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羅刹の風神、雷神
アルラウネの瞳に映るもの
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人の生活を豊かにする名目で建設されたのであろう、工場。かつては大型の電化製品の部品を製造していたらしいがそれも今では使われておらず、施設自体を廃棄されて以来、十数年の月日が流れていた。
そんな打ち捨てられている廃工場に、一際勢いを増した強風が当たる。風は何かを訴えているかのような轟音を上げ、荒れ狂う空気の乱流が、がらんどうになった工場の中に木霊を響かせた。
風はまた、大陸から流れてきた温暖な空気を運んできている。うねる空気が収まった時、こんな工場の敷地内であっても強くたくましく生き延びている草花に英気を授けてくれることだろう。
そんな颶風の中を悠然と歩く、人影が一つ。それは黒のスーツを着込んだ長身の女性だった。どれほど強い風に煽られてもなお、彼女は一切の抵抗する素振りすらも見せない。それだけでも、常人とはまるで違う異質な存在と見受けられるが、それ以上に奇妙な特徴が彼女にはあった。
颶風によって巻き上げられている髪。それは下に伸ばせば腰の辺りまで届くほどに長い。そして、その髪の色は碧緑――森の奥で息づく深い緑を思わせるほどの鮮やかさであった。
彼女は廃工場の入り口の辺りでぴたりと足を止めた。不思議なことに、風もまたその勢いを急速に落としていき、彼女の碧緑の長髪はサラサラと流水のように垂れさがり、腰の辺りの定位置に納まった。
彼女は瞳を閉じ、深呼吸を繰り返す。そうやって、颶風のもたらした緑の恵みを甘受しているのだ。
「……人の臭い」
ぼそりと呟いた。その言葉には冷たい響きがあったが、彼女の持ち前の艶やかさは損なわれておらず、甘い調べはまだ微かに彼女の頬をさすっている微風によって中空をたゆたい、すぐ傍に生えている歪な形状のタンポポの花の元に辿り着いた。土色に汚れた花が、黄色い輝きを僅かながら取り戻したように見える。
「ふう」
小さなため息をもらし、彼女は廃工場の内部に歩を進めた。
建物内では、隙間から入ってきた風で舞い上げられた埃が虚空を満たしていた。深く吸い込めば、咽てしまいそうだった。
打ち捨てられ、もう二度と人間の役に立つ機会は訪れないであろう機械の部品が放置されている。それら一つ一つが、道具として人の生活の中で活躍する数多の未来を担って造り出され、その内の如何なる可能性も見出すことのできないままに無価値なものとして素質を否定された結果だけが、この場に横たわっている。
そして、更に奥へ進むと、つい先ほどこの工場内で起こった闘争の爪痕が痛々しいほどに残されており、破損した壁の周囲には、縛り付けていたはずの縄を離れ、床に散乱しているパイプが足の踏み場を占領していた。
女性は手をかざし、この場で行われた戦いの記憶を手繰り寄せる。物的な記録装置が存在するわけではないが、外部の植物とは異なる、カビの臭いが彼女の能力に力を貸し与えていた。
「そう……なるほどね。被検体か」
彼女と対話する者の姿はない。それでも、彼女はこの工場内で生き延びているとても小さな生き物を通じて、本来人と意思疎通のできる理を持たない存在たちとの心を通じあわせ、過去を読み取ることができた。
「……わかった。動いたのね。彼女たちも」
彼女の口をついて出る言葉の内容は漠然としており、例えそれを耳にする者が傍らにいたとしても、彼女の意図するところのほんの一部分すらも、うかがい知るのは不可能であろう。
「それじゃあ、こちらも目覚めさせないと、ね」
ふふっと妖しげな笑みを浮かべる。その表情には魔女的な妖艶さがあった。
彼女は踵を返すと、元来た道を戻り始めた。その歩みは緩慢で、一歩一歩の重みで工場内に起こった出来事の細部の刹那的な部分に至るまでを踏みしめているようであった。
「また……サイオニックの灯が失われていった」
そう言う彼女の表情は、先ほどの笑みとは打って変わって、深い寂しさに染まっていた。
「これはほんの前哨戦。あなたたちもわかっているでしょう? この世の変革、人類は皆望んでいないかもしれないけど……」
彼女の碧緑の髪がぼんやりとした燐光を帯びている。それは工場内の暗闇を照らし出し、本来光から離れて暮らしている小さな生命でさえも、活力の流れを純粋な本能で以て感じ取っている。
碧緑の髪の女性が、工場の外に出る。風はすっかり収まっており、彼女が最初に工場を訪れた際に吹き荒れていた強風が嘘のように静まり返っていた。
彼女が見上げる空は、夕日によって朱色に染まっている。間もなく、一日の終わりを告げる暗黒が舞い降りてくる刻となるだろう。
敷地の境界を隔てている塀の向こう側の車道を、軽自動車が通り過ぎていく。暫しの間をおいて、今度は何処からの貨物を積み込んだ大型のトラックが走行してくる。トラックの内側には、人の役に立つという夢を叶える未来を約束された物たちがひしめいており、その約束を破棄された工場の物たちとは対照的だった。
