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異変03
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***
「ギル、今夜も帰らないの?」
ギルベルトが久々に立ち寄ったのは、以前からたまに顔を出していた、路地裏にある隠れ処的バーだった。店主が悪魔の血をひいているせいか、客にもその手の種族が多い。ラファエルは知らない店だった。
「ん……今日もリリスんとこに泊まる。代わりに朝飯作る」
「泊まるのはいいけど……朝ごはんより掃除してよ、掃除。君そっちの方が得意でしょ」
リリスと呼ばれた店主は、艶やかな黒髪で片目を隠した、しなやかな体つきの女性だった。
性別問わず性愛対象のギルベルトは、けれどもこの店主にだけはそういった目を向けたことはない。ギルベルトにとっては、物心ついたころからの顔見知りという存在で、いわゆる親戚のおばさん――お姉さんという認識だった。
ギルベルトには親もいないし(行方不明)、身内らしい身内もいない。そのため、彼女の元はなにかあったときに身を寄せることができる貴重な逃げ場でもあった。
自宅を出て二日。何度も帰ろうとは思ったけれど、そのたびにギルベルトは酒を飲むことでその気持ちを誤魔化していた。
だってなんだかおかしくなっている気がしたのだ。ラファエルと一緒にいればいるほど、自分が自分でなくなっていくような、プレイを重ねれば重ねるほど、不本意なのに、腹が立つのにそれがだんだん嫌じゃなくなっていて、それどころかしだいにもっと、もっと強いられたいと思い始めている自分に気付いて怖くなった。
だからラファエルがいない隙に家を出た。これは別に逃げじゃない。言うなれば戦略的撤退だ。いったん状況を整理して、そうしてまた立ち向かうための――。
「……あのクソ野郎……」
リリスに借りた部屋には、店から下ろした古い丸テーブルと一脚のチェア、そして簡素なシングルベッドが一台あるだけだった。
リリスの用意してくれた夕飯を食べ、ざっとシャワーを浴びたあと、特になにもすることのなかったギルベルトは早々と寝支度を済ませて布団に入った。
「……さみ、……」
窓の外で微かな風の音がする。季節は立ち止まることなく進んでいる。今夜もきっと冷えるのだろう。いつもなら人肌がある分温かいのに、ここには自分一人しかいないからちょっと寒い。
「……あんな顔して微笑いやがって」
目を閉じると、耳元でラファエルの声がする。〝kneel〟、〝見て〟、〝聞いて〟、〝言って〟、〝キスして〟。
応じるたび、この上なく幸せそうに破顔するラファエルの姿まで浮かんでくる。
――〝いい子〟。
聞こえるはずのないそれに、じわりと身体が熱くなる。無意識に片手を下腹部へと伸ばしそうになり、はっとしてふるふるとかぶりを振った。
「……クソ、……」
ギルベルトは逃げるように身体を横向け、布団の中へと潜り込んだ。
***
「ラファエルくん、心配してるんじゃない?」
悪魔が天使とつるむなんて。そう思われるのはわかっていたから、ラファエルにこの店を教えないようにしていたところもあった。
だがリリスはそれも知っている。ギルベルトがラファエルと一緒に住んでいることも。
「別にいつものことだし。いちいち心配なんかしねぇわ」
開店前の店の床を、モップで丁寧に拭いていく。カウンター内でグラスを拭いていたリリスは、「そう?」と小さく肩をすくめる。
「遅くても、あと五日もすれば魔法もとけるはずだし……」
「Dom/Subの魔法ねぇ」
「わけわかんねぇゴミ魔法だよ」
ギルベルトをこんなふうに理解不能な事態に陥らせ、ラファエルにあんなふうに幸せそうな顔をさせるクソ魔法。
そう思うのに、そんなラファエルの顔をどこかでまた見たいような気にもなっている。
「……なんか頭の中ぐちゃぐちゃになるし」
「その魔法のことはよくわからないけど……でも、ギルにそんな顔させるなんて、本当に魔法だけのせいかしら」
「……そんな顔って、どんな顔だよ」
ギルベルトは吐き捨てるように独りごちる。
言われてみれば、たしかにここまでラファエルのことを真面目に考えたことはなかった。いつも極力目を向けないようにして、全てにふたをするようにして過ごしてきたから。
だけど、今回のことでそのふたが開いてしまった気がする。むりやりこじ開けられたようなものだけれど、そうされたことでようやくギルベルトは自覚した。
「……心配、してっかな、あいつ……」
呟きながら、ギルベルトは耳元のピアスに触れた。それはラファエルから初めてもらった石だった。
「……今日は帰る」
リリスに背を向け、ふたたびモップで床を磨く。リリスは「それがいいわ」と、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「寒いから、うちにあるマフラーでもして行きなさいね」
