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おまけ
合縁奇縁のコンサート 55
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vol.62 【帰ってきちゃった? 黒いヤツ】
本人の声を聴いたのは、直接と間接を合わせても数回程度だ。
けど、数回しか聴いたことがない声を、私はハッキリと覚えてる。
一言二言喋るだけでも耳に残るあの低い声と子供っぽい口調は、騒々しい群衆の中に居たって、嫌でも聴き分けてしまう自信がある。
「ベ」
「失礼しました、お客様!」
「「……は?」」
私とクロスツェルが手を離して振り返った、その時。
大きめの四角っぽい麻袋? を両脇に二袋ずつ抱えて入り口に立つ男が、私達に頭頂部を向ける形で、腰を直角に折り曲げた。
白い上下服と真っ白なエプロンが、黒い髪と浅黒い肌を際立たせてる。
「ようこそ『ベーカリーレスト・ベルヘンス』へ! どうぞごゆっくり!」
背筋をピンと伸ばした黒髪の男は、唖然と立ち尽くす私達の顔を見て。
驚いて固まった様子も、動揺した素振りもなく、釣り上がった紅い目を、お手伝いをやり遂げた子供みたいにキラッキラと輝かせ。
これでもかと言わんばかりに口を大きく開いて、満面の笑みを浮かべ。
改めて女に「小麦粉を倉庫に置いてくる!」と声を掛けて、カウンターの裏側、女の後ろに回り込み、厨房らしき部屋へと歩いていった。
「……え? いや、……え? ちょっと待て。あれ、ベゼドラだよな?」
「え、ええ。服装はともかく、声も見た目も完全にベゼドラ本人でしたね」
「だよな? そっくりな別人とか見間違いとか幻とかじゃなかったよな?」
「あら。お二人は、ベゼドラさんのお知り合いですか?」
「やっぱりベゼドラだったよな⁉︎ あいつ、どうしてここに居るんだ⁉︎」
カウンターで帳簿を見てた女に向き直ると、女は困ったように笑い。
「執念で?」と答えた。
いや、執念て。
なにやってんだ、あの黒い駄犬は。
「ええと……私と彼、ベゼドラは、一緒に旅をしていた時期がありまして。こちらの宿でもお世話になったことがあるのです。彼が特に気に入っている卵焼きのサンドイッチをたくさん用意していただいたり。彼とは、少し前に別れましたが……ここに居るとは思わなくて。正直、かなり驚きました」
顔に疑問符を貼り付けたクロスツェルの目が、厨房と女を交互に見る。
女は「ん?」と首を傾げて、帳簿から離した両手をポンと打ち鳴らした。
「ああ、貴方が彼の同行者でしたか! ええ、私もベゼドラさんから聞いてびっくりしましたよ。まさか、彼が実家にも客として来ていたなんて」
「実家? というと、貴女は」
「私は、この店を経営しているグリースベル=ブラウン=ベルヘンスの娘、マリオン=ベルヘンス。つい先日まで他大陸のとある国でテナントを借りてパン屋を経営してたんです。ベゼドラさんとは、そこで出会ったんですよ」
「あ……店名のベルヘンスって、地名ではなく家名だったんですか?」
「そう。父が先代領主の弟で、私は現領主の従兄妹に当たります。この店は父が家から独立する時に作ったそうなんですが、先代領主がベルヘンス領の良い看板店になるからと、名前だけはそのまま使わせてくれてるんですよ。もちろん本名の扱いではなく、事業に基づく公称に過ぎませんけどね」
私は、お貴族様のおこぼれを頂戴しているみたいで、この名前はあんまり好きではないんですがと、女が両肩を軽く持ち上げる。
「素晴らしい。先代領主様は、それだけこの店を信頼しているのでしょう」
「国の価値を担う貴族の名を冠する者や商品には、重責が伴いますからね。看板足り得る商売を何十年も続けているところは素直に父を尊敬してます。パンの出来も、ベゼドラさんには師匠と仰がれますが父には及びませんし」
「そう、それ! 師匠とか執念とか! あいつ、ここでなにしてんだ⁉︎」
「パン作りの修行です」
「「は⁉︎」」
「究極至高にして唯一無二のたまごサンドを作りたいそうです。ついでに、パン屋の経営についても学んでいますよ」
「「パン屋の経営⁉︎」」
「サンドイッチ専門店を作って、たまごサンドの良さを広めたいそうです」
「卵焼きのサンドイッチが好物になったとは聞いてたけど、そこまでか?」
「彼、普段は斜に構えている感じなのに、好きなものに対してだけは本当に一直線なんですね。皆様のご迷惑になっていたら、大変申し訳ありません」
ベゼドラのパン屋修行でどうしてお前が頭を下げるんだ、クロスツェル。
でもまあ、そうしたくなる気持ちは、すっごくよく解る。
あいつをテキトーな場所に放り出したのは、他ならぬ私自身だからな。
その結果、無関係な人間に迷惑をかけてたら、私が平謝りするしかない。
「いえいえ、迷惑ではありませんよ。ベゼドラさんと旅をされていた方ならご存知でしょうが、彼は知識の偏りと経験不足が足を引っ張っているだけで基本的に真面目な性格ですからね。教えれば教えた通りに動くし、ちゃんと自分なりに考えてもいるので、従業員としてありがたい戦力になってます」
「そ、そうなのか?」
「ええ。先ほどご覧いただいた通り、挨拶もできるようになりましたし」
ベゼドラへの意外な好評価に、私の頭がますます混乱してきた。
あいつ、実は自分で悪魔だと思い込んでる別の何かじゃないのか?
