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チャプター4 シャモギの項1
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藪の中の獣道を走る。長く伸びた草は鋭くて、こすりついてくるそれは刃のように皮膚を切る。
お姉ちゃんが急に立ち止まり、しゃがみ込んだ。静かにしているようにと、ぼくに言い聞かせる。
ぼくを抱きかかえているお姉ちゃん。いつもは暖かいのだけど、今はとても冷たく感じた。
お姉ちゃんが、ぼくにそっと白い息を吹きかけてくれた。ぼくが、ブルブル震えていたのを気にかけてくれたんだ。
「そっちに逃げ込んだぞ」
大きな声。怖い人たちがたくさん。お姉ちゃんが、小声で「音を立てないで」と言うと、ぼくを強く抱きしめたまま、草むらの中に隠れた。
「探せ。取り逃すんじゃないぞ」
お姉ちゃんも、震えていた。ぼくだって、お姉ちゃんのことを温めてあげたい……でも、その時のぼくは、お姉ちゃんの優しさにただ甘えていることしかできなかったんだ。
(お姉ちゃん……ごめんなさい……ごめんなさい)
ぼくは心の中でそう繰り返した。身体がガタガタと震えているのがわかる。
「シャモギは悪くないよ。……悪くない」
お姉ちゃんはぼくの耳元でそう言うと、ぼくの頭を、ゆっくりさすってくれた。そうやって繰り返して、何度も、何度も……。
「で、でも……あの人たちだって、ぼくのこと」
「悪くない」
お姉ちゃんは意思は固かった。
でも、本当は……一番悪いのは、ぼくなんだ。
ぼくが生まれてきたから、お母さんはいなくなった。ぼくが言うことを聞かなかったから、お父さんはぼくとお姉ちゃんを捨てた。ぼくが一緒にいるから、お姉ちゃんは今も怖い人たちに追われている。
だけど、お姉ちゃんは優しすぎるから、ぼくが悪いんだって思ってさえくれない。だから、お姉ちゃんはぼくよりも、もっと、もっと……苦しい想いをしている。
追ってきた一人が、急に立ち止まった。その人は、近くの草むらを漁り、何かを取り出す。
「おい、これを見ろ」
背中が急に冷たくなった。お姉ちゃんも目を大きく開いて、驚いている。
その人が見つけたのは、干しパンの切れ端だった。お腹を空かしていたぼくのために、今朝、お姉ちゃんが盗んできたもの。
ぼくははっとなって、ふところを漁る。無い……無い……やっぱり、落としたんだ。
ぼくは……お姉ちゃんのためにと思って、大きめに残しておいたんだ。お姉ちゃんは……今朝から何も食べていなかったから。本当は、「全部食べていいよ」って言われたのに。
一人の呼び声で、たくさんの人たちが集まってきた。怖い人たちが周りに散らばり――少しずつ、少しずつ、近づいてくる。
「気をつけろ……慎重にいけ」
怖い人たちが、すぐ傍に来ている。草をかき分けながら、ゆっくり、ゆっくり、近づいてくる。
「……シャモギ、聞いて」
お姉ちゃんが、耳元で囁いた。
「聞かれちゃうよ……お姉ちゃん」
「しっ。黙って聞いて」
お姉ちゃんは、何か……しようとしている。ぼくはそれを止めたかったのに……。
「私があの人たちのところに出ていくから……私が引きつけている間に、シャモギは遠くへ……」
「でも……」
「シャモギは強い子なんだよね? だったら……一人でも、大丈夫なはずだよね?」
お姉ちゃんは本気だった。ぼくは……ぼくの悪戯を見つけて怒った時よりも、ずっと、ずっと……真剣な表情のお姉ちゃんに対して、何も言い返せなかった。
お姉ちゃんは、すっと立ち上がった。駄目だ、見つかっちゃう……そう言う間もなく、お姉ちゃんは……怖い人たちの正面へ、飛び出していった。
「ひぃ……よ、妖魔」
その人は……怯えていた。それでも、お姉ちゃんは、容赦しなかった。
お姉ちゃんの意識が広がっていく。みんなには見えないって知っているけど、ぼくにはそれが、はっきりと見えるんだ。
「あが……うぁぁぁあぁ!」
その人の心が、音を立てて引き裂かれた。ズタズタに千切れ飛んだ。もう二度と――その人の心が、何かを感じることはないのだろう。
ぼくたちを追っていた人たちが、仲間がやられたことに気がついて、一斉に集まってくる。
「どうした、何があったんだ?」
「あ……き、貴様ぁ!」
