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†忘却†
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★☆★☆★
「ある程度の…予想はしてたけど…
いい感じに期待を裏切らない埃ね…!」
そんなふうにやっとのことで呟いた朱音は、それによって埃の一部を吸い込んだらしく、次の瞬間、盛大に咳き込んだ。
一方、そんな相手に懐音は、こちらもまともなしかめっ面を露にする。
「…確かに埃はあるだろうが、動かなければそうそう舞い上がるような量でもないだろう」
「…、あんたね、この粉雪が積もったみたいな量の埃の、どこを見てそう思うわけ?
綿埃みたいな塊がないだけマシだけど、そんなふうだから自分の館のカーテンの状態にも無自覚なんだって、少しは自覚しなさいよ」
言いながらも朱音は、げほげほと咳を繰り返す。
「──…」
さすがにそれに閉口したのか、懐音は口を真一文字に引き結び、部屋から朱音を摘まみ出そうとする。
しかし朱音はそれを野生の勘で察したのか、すかさず服のポケットからハンカチを取り出し、鼻と口を覆うことで、何とか咳を抑え込んだ。
行動を見透かされ、ちっ、とあからさまな舌打ちをした懐音に対して、何とか部屋から追い出されることは回避できたと判断した朱音は、その瞳を内部の左右に忙しなく走らせる。
…壁に飾られている絵。
それ自体が既に高価そうな、アンティークな作りの家具。
その上に置いてあるフォトスタンド。
手のひらに収まるサイズのオルゴール。
それぞれが年代物だが、確かさを失わない細かい細工。
だが、そのどれしもが“年代物”なため、アンリとジュリが、この中のどれにそれほどの未練を残しているのかは、当然ながら一見では掴めない。
…それ故に。
「…、ミスリードてんこ盛りじゃない。
いかにも怪しいところだらけね…」
さすがに朱音が溜め息をつく。
探しているもの、それ自体が明確でないせいもあるが、疑おうと思えばどれもこれも疑えるものばかりで、部屋の内部を一瞥しただけでは、とてもじゃないが、決定打に値するものは認められないのだ。
「…ミスリード、か」
懐音が傍らで低く呟いた。
“ミスリード”…、その意味。
これでもかと示されている品々。
「……」
それらを総合し、何事かに気付いたらしい懐音は、今だ口をハンカチで押さえたままの朱音にはまるで構わず、無言のまま、部屋の中央まで静かに歩を進めた。
…そしてそのまま、まず、壁に飾られた、額に入れられた古びた絵に目を止める。
それには二人の人物が描かれていた。
「!アンリさんと…ジュリさん?」
朱音が、埃のために若干赤くなった目を見開く。
しかし懐音はそれには答えず、その人物画の左隅に小さく書かれていた、ほとんど掠れて見えなくなっている筆記体に、次いで目を移した。
「──英国英語(クイーンズイングリッシュ)だな。
“兄・アンリエッタ=クライス
妹・ジュリエッタ=クライス
死が二人を引き裂こうとも”…か」
「ええっ!?」
朱音が唖然と声を上げ、思わずハンカチを取り落とす。
その勢いでまたしても咳とくしゃみの連発を余儀なくされた朱音は、それでも次には喚いていた。
「…あ…、あの二人、兄妹なの!?
しかも、その書き方だと、まるで…」
「…、恐らくはお前の考え通りだろう。
“アンリ”と“ジュリ”。その名前の酷似から、薄々勘づいてはいたが…
まさか本当に兄妹だったとはな」
「アンリエッタ…と、ジュリエッタ…が、本名なの?」
うっすらと絶望の色すらその顔に浮かぶ朱音に、懐音は何故か、容赦なく頷いてみせる。
「そうらしいな。…そしてこの絵からするに、名字も同じ…
挙げ句に、お前も気付いたように、この文章からすると…だ」
「! そう! あの二人、絶対に恋人同士よね!?
なのに、あたしたちが見ていた時にも、あの二人は兄妹らしさも、恋人同士らしさも…全然見せなかった…!
懐音…それってどういうこと?