いや、だとしたら、私とクロスツェルの件に説明がつかないよな。
悪魔と契約して、それを忘れてる人間だったりとか。
それにしては……
なんて、グルグルと考えごとをしてたら、女の視線が帳簿に落ちた。
「あ、お二人の部屋はお取りできます。でも、二部屋でよろしいのですか」
「なにか問題があるのでしょうか?」
「いえ。お二人が店に入ってこられた時、恋人繋ぎをされていたので」
「……はい?」
「恋人繋ぎ? って、なんだ?」
「店に入られた時、こう……繋いだ手の指先を絡めていらしたでしょう? だからてっきり、お二人は恋人か新婚夫婦なのかな? と思ったのですが。違いましたか?」
女が、カウンターの上で自身の両手の指先を絡めて、って……
ハッ⁉︎ まさか、行く先々でからかわれてたのは、あれのせいか⁉︎
私達が、恋人とか新婚夫婦がやるような手の繋ぎ方をしてたから⁉︎
「ち、違う違う! こいつはただの同伴者であって、そんなんじゃない!」
「ロザリア……同伴者で間違いありませんが、そんなに力一杯否定されると悲しくなります……」
「お前は少し黙ってろ! 私とこいつはただの同伴者! 手を繋いでたのは成り行きっていうか、あんまり意味はないから! 部屋は別々で!」
「はあ。承知しました。では個室を二部屋、お取りしますね」
「「お願いします」っ!」
顔を上げた女が、私とクロスツェルの顔を見比べて目を細めた。
微笑ましいものを見て和んでる……そんな感じの、生温い表情だ。
やめて欲しい。
知らなかったとはいえ、人前で紛らわしい真似をしてたとか。
考えるだけで頭が爆発しそうになるから、今すぐやめて欲しい。
「もうしない。絶対しない。危ない時以外は、絶対しないっ!」
「恋人繋ぎですか? 私は気にしませんが」
「やかましいわ! 開き直るな、むっつり変態!」
「むっつり……」
ちょっとショックを受けたらしいクロスツェルが、両肩を落とした。
帳簿に何かを書き込んでた女がくすくす笑って、カウンターの下に潜り。
取り出した鍵を二つ持って、「こちらへどうぞ」と私達を階段へ手招く。
飲食スペースの奥にある階段は、厨房の上を通って二階へ続いていた。
「お二人は、昼食を召されましたか?」
「いいえ。先に宿を確保したほうが良いと判断したので、これからです」
「領主様の御帰還セール中ですし、そのほうが安心ですよね。では、昼食もうちでご用意しましょうか? アーケード街ではお菓子もおすすめなので、そちらは昼食後、アーケード街が空く時間を狙って回ると楽ですよ」
「それは魅力的なお誘いですが、これから混み合うという時に私達のような飛び込み客の食事まで作っていたら、その分お仕事が増えてしまうのでは」
「全然問題ありませんよ。ほら、うちって比較的アーケード街の出入り口に近いじゃないですか。こういうところだと、案外気付かれにくいんです」
「ああ。アーケード街はそうですよね。通行人の多さが関係して、出入り口付近よりも一歩進んだ所か、もっと奥のほうに客が集まりやすいという」
「通行量もそうですが、入り口付近だと奥のほうにもっと良い物があるかもという探究心とか好奇心とか、そういう心理? が働くんですよね。でも、奥まで行った人が、入ってきた入り口付近に戻ってくることはあまりない。別の出入り口に行って、一通り見た満足感と疲労感から、結局程よく暗くて涼しくて休憩場所もある真ん中の辺りで落ち着いちゃうんです。もちろん、皆が皆そうだとは言えませんけど」
「なるほど。確かに、出入り口付近だと休憩できる場所は少ないですね」
