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妖魔術師の影
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屋敷に戻ってから2日後、従者のデンゼルと護衛のアルバートを伴い人目を忍んでディルナー公爵領アドラへ出発した。
ターバルナから帰還途中だった副官ラドニアンには、帝都に戻らず公爵領首都ベルガでグロードン家の間諜と落ち合うよう、伝煌鳥を通じて指示を出している。
そして、帝都に残るもう一人の副官ゼインにはデンゼルの素性を調べるよう内密に命じた。
ゼルは、俺が皇子として復帰した5年前から従者として常に側にいた。
本来、従者とは、騎士の鍛錬の一つとして歳下の者が歳上に仕え経験を積むものだ。
だが俺が15歳の時、従者に選ばれたゼルは既に29歳の叙爵された騎士だった。
世間の荒波から俺を守る為の皇帝の配慮だったと聞いている。
彼の存在を、今まで疑うことは一つとして無かった。
俺の斜め前を馬で駆けるゼルを見る。
最近変わった事は特に無かった。
仕事は淡々とこなし、余計な事は口にせず感情の起伏も無い。
だが、ルナを攫われたあの日の彼は、いつになく饒舌だった。
・・・何を考えているのか?
「閣下、今夜は隣の宿場町で宿をとりましょう」
ゼルが振り返りながら話しかけてきた。
俺が頷くと、彼は馬に拍車を掛けて先を急いだ。
少し後方に距離をとった俺は、アルバートと並走しながら口を開いた。
「ゼルは皇室親衛隊に所属していたのか?」
ゼルの後ろ姿を見送りながらアルバートが答える。
「いえ、私の記憶ではございません。親衛隊に所属せず神殿の護衛騎士に抜擢される者もいますが非常に稀ですし、彼は元々平民ですから叙爵前ではまず無理だったと思います」
彼は、その功績が認められ叙爵を受けて俺の従者となった。
「彼が閣下の従者となったのは、当時の宰相さまのご推挙でしたか?」
「ああ、宰相が腕に覚えのある者として推薦してきた。陛下の許可も得ていると」
よく考えてみれば、彼が選ばれた経緯も俺は把握していない。
「その辺りも調べる必要がありそうですね」
ここ数ヶ月、いや、ルナが来てからか?
俺の不在に合わせるように、タイミング良く騒動が起きている。
そして、今。
遥か前を駆けている彼の背中を見ながら、俺は漠然と嫌な予感がしていた。
途中、幾つか宿場町に宿泊し、帝都を発って4日目にはディルナー公爵領に入った。
この季節、雪で交易が停滞する冬を前に、物資を流通させようと各都市からここ公爵領首都ベルガに多くの民が流入する。
フードを目深に被り、人並みに紛れ落ち合う予定の宿屋に向かう。
陽が傾き夕餉の支度の香りがすると共に、食事に有り付こうとする旅人たちで辺りは活気をみせている。
宿の前では、既に到着していた副官のラドニアンが俺たちを待っていた。
降りた馬をゼルに預けて先に宿に入る。
ラドは、馬を厩舎に引いて行くゼルをチラッと伺いながら小声で俺に話しかけてきた。
「ゼインから詳細は聞いております。彼の前では重要と思われる報告は控え、後ほど閣下にだけお伝え致します」
「奴の行動に目を光らせておけ」
ラドは頷き後ろに控えていた部下のひとりに目配せをすると、彼はゼルの後を追うように厩舎へと消えて行った。
それを見送った後、ラドは俺たちを宿の一階にある食堂に案内した。
賑やかな広い食堂には丸いテーブルが置かれ、旅装束の民が彼方此方で食事を頬張っていた。
案内されたテーブルは食堂の隅にあり、既に注文されていた食事と酒が並べられていた。
ゼルの戻りを待つ事なく、席についたアルバートと共に食事を摂り始めた。
「守備はどうだ?」
酒を飲むラドに尋ねる。
「グロードンの間諜はなかなか良い仕事をしていますね」
ゴクリと喉を鳴らして酒を飲んだ後、ラドは興味深そうに言った。
「この半年、奴が人目を忍んでアドラに訪れている情報を掴んでいました。そこにいつも現れるのがライマーだったようです。奴が訪れるのは決まってアドラの高級旅館で、ライマーと共に数日滞在し違法な賭博や娼館から女を買って戯れに耽っているとの事です」
こんな愚か者に国を統治する能力などあるものか。
俺が把握している以上に、身近な者は素行について熟知している筈だ。
何故、奴を野放しにしているのか?
