【完結】照葉輝く~静物語

みなわなみ

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第四部

第二十四章 雫、大流となる 其の九

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 花びらが開くように秀忠から軆をのけぞらせた静は、そのままぐったりと気を失った。秀忠は満足そうに静を抱き止め、その顔を己の胸に埋めさせた。 
 静の軆を優しく撫で、髪の毛にそっと口づけを落とす。 
 大事そうにしとねに寝かせると、頬に口づけ、男は小さくなった自分のものを抜いた。 
 (まだ三度も使えるとはの……) 
 ほんのり苦笑しながら、そのまま、静の隣にごろりと寝転ぶ。 
 (静、すまぬ。) 
 己を呼ぶ『うえさま』の声がいかに愛しさと切なさに満ち満ちていたか……。 
 『あなたさま』と呼ばせたときよりずっと……。 
 秀忠はそれに気づいたからこそ、静を女として充分満足させたいと思った。たった一度、愛してやりたいと思った。 
 しかし、もう抱かぬ。 
 江ではない女を愛したと言われてもよい。ただ、秀忠は静を見捨てられなかった。生涯ただ一度の静との逢瀬である。 
 それは静が江ではないことも秀忠の躯に、はっきりと解らせた。 

 もう、抱かぬ。 

 (すまぬ、静……) 
 秀忠はわずかににじんだ涙を擦りとった。そして静の涙のあとを、そっと指でなぞった。 

 小さな細い目がゆっくりと開く。パチパチとまばたきを繰り返し、キョロキョロと動いた瞳が、端の方で隣の秀忠を捕らえる。 
 静がハッとしてふらつきながらも飛び起き、着物に手を伸ばそうとするのを秀忠が止めた。 

「このままここで休め。」 
 体が思うように動かずとも身の程を知り、去ろうとする静を秀忠が思いやる。 
滅相めっそうもござりませぬ。」 
 将軍の言葉に、侍女はふらふらしながらも固い表情で首を振る。 
「言われた通りにせよ。」 
「…はい」 
 不機嫌そうに命令する秀忠に腕をとられ、何も身に付けない軆を何も身に付けていない秀忠の横に横たえる。 
 所在しょざいなく身を小さくし、時々上目遣いに己を見る静のぎこちなさに、秀忠はふっと微笑んだ。 

手枕たまくらをしてやろう。」 
「そんな……」 
「言うことをきけというに。」 
「はい……」 
 きつく優しく命じる秀忠に、静は素直に従う。 

 静は、秀忠が二度と自分を抱かないと悟った。 
 秀忠と語りあった百人一首に「夢ばかりなる手枕」があった。これは夢なのだ。夢だと秀忠は伝えている。夢だから、遠慮しないでよいのだと。 
 (御台様、申し訳ございませぬ。) 
 静は、心のなかで江に謝りながら、秀忠の手枕を受けた。 
 涙がジワリと溢れる。 

「何を泣く?」 
「幸せにございますれば。」 
 静が穏やかに微笑んだ。 
「そうか。」 
 腕枕をした秀忠は、もう片方の手で、静の頬をつつく。 
「柔らかいのぉ。」 
 秀忠がにっこりと笑った。静も涙目のまま、えくぼの浮かぶ笑顔を返した。 
 大きなあくびをした秀忠に、静がクスッと笑う。 
 秀忠は大きく微笑み、静のえくぼをツンツンとつつきながら、ゆっくりと目を閉じた。 
 ほどなく、いつも聞く規則正しい寝息が聞こえてきた。 
 (上様、私は幸せ者にござりまする。) 
 静は秀忠の逞しい胸に手を置き、しばらく秀忠の寝顔を見つめていた。 
 凛々りりしい眉がありながら、頬が柔らかにふくらみ、どこか子供のような寝顔であった。 
 (上様…) 
 静はそっと、秀忠の唇に自分の唇を重ねた。 

 夜明けを待たず、自分の軆の上にあった秀忠の手をそろりと退け、静は起き上がる。 
 秀忠に夜具を着せかけ、音も立てずに着物をきちんと着ると、褥の横に座した。 
 秀忠は安らかな寝息を繰り返している。 
 静は微笑むと、秀忠に向かってピタリと手をつく。 
 (上様……) 
 秀忠に向かい、心からの美しい、長い礼をして部屋から下がった。 
 静の頬に一筋の涙の跡があった。 
 夢は夢でしかない。お目覚めになられたら、今宵のことは上様はお忘れになられる。 
 ………それでよい………。 
 幸せな夢であった。過分かぶんなほどに幸せな夢であった。 
 丸い月が、西の空に沈もうとしている。 
 夏の東の空は、早くもほの明るくなっている。 
 まもなく夜が明けるのだ。 
 しかし、まだ月がある。 
 そのさやかで柔らかな光は、子を亡くした時に涙した光と同じであった。 
 (幸せでも涙が出るものじゃな。のう、赤子やや……) 
 静は頬を伝う涙を、掌でそっとぬぐった。
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