「呼び込もうとしている所に休憩場所を作ると、奥へ誘導できませんから。逆に、奥で休憩してもらえば、またお店に足を運ぶ人もいるでしょうし」
「へえ~。単純に店を並べてるだけじゃなくて、いろいろ考えてるんだな」
「アーケード街の形状と商品の並べ方も関係してくるので、責任者達は逐一大変ですよ……お二人の部屋は、こちらとそちらになります」
案内されたのは、ちょうど飲食スペースの真上に二つ並んだ部屋。
薄茶色の木製扉にそれぞれ『5』『6』と書かれた板がぶら下がってる。
クロスツェルは『5』の鍵を。
私は『6』の鍵を受け取った。
「ありがとうございます。では、昼食も二人分でお願いします」
「承知しました。後ほど『5』の部屋へお持ちしますね」
「私達は一階の飲食スペースでも構いませんが」
「いえいえ。お二人は旅の途中なのでしょう? 気を休める意味も込めて、お二人でごゆっくりお過ごしください」
「……お気遣い、ありがとうございます」
「どういたしまして」
女が軽く頭を下げて、また一階へ降りていく。
鍵を持って扉の前に立った私は、クロスツェルの横顔をチラ見して。
『5』の鍵を奪い取り、素早く扉を開けて、二人で部屋に入った。
「え、あの。ロザリア?」
金色の目を瞬かせるクロスツェルは無視して、室内を見渡す。
当然だが、壁に頭を付けたベッドは一台。クローゼットも一台。
窓下のサイドテーブルと椅子も一脚ずつ。
サイドテーブルの上には燭台と水差し一杯の水とグラスが置いてある。
「お前はベッドを使え。私は椅子を借りる」
「はあ……それは構いませんが、私と同じ部屋に居て良いのですか?」
言われた通りベッドに腰掛けるクロスツェルを見届けて、私も座る。
貴族だか元貴族だかが経営してるからか、調度品は全部、質が良い。
クローゼットやテーブルや椅子に使われてる焦げ茶色の木は木目が黒く、全体的に艶々で、背もたれや座面には緑色のクッション? が埋まってる。
そのクッションに黒い糸で描かれてるのは、女神アリアを表す月桂樹だ。
床に敷かれた絨毯もカーテンも緑色で、こっちには白い糸と金色の糸で、白百合の紋様が縫われてる。
触り心地も踏み心地も、中央教会にあったあれこれと大差ない。
木製の建物ながら防音がしっかりしてるのか。
窓を開けない限り、外の賑わいが耳を突くことはなさそうだった。
多分こっちの声も、バカ騒ぎしない限りは、聴こえないだろう。
首を傾げて私を見てるクロスツェルをジーッと見て、息を吐き。
帽子と、ついでにかつらも外して、頭を掻く。
「あのさ。今同じ建物の中にベゼドラが居るってだけでも鳥肌ものなのに、個室に一人で居たら、いつヤツが来るかと考えて、気が狂いそうなんだわ。まだお前と居るほうがマシだし、しばらく居座らせてくんない?」
「! それは」
「あいつはあいつで変わってるっぽいけど、それをすんなり受け入れるほど愉快で友好的な間柄でもないからさ」
「……すみません。気が回らなくて」
「いやまあ、他にも理由はあるんだけどな。私は居ないと思って良いから、お前は横になっとけ。早朝から今まで立ったままだし、疲れてんだろ?」
「貴女も疲れているでしょう」
「お前ほどじゃない。昼食が来るまで、とりあえず休んでろ」
椅子に座ったまま、水差しの水をグラスに注いで、一気に呷る。
常温だろうなと思ってた水は、意外にもひんやりしてて喉に心地好い。
今は見当たらないけど、氷でも入ってたんだろうか。
「お前も、飲むか?」
「……いえ。お言葉に甘えて、少しの間、横になりますね」
「ん。」
クロスツェルがベッドに乗り上がって仰向けになり、左腕で顔を隠した。