「間諜からの報告では、先週からアドラに滞在しているようですが、今週になっても離れる様子が見られないとの事です」
「ここ数日の間、奴を見たのか?」
「いえ、姿を確認出来ていないそうです」
今週になってルナが攫われた。
既に奴は移動して、ルナと共に居るのではないだろうか?
「もう一つ、間諜が気になる事を掴んでいたのですが・・・」
俺は片眉を上げて先を促した。
「奴の滞在先に、度々ナバルの神官が訪れていたそうです」
「何時の事だ?」
「先月からの事で、今回の滞在中も見かけたそうです」
神官との癒着か・・・。
一体、何を企んでいる?
その時、視界の端に、食堂の入り口からこちらに向かってくるゼルが目に入った。
俺はラドに目配せをして、この話は終わりだと合図した。
ゼルが席に着いてから、第一皇子の行方に関する情報をラドが報告した。
「奴はこの半年の間に、アドラに複数回訪れています。多くは常宿としている旅館で過ごしているようですが、時に湿地帯へと出かける姿も目撃されています。ただ、目的の場所が何処なのかまでははっきりしていません」
「どの辺りまで追えている?」
「足取りが消える場所はいつも同じだと言うことで、凡その位置を控えてあります」
魔法で目隠しでもしているのか?
何かを隠すには都合が良い場所と言う事か。
「では、明朝、夜明けと共にアドラに向かう」
俺は無表情のゼルに視線を向けながら言った。
翌朝、日の出前に宿を発った。
昨夕合流したラドとその部下を含め6名で、朝靄の立ち込めるなか馬を駆る。
ラドの報告では、昨夕からのゼルの行動に不審な点は見当たらない。
俺の杞憂であればいいが・・・。
途中、街道沿いで休憩をとった後は休みを取らず、昼過ぎにはラドの案内する湿地帯の入り口に到着した。
沼に足を取られる為、此処からは馬で入る事は出来ない。
古木に手綱を括り付け、馬をおいてラドの後を歩く。
低木が茂っていた湿地帯の入り口と違い、進むほど奥地は原生林が高く聳え日差しも遮られるような鬱蒼とした森となっていった。
「この辺りです」
先頭を行くラドが沼の畔で立ち止まった。
対岸までは距離のある比較的広い沼が静かに水を湛えている。
昼間だというのに少し濃い靄が湖面を覆っている。
「いつもこの辺りで連中を見失っていたそうです」
周りには家屋や人の気配は無い。
湖畔に立ちそっと眼を伏せ周囲を伺う。
ルナに宥められ注がれた力は、俺の持つ竜の五感を鋭敏にしている。
ふと足元の左側に、糸のように微かに触れる何かを感じた。
眼を開けてその場所を眺める。
一見、目の前の光景に何ら変わったところは無い・・・が、一瞬、何かに反射したように光が乱れた。
「ニクス」
風の大精霊の名を呼ぶ。
無風の湖畔に一陣風が巻き起こった。
『その先に、気持ちが悪い奴が細工した痕跡があるわ』
ニクスは不快そうに眉間に皺を寄せ、言い示した場所に爆風を呼び起こした。
湖畔の縁に聳えていた2本の高木が薙ぎ倒されると、その先に空間の色が明らかに違う景色が見えてきた。
「こ、これは・・・?」
ラドが驚き立ち尽くしている。
「目眩しだ。この先は亜空間だ。恐らくこの先に奴が潜んでいるのだろう」
そして、この空間を生み出した気持ち悪い奴妖魔術師が居るに違いない。
気を引き締めて、目の前に現れた薄暗い緑の靄に被われた空間に足を踏み入れる。
「離れるな。同士討ちにならぬよう、互いの距離を確認しろ」
靄が濃く、歩く数歩先が見通せない。
