バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery

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戻ってきた感情

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夕焼けが差し込む、誰もいない視聴覚室。
あの文化祭の日、二人でこっそり抜け出して隣に座る隼人が、俺の名前を呼んだ。

『……なあ、陽』 
『ん?』

振り向くと、あいつが照れくさそうにでも真っ直ぐな目で笑う。

心臓がドクンと跳ねた。

『好き』 

──ピピピピピ。

「ん……」

鳴り響くアラームを手探りで止め、俺はガバッと起き上がった。

なんで、あの時の夢なんか……!

きっと昨日隼人にあったせいだ。
リアルな夢にドギマギしながらも、俺は大学に行く準備をしていた。

重い足取りで大学に向かい、一限の講義をぼんやりと聞いてやり過ごす。

そういや、隼人も同じ大学だって言ってたな。
キョロキョロと周りを見てみるが、隼人はいない。

案外合わないもんだな…… 学部が違うってだけで。

昼休み。 
騒がしい学食の中、俺は昨日と同じカツカレーをトレイに乗せていた。

「お、陽。お疲れー」

目の前の席に、篠原が刺身定食を置いてドカッと座った。

またいいの食ってる……。
昨日は給料日だったから奮発してたんじゃねぇのか。

金欠の敵め!

「お前またそれ食ってんのか?好きだなぁ~」

けらけらと笑う篠原。
好きで食ってるんじゃねぇつーの!

「そういやお前、バイト初日はどうだった?」
「げっ」

一番聞かれたくない質問だった。
俺はカレーの福神漬けを、スプーンで無意味にいじる。

「どうだったって……まあ、普通?」 

「普通ってなんだよ。可愛ことかいた?」 

「……いや、まだ全員と挨拶したわけじゃないから」

(まぁ……元カレはいたけどな!)
なんて口が裂けても言えるわけがない。

そもそも、俺が男と付き合ってたこと自体、こいつには話していない。

「……なんか、すげー覚えること多くて大変だったわ」

「あー、最初はそんなもんだって。すぐに慣れると思うぜ」

早く慣れてひとりだちせねば……!
じゃないと隼人がマンツーマンで教えてきて……また昨日みたいにドキマギするのはごめんだからな!

そしてバイトの日がやってきた。
あの夜、隼人と別れてから三日が経つ。 

今日が二度目のバイトシフトだった。

(行きたくねえ……)

ベッドの上で、亀のように丸くなる。 

最後にあんな言葉残されたら、どんな顔していいか分かんねぇもん。
……とはいえ、金欠の事実は変わらない。

俺は「ええい!」と気合を入れて跳ね起きた。

そうだ。元カレがなんだ。
俺は金を稼ぎに来てるんだ!

あいつがどんな態度で来ようと、完璧になんでもない距離を保って仕事を覚えてやる。
そう決意して、俺はバイト先へ向かった。

「おはようございます」

今日は休日だからバイト時間は少し長めだ。
俺は午後からシフトに入っていた。

 「……ん」

バックヤードでタイムカードを切る。
すでにエプロンをつけた隼人が、コーヒー豆の入った袋を数えていた。

隼人はもう出勤してたのか。
俺は急いでエプロンを付けて店長の元に向かった。 

「広瀬くん。今日はレジ教えてもらってね?」
「はいっ!」

今日は店長もいるみたいだけど、シフト作りがあるとかで、すぐに奥の個室に行ってしまった。

バックヤードで隼人ふたりきりになり、練習用のレジの前に俺が立つ。

「お願いします!」

俺は気合を入れて、ビシッと背筋を伸ばした。
身だしなみも完璧、準備万端……のつもりだったが、隼人の視線が俺の腰のあたりで止まっている。

「……な、なんだよ?」

「……お前、それ」

隼人は呆れたようにため息をつくと、スッと俺の背後に回り込んできた。

「え、わっ……!?」

不意に背中に気配が近づき、俺はビクッと肩を震わせる。

「じっとして」

低い声がすぐ後ろでして、腰に回したエプロンの紐がグイッと引っ張られた。

「前も思ったけど、結び目、ぐちゃぐちゃ。固結びになってるぞ」

「うそ!? ちゃんと蝶々結びにしたつもりだったのに……」 

「どこがだよ」

隼人の指先が、俺の腰元で器用に紐を解いていく。
見えない背後で、あいつの手が動くたびにわずかに指が腰に触れる。

普通の距離、普通の距離……。
そう自分に言い聞かせるが、俺はされるがままカチコチに固まって棒立ちになるしかなかった。

シュルッと衣擦れの音がして、あっという間に背中の紐がキュッと締め直された。

「……ん、できた」
「あ、ありがと……」

隼人は何事もなかったかのように俺から離れると、手元のマニュアルを指差した。

「じゃあレジ打ち教えていくから」

練習とはいえ、はじめてレジを触るからちょっと緊張する。
俺の隣にピタリと隼人が立つ。 

ち、近いな……。

肩が触れそうだ。

「客が来たら、まずいらっしゃいませ。笑顔」 

「え、笑顔……こう?」

にやっと笑って見せると、隼人に奇妙な顔をされる。

「まぁ……それでいいなら」

しかしそれ以上なにも言われなかった。

なんだよ!文句があるならなんか言えよな……!

「じゃあ客が来たと仮定して注文とってもらうから。まずはラテのトール、ホットひとつ」

「い、いらっしゃいませ!」 

俺は教わった通り、タッチパネルのレジ画面を押す。 

ええと、ラテは……どこだ?
ドリンクのカテゴリーが多すぎて、パニックになる。

「……ここ」

その瞬間、背後からふわりと隼人の匂いがした。 
コーヒーとあいつの使ってる柔軟剤の匂い。

懐かしい匂いだ……。
って、なに思い出してんだよ!今は仕事だろ!

俺の右肩越しに、隼人の左腕が伸びてくる。 
指が、俺の手の上から覆いかぶさるようにして、パネルの「ラテ」の項目をタッチした。 

耳元で、低い声が響く。

「……っ!?」

なんだこの体勢。 
な、なんか……近くねぇか!?

「……次。会計ボタン」 

「は、はい……っ!」

腕が離れていく。 
俺は言われた通り「会計」のボタンを押した。

ジジ、と練習用のレシートが印刷される音がする。

「……よし」

俺が緊張から解放されて、ふうと息をついた瞬間。
背後から、隼人が顔を出して言った。

「……できるじゃん」
「え?」

見上げると。
そこには、ほんの少しだけ口元を緩めた隼人がいた。

──ドキン。
 俺は、思わず視線を逸らす。

(なんだよ、それ)

久しぶりにみた……隼人が笑った顔。
隼人から笑いかけられると俺の心臓が決まってドキっと音をたてたっけ……。

「……次。ドリンク作成」

隼人はなにも気にしていないみたいに淡々と告げた。

「ドリンク……。マシン、触れるのか」 
「当たり前だろ。見てるだけじゃ覚えられない」

隼人が練習用のレジから離れ、バックヤードの隅にあるフロアと同じ型のエスプレッソマシンを指差す。 

よし……レジよりは距離が取れるはずだ!

「まず、スチームミルク。これはラテに使うやつ」

隼人はそう言って、ステンレス製のピッチャーに牛乳を注ぐ。
その手つきは、滑らかで手際がいい。