吐き出した息の量が、疲労と比例してるような気がする。
やっぱり、めちゃくちゃ疲れてたんだろうな。
少しくらい休めば良かったのに、外でも中でも全然座ろうとしないから。
「……貴女には、理解できないかもしれませんが……」
「うん?」
「私は、少しだけ、安心しました」
「? 何に?」
「ベゼドラが、夢を見つけて、頑張っているらしい、ことに」
「…………」
「……は、自分の足で、歩いて、いく、術を……見つけ、て……」
「…………クロスツェル?」
クロスツェルの声が段々弱まって、途切れた。
背筋が冷えると同時に聴こえてきたのは、浅い寝息の音。
「……なんだ……寝ただけか」
「すー」とも「くー」とも聴こえる声に力が抜けて。
浮きかけた体を、背もたれに預ける。
正面の窓には、今にも泣き出しそうな、間抜けな顔が映ってた。
「別に……理解できないわけじゃないんだよなあ……」
ベゼドラが夢を持って生きること自体は良いんだ。
誰かに牙を剥いて傷付けて笑ってるあいつよりは、ずっと良い。
新しい被害者を増やすよりは、ずっと。何倍も、何万倍も。
そう、頭では解ってても。
あと何回冷やせるかも判らない内臓が、ギリギリと食い込んで痛い。
「理性とか道徳とか感情とか……本当、メンドクサイ……」
目を閉じ、天井を仰いで、腹の底から息を吐き出して。
両手で頬をパシパシ叩く。
気を抜くとすぐにヘタレるからダメだな。
この建物には、隙あらば喰らいついてくる駄犬が居るんだ。
油断禁物! 悪業即斬! 近寄ってきたら『支配』で叩き潰してやるッ!
「短期間で人の話を聴けるだけの教養を身に付けたとか、誰が信じるか! 私は絶対に気を許さないからな! なんなら不能になるまで蹴ってやる!」
気合いも新たに、椅子から立ち上がった直後。
「お客様。昼食を二人分、お持ち致しました」
扉を叩く音に合わせて、ベゼドラの声が聞こえてきた。
早速来やがったかと身構えながら、ジリジリと扉に近付き。
恐る恐るノブを回して開けば。
「ベルヘンス特製、たまごサンド食べ比べセット。ご賞味ください♪」
お前は誰だ。
と、突っ込まずにはいられない、無邪気な笑顔の男が、そこに居た。
本人の声を聴いたのは、直接と間接を合わせても数回程度だ。
けど、数回しか聴いたことがない声を、私はハッキリと覚えてる。
一言二言喋るだけでも耳に残るあの低い声と子供っぽい口調は、騒々しい群衆の中に居たって、嫌でも聴き分けてしまう自信がある。
「ベ」
「失礼しました、お客様!」
「「……は?」」
私とクロスツェルが手を離して振り返った、その時。
大きめの四角っぽい麻袋? を両脇に二袋ずつ抱えて入り口に立つ男が、私達に頭頂部を向ける形で、腰を直角に折り曲げた。
白い上下服と真っ白なエプロンが、黒い髪と浅黒い肌を際立たせてる。
「ようこそ『ベーカリーレスト・ベルヘンス』へ! どうぞごゆっくり!」
背筋をピンと伸ばした黒髪の男は、唖然と立ち尽くす私達の顔を見て。
驚いて固まった様子も、動揺した素振りもなく、釣り上がった紅い目を、お手伝いをやり遂げた子供みたいにキラッキラと輝かせ。
これでもかと言わんばかりに口を大きく開いて、満面の笑みを浮かべ。
改めて女に「小麦粉を倉庫に置いてくる!」と声を掛けて、カウンターの裏側、女の後ろに回り込み、厨房らしき部屋へと歩いていった。
「……え? いや、……え? ちょっと待て。あれ、ベゼドラだよな?」
「え、ええ。服装はともかく、声も見た目も完全にベゼドラ本人でしたね」
「だよな? そっくりな別人とか見間違いとか幻とかじゃなかったよな?」