「ニクス、この靄を吹き飛ばせ」
『ご主人さま、敵が来る!』
ニクスに指示した声と同時に、ギルアドが叫び俺の肩から飛び出した。
靄の中、斜め後ろに居た赤い眼の異臭を放つ化け物に向かいギルアドが咆哮を上げ威嚇する。
背後からはラドの部下の悲鳴が聞こえた。
ニクスの竜巻で視界が晴れると目の前は崖が迫り、背後には口の裂けた化け物たちが赤い眼をぎらつかせていた。
最後尾に居た部下は化け物に首を喰いつかれ血を啜られている。
こいつらは吸血鬼か。
妖魔術師は死人から化け物を造りだすことが出来る。
幻惑の魔術をかけて生き人の動きを封じ血を貪る怪物を。
血を吸われた人間も、やがて同じ化け物となり人の血を求める。
ギルアドが部下を離さない化け物に飛びかかり、長く鋭い牙でその首をへし折った。
俺は喰いつかれ動かなくなった部下と共に、吸血鬼へ向けて火焔旋風を叩きつけた。
悪鬼は悍ましい悲鳴を上げながら炎に巻かれ溶けていった。
「首を落とし燃やせ!」
呪われたこの身体を動かしているのは妖魔術師だ。
本体を叩けば化け物たちは土くれに還るが、近くに奴の気配は無い。
ならば個々を跡形も無く消し去るしかない。
吸血鬼は空を浮きながら素早い動きで迫って来る。
「ニクス!奴らの動きを封じろ!」
幾つもの竜巻を同時に創り出したニクスは、化け物を風の渦の中に閉じ込めた。
アーノルドが氷の槍を右手に出現させ、吸血鬼の首を次々に斬り落としていった。
前方では剣を持ったラドと部下が、竜巻を免れた吸血鬼と対峙していた。
その脇で剣を構えるゼルの目の前に、突如吸血鬼がもう一体現れた。
吸血鬼は直ぐに襲いかかる事なくゼルの前に佇んでいる。
一瞬、ゼルの表情に奇妙なものが浮かんだ。
何だ?
そして次の瞬間、デンゼルは背後の崖に足を滑らせ声を上げながら落ちていった。
「ゼル!」
俺はニクスの風に乗り急ぎゼルの立っていた崖の淵まで飛んだ。
ゼルを見送るように佇んでいた吸血鬼の足元に火炎を創り出す。
炎に巻かれた吸血鬼は全く動かず、こちらを振り返ることもなかった。
加勢に来たラドが、炎の中、微動だにしない化け物の首を戦斧で叩き落とした。
振り返ると、彼方此方で火の爆ぜる音と黒煙が立ち上っているが、既に吸血鬼の気配は無くなっていた。
崖の淵から崖下を覗き込むが、霧が深く何も見えない。
「デンゼル!聞こえるか?!返事をしろっ!!」
アルバートが崖下に向かい大声で呼びかけるが返事は無い。
この天候の中、このまま此処に留まりデンゼルの捜索に当たるのは難しい。
次にまた刺客が現れるやも知れない。
「仕方が無い。先に進む」
俺は嘆息しながら皆に告げた。
『ご主人さま、近くに妖魔術師の匂いがする』
ギルアドが低く唸りながら視線を崖下向けた。
「下に降りる道を探せ」
周囲の気配に神経を尖らせながら、靄が濃い森の中を歩く。
半刻ほど彷徨った後、階段状に抉られた山肌が見えた。
足を取られないように慎重に土の階段を降りると、渓谷を流れる河岸に出た。
奥には深い森がまた広がっているが、その入り口に木造の家屋が見える。
『妖魔術師の匂いが濃いよ』
ラドたちに向かい人差し指を立て、気配を消すように促す。
物音を抑えながら建物へと忍び寄る。
『ご主人さま、人間の血の匂いがする』
ギルアドの心配そうな声がした。
最悪の事態を考えないように歯を食いしばる。
ルナは大丈夫だ。
生きている。
必ず連れて帰る。
呪文のように自分に言い聞かせる。