「ギル、今夜も帰らないの?」
ギルベルトが久々に立ち寄ったのは、以前からたまに顔を出していた、路地裏にある隠れ処的バーだった。店主が悪魔の血をひいているせいか、客にもその手の種族が多い。ラファエルは知らない店だった。
「ん……今日もリリスんとこに泊まる。代わりに朝飯作る」
「泊まるのはいいけど……朝ごはんより掃除してよ、掃除。君そっちの方が得意でしょ」
リリスと呼ばれた店主は、艶やかな黒髪で片目を隠した、しなやかな体つきの女性だった。
性別問わず性愛対象のギルベルトは、けれどもこの店主にだけはそういった目を向けたことはない。ギルベルトにとっては、物心ついたころからの顔見知りという存在で、いわゆる親戚のおばさん――お姉さんという認識だった。
ギルベルトには親もいないし(行方不明)、身内らしい身内もいない。そのため、彼女の元はなにかあったときに身を寄せることができる貴重な逃げ場でもあった。
自宅を出て二日。何度も帰ろうとは思ったけれど、そのたびにギルベルトは酒を飲むことでその気持ちを誤魔化していた。
だってなんだかおかしくなっている気がしたのだ。ラファエルと一緒にいればいるほど、自分が自分でなくなっていくような、プレイを重ねれば重ねるほど、不本意なのに、腹が立つのにそれがだんだん嫌じゃなくなっていて、それどころかしだいにもっと、もっと強いられたいと思い始めている自分に気付いて怖くなった。
だからラファエルがいない隙に家を出た。これは別に逃げじゃない。言うなれば戦略的撤退だ。いったん状況を整理して、そうしてまた立ち向かうための――。
「……あのクソ野郎……」
リリスに借りた部屋には、店から下ろした古い丸テーブルと一脚のチェア、そして簡素なシングルベッドが一台あるだけだった。
リリスの用意してくれた夕飯を食べ、ざっとシャワーを浴びたあと、特になにもすることのなかったギルベルトは早々と寝支度を済ませて布団に入った。
「……さみ、……」
窓の外で微かな風の音がする。季節は立ち止まることなく進んでいる。今夜もきっと冷えるのだろう。いつもなら人肌がある分温かいのに、ここには自分一人しかいないからちょっと寒い。
「……あんな顔して微笑いやがって」
目を閉じると、耳元でラファエルの声がする。〝kneel〟、〝見て〟、〝聞いて〟、〝言って〟、〝キスして〟。
応じるたび、この上なく幸せそうに破顔するラファエルの姿まで浮かんでくる。
――〝いい子〟。
聞こえるはずのないそれに、じわりと身体が熱くなる。無意識に片手を下腹部へと伸ばしそうになり、はっとしてふるふるとかぶりを振った。
「……クソ、……」
ギルベルトは逃げるように身体を横向け、布団の中へと潜り込んだ。
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「ラファエルくん、心配してるんじゃない?」
悪魔が天使とつるむなんて。そう思われるのはわかっていたから、ラファエルにこの店を教えないようにしていたところもあった。
だがリリスはそれも知っている。ギルベルトがラファエルと一緒に住んでいることも。
「別にいつものことだし。いちいち心配なんかしねぇわ」
開店前の店の床を、モップで丁寧に拭いていく。カウンター内でグラスを拭いていたリリスは、「そう?」と小さく肩をすくめる。
「遅くても、あと五日もすれば魔法もとけるはずだし……」
「Dom/Subの魔法ねぇ」
「わけわかんねぇゴミ魔法だよ」
ギルベルトをこんなふうに理解不能な事態に陥らせ、ラファエルにあんなふうに幸せそうな顔をさせるクソ魔法。
そう思うのに、そんなラファエルの顔をどこかでまた見たいような気にもなっている。
「……なんか頭の中ぐちゃぐちゃになるし」
「その魔法のことはよくわからないけど……でも、ギルにそんな顔させるなんて、本当に魔法だけのせいかしら」
「……そんな顔って、どんな顔だよ」
ギルベルトは吐き捨てるように独りごちる。
言われてみれば、たしかにここまでラファエルのことを真面目に考えたことはなかった。いつも極力目を向けないようにして、全てにふたをするようにして過ごしてきたから。
だけど、今回のことでそのふたが開いてしまった気がする。むりやりこじ開けられたようなものだけれど、そうされたことでようやくギルベルトは自覚した。
「……心配、してっかな、あいつ……」
呟きながら、ギルベルトは耳元のピアスに触れた。それはラファエルから初めてもらった石だった。
「……今日は帰る」
リリスに背を向け、ふたたびモップで床を磨く。リリスは「それがいいわ」と、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「寒いから、うちにあるマフラーでもして行きなさいね」
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