真珠を噛む竜

るりさん

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第四章 ニッコウキスゲ

いざない

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 セリーヌを引き留めたのは、エリクだった。
 彼の言っていることはもっともなことだった。それに、このメンバー全員が知りたくても今まで言い出せないことばかりだった。
「少し、歩きましょう。せっかくここまで来たのですから」
 セリーヌは、そう言って遊歩道に皆を誘った。ニッコウキスゲが群生する場所と言うのは本当で、そこら中に黄色い花を咲かせていた。なんと美しい場所なのだろう。
 皆がその景色に見惚れ、美しいとかきれいなどの言葉しか出てこなくなると、セリーヌは口に拳を当ててくすりと笑った。
「見つかるずっと前からあなた方を見ていましたが」
ふと、セリーヌは立ち止まって、皆を見た。
「あなた方家族は、母親のいない家庭に見えます。お父さんはクロヴィス、お母さんがいなくて、エリクの姉がリゼットとジャンヌ。いえ、リゼットとジャンヌがエリクの妹かしら? どちらにせよ、リゼットとジャンヌ、そしてエリクはきょうだいと言ったところかしら」
 すると、リゼットとジャンヌが突然、セリーヌに詰め寄った。
「姉はどっち? 私よね?」
 リゼットが鼻息を荒くする。
「私が姉よ、あんたみたいなチビに譲るもんですか!」
 ジャンヌが怒り始める。
 すると、その二人をなだめているエリクを見て、セリーヌは笑った。
「エリクはきっと、お兄さんね」
 そう言ってセリーヌは、喧嘩をする二人に辟易して、放っておくしかないと言いながら先に進むクロヴィスについていった。ジャンヌたちは喧嘩をしながらついてきたし、しんがりを進むエリクはエリクで、喧嘩をする二人を放って景色を楽しんでいた。
 遊歩道から戻ると、泉の虹は消えていた。太陽の位置がずれてきたのだ。日が暮れないうちに街に戻らなければならない。エリクたちは皮袋や水筒に、なるべくたくさんの水を入れて、町に戻る準備をした。
「ねえ、セリーヌ」
 帰り道、家に戻ろうとするセリーヌを、今度はジャンヌが呼び止めた。
「よかったら、食事、一緒にしない?」
 セリーヌは、一度戸惑ったが、エリクやクロヴィスも一緒にと言うので、断れずに一緒に食事をすることにした。各自、何が食べたいのか聞いていくと、誰もが鶏肉の香草焼きと答えた。どこからかタイムやセージのいい香りがしてきたし、ニンニクの焦げた香りも漂ってきたからだ。
「とりあえず、鶏肉の香草焼きか、それに近いメニューのあるお店を探しましょう」
 リゼットがそう言うと、全員で近くの飲食店を順番に回ってみることにした。すると、一件だけ、それに近いメニューを出しているお店があり、そこにみんなで入ることになった。
「この高原の地鶏は、全国的にも有名なんですよ。肉質は柔らかく、それでいて脂が少ない。皮や軟骨に至ってもコリコリしていておいしいんです」
 料理が運ばれて来るのを待ちながら、セリーヌが説明をしてくれた。こういう時の彼女は非常にうれしそうだ。
「セリーヌは、皆といると楽しそうだし、今日あったときも、家族がいいって言っていたよね。でもどうしていつも一人ぼっちなの?」
 前菜が出てくると、それを食べながらエリクが聞いた。すると、セリーヌはこう答えた。
「私は研究者だから。普通の家族は一か所にずっと住んでいるでしょう? だけど私はランサーを追って各地を転々としているから、決まったお友達もできないし、家族にも見放されてしまったの。一人でいたほうが楽だし、変なしがらみもないでしょう。それに、研究に没頭するには一人がちょうどいいですから」
「でも、家族が羨ましいって言っていたでしょ。あれ、本当はうれしかった。皆もそうでしょ?」
 エリクが皆のほうを向くと、セリーヌ以外の人間はみな、前菜を口にしながら頷いてくれた。まず、リゼットが口を開く。まだ口の中に食べ物が残っていた。