ラドと入り口の扉へ周り、アルバートは部下を連れて建物の背後に回る。
ギルアドが感知した妖魔術師の匂いは強いようだが、奴の気配は愚か人の気配すら無い。
俺の合図と共に扉を蹴破り屋内に侵入する。
だが、ラドとふたり、目に飛び込んで来た室内の凄惨な光景に押し黙った。
広い室内は明かりが灯ったままで、木製の壁に掛けられた大きなタペストリーには大量の血が吹き飛んでいた。
そして、大きな窓を背に置かれた豪華なソファーに座ったまま、顔を天に向けて口から血を流し絶命している第一皇子の姿があった。
『ご主人さま、ルナの匂いがする』
ギルアドが足元の床に鼻を付けて匂いを嗅ぎ出した。
胸を切り裂かれ倒れている第一皇子の足元近くまで辿ると、床に何か光るものがあった。
屈み込んで床を調べると、白く尖った何かの破片のようだった。
拾い上げ光に翳す。
『そいつからルナの匂いがするよ』
小指の頭ほどの何かの欠片には、赤黒いものが付着していた。
これは・・・。
『ルナの血の匂いだ。ムカつく妖魔術師の匂いもプンプンする』
身体が急速に冷えていく。
奴妖魔術師奴に何処か別の場所に連れ去られたのか。
やはり茶会の時に見たように、奴らは第一皇子派に組みしているのではなく他の者の下で動いていると言う事か。
利用価値が無くなり第一皇子を殺したのだろう。
俺を殺すのが目的ならば、ルナを生かしておく筈だ。
震える指先に力を込めて欠片を握り締める。
大丈夫だ。
ルナは生きている。
目を閉じあの陽だまりの様な笑顔を瞼に浮かべながら、俺は必死で赤く染まる視界を振り払った。
ターバルナから帰還途中だった副官ラドニアンには、帝都に戻らず公爵領首都ベルガでグロードン家の間諜と落ち合うよう、伝煌鳥を通じて指示を出している。
そして、帝都に残るもう一人の副官ゼインにはデンゼルの素性を調べるよう内密に命じた。
ゼルは、俺が皇子として復帰した5年前から従者として常に側にいた。
本来、従者とは、騎士の鍛錬の一つとして歳下の者が歳上に仕え経験を積むものだ。
だが俺が15歳の時、従者に選ばれたゼルは既に29歳の叙爵された騎士だった。
世間の荒波から俺を守る為の皇帝の配慮だったと聞いている。
彼の存在を、今まで疑うことは一つとして無かった。
俺の斜め前を馬で駆けるゼルを見る。
最近変わった事は特に無かった。
仕事は淡々とこなし、余計な事は口にせず感情の起伏も無い。
だが、ルナを攫われたあの日の彼は、いつになく饒舌だった。
・・・何を考えているのか?
「閣下、今夜は隣の宿場町で宿をとりましょう」
ゼルが振り返りながら話しかけてきた。
俺が頷くと、彼は馬に拍車を掛けて先を急いだ。
少し後方に距離をとった俺は、アルバートと並走しながら口を開いた。
「ゼルは皇室親衛隊に所属していたのか?」
ゼルの後ろ姿を見送りながらアルバートが答える。
「いえ、私の記憶ではございません。親衛隊に所属せず神殿の護衛騎士に抜擢される者もいますが非常に稀ですし、彼は元々平民ですから叙爵前ではまず無理だったと思います」
彼は、その功績が認められ叙爵を受けて俺の従者となった。
「彼が閣下の従者となったのは、当時の宰相さまのご推挙でしたか?」
「ああ、宰相が腕に覚えのある者として推薦してきた。陛下の許可も得ていると」
よく考えてみれば、彼が選ばれた経緯も俺は把握していない。
「その辺りも調べる必要がありそうですね」
ここ数ヶ月、いや、ルナが来てからか?