「あら。お二人は、ベゼドラさんのお知り合いですか?」
「やっぱりベゼドラだったよな⁉︎ あいつ、どうしてここに居るんだ⁉︎」
カウンターで帳簿を見てた女に向き直ると、女は困ったように笑い。
「執念で?」と答えた。
いや、執念て。
なにやってんだ、あの黒い駄犬は。
「ええと……私と彼、ベゼドラは、一緒に旅をしていた時期がありまして。こちらの宿でもお世話になったことがあるのです。彼が特に気に入っている卵焼きのサンドイッチをたくさん用意していただいたり。彼とは、少し前に別れましたが……ここに居るとは思わなくて。正直、かなり驚きました」
顔に疑問符を貼り付けたクロスツェルの目が、厨房と女を交互に見る。
女は「ん?」と首を傾げて、帳簿から離した両手をポンと打ち鳴らした。
「ああ、貴方が彼の同行者でしたか! ええ、私もベゼドラさんから聞いてびっくりしましたよ。まさか、彼が実家にも客として来ていたなんて」
「実家? というと、貴女は」
「私は、この店を経営しているグリースベル=ブラウン=ベルヘンスの娘、マリオン=ベルヘンス。つい先日まで他大陸のとある国でテナントを借りてパン屋を経営してたんです。ベゼドラさんとは、そこで出会ったんですよ」
「あ……店名のベルヘンスって、地名ではなく家名だったんですか?」
「そう。父が先代領主の弟で、私は現領主の従兄妹に当たります。この店は父が家から独立する時に作ったそうなんですが、先代領主がベルヘンス領の良い看板店になるからと、名前だけはそのまま使わせてくれてるんですよ。もちろん本名の扱いではなく、事業に基づく公称に過ぎませんけどね」
私は、お貴族様のおこぼれを頂戴しているみたいで、この名前はあんまり好きではないんですがと、女が両肩を軽く持ち上げる。
「素晴らしい。先代領主様は、それだけこの店を信頼しているのでしょう」
「国の価値を担う貴族の名を冠する者や商品には、重責が伴いますからね。看板足り得る商売を何十年も続けているところは素直に父を尊敬してます。パンの出来も、ベゼドラさんには師匠と仰がれますが父には及びませんし」
「そう、それ! 師匠とか執念とか! あいつ、ここでなにしてんだ⁉︎」
「パン作りの修行です」
「「は⁉︎」」
「究極至高にして唯一無二のたまごサンドを作りたいそうです。ついでに、パン屋の経営についても学んでいますよ」
「「パン屋の経営⁉︎」」
「サンドイッチ専門店を作って、たまごサンドの良さを広めたいそうです」
「卵焼きのサンドイッチが好物になったとは聞いてたけど、そこまでか?」
「彼、普段は斜に構えている感じなのに、好きなものに対してだけは本当に一直線なんですね。皆様のご迷惑になっていたら、大変申し訳ありません」
ベゼドラのパン屋修行でどうしてお前が頭を下げるんだ、クロスツェル。
でもまあ、そうしたくなる気持ちは、すっごくよく解る。
あいつをテキトーな場所に放り出したのは、他ならぬ私自身だからな。
その結果、無関係な人間に迷惑をかけてたら、私が平謝りするしかない。
「いえいえ、迷惑ではありませんよ。ベゼドラさんと旅をされていた方ならご存知でしょうが、彼は知識の偏りと経験不足が足を引っ張っているだけで基本的に真面目な性格ですからね。教えれば教えた通りに動くし、ちゃんと自分なりに考えてもいるので、従業員としてありがたい戦力になってます」
「そ、そうなのか?」
「ええ。先ほどご覧いただいた通り、挨拶もできるようになりましたし」
ベゼドラへの意外な好評価に、私の頭がますます混乱してきた。
あいつ、実は自分で悪魔だと思い込んでる別の何かじゃないのか?