「セリーヌは生物学者でしょ? 動物のこといっぱい知っていそうだしね。そんな人が私たちと一緒にいたら助かるわ。クマの弱点も知っていそうだし」
「素直じゃないなあ、リゼットは」
 ジャンヌが頬杖をついて、にやりと笑う。
「本当は、セリーヌを助けてやりたいんじゃないの? 私たちと似たような身の上で一人ぼっちだし、何よりいろいろ理由をつけて強がっちゃってる。そこが気になって仕方ないんだよね」
 すると、頬杖をついているジャンヌの皿から、リゼットは前菜のうちの一つをさっと持って行ってしまった。
「ちょっと何するのよ、リゼット! 返しなさいよ!」
「嫌よ。こんなの私が食べてやるわ」
 そう言って、リゼットはジャンヌに復讐をした。それは、自分の気持ちを言い当てられた復讐だった。
 次のサラダが来て、それを皆が無言で食べ終わると、少し熱いスープが出された。オニオングラタンスープだった。
「熱いね、これ」
 そう言って、エリクがみんなを見渡した。
「ねえ、クロヴィスはどう思う? セリーヌのこと」
 オニオングラタンスープの中のパンと格闘しているクロヴィスの服の裾を、エリクが引っ張る。クロヴィスはパンを諦めて、エリクの話に乗ることにした。
「合理的に考えれば、セリーヌがいてくれれば助かるだろうな。だが、あいにく俺は非合理的でな。セリーヌが俺たちと一緒にいて、家族として入り込んできて満足できるかどうか、それを決めるのは俺たちじゃない。心から信頼できるから楽しいんだ。安心して背中を預けて寝られるんだ。そういう、損得勘定のない関係を家族っていうんじゃないか? ただ助けたいってだけじゃ、家族に迎える意味はないと思うがな」
 それを言われて、皆考え込んでしまった。食事の手が、一瞬止まる。
「セリーヌは、どう思っているの? 僕たちのこと」
 冷め始めたスープを飲みながら、エリクはこわごわとセリーヌに聞いた。すると、セリーヌはずいぶん暗い顔をして、スープを飲む手を止めた。
「私は、友人にはなれても、家族には入れないかもしれません」
 そう言って、立ち上がろうとしたセリーヌを、リゼットが止めた。
「人数分食事代出しているんだから、逃げるのはダメよ。ちゃんと食べてね」
「でも、これ以上あなた方といる理由が私にはないんです」
 困った顔をするセリーヌ。その肩を、クロヴィスが叩いた。
「なあ、じゃあどうして今まで俺たちと一緒にいたんだ?」
 すると、セリーヌは顔を赤らめて、少し涙目になってクロヴィスを見た。そして、声を震わせて、こう言った。
「私、あなた方の家族になっていいのか、分からないんです。なりたいか、なりたくないかもわからない。自分の気持ちに嘘はつきたくないけれど、どれが本当でどれが嘘か分からない。ずっとそれで悩んでいました。クロヴィスの言葉でそれに気が付いただけです」
「そうだったの」
 ジャンヌがそう言って、飲み終わったスープに目を落とす。全員がスープを飲んでしまうと、次にはパンが来た。
「石窯で焼いたパンね、これは。外はカリカリ、中はほら」
 リゼットが、パンの中身を割ってみせる。湯気が上がって、もっちりほくほくしていた。おいしそうだ。
 リゼットがおいしそうにそれをほおばる。すると、ジャンヌは、すっと手を伸ばしてすごいスピードでセリーヌのパンを取ってしまった。
「ふふ、もとスリの腕前をなめるんじゃないよ。こんなことくらい朝飯前!」
 そう言って、パンを食べようとする。すると、リゼットを挟んで向こうに座っていたセリーヌが、突然泣き出した。
「ちょ、セリーヌ、どうしたの? 私何か悪いことした?」
「したでしょ、泥棒」
 そう言って、リゼットがジャンヌを小突いた。
「なんでこのタイミングで盗むのかしら。ちょっとは空気読みなさいよ」
「このタイミングだから盗めるんじゃない。これで少しは分かったでしょ、食事は戦争。情け無用のサバイバルなんだって」
「何が情け無用よ」