俺の不在に合わせるように、タイミング良く騒動が起きている。
そして、今。
遥か前を駆けている彼の背中を見ながら、俺は漠然と嫌な予感がしていた。
途中、幾つか宿場町に宿泊し、帝都を発って4日目にはディルナー公爵領に入った。
この季節、雪で交易が停滞する冬を前に、物資を流通させようと各都市からここ公爵領首都ベルガに多くの民が流入する。
フードを目深に被り、人並みに紛れ落ち合う予定の宿屋に向かう。
陽が傾き夕餉の支度の香りがすると共に、食事に有り付こうとする旅人たちで辺りは活気をみせている。
宿の前では、既に到着していた副官のラドニアンが俺たちを待っていた。
降りた馬をゼルに預けて先に宿に入る。
ラドは、馬を厩舎に引いて行くゼルをチラッと伺いながら小声で俺に話しかけてきた。
「ゼインから詳細は聞いております。彼の前では重要と思われる報告は控え、後ほど閣下にだけお伝え致します」
「奴の行動に目を光らせておけ」
ラドは頷き後ろに控えていた部下のひとりに目配せをすると、彼はゼルの後を追うように厩舎へと消えて行った。
それを見送った後、ラドは俺たちを宿の一階にある食堂に案内した。
賑やかな広い食堂には丸いテーブルが置かれ、旅装束の民が彼方此方で食事を頬張っていた。
案内されたテーブルは食堂の隅にあり、既に注文されていた食事と酒が並べられていた。
ゼルの戻りを待つ事なく、席についたアルバートと共に食事を摂り始めた。
「守備はどうだ?」
酒を飲むラドに尋ねる。
「グロードンの間諜はなかなか良い仕事をしていますね」
ゴクリと喉を鳴らして酒を飲んだ後、ラドは興味深そうに言った。
「この半年、奴が人目を忍んでアドラに訪れている情報を掴んでいました。そこにいつも現れるのがライマーだったようです。奴が訪れるのは決まってアドラの高級旅館で、ライマーと共に数日滞在し違法な賭博や娼館から女を買って戯れに耽っているとの事です」
こんな愚か者に国を統治する能力などあるものか。
俺が把握している以上に、身近な者は素行について熟知している筈だ。
何故、奴を野放しにしているのか?
「間諜からの報告では、先週からアドラに滞在しているようですが、今週になっても離れる様子が見られないとの事です」
「ここ数日の間、奴を見たのか?」
「いえ、姿を確認出来ていないそうです」
今週になってルナが攫われた。
既に奴は移動して、ルナと共に居るのではないだろうか?
「もう一つ、間諜が気になる事を掴んでいたのですが・・・」
俺は片眉を上げて先を促した。
「奴の滞在先に、度々ナバルの神官が訪れていたそうです」
「何時の事だ?」
「先月からの事で、今回の滞在中も見かけたそうです」
神官との癒着か・・・。
一体、何を企んでいる?
その時、視界の端に、食堂の入り口からこちらに向かってくるゼルが目に入った。
俺はラドに目配せをして、この話は終わりだと合図した。
ゼルが席に着いてから、第一皇子の行方に関する情報をラドが報告した。
「奴はこの半年の間に、アドラに複数回訪れています。多くは常宿としている旅館で過ごしているようですが、時に湿地帯へと出かける姿も目撃されています。ただ、目的の場所が何処なのかまでははっきりしていません」
「どの辺りまで追えている?」
「足取りが消える場所はいつも同じだと言うことで、凡その位置を控えてあります」
魔法で目隠しでもしているのか?
