真珠を噛む竜

るりさん

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第十六章 ジャーマンアイリス

手術

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 アースは、宿についてからすぐセベルを呼び、彼を助手としてクロヴィスを運び込んだ部屋にいれ、他の人間を全て部屋から追い出してしまった。
「クロヴィスの腕から鍾乳石を抜き、止血、消毒をしてから傷口を縫って傷を保護するのでしょう。手術になるのですから、余計な人間を入れたくないのです。分かってください」
 エリクがひどく不安定になっている。ナリアのこの説明も頭には入ってこなかった。顔は真っ青で震えが止まらず、呼吸も荒い。リゼットやジャンヌ、セリーヌも同じような状態だった。
「クロヴィスは助かるよね、死んじゃったりしないよね」
 手術をしている部屋の前にある椅子に座って泣きじゃくるエリクの手を、セリーヌが握りしめる。
「アースさんとクロヴィスの生命力を信じましょう。大丈夫、きっと良くなるわ」
 セリーヌはそう言って涙を拭き、エリクに笑顔を見せてからその場から去っていった。
「セリーヌはどこへ行くの?」
 リゼットが誰にともなく聞くと、ナリアが答えた。
「エーテリエの容体も心配ですから、わたくしがお願いいたしました」
 すると、ジャンヌが心配そうにナリアを見た。
「私たち、どうなっちゃうの?」
 そう言いながら自分の体を抱え込むジャンヌの姿を見て、ナリアはそっとその体に触れた。
「安心なさい。これ以上あなた方、いえ、この町そのものに何かがあると言うことはありません。それは、星の人であるわたくしとアースが許しませんよ」
 その言葉に、ジャンヌは、うん、と一言言って涙を拭き、黙り込んだ。
 それからしばらく、アースがクロヴィスの部屋から出てくるまでの間、誰もが黙って過ごすことになった。それぞれの想いはあれど、みんな一つのことを考えていた。
 そして、沈黙の中、ドアノブに誰かが内側から手をかけたので、外にいる誰もが緊張した。ドアがきちんと開き、アースが姿を現した。
 全員が、息を呑んだ。
「助かったの?」
 アースは少し疲れた顔をしていたが、元気な様子でリゼットの問いかけにこう答えた。
「心配をかけたな。命に別状はない。少し出血はしたが傷はそんなに深くなかったから、傷口もうまく縫えた。だが、本人は相当疲れている。二、三日はそっとしておいたほうがいいだろう」
「じゃあ、助かったの?」
 リゼットがすがってくるので、アースは屈んで彼女の肩に手をやった。
「ああ、助かった」
 アースがそう言うと、リゼットは目に涙を溜めてエリクとジャンヌのところへ行った。
「クロヴィスは助かったわ! セリーヌにも知らせないと!」
 そう言って廊下を走って行こうとするリゼットを、ナリアが止めた。
「アースの話は終わっていません。これからわたくしたちがどうするべきか、よく考えなければならないのです」
 そう言っているうちに、エーテリエの部屋からセリーヌが帰ってきた。リゼットは頬を赤らめる。
「エーテリエはもう自分で起きて食事ができるから、たまにお粥を作って行ってあげれば大丈夫よ」
 セリーヌは、そう言ってみんなの中に入って行った。
 それを確認すると、アースが続ける。
「当面はクロヴィスの傷の治療とエーテリエの病気の治癒が課題になるだろう。イル・ランサーのことについては、調査と説得をナリアとリゼットに頼む。宿泊費は当面、今まで稼いだ資金とレナートからもらった資金でどうにかなる。クロヴィスの傷とエーテリエの容体を見ながらになるが、クロヴィスにはセベルとジャンヌ、エーテリエにはセリーヌがつけば十分に可能なはずだ。エリクは俺と一緒にいて、少し医学を学んで見るといい」
 ああ、アースはエリクが他のどれにも向かないことを知っているのだ。だから、本人にも周りにも気づかれにくい方法でエリクを罪悪感の源泉から遠ざけた。
 そのことに気づいたのはナリアで、彼女は少し寂しそうに笑いながら、アースの要求を呑む他の人間たちに馴染んでいた。
 アースがそれぞれの役割を振り分けると、ナリアはリゼットと頷きあった。
「町の人が何かを知っていないか、わたくしたちで聞き込みをしてみましょう。その上で安全を確かめながらもう一度鍾乳洞に向かいます。アース、あなたの力が必要になったら呼んでも?」
 アースは、その問いに、一つ、頷いた。リゼットはそれをみて安堵して、緊張していた体をほぐした。