 リゼットは、ジャンヌからセリーヌのパンを取り戻すと、それをちゃんと返した。
「ジャンヌの手癖の悪さったらないわ! セリーヌ、気にしないで食べましょ」
 セリーヌは、頷くと涙を拭いた。そして、リゼットに一言、ありがとうと言うと、ジャンヌにも礼を言った。
「ジャンヌ、ありがとう。おかげで少し気分が軽くなったわ」
 そう言って、セリーヌは皆に混じってパンを食べ始めた。そのあと出てきたメインディッシュの鶏の香草焼きは、内臓をしっかり抜いて、その中にオリーブオイルに浸したリゾットを入れてあった。味はチーズ仕立てで、他にない美味しさだった。それを皆でわいわい言いながら食べ終わると、最後にデザートと飲み物が出された。
 最後に出された紅茶をすすると、リゼットは満足げな顔をしていた。他の人間も満足していたが、リゼットほど満足している者はいなかっただろう。
「あーあ、あんなところでクロヴィスが余計なこと言わなきゃ、もっとおいしかったのにね」
 ジャンヌが横目でちらりとクロヴィスを見た。
 すると、クロヴィスはまだ残っている珈琲を飲み干して、ジャンヌに返した。
「本当のことだろう。本人が悩んだまま俺たちと来ても、途中で別れてしまいかねない。俺の言ったことで一度きりの喧嘩をして別れるようじゃ、それまでなんだよ。セリーヌにもっと時間をやってやれよ。俺たちにはまだ時間があるんだから」
 クロヴィスのその言葉に、誰も何も言えなかった。皆は食事を終えると、セリーヌを家まで送ってから宿に入った。
 宿では、エリクが浮かない顔をしていた。クロヴィスと同室だったためだろうか。先程のことをまだ引きずっていた。
「寝ないのか、エリク」
 クロヴィスは寝床に入ろおうとしていたが、エリクはベッドの上に座ったまま何も言わずに俯いていた。
「クロヴィス、セリーヌのこと、本当にあれでよかったのかな。僕らの中に入りたがっていたみたいだし、なにより家族がいない。境遇は同じだろ。なのに、突き返すようなことをしてしまって」
「彼女を突き返したんじゃない。俺は、お前の暴走を止めただけだ」
「僕の?」
 クロヴィスは、寝床に入ろうとしてやめた。そして、エリクのほうへしっかりと向き合った。
「お前さ、俺たちを自分の家族だから自分の好きにしていいなんて思っていないよな」
「それは、そうかもしれないけど、でも、確かに君たちは僕の家族じゃないか」
 そのセリフを聞いて、クロヴィスは頭を抱えた。
「あのな、エリク。俺たちはお前だけの家族じゃない。少なくとも、俺にとってはお前やジャンヌたちは俺の家族だし、ジャンヌやリゼットたちからしても俺たちは彼女らの家族だ。分かるか? 自分とその他って考えるのはおかしいんだよ。それじゃ、まるで主人公とその他脇役みたいじゃないか。家族ってのは、皆が主人公なんだ。だから、セリーヌのことは、お前ひとりが決めることじゃないし、お前一人が背負う問題じゃない。セリーヌ自身の問題でもあれば俺たち自身が抱える問題でもある。家族になるってのは、仲間や友達と違って、すごく難しいんだ」
 そう言って、クロヴィスはエリクの肩をポン、と、叩いた。そして、ベッドに横になって布団をかぶると、枕の上で腕を組んだ。
 すると、エリクは何かを納得したのか、同じようにベッドの中に入ってクロヴィスのほうを向いた。そして、クロヴィスが何か考え事をしていることを悟ると、ベッドから身を乗り出した。
「ねえ、クロヴィス」
 少し心配そうに声をかける。すると、クロヴィスはエリクのほうに顔を向けてくれた。
「なんだ、エリク」
 エリクは、クロヴィスが悩んでも怒ってもいないことにホッとすると、今まで考えていたことをふと、口にした。
「明日、セリーヌを狩りに誘ってもいいかな」
 すると、クロヴィスは笑って、答えてくれた。
「いま、俺もそれを考えていたところだ。いいんじゃないか? 朝になったら、ジャンヌとリゼットに相談してみるといい」
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