何かを隠すには都合が良い場所と言う事か。
「では、明朝、夜明けと共にアドラに向かう」
俺は無表情のゼルに視線を向けながら言った。
翌朝、日の出前に宿を発った。
昨夕合流したラドとその部下を含め6名で、朝靄の立ち込めるなか馬を駆る。
ラドの報告では、昨夕からのゼルの行動に不審な点は見当たらない。
俺の杞憂であればいいが・・・。
途中、街道沿いで休憩をとった後は休みを取らず、昼過ぎにはラドの案内する湿地帯の入り口に到着した。
沼に足を取られる為、此処からは馬で入る事は出来ない。
古木に手綱を括り付け、馬をおいてラドの後を歩く。
低木が茂っていた湿地帯の入り口と違い、進むほど奥地は原生林が高く聳え日差しも遮られるような鬱蒼とした森となっていった。
「この辺りです」
先頭を行くラドが沼の畔で立ち止まった。
対岸までは距離のある比較的広い沼が静かに水を湛えている。
昼間だというのに少し濃い靄が湖面を覆っている。
「いつもこの辺りで連中を見失っていたそうです」
周りには家屋や人の気配は無い。
湖畔に立ちそっと眼を伏せ周囲を伺う。
ルナに宥められ注がれた力は、俺の持つ竜の五感を鋭敏にしている。
ふと足元の左側に、糸のように微かに触れる何かを感じた。
眼を開けてその場所を眺める。
一見、目の前の光景に何ら変わったところは無い・・・が、一瞬、何かに反射したように光が乱れた。
「ニクス」
風の大精霊の名を呼ぶ。
無風の湖畔に一陣風が巻き起こった。
『その先に、気持ちが悪い奴が細工した痕跡があるわ』
ニクスは不快そうに眉間に皺を寄せ、言い示した場所に爆風を呼び起こした。
湖畔の縁に聳えていた2本の高木が薙ぎ倒されると、その先に空間の色が明らかに違う景色が見えてきた。
「こ、これは・・・?」
ラドが驚き立ち尽くしている。
「目眩しだ。この先は亜空間だ。恐らくこの先に奴が潜んでいるのだろう」
そして、この空間を生み出した気持ち悪い奴妖魔術師が居るに違いない。
気を引き締めて、目の前に現れた薄暗い緑の靄に被われた空間に足を踏み入れる。
「離れるな。同士討ちにならぬよう、互いの距離を確認しろ」
靄が濃く、歩く数歩先が見通せない。
「ニクス、この靄を吹き飛ばせ」
『ご主人さま、敵が来る!』
ニクスに指示した声と同時に、ギルアドが叫び俺の肩から飛び出した。
靄の中、斜め後ろに居た赤い眼の異臭を放つ化け物に向かいギルアドが咆哮を上げ威嚇する。
背後からはラドの部下の悲鳴が聞こえた。
ニクスの竜巻で視界が晴れると目の前は崖が迫り、背後には口の裂けた化け物たちが赤い眼をぎらつかせていた。
最後尾に居た部下は化け物に首を喰いつかれ血を啜られている。
こいつらは吸血鬼か。
妖魔術師は死人から化け物を造りだすことが出来る。
幻惑の魔術をかけて生き人の動きを封じ血を貪る怪物を。
血を吸われた人間も、やがて同じ化け物となり人の血を求める。
ギルアドが部下を離さない化け物に飛びかかり、長く鋭い牙でその首をへし折った。
俺は喰いつかれ動かなくなった部下と共に、吸血鬼へ向けて火焔旋風を叩きつけた。
悪鬼は悍ましい悲鳴を上げながら炎に巻かれ溶けていった。
「首を落とし燃やせ!」
呪われたこの身体を動かしているのは妖魔術師だ。
本体を叩けば化け物たちは土くれに還るが、近くに奴の気配は無い。
ならば個々を跡形も無く消し去るしかない。
吸血鬼は空を浮きながら素早い動きで迫って来る。
「ニクス!奴らの動きを封じろ!」
幾つもの竜巻を同時に創り出したニクスは、化け物を風の渦の中に閉じ込めた。
アーノルドが氷の槍を右手に出現させ、吸血鬼の首を次々に斬り落としていった。
前方では剣を持ったラドと部下が、竜巻を免れた吸血鬼と対峙していた。
その脇で剣を構えるゼルの目の前に、突如吸血鬼がもう一体現れた。
吸血鬼は直ぐに襲いかかる事なくゼルの前に佇んでいる。
一瞬、ゼルの表情に奇妙なものが浮かんだ。
何だ?