あんなに怖い人たちが集まってきたら……お姉ちゃん一人では、絶対にかないっこない。それでも、お姉ちゃんは戦うつもりなんだ。ぼくを逃がすために……。
「次は……誰の番?」
お姉ちゃんは――ぼくにしか見えない――人間の心を滅茶苦茶にする、たくさんの大きなヒルを集めたようなものを蠢かせながら、集まってきた人たちを睨みつけた。
お姉ちゃんは、本当はこんなことしたくないのに。でも、ぼくがいるから……。
「命が惜しかったら、今すぐ引き返して。見逃して、あげるから」
「ふざけるな! 妖魔め」
「仲間をやっておいて、よくも、ぬけぬけと」
「こいつを生かしておいたら、犠牲者が増えるだけだ。ここで仕留めなければ」
鎌や……どこから持ってきたのか分からない、刀を持っている人までいる。その人たちが、わっと襲い掛かってきた。
お姉ちゃんはたくさんのヒルを暴れさせて、近くにいる人から順々に襲わせた。一人が泣き叫んで倒れて、もう一人が変な笑い声を張り上げながら飛び上がり、そのまま踊り出した。
だけど――後ろに一人が回り込んだ時、お姉ちゃんはそれに気づけなかったんだ。
ぼくは声を出しそうになった。でも、それより先に、お姉ちゃんが振り返った。そして、悲鳴を上げた。鎌が、お姉ちゃんの胸に突き刺さったんだ。血が……ドクドクと、流れた。
お姉ちゃんは……それ以上、声を上げなかった。わざと、相手の人たちを怒らせるようにふるまう。
目を光らせて、赤い髪の毛を躍らせる。人には見えない大きなヒルが、お姉ちゃんを刺した人を襲った。その人は……気持ちの悪い声を出して、ひっくり返った。
お姉ちゃんは痛いのを我慢して、笑った顔のまま駆け出した。みんな……仲間の仇を取ろうと、お姉ちゃんを追いかけていった。
ぼくは一人……取り残された。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、静かになった。少しの間をおいて、近くの森の高いところから、鳥の鳴き声が聴こえ始めた。まるで、鳥たちもあの人たちを恐れて、静まっていたみたいだ。
ぼくは……震えていた。
お姉ちゃんを助けにいきたい。でも、ぼくが出ていったところでどうなるのだろう。だけど、このままお姉ちゃんを見捨てて逃げるのも、絶対に嫌だ。
一番悪いのはぼくなのに、どうしてお姉ちゃんが酷い目に合わないといけないのか……。臆病なぼくは、勇気の無い自分を責め続けるしかできなかった。
「う……あァ……」
ぼくはぎょっとなる。倒れていた一人が呻き声を出しながら、起き上がった。あの人たちはお姉ちゃんを追いかけるのに必死で、心を喰い荒らされた人たちを残して行ったんだ。
その人は感情の無い目であちこちを見回した。そして……ぼくと目が合った。
ふらふらとした足取りで、近づいてくる。他の人たちはもう自力で動けないのに、この人だけは違った。
「がァァァ!」
腕を振り上げて、飛びかかってきた。まるで獣のように。
ぼくは振り下ろされた腕をかわして、後ろに飛びのいた。その人は眼を爛々と光らせて、こっちを見る。獲物を狙っているみたいに、舌なめずりをしていた。
「ど……どうして」
お姉ちゃんに心を喰われたから……だけじゃない。何かが変だ。だって、その人は、まるでぼくみたいに――顔中に獣の毛を生やし始めていたんだ。
四つん這いになって、うろうろとぼくの周りを回っている。これから……狩りをしようとしているかのように。
「こ、来ないで」
その人は怪しく笑った。そして、次の瞬間、飛びかかって来たんだ。
バシっと、鈍い衝撃が奔る。豹変した人は、銃で撃ち落とされた鳥のように地面へ落ちて、バタリと倒れた。それっきり、その人が動くことは無かった。
ぼくは、何が起こったのかを理解できずにいた。ふと、別の誰かが近くにいる気配を感じる。
「やれやれ、今頃になって発現するとは。皮肉なものですね」
そこにいたのは――身体中に毛を生やした、不思議な人の姿。
一目見たとき、まるで一個のお団子みたいな印象があった。それほどに、その人は丸っこい形をしていて、子どものぼくよりも少し背が高いくらいの大きさだったから。
「あなたは……弟さんの方ですね」
初めて見るその人は、ぼくに向かって話しかけてきた。
とても人間とは思えない姿だったけど……あの怖い人たちよりも、ずっと親しみを持てる……そう、思った。