いや、だとしたら、私とクロスツェルの件に説明がつかないよな。
悪魔と契約して、それを忘れてる人間だったりとか。
それにしては……
なんて、グルグルと考えごとをしてたら、女の視線が帳簿に落ちた。
「あ、お二人の部屋はお取りできます。でも、二部屋でよろしいのですか」
「なにか問題があるのでしょうか?」
「いえ。お二人が店に入ってこられた時、恋人繋ぎをされていたので」
「……はい?」
「恋人繋ぎ? って、なんだ?」
「店に入られた時、こう……繋いだ手の指先を絡めていらしたでしょう? だからてっきり、お二人は恋人か新婚夫婦なのかな? と思ったのですが。違いましたか?」
女が、カウンターの上で自身の両手の指先を絡めて、って……
ハッ⁉︎ まさか、行く先々でからかわれてたのは、あれのせいか⁉︎
私達が、恋人とか新婚夫婦がやるような手の繋ぎ方をしてたから⁉︎
「ち、違う違う! こいつはただの同伴者であって、そんなんじゃない!」
「ロザリア……同伴者で間違いありませんが、そんなに力一杯否定されると悲しくなります……」
「お前は少し黙ってろ! 私とこいつはただの同伴者! 手を繋いでたのは成り行きっていうか、あんまり意味はないから! 部屋は別々で!」
「はあ。承知しました。では個室を二部屋、お取りしますね」
「「お願いします」っ!」
顔を上げた女が、私とクロスツェルの顔を見比べて目を細めた。
微笑ましいものを見て和んでる……そんな感じの、生温い表情だ。
やめて欲しい。
知らなかったとはいえ、人前で紛らわしい真似をしてたとか。
考えるだけで頭が爆発しそうになるから、今すぐやめて欲しい。
「もうしない。絶対しない。危ない時以外は、絶対しないっ!」
「恋人繋ぎですか? 私は気にしませんが」
「やかましいわ! 開き直るな、むっつり変態!」
「むっつり……」
ちょっとショックを受けたらしいクロスツェルが、両肩を落とした。
帳簿に何かを書き込んでた女がくすくす笑って、カウンターの下に潜り。
取り出した鍵を二つ持って、「こちらへどうぞ」と私達を階段へ手招く。
飲食スペースの奥にある階段は、厨房の上を通って二階へ続いていた。
「お二人は、昼食を召されましたか?」
「いいえ。先に宿を確保したほうが良いと判断したので、これからです」
「領主様の御帰還セール中ですし、そのほうが安心ですよね。では、昼食もうちでご用意しましょうか? アーケード街ではお菓子もおすすめなので、そちらは昼食後、アーケード街が空く時間を狙って回ると楽ですよ」
「それは魅力的なお誘いですが、これから混み合うという時に私達のような飛び込み客の食事まで作っていたら、その分お仕事が増えてしまうのでは」
「全然問題ありませんよ。ほら、うちって比較的アーケード街の出入り口に近いじゃないですか。こういうところだと、案外気付かれにくいんです」
「ああ。アーケード街はそうですよね。通行人の多さが関係して、出入り口付近よりも一歩進んだ所か、もっと奥のほうに客が集まりやすいという」
「通行量もそうですが、入り口付近だと奥のほうにもっと良い物があるかもという探究心とか好奇心とか、そういう心理? が働くんですよね。でも、奥まで行った人が、入ってきた入り口付近に戻ってくることはあまりない。別の出入り口に行って、一通り見た満足感と疲労感から、結局程よく暗くて涼しくて休憩場所もある真ん中の辺りで落ち着いちゃうんです。もちろん、皆が皆そうだとは言えませんけど」
「なるほど。確かに、出入り口付近だと休憩できる場所は少ないですね」
「呼び込もうとしている所に休憩場所を作ると、奥へ誘導できませんから。逆に、奥で休憩してもらえば、またお店に足を運ぶ人もいるでしょうし」
「へえ~。単純に店を並べてるだけじゃなくて、いろいろ考えてるんだな」
「アーケード街の形状と商品の並べ方も関係してくるので、責任者達は逐一大変ですよ……お二人の部屋は、こちらとそちらになります」
案内されたのは、ちょうど飲食スペースの真上に二つ並んだ部屋。
薄茶色の木製扉にそれぞれ『5』『6』と書かれた板がぶら下がってる。
クロスツェルは『5』の鍵を。
私は『6』の鍵を受け取った。
「ありがとうございます。では、昼食も二人分でお願いします」
「承知しました。後ほど『5』の部屋へお持ちしますね」
「私達は一階の飲食スペースでも構いませんが」
「いえいえ。お二人は旅の途中なのでしょう? 気を休める意味も込めて、お二人でごゆっくりお過ごしください」
「……お気遣い、ありがとうございます」
「どういたしまして」
女が軽く頭を下げて、また一階へ降りていく。
鍵を持って扉の前に立った私は、クロスツェルの横顔をチラ見して。