そして次の瞬間、デンゼルは背後の崖に足を滑らせ声を上げながら落ちていった。
「ゼル!」
俺はニクスの風に乗り急ぎゼルの立っていた崖の淵まで飛んだ。
ゼルを見送るように佇んでいた吸血鬼の足元に火炎を創り出す。
炎に巻かれた吸血鬼は全く動かず、こちらを振り返ることもなかった。
加勢に来たラドが、炎の中、微動だにしない化け物の首を戦斧で叩き落とした。
振り返ると、彼方此方で火の爆ぜる音と黒煙が立ち上っているが、既に吸血鬼の気配は無くなっていた。
崖の淵から崖下を覗き込むが、霧が深く何も見えない。
「デンゼル!聞こえるか?!返事をしろっ!!」
アルバートが崖下に向かい大声で呼びかけるが返事は無い。
この天候の中、このまま此処に留まりデンゼルの捜索に当たるのは難しい。
次にまた刺客が現れるやも知れない。
「仕方が無い。先に進む」
俺は嘆息しながら皆に告げた。
『ご主人さま、近くに妖魔術師の匂いがする』
ギルアドが低く唸りながら視線を崖下向けた。
「下に降りる道を探せ」
周囲の気配に神経を尖らせながら、靄が濃い森の中を歩く。
半刻ほど彷徨った後、階段状に抉られた山肌が見えた。
足を取られないように慎重に土の階段を降りると、渓谷を流れる河岸に出た。
奥には深い森がまた広がっているが、その入り口に木造の家屋が見える。
『妖魔術師の匂いが濃いよ』
ラドたちに向かい人差し指を立て、気配を消すように促す。
物音を抑えながら建物へと忍び寄る。
『ご主人さま、人間の血の匂いがする』
ギルアドの心配そうな声がした。
最悪の事態を考えないように歯を食いしばる。
ルナは大丈夫だ。
生きている。
必ず連れて帰る。
呪文のように自分に言い聞かせる。
ラドと入り口の扉へ周り、アルバートは部下を連れて建物の背後に回る。
ギルアドが感知した妖魔術師の匂いは強いようだが、奴の気配は愚か人の気配すら無い。
俺の合図と共に扉を蹴破り屋内に侵入する。
だが、ラドとふたり、目に飛び込んで来た室内の凄惨な光景に押し黙った。
広い室内は明かりが灯ったままで、木製の壁に掛けられた大きなタペストリーには大量の血が吹き飛んでいた。
そして、大きな窓を背に置かれた豪華なソファーに座ったまま、顔を天に向けて口から血を流し絶命している第一皇子の姿があった。
『ご主人さま、ルナの匂いがする』
ギルアドが足元の床に鼻を付けて匂いを嗅ぎ出した。
胸を切り裂かれ倒れている第一皇子の足元近くまで辿ると、床に何か光るものがあった。
屈み込んで床を調べると、白く尖った何かの破片のようだった。
拾い上げ光に翳す。
『そいつからルナの匂いがするよ』
小指の頭ほどの何かの欠片には、赤黒いものが付着していた。
これは・・・。
『ルナの血の匂いだ。ムカつく妖魔術師の匂いもプンプンする』
身体が急速に冷えていく。
奴妖魔術師奴に何処か別の場所に連れ去られたのか。
やはり茶会の時に見たように、奴らは第一皇子派に組みしているのではなく他の者の下で動いていると言う事か。
利用価値が無くなり第一皇子を殺したのだろう。
俺を殺すのが目的ならば、ルナを生かしておく筈だ。
震える指先に力を込めて欠片を握り締める。
大丈夫だ。
ルナは生きている。
目を閉じあの陽だまりの様な笑顔を瞼に浮かべながら、俺は必死で赤く染まる視界を振り払った。
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