鵜呑みにして。
家にはいつも封斗教の存在があった。寧ろ、封斗教の存在しかなかった。もしかしたら、綾部の家には「家庭」というものすら存在しなかったのかもしれない。
小学校に上がるとき、自分だけ近所の子供達とは違う、遠くの学校に行かされたときに、綾部は完全に理解した。そして、両親から離れて生きていけるようになるまで、その愚かな営みに付き合ってやることにしたのだ。
だが、「理想の子供」を演じるのは楽ではなかった。なにせ、同年代の子供ができるであろうことの大半ができないのだ。やれることと言えば勉強と、週に一度の集会で熱心に祈り、集中して瞑想をする「振り」をするだけ。いつしか綾部は、周囲の人間の情報を集めるという、あまり上品ではない趣味を身につけてしまった。
例えば、集会の時いつも最前列で熱心に祈っている少女の名前は川崎安奈。綾部と同じく、両親と彼女の三人暮らし。以前通っていた学校でいじめに遭い不登校になり、比名川学園小等部に転校してきた。
その彼女の隣で祈っている振りをしている少年は、森山圭。きっと、彼は川崎の事が好きなのだろう。彼が集中していないと怒られる時は、きまって川崎の祈る横顔を見ている時だからだ──こんな具合に。
集会や、親同士の「勉強会」の場にいると、自然と噂話が始まる。それに聞き耳を立てているだけで、それなりの情報が集まった。きっと内心、誰もが退屈していたのだ。そうでなければ、噂話になど興じていなかっただろう。
宗教など、何の芸も無い人間の暇つぶしに過ぎない。それか、生きている甲斐のない人生を忘れるための酒か、麻薬となんら変わらない。それに大騒ぎして右往左往するなど、全くご苦労なことだ。もっと向き合わなければいけないものがあるだろうに。
全寮制の生活になると、ますます綾部の退屈は加速した。それに比例して、人聞きの良くない趣味が占める割合も多くなった。特に、高校からこの山奥の退屈な学園に入ってきた外部生達はそれなりの背景があって面白かった。
三年生の二木乃絵瑠。貧困家庭の出身で、陸上競技の才を買われて特待生として入学してきた派手な女。
一年生の高遠有希。京都の富裕層の家庭出身で、二年生の湊潤一と交流がある。湊の出身については、京都の名門生まれだが、妾の子であると囁かれているのは有名な話だった。
同じく一年の武村和は、学園きっての問題児、永友裕矢の幼馴染みだという。これも話を聞く機会があれば、なかなかの退屈しのぎになりそうだ。
しかし、そんな綾部を持ってしても、何もわかっていない生徒がいた。二年生の都丸貴広だ。
綾部の記憶する所では、相当幼い頃から教団の集会に姿を見せていた。だが、その出身や家庭に関しての話が、何一つ流れてこない。聞く話と言えば、彼と懇意にしていると学園の購買では手に入らない流行りの菓子が手に入るとか、禁止されている炭酸飲料、果てはコンシューマーゲーム機の持ち込みまで黙認されるという話ばかりだった。
勿論それが事実なのか確かめる術はなかったが、彼はいつも大勢の生徒達に囲まれていた。だが、彼のことをわかっている生徒は誰一人としていなかった。
しかし、彼だけが寮で個室を割り当てられていることを鑑みるに、全くの出鱈目というわけではなさそうだった。
しかしながら、つくづくこの教団には呆れてしまう。教義に「平等」を掲げておきながら、結局特別待遇がまかり通っているのだから。大体本当に平等であるのなら、教祖の岸上礼介だけが海で難破したところを神に助けられたという話自体がおかしい。平等を掲げる神なら、乗組員全員を助けるのが筋ではないのか。
結局神などいないし、宗教というのも効率よく金を集めるだけの装置でしかないのだ。
一度だけ、クリスマスプレゼントが欲しいとねだったことがある。あれは違う宗教の祭りだからとにべもなくかわされ、幼い綾部はつい口にしてしまったのだ。「宗教なんかやめたい」と。
母親は血相を変え、「育て方を間違えた」と何度も叫んだ。
「なんてことを言うの! やっぱり幼稚園なんか行かせるべきじゃなかった! 馬鹿なことばっかり覚えてきて!」
その夜、母親は父親にそのことを伝えたようだった。当然父親にも厳しく叱責された。その後両親は何事かを話し合っていたようだった。次の日から、綾部は幼稚園に行かせてもらえなくなった。
