記憶を失くした冷血皇子を森で拾ったら、のんびりスローライフに波乱フラグが立ちました

初瀬

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第19章

帰路(2)夜空と、猫と、キスのあと

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 薄紅の夕陽が離宮の裏手に広がる静かな一角を、そっと照らしていた。
 高く伸びた木々の陰に、石のベンチがひとつ、静かに佇んでいる。
 キールは背もたれに身を預け、視線を揺れる木漏れ日の向こうへと漂わせていた。

 足音を忍ばせるように、ローレンツがそっと近づく。
「……探した」

 だが、キールは振り向かず、目を逸らしたままだった。
 その沈黙は言葉以上に強い意思を伝えている。

 隣に腰を下ろすと、ローレンツはおもむろに口を開いた。
「……すまなかった」

 たった一言、その言葉には深い後悔と切実な想いがこもっていた。
 その声に反応するように、キールの肩が小さく震えた。

「君を危ない目にあわせたくなかった。それだけだ」

 しばらく黙ったのち、キールはゆっくりとローレンツを見る。
 その瞳には複雑な感情が渦巻いている。

「……俺を頼りないと思ってる。ローレンツは、俺のことをずっと子供扱いしてる」
 怒りとも苛立ちともつかない声が、静かな庭に滲んだ。
「前にも言ったよね。俺は、君に守られるだけのお姫様になりたいわけじゃないんだ」

 ローレンツはキールの横顔を見つめながら、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「……わかってる。でも……」

 口にした途端、言葉が喉で止まる。
 キールが鋭く問い返す。
「でも、何?」

 ローレンツはひと呼吸置き、やっとの思いで続ける。
「――怖いんだ。君に、何か起こるんじゃないかって……」

 揺れる瞳に滲む本音が、キールの胸にあたたかな灯をともす。

「……わかった。手伝ってくれ」
 ローレンツのその言葉は、無理やり絞り出したようだった。
 瞳は真っ直ぐキールを見据えている。

「だが、俺は心配で仕方がない。何かあったら……」

 言葉を切り、深く息をついた。
 内心では、本当は行かせたくない。
 だが、行かせないと言えば、ひとりで森へ帰ってしまうかもしれない。

「だから、決して無茶はしないと約束してくれ」

 キールはわずかに目を伏せたが、強い意志で頷く。

「……約束する」

 互いの気持ちが言葉に乗る。

「それじゃあ、夕食を食べに行こう」

 差し出された手に、キールはそっと自分の手を重ねた。



 夕食を終えたあと、ふたりは離宮の奥庭をゆっくりと歩いていた。
 夜空は静まり返り、満天の星々が頭上に瞬いている。

 庭の片隅に建つ湯殿からは、湯けむりがふわりと立ちのぼっていた。
 前回と変わらぬ静けさのなか、ふたりの足音だけが敷石にやわらかく響く。

「また浸かりすぎて、のぼせないように」
 ローレンツが冗談めかして笑う。

「あ、あの時はローレンツの裸が……!」
 キールは思わず頬を赤らめて反論した。

「俺の裸?」

「さ、先に入る……!」
 そう言い残すなり、キールはぱぱっと服を脱ぎ、逃げるように湯殿へと駆け込んでいった。

 湯けむりに包まれながら、ふたりは石造りの湯舟に並んで腰を沈める。
 思いのほかぬるめの湯が、火照った身体に心地よく染み込んでいく。

 無言のまま、湯面を揺らす音だけが小さく響いた。

 ローレンツは静かに腕を伸ばし、そっとキールの肩を抱き寄せた。
 キールはためらいなく、その身を預ける。

 ローレンツの顔が、ゆっくりと、しかし確かな気配をもって近づいてくる。

 立ちこめる湯けむりが二人を包み、唇が静かに触れ合った。
 その口づけは、互いの気持ちを確かめ合うように優しく、濡れた唇がそっと溶け合っていく。

 やがて唇が離れると、キールの瞳が揺れた。戸惑いと、どこか期待に似た光がその奥に滲む。
 ためらいがちな指先が、そっとローレンツの頬に触れる。そして、今度はキールの方から唇を重ねた。舌先が甘く絡み合い、次第に互いの呼吸を奪っていく。
 
 ローレンツの腕が静かにキールの背へと回される。
 その動きに導かれるように、キールの身体はローレンツの胸元へと引き寄せられた。
 心音が重なり合い、ふたりのあいだに滲む熱が、触れ合うたび濃くなっていく。
 やがて、ローレンツの手がゆるやかに滑り落ち、キールの細い腰へと辿り着いた。
 熱を孕んだ指先がそっと肌に触れたその瞬間、キールの身体がびくりと震えた。

 ──その時、不意に脱衣室の方からかすかな物音が響いた。
 二人の動きがぴたりと止まり、湯けむりに包まれた空間に、静寂が重くのしかかる。

 「……誰だ!?」
 ローレンツの声は、いつもの冷静さを欠き、鋭く浴場に響いた。
 キールも目を見開き、驚いたようにローレンツの胸元へと身を寄せる。

 緊張が張りつめた刹那──
 脱衣室の扉が、きぃ、と軋む音を立てて開いた。
 そして、縁先からふっくらとした灰色の猫が、ひょいっと軽やかに飛び出してくる。

 ぴょん、と湯舟の縁に着地したその姿に、二人はしばし唖然としたまま動けず、次いで、思わず肩の力を抜いて小さく息をついた。

 「……またこの猫か」
 ローレンツは呆れたように目を細め、湯気越しにこちらを覗き込む猫と視線を交わした。

 猫はふたりの視線などどこ吹く風とばかりに、湯舟の縁をぺたぺたと歩き回り、ぴたりと立ち止まる。
 そして、おもむろに身づくろいでも始めるかと思いきや、くるりと尻尾を振って踵を返す。
 まるで「用が済んだ」とでも言いたげに、ふいっと背を向けて、脱衣室の方へと悠然と去っていった。

 「……邪魔だけして帰っていったな」
 ローレンツがぽつりと呟くと、キールは苦笑いを浮かべながら、小さく頷いた。
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