あの二人は、そのことを… そんな大事なことを覚えていないの!?」
「……」
朱音の言と、目の前の事実、そしてアンリとジュリ、双方の今までの様子を振り返りながら、懐音は考える。
そしてその頭脳が、とあるひとつの結論を導き出した時。
懐音の瞳は厳しくも鋭く尖り、その歯は、軋みという名の短い擦れを奏でていた。
「…、卑劣な真似を…!」
「…えっ?」
瞬間、朱音はその背に、氷が滑り落ちたかのような寒気を覚えた。
…隣にいる青年。それは懐音。
その事実は充分に分かっている…
だが。
彼はこんなにも、静かな怒りを見せる男だっただろうか?
いつもの毒舌、そして皮肉げな口調。
時折それに感情を刺激されることはあっても、自分は未だかつて──
懐音の、冬のような極寒の怒りを見たことはない。
…それを今、目の当たりにしている。
その目はそれこそ凍りついたように懐音を捉え、そしてそこからミリ単位ほども動かせない。
例え矛先が自分ではなくとも。
恐れてしまう。…怖いのだ、懐音が。
普段はあれだけ憎まれ口を叩く仲であるというのに。
「──懐…音?」
声を絞り出すのがやっとだ。
そしてその声も、掠れている…
本能に忠実に、震えている。
「……」
返って来たのは無言という名の静寂。
その静寂の中に、氷の欠片が舞うように、懐音の冷たい怒りが感じられる。
…その、怒りとは反対な…
熱とは正反対なはずの冷を、感じ取れる。
「……」
どうしていいのか分からず、朱音は自然に無言になる。
すると懐音は、その絵から離れ、次いで他のフォトスタンドやオルゴールなど、ひとつひとつを丁寧に、丹念に改めていった。
しかしそんな懐音の纏う空気は、依然として冷たいままで…
朱音はいつもの調子に戻せないままに、反応という名の動きを失っていた。
「…!」
ふと、オルゴールをいじっていた懐音が、何かに気付く。
そして今まで以上に注意を払い、そのオルゴールを扱うが、その様子は朱音からは死角になっていて、見えない。
「…成る程な…」
不意に懐音が呟いた。
その声にはいつの間にか、暖かい熱が戻っている。
…朱音はそれに心底から安堵した。
「ある程度の…予想はしてたけど…
いい感じに期待を裏切らない埃ね…!」
そんなふうにやっとのことで呟いた朱音は、それによって埃の一部を吸い込んだらしく、次の瞬間、盛大に咳き込んだ。
一方、そんな相手に懐音は、こちらもまともなしかめっ面を露にする。
「…確かに埃はあるだろうが、動かなければそうそう舞い上がるような量でもないだろう」
「…、あんたね、この粉雪が積もったみたいな量の埃の、どこを見てそう思うわけ?
綿埃みたいな塊がないだけマシだけど、そんなふうだから自分の館のカーテンの状態にも無自覚なんだって、少しは自覚しなさいよ」
言いながらも朱音は、げほげほと咳を繰り返す。
「──…」
さすがにそれに閉口したのか、懐音は口を真一文字に引き結び、部屋から朱音を摘まみ出そうとする。
しかし朱音はそれを野生の勘で察したのか、すかさず服のポケットからハンカチを取り出し、鼻と口を覆うことで、何とか咳を抑え込んだ。
行動を見透かされ、ちっ、とあからさまな舌打ちをした懐音に対して、何とか部屋から追い出されることは回避できたと判断した朱音は、その瞳を内部の左右に忙しなく走らせる。
…壁に飾られている絵。
それ自体が既に高価そうな、アンティークな作りの家具。
その上に置いてあるフォトスタンド。
手のひらに収まるサイズのオルゴール。
それぞれが年代物だが、確かさを失わない細かい細工。
だが、そのどれしもが“年代物”なため、アンリとジュリが、この中のどれにそれほどの未練を残しているのかは、当然ながら一見では掴めない。
…それ故に。
「…、ミスリードてんこ盛りじゃない。
いかにも怪しいところだらけね…」
さすがに朱音が溜め息をつく。
探しているもの、それ自体が明確でないせいもあるが、疑おうと思えばどれもこれも疑えるものばかりで、部屋の内部を一瞥しただけでは、とてもじゃないが、決定打に値するものは認められないのだ。
「…ミスリード、か」
懐音が傍らで低く呟いた。
“ミスリード”…、その意味。
これでもかと示されている品々。
「……」
それらを総合し、何事かに気付いたらしい懐音は、今だ口をハンカチで押さえたままの朱音にはまるで構わず、無言のまま、部屋の中央まで静かに歩を進めた。
…そしてそのまま、まず、壁に飾られた、額に入れられた古びた絵に目を止める。
それには二人の人物が描かれていた。
「!アンリさんと…ジュリさん?」
朱音が、埃のために若干赤くなった目を見開く。
しかし懐音はそれには答えず、その人物画の左隅に小さく書かれていた、ほとんど掠れて見えなくなっている筆記体に、次いで目を移した。
「──英国英語(クイーンズイングリッシュ)だな。
“兄・アンリエッタ=クライス
妹・ジュリエッタ=クライス
死が二人を引き裂こうとも”…か」
「ええっ!?」
朱音が唖然と声を上げ、思わずハンカチを取り落とす。
その勢いでまたしても咳とくしゃみの連発を余儀なくされた朱音は、それでも次には喚いていた。
「…あ…、あの二人、兄妹なの!?