『5』の鍵を奪い取り、素早く扉を開けて、二人で部屋に入った。
「え、あの。ロザリア?」
金色の目を瞬かせるクロスツェルは無視して、室内を見渡す。
当然だが、壁に頭を付けたベッドは一台。クローゼットも一台。
窓下のサイドテーブルと椅子も一脚ずつ。
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「お前はベッドを使え。私は椅子を借りる」
「はあ……それは構いませんが、私と同じ部屋に居て良いのですか?」
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そのクッションに黒い糸で描かれてるのは、女神アリアを表す月桂樹だ。
床に敷かれた絨毯もカーテンも緑色で、こっちには白い糸と金色の糸で、白百合の紋様が縫われてる。
触り心地も踏み心地も、中央教会にあったあれこれと大差ない。
木製の建物ながら防音がしっかりしてるのか。
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多分こっちの声も、バカ騒ぎしない限りは、聴こえないだろう。
首を傾げて私を見てるクロスツェルをジーッと見て、息を吐き。
帽子と、ついでにかつらも外して、頭を掻く。
「あのさ。今同じ建物の中にベゼドラが居るってだけでも鳥肌ものなのに、個室に一人で居たら、いつヤツが来るかと考えて、気が狂いそうなんだわ。まだお前と居るほうがマシだし、しばらく居座らせてくんない?」
「! それは」
「あいつはあいつで変わってるっぽいけど、それをすんなり受け入れるほど愉快で友好的な間柄でもないからさ」
「……すみません。気が回らなくて」
「いやまあ、他にも理由はあるんだけどな。私は居ないと思って良いから、お前は横になっとけ。早朝から今まで立ったままだし、疲れてんだろ?」
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常温だろうなと思ってた水は、意外にもひんやりしてて喉に心地好い。
今は見当たらないけど、氷でも入ってたんだろうか。
「お前も、飲むか?」
「……いえ。お言葉に甘えて、少しの間、横になりますね」
「ん。」
クロスツェルがベッドに乗り上がって仰向けになり、左腕で顔を隠した。
吐き出した息の量が、疲労と比例してるような気がする。
やっぱり、めちゃくちゃ疲れてたんだろうな。
少しくらい休めば良かったのに、外でも中でも全然座ろうとしないから。
「……貴女には、理解できないかもしれませんが……」
「うん?」
「私は、少しだけ、安心しました」
「? 何に?」
「ベゼドラが、夢を見つけて、頑張っているらしい、ことに」
「…………」
「……は、自分の足で、歩いて、いく、術を……見つけ、て……」
「…………クロスツェル?」
クロスツェルの声が段々弱まって、途切れた。
背筋が冷えると同時に聴こえてきたのは、浅い寝息の音。
「……なんだ……寝ただけか」
「すー」とも「くー」とも聴こえる声に力が抜けて。
浮きかけた体を、背もたれに預ける。
正面の窓には、今にも泣き出しそうな、間抜けな顔が映ってた。
「別に……理解できないわけじゃないんだよなあ……」
ベゼドラが夢を持って生きること自体は良いんだ。
誰かに牙を剥いて傷付けて笑ってるあいつよりは、ずっと良い。
新しい被害者を増やすよりは、ずっと。何倍も、何万倍も。
そう、頭では解ってても。
あと何回冷やせるかも判らない内臓が、ギリギリと食い込んで痛い。
「理性とか道徳とか感情とか……本当、メンドクサイ……」
目を閉じ、天井を仰いで、腹の底から息を吐き出して。
両手で頬をパシパシ叩く。
気を抜くとすぐにヘタレるからダメだな。
この建物には、隙あらば喰らいついてくる駄犬が居るんだ。
油断禁物! 悪業即斬! 近寄ってきたら『支配』で叩き潰してやるッ!
「短期間で人の話を聴けるだけの教養を身に付けたとか、誰が信じるか! 私は絶対に気を許さないからな! なんなら不能になるまで蹴ってやる!」
気合いも新たに、椅子から立ち上がった直後。
「お客様。昼食を二人分、お持ち致しました」
扉を叩く音に合わせて、ベゼドラの声が聞こえてきた。
早速来やがったかと身構えながら、ジリジリと扉に近付き。
恐る恐るノブを回して開けば。
「ベルヘンス特製、たまごサンド食べ比べセット。ご賞味ください♪」
お前は誰だ。
と、突っ込まずにはいられない、無邪気な笑顔の男が、そこに居た。
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