彼女は工場をあとにし、風の途絶えた人の住む街へと歩いていった。もたらされた緑の恵みをその心に染み渡せながら。
そんな打ち捨てられている廃工場に、一際勢いを増した強風が当たる。風は何かを訴えているかのような轟音を上げ、荒れ狂う空気の乱流が、がらんどうになった工場の中に木霊を響かせた。
風はまた、大陸から流れてきた温暖な空気を運んできている。うねる空気が収まった時、こんな工場の敷地内であっても強くたくましく生き延びている草花に英気を授けてくれることだろう。
そんな颶風の中を悠然と歩く、人影が一つ。それは黒のスーツを着込んだ長身の女性だった。どれほど強い風に煽られてもなお、彼女は一切の抵抗する素振りすらも見せない。それだけでも、常人とはまるで違う異質な存在と見受けられるが、それ以上に奇妙な特徴が彼女にはあった。
颶風によって巻き上げられている髪。それは下に伸ばせば腰の辺りまで届くほどに長い。そして、その髪の色は碧緑――森の奥で息づく深い緑を思わせるほどの鮮やかさであった。
彼女は廃工場の入り口の辺りでぴたりと足を止めた。不思議なことに、風もまたその勢いを急速に落としていき、彼女の碧緑の長髪はサラサラと流水のように垂れさがり、腰の辺りの定位置に納まった。
彼女は瞳を閉じ、深呼吸を繰り返す。そうやって、颶風のもたらした緑の恵みを甘受しているのだ。
「……人の臭い」
ぼそりと呟いた。その言葉には冷たい響きがあったが、彼女の持ち前の艶やかさは損なわれておらず、甘い調べはまだ微かに彼女の頬をさすっている微風によって中空をたゆたい、すぐ傍に生えている歪な形状のタンポポの花の元に辿り着いた。土色に汚れた花が、黄色い輝きを僅かながら取り戻したように見える。
「ふう」
小さなため息をもらし、彼女は廃工場の内部に歩を進めた。
建物内では、隙間から入ってきた風で舞い上げられた埃が虚空を満たしていた。深く吸い込めば、咽てしまいそうだった。
打ち捨てられ、もう二度と人間の役に立つ機会は訪れないであろう機械の部品が放置されている。それら一つ一つが、道具として人の生活の中で活躍する数多の未来を担って造り出され、その内の如何なる可能性も見出すことのできないままに無価値なものとして素質を否定された結果だけが、この場に横たわっている。
そして、更に奥へ進むと、つい先ほどこの工場内で起こった闘争の爪痕が痛々しいほどに残されており、破損した壁の周囲には、縛り付けていたはずの縄を離れ、床に散乱しているパイプが足の踏み場を占領していた。
女性は手をかざし、この場で行われた戦いの記憶を手繰り寄せる。物的な記録装置が存在するわけではないが、外部の植物とは異なる、カビの臭いが彼女の能力に力を貸し与えていた。
「そう……なるほどね。被検体か」
彼女と対話する者の姿はない。それでも、彼女はこの工場内で生き延びているとても小さな生き物を通じて、本来人と意思疎通のできる理を持たない存在たちとの心を通じあわせ、過去を読み取ることができた。
「……わかった。動いたのね。彼女たちも」
彼女の口をついて出る言葉の内容は漠然としており、例えそれを耳にする者が傍らにいたとしても、彼女の意図するところのほんの一部分すらも、うかがい知るのは不可能であろう。
「それじゃあ、こちらも目覚めさせないと、ね」
ふふっと妖しげな笑みを浮かべる。その表情には魔女的な妖艶さがあった。
彼女は踵を返すと、元来た道を戻り始めた。その歩みは緩慢で、一歩一歩の重みで工場内に起こった出来事の細部の刹那的な部分に至るまでを踏みしめているようであった。
「また……サイオニックの灯が失われていった」
そう言う彼女の表情は、先ほどの笑みとは打って変わって、深い寂しさに染まっていた。
「これはほんの前哨戦。あなたたちもわかっているでしょう? この世の変革、人類は皆望んでいないかもしれないけど……」
彼女の碧緑の髪がぼんやりとした燐光を帯びている。それは工場内の暗闇を照らし出し、本来光から離れて暮らしている小さな生命でさえも、活力の流れを純粋な本能で以て感じ取っている。
碧緑の髪の女性が、工場の外に出る。風はすっかり収まっており、彼女が最初に工場を訪れた際に吹き荒れていた強風が嘘のように静まり返っていた。
彼女が見上げる空は、夕日によって朱色に染まっている。間もなく、一日の終わりを告げる暗黒が舞い降りてくる刻となるだろう。
敷地の境界を隔てている塀の向こう側の車道を、軽自動車が通り過ぎていく。暫しの間をおいて、今度は何処からの貨物を積み込んだ大型のトラックが走行してくる。トラックの内側には、人の役に立つという夢を叶える未来を約束された物たちがひしめいており、その約束を破棄された工場の物たちとは対照的だった。
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