「怖がらなくても良いですよ。私はね、あなた方を迎えに来たのですから」
その人はそう言って、にっこりと微笑んで見せた。
それが――ぼくとアキゴさんの出会いだった。
お姉ちゃんが急に立ち止まり、しゃがみ込んだ。静かにしているようにと、ぼくに言い聞かせる。
ぼくを抱きかかえているお姉ちゃん。いつもは暖かいのだけど、今はとても冷たく感じた。
お姉ちゃんが、ぼくにそっと白い息を吹きかけてくれた。ぼくが、ブルブル震えていたのを気にかけてくれたんだ。
「そっちに逃げ込んだぞ」
大きな声。怖い人たちがたくさん。お姉ちゃんが、小声で「音を立てないで」と言うと、ぼくを強く抱きしめたまま、草むらの中に隠れた。
「探せ。取り逃すんじゃないぞ」
お姉ちゃんも、震えていた。ぼくだって、お姉ちゃんのことを温めてあげたい……でも、その時のぼくは、お姉ちゃんの優しさにただ甘えていることしかできなかったんだ。
(お姉ちゃん……ごめんなさい……ごめんなさい)
ぼくは心の中でそう繰り返した。身体がガタガタと震えているのがわかる。
「シャモギは悪くないよ。……悪くない」
お姉ちゃんはぼくの耳元でそう言うと、ぼくの頭を、ゆっくりさすってくれた。そうやって繰り返して、何度も、何度も……。
「で、でも……あの人たちだって、ぼくのこと」
「悪くない」
お姉ちゃんは意思は固かった。
でも、本当は……一番悪いのは、ぼくなんだ。
ぼくが生まれてきたから、お母さんはいなくなった。ぼくが言うことを聞かなかったから、お父さんはぼくとお姉ちゃんを捨てた。ぼくが一緒にいるから、お姉ちゃんは今も怖い人たちに追われている。
だけど、お姉ちゃんは優しすぎるから、ぼくが悪いんだって思ってさえくれない。だから、お姉ちゃんはぼくよりも、もっと、もっと……苦しい想いをしている。
追ってきた一人が、急に立ち止まった。その人は、近くの草むらを漁り、何かを取り出す。
「おい、これを見ろ」
背中が急に冷たくなった。お姉ちゃんも目を大きく開いて、驚いている。
その人が見つけたのは、干しパンの切れ端だった。お腹を空かしていたぼくのために、今朝、お姉ちゃんが盗んできたもの。
ぼくははっとなって、ふところを漁る。無い……無い……やっぱり、落としたんだ。
ぼくは……お姉ちゃんのためにと思って、大きめに残しておいたんだ。お姉ちゃんは……今朝から何も食べていなかったから。本当は、「全部食べていいよ」って言われたのに。
一人の呼び声で、たくさんの人たちが集まってきた。怖い人たちが周りに散らばり――少しずつ、少しずつ、近づいてくる。
「気をつけろ……慎重にいけ」
怖い人たちが、すぐ傍に来ている。草をかき分けながら、ゆっくり、ゆっくり、近づいてくる。
「……シャモギ、聞いて」
お姉ちゃんが、耳元で囁いた。
「聞かれちゃうよ……お姉ちゃん」
「しっ。黙って聞いて」
お姉ちゃんは、何か……しようとしている。ぼくはそれを止めたかったのに……。
「私があの人たちのところに出ていくから……私が引きつけている間に、シャモギは遠くへ……」
「でも……」
「シャモギは強い子なんだよね? だったら……一人でも、大丈夫なはずだよね?」
お姉ちゃんは本気だった。ぼくは……ぼくの悪戯を見つけて怒った時よりも、ずっと、ずっと……真剣な表情のお姉ちゃんに対して、何も言い返せなかった。
お姉ちゃんは、すっと立ち上がった。駄目だ、見つかっちゃう……そう言う間もなく、お姉ちゃんは……怖い人たちの正面へ、飛び出していった。
「ひぃ……よ、妖魔」
その人は……怯えていた。それでも、お姉ちゃんは、容赦しなかった。
お姉ちゃんの意識が広がっていく。みんなには見えないって知っているけど、ぼくにはそれが、はっきりと見えるんだ。
「あが……うぁぁぁあぁ!」
その人の心が、音を立てて引き裂かれた。ズタズタに千切れ飛んだ。もう二度と――その人の心が、何かを感じることはないのだろう。
ぼくたちを追っていた人たちが、仲間がやられたことに気がついて、一斉に集まってくる。
「どうした、何があったんだ?」
「あ……き、貴様ぁ!」
あんなに怖い人たちが集まってきたら……お姉ちゃん一人では、絶対にかないっこない。それでも、お姉ちゃんは戦うつもりなんだ。ぼくを逃がすために……。