当時はなにがなんだかわからず、クリスマスプレゼントをねだったら幼稚園を辞めさせられた、としか認識していなかったが、今ならわかる。あの夜、母親は父親と相談して、仕事を辞めて綾部を家で教育することにしたのだ。幼児の浅はかな、宗教なんかやめたい、という言葉を鵜呑みにして。
家にはいつも封斗教の存在があった。寧ろ、封斗教の存在しかなかった。もしかしたら、綾部の家には「家庭」というものすら存在しなかったのかもしれない。
小学校に上がるとき、自分だけ近所の子供達とは違う、遠くの学校に行かされたときに、綾部は完全に理解した。そして、両親から離れて生きていけるようになるまで、その愚かな営みに付き合ってやることにしたのだ。
だが、「理想の子供」を演じるのは楽ではなかった。なにせ、同年代の子供ができるであろうことの大半ができないのだ。やれることと言えば勉強と、週に一度の集会で熱心に祈り、集中して瞑想をする「振り」をするだけ。いつしか綾部は、周囲の人間の情報を集めるという、あまり上品ではない趣味を身につけてしまった。
例えば、集会の時いつも最前列で熱心に祈っている少女の名前は川崎安奈。綾部と同じく、両親と彼女の三人暮らし。以前通っていた学校でいじめに遭い不登校になり、比名川学園小等部に転校してきた。
その彼女の隣で祈っている振りをしている少年は、森山圭。きっと、彼は川崎の事が好きなのだろう。彼が集中していないと怒られる時は、きまって川崎の祈る横顔を見ている時だからだ──こんな具合に。
集会や、親同士の「勉強会」の場にいると、自然と噂話が始まる。それに聞き耳を立てているだけで、それなりの情報が集まった。きっと内心、誰もが退屈していたのだ。そうでなければ、噂話になど興じていなかっただろう。
宗教など、何の芸も無い人間の暇つぶしに過ぎない。それか、生きている甲斐のない人生を忘れるための酒か、麻薬となんら変わらない。それに大騒ぎして右往左往するなど、全くご苦労なことだ。もっと向き合わなければいけないものがあるだろうに。
全寮制の生活になると、ますます綾部の退屈は加速した。それに比例して、人聞きの良くない趣味が占める割合も多くなった。特に、高校からこの山奥の退屈な学園に入ってきた外部生達はそれなりの背景があって面白かった。
三年生の二木乃絵瑠。貧困家庭の出身で、陸上競技の才を買われて特待生として入学してきた派手な女。
一年生の高遠有希。京都の富裕層の家庭出身で、二年生の湊潤一と交流がある。湊の出身については、京都の名門生まれだが、妾の子であると囁かれているのは有名な話だった。
同じく一年の武村和は、学園きっての問題児、永友裕矢の幼馴染みだという。これも話を聞く機会があれば、なかなかの退屈しのぎになりそうだ。
しかし、そんな綾部を持ってしても、何もわかっていない生徒がいた。二年生の都丸貴広だ。
綾部の記憶する所では、相当幼い頃から教団の集会に姿を見せていた。だが、その出身や家庭に関しての話が、何一つ流れてこない。聞く話と言えば、彼と懇意にしていると学園の購買では手に入らない流行りの菓子が手に入るとか、禁止されている炭酸飲料、果てはコンシューマーゲーム機の持ち込みまで黙認されるという話ばかりだった。
勿論それが事実なのか確かめる術はなかったが、彼はいつも大勢の生徒達に囲まれていた。だが、彼のことをわかっている生徒は誰一人としていなかった。
しかし、彼だけが寮で個室を割り当てられていることを鑑みるに、全くの出鱈目というわけではなさそうだった。
しかしながら、つくづくこの教団には呆れてしまう。教義に「平等」を掲げておきながら、結局特別待遇がまかり通っているのだから。大体本当に平等であるのなら、教祖の岸上礼介だけが海で難破したところを神に助けられたという話自体がおかしい。平等を掲げる神なら、乗組員全員を助けるのが筋ではないのか。
結局神などいないし、宗教というのも効率よく金を集めるだけの装置でしかないのだ。
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