お兄様から逃げる方法

tsuyu

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12* 黒犬

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「若様もいい加減、諦めればいいのに」
「ベル、言うな。聞こえたらどうする」
「だってさぁ~、お嬢が逃げたくなるのは若様のせいじゃん」
「……」

 イージスの執務室から下がった“黒犬”のケルは同僚であるベルと小声で喋りながら、イージスとカバールの様子を建物の外から覗っている。


“ 黒犬 ”ブラックドッグ

 それはイグラルド伯爵家に仕える諜報を司る特殊部隊の名前だ。
他にも“ 黒猫 ”ブラックキャットと言う護衛部隊と、“黒馬”ブラックホースと言う開発部隊がある。

 数十年前に水害と蝗害こうがいが重なり、農地に甚大な被害が出て困窮した。
国全体ではなく、南方の男爵領、子爵領、侯爵領、合計五つの領地の被害で済んだのは、不幸中の幸いである。

 雨期に土砂崩れが発生し孤立してしまった村。
川が氾濫して下流に流されてしまった畑や、放牧場の畜産。

 国からの補助や他領地からの援助で目途が立った矢先、隣国との国境から『蝗害の兆しあり』と王城に報せが入った後はあっという間で、広大な牧草地と小麦畑被害にあった。

 特に蝗害が酷かったのが先々代の王女が嫁いだ侯爵家で、食糧難に喘いだ。
国庫を開き他領地からも援助をしたが賄えず、畑を失った領民は無事だった他の領地に移住し、イグラルド伯爵家も難民を受け入れた。

 現イグラルド伯爵の先々代である祖父は、早々に息子に跡目を譲り王都での仕事は任せ、本人は夫人と領地に引籠もっていたため、難民の受け入れに尽力した。
 山の一部を伐採し、段々畑を作り、伐採した木材で山の裾に難民を受け入れる村を作った。
丁度良い機会だ、と研究機関を作り、日当たりの良い畑で災害に強い穀物と野菜を栽培した。
 研究機関には農業に詳しい難民を雇入れ、災害で親を失った孤児は孤児院兼学校で読み書きは勿論、料理や裁縫、護衛術、医学、農学、工学と言った技術をその子どもの適正に合わせて教え、特に優秀な者は孫の従者として雇った。

 それが諜報の“ 黒犬 ”ケル、護衛の“ 黒猫 ”ベル、開発の“ 黒馬 ”スーである。

 神話に出てくる冥府の番犬と言われる『ケルベロス』の名にちなんで、各部門の長にはケル、ベル、スーの名が与えられた。
 先代のケルベロスは現在、領地の本邸を統括し当主であるイグラルド伯爵を補佐しており、二代目のケルベロスは若様ことイージスに仕えている。
(何故、ケルベロスなのにベルなのかと言うと、古語だとケルベルスなので語感の良い方を選んだだけである)

 主に現在のケルベロスの仕事は、黒犬は各地の情報を集め、黒猫は王都の邸宅の警備と護衛、黒馬は王都の伯爵家が所有する複数の商店と領地の研究所の統括である。

 部隊と言う名の通り、黒犬を統括しているのは当代ケルだが、各領地に部下は散らばっており、全員が顔を合わせる事は無い。



「若様に伝える情報を制限しているってバレたら… ヤバイよね」
「仕方が無いだろ。当主であるアルセーヌ様と“親父たち”先 代からの命令なんだから…」
「母さんたちは、お嬢の味方だもんなぁ… 若様ある意味不憫だけど、自業自得だし」

 現当主と先代の『ケルベロス』である各々おのおのの親からの命令は、絶対である。
呼び出しを受け、今回の話を聞いた時のアルセーヌ様たちの恐い笑顔を思い出し、ベルがブルっと震える。

「ところでスーは?」
「…フローリアお嬢様に頼まれた、明日公爵家に搬入する追加のお菓子の材料の確認に行った」
「あぁ、本業の方ね」
「…本業って。あー、まぁ、そうか?」

 黒猫と黒馬に関しては、表向き護衛や研究所職員という立場で仕えているため、そんな言い回しになったのであろう。
 当代スーの表向きの仕事は、フローリアお嬢様考案のお菓子を王都で販売している店舗の店長で、実務は部下に任せており、日々新しいお菓子を考案するフローリアの為に、フローリア自らが作るお菓子の材料や、珍しい食材の調達にいそしんでいる。
 一応、領地の研究所の責任者でもあるのだが、お嬢様を崇拝する彼女は、お嬢様が王都にいる時は王都の店舗に、領地にいる時は研究所と店舗に、と忙しくしているが部下が優秀だから出来る事である。

 今日公爵家に行ったスーは、他の御婦人方が使う材料の納品に行くついでに・・・・若様へのアリバイ工作の為に名前を借りただけで、フローリアお嬢様の計画を知っている側である。

 ちなみに現伯爵夫人とフローリアお嬢様だけは、ケルベロスの裏の顔は知らない。
王都の邸宅に仕える者も、領地の本邸に従事する者の殆どが孤児院と、歴代イグラルド伯爵家に仕える古参の侍従一家だからである。

 なので他の領地のように、行儀見習いで下級貴族の子女を迎えることは滅多に無い。
伯爵夫人の輿入れの際に一緒について来た侍女たちは、特殊部隊が在る事は知っているが、それが誰なのかは知らされていない。


「そう言えば。先代夫人はご存知なのに、なんでフローラ様奥様には知らされていないんだろ?」
「多分だけど、アルセーヌ様の執着心を奥様に隠したいからじゃないか、って親父が言ってた」
「え? 手遅れじゃない?」
「…アルセーヌ様の奥様に対する溺愛加減は置いといて。ただでさえ貴族って、周りの目があるのに、それとは別に警備の為とは言え、“常に監視されている”とか知らない方が精神衛生上、良いだろ?」
「……まぁ、そうかな? それで言ったら、シーフ坊ちゃんはお嬢を普通に愛していらっしゃるようだし、心配ないよね!」
「……普通?」
「え? なに?」

 お前の目は節穴それでも護衛部隊の長か、と楽天的なベルに呆れた目を向けて溜め息を吐き、虚ろな目で虚空を仰ぐ。


「……あれはどう見ても、旦那様… いや、若様と同等以上の執ちゃ…… 溺愛だろ」


 爽やかな笑顔で微笑む少年の、燃えるほのおのように紅くきらめく柘榴石の瞳を思い出す。
フローリアお嬢様、頑張ってください。と心の中で祈った。
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