「次は……誰の番?」
お姉ちゃんは――ぼくにしか見えない――人間の心を滅茶苦茶にする、たくさんの大きなヒルを集めたようなものを蠢かせながら、集まってきた人たちを睨みつけた。
お姉ちゃんは、本当はこんなことしたくないのに。でも、ぼくがいるから……。
「命が惜しかったら、今すぐ引き返して。見逃して、あげるから」
「ふざけるな! 妖魔め」
「仲間をやっておいて、よくも、ぬけぬけと」
「こいつを生かしておいたら、犠牲者が増えるだけだ。ここで仕留めなければ」
鎌や……どこから持ってきたのか分からない、刀を持っている人までいる。その人たちが、わっと襲い掛かってきた。
お姉ちゃんはたくさんのヒルを暴れさせて、近くにいる人から順々に襲わせた。一人が泣き叫んで倒れて、もう一人が変な笑い声を張り上げながら飛び上がり、そのまま踊り出した。
だけど――後ろに一人が回り込んだ時、お姉ちゃんはそれに気づけなかったんだ。
ぼくは声を出しそうになった。でも、それより先に、お姉ちゃんが振り返った。そして、悲鳴を上げた。鎌が、お姉ちゃんの胸に突き刺さったんだ。血が……ドクドクと、流れた。
お姉ちゃんは……それ以上、声を上げなかった。わざと、相手の人たちを怒らせるようにふるまう。
目を光らせて、赤い髪の毛を躍らせる。人には見えない大きなヒルが、お姉ちゃんを刺した人を襲った。その人は……気持ちの悪い声を出して、ひっくり返った。
お姉ちゃんは痛いのを我慢して、笑った顔のまま駆け出した。みんな……仲間の仇を取ろうと、お姉ちゃんを追いかけていった。
ぼくは一人……取り残された。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、静かになった。少しの間をおいて、近くの森の高いところから、鳥の鳴き声が聴こえ始めた。まるで、鳥たちもあの人たちを恐れて、静まっていたみたいだ。
ぼくは……震えていた。
お姉ちゃんを助けにいきたい。でも、ぼくが出ていったところでどうなるのだろう。だけど、このままお姉ちゃんを見捨てて逃げるのも、絶対に嫌だ。
一番悪いのはぼくなのに、どうしてお姉ちゃんが酷い目に合わないといけないのか……。臆病なぼくは、勇気の無い自分を責め続けるしかできなかった。
「う……あァ……」
ぼくはぎょっとなる。倒れていた一人が呻き声を出しながら、起き上がった。あの人たちはお姉ちゃんを追いかけるのに必死で、心を喰い荒らされた人たちを残して行ったんだ。
その人は感情の無い目であちこちを見回した。そして……ぼくと目が合った。
ふらふらとした足取りで、近づいてくる。他の人たちはもう自力で動けないのに、この人だけは違った。
「がァァァ!」
腕を振り上げて、飛びかかってきた。まるで獣のように。
ぼくは振り下ろされた腕をかわして、後ろに飛びのいた。その人は眼を爛々と光らせて、こっちを見る。獲物を狙っているみたいに、舌なめずりをしていた。
「ど……どうして」
お姉ちゃんに心を喰われたから……だけじゃない。何かが変だ。だって、その人は、まるでぼくみたいに――顔中に獣の毛を生やし始めていたんだ。
四つん這いになって、うろうろとぼくの周りを回っている。これから……狩りをしようとしているかのように。
「こ、来ないで」
その人は怪しく笑った。そして、次の瞬間、飛びかかって来たんだ。
バシっと、鈍い衝撃が奔る。豹変した人は、銃で撃ち落とされた鳥のように地面へ落ちて、バタリと倒れた。それっきり、その人が動くことは無かった。
ぼくは、何が起こったのかを理解できずにいた。ふと、別の誰かが近くにいる気配を感じる。
「やれやれ、今頃になって発現するとは。皮肉なものですね」
そこにいたのは――身体中に毛を生やした、不思議な人の姿。
一目見たとき、まるで一個のお団子みたいな印象があった。それほどに、その人は丸っこい形をしていて、子どものぼくよりも少し背が高いくらいの大きさだったから。
「あなたは……弟さんの方ですね」
初めて見るその人は、ぼくに向かって話しかけてきた。
とても人間とは思えない姿だったけど……あの怖い人たちよりも、ずっと親しみを持てる……そう、思った。
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