 セリーヌはすぐにエーテリエの方に向かった。生物学を学んでいるセリーヌには少しだけ医学の心得があり、エーテリエの病気がまだ油断できない状態であることを知っていたからだ。
「私に何か力になれることがあったら言ってください」
 セリーヌは、ナリアとリゼットにそう言い残していった。
 エリクとジャンヌは、アースの許しが出たので、そっとクロヴィスが休んでいる部屋に入った。
 アースは二、三日休ませると言っていた。その間はたとえクロヴィスが目を覚ましていても静かにしておいた方がいいのだろう。
 ベッドの前に恐る恐る近づくと、クロヴィスはまだ眠っていた。鍾乳石はきちんと抜かれ、傷は清潔に保たれた状態で包帯に包まれていた。
 エリクは拳を握った。涙が出てくるのを抑えられない。歯を食いしばって息を荒げる。顔は真っ赤になっていた。
「エリク」
 ジャンヌが、エリクの固い拳に触れた。そのひんやりした感触がエリクの体に伝わっては消えていく。
「憎しみをもったまま、クロヴィスの前に立たないで」
 エリクは、首を横に振った。
 こんなにも何かを憎んだのは生まれて初めてだった。大切な人が傷つくのは怖い。でも、それ以上に大切な人を傷つけた存在が憎い。
 そして、何一つできなかった自分も憎かった。
 そんな気持ちを抱えたまま、クロヴィスになんと言えばいいのだろう。なんと言って侘びればいいのだろう。
 泣いたまま俯くエリクの拳を、今度はセベルが握った。
「師匠と一緒にクロヴィスの相手をしていたんだが、一つ気づいたことがあったんだ」
 セベルがそう言うと、黙ったまま聞いているエリクの隣で、ジャンヌが返す。
「気づいたこと?」
 セベルが、頷いた。アースは少し離れた場所で、何かが入った器を見て難しい顔をしている。
 セベルはそれを確認して、ジャンヌを見た。
「それはランサーのかけらで、イル・ランサーの一部だったんだけど、それがクロヴィスの体の中に少しだけ、吸収されていたんだ。そのかけらを抜くことは訳のないことだったんだけど、もし、抜いていなかったら重い病気にもかかっていた。俺たちが診るまでそのウイルスの侵入を阻んでいたのは明らかにクロヴィス自身の強い精神からくる力だったんだ。結論、クロヴィスは強いから、大丈夫だよ。君たちが、彼を強くしたんだ」
 するとその言葉に、エリクが反応した。
「でも、怪我をさせたのは僕だよ」
 エリクが震える声でそう言うと、少し遠くの部屋の隅で薬の調合をしていたアースが、こう言った。
「自惚れるな」
 エリクが、ハッとしてアースを見た。アースは薬の鉢を置いてため息をついた。疲れが出てきている。
「クロヴィスが庇わなければお前は死んでいた。お前にこいつを殺せるほどの力はない」
「でも、僕のせいでクロヴィスが傷ついたのは事実で」
 そこまで言いかけたエリクの情動を、セベルが抑えた。
「傷に響く。今の君をこれ以上ここに置いて置くわけにはいかない。あと、師匠はもう休んでください。後のことは俺とジャンヌでやりますから。師匠は大したことがないとおっしゃいますが、あの傷の手術の後なんですから、相当疲れているはずです」
 そう言われて、エリクは肩を落とした。アースは目を丸くしてセベルを見た。自分の持っている薬の鉢をセベルから取り上げられると、口をあんぐりと開けたまま部屋の外に出されてしまった。
 背中の方で部屋の戸が閉まる音を聞くと、アースもエリクも我に帰った。
「恥ずかしいです」
 エリクは、部屋の外の椅子に座った。アースは大きなため息をついている。
「大切な人を傷つけられて平気でいられる訳がない。恥じるな」
 アースはそう言って、深いため息をつき、椅子に座って頭を両手で抱えた。
「でも、あなたに叱られました」
 エリクが口を尖らせると、アースは少し寂しそうに笑った。
「ああいった建前だけでは静かにはならなかっただろう、お前も」
 すると、エリクは目を丸くしてアースを見た。アースがこんな弱音を吐くのは初めてだ。どれだけ疲れているのだろう。
「僕、少し疲れました。部屋に行って一緒に休みましょう。アースさんも疲れているんでしょう? セベルさんが心配していましたよ」
 アースは、返事をしなかった。
 しばらく返事を待ってみたがなんの反応もないので、静かにしていると、静かな寝息が聞こえてきた。
 アースは、椅子に座って頭を抱えた格好のまま、眠っていた。
「器用な人だなあ。いつもはすごく不器用なのに」
 エリクは、なんだか胸のつっかえ棒がとれた気がして、安心した気分になった。気がついたら、アースを背負って部屋まで辿り着いていた。
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