しかも、その書き方だと、まるで…」
「…、恐らくはお前の考え通りだろう。
“アンリ”と“ジュリ”。その名前の酷似から、薄々勘づいてはいたが…
まさか本当に兄妹だったとはな」
「アンリエッタ…と、ジュリエッタ…が、本名なの?」
うっすらと絶望の色すらその顔に浮かぶ朱音に、懐音は何故か、容赦なく頷いてみせる。
「そうらしいな。…そしてこの絵からするに、名字も同じ…
挙げ句に、お前も気付いたように、この文章からすると…だ」
「! そう! あの二人、絶対に恋人同士よね!?
なのに、あたしたちが見ていた時にも、あの二人は兄妹らしさも、恋人同士らしさも…全然見せなかった…!
懐音…それってどういうこと?
あの二人は、そのことを… そんな大事なことを覚えていないの!?」
「……」
朱音の言と、目の前の事実、そしてアンリとジュリ、双方の今までの様子を振り返りながら、懐音は考える。
そしてその頭脳が、とあるひとつの結論を導き出した時。
懐音の瞳は厳しくも鋭く尖り、その歯は、軋みという名の短い擦れを奏でていた。
「…、卑劣な真似を…!」
「…えっ?」
瞬間、朱音はその背に、氷が滑り落ちたかのような寒気を覚えた。
…隣にいる青年。それは懐音。
その事実は充分に分かっている…
だが。
彼はこんなにも、静かな怒りを見せる男だっただろうか?
いつもの毒舌、そして皮肉げな口調。
時折それに感情を刺激されることはあっても、自分は未だかつて──
懐音の、冬のような極寒の怒りを見たことはない。
…それを今、目の当たりにしている。
その目はそれこそ凍りついたように懐音を捉え、そしてそこからミリ単位ほども動かせない。
例え矛先が自分ではなくとも。
恐れてしまう。…怖いのだ、懐音が。
普段はあれだけ憎まれ口を叩く仲であるというのに。
「──懐…音?」
声を絞り出すのがやっとだ。
そしてその声も、掠れている…
本能に忠実に、震えている。
「……」
返って来たのは無言という名の静寂。
その静寂の中に、氷の欠片が舞うように、懐音の冷たい怒りが感じられる。
…その、怒りとは反対な…
熱とは正反対なはずの冷を、感じ取れる。
「……」
どうしていいのか分からず、朱音は自然に無言になる。
すると懐音は、その絵から離れ、次いで他のフォトスタンドやオルゴールなど、ひとつひとつを丁寧に、丹念に改めていった。
しかしそんな懐音の纏う空気は、依然として冷たいままで…
朱音はいつもの調子に戻せないままに、反応という名の動きを失っていた。
「…!」
ふと、オルゴールをいじっていた懐音が、何かに気付く。
そして今まで以上に注意を払い、そのオルゴールを扱うが、その様子は朱音からは死角になっていて、見えない。
「…成る程な…」
不意に懐音が呟いた。
その声にはいつの間にか、暖かい熱が戻っている。
…朱音はそれに心底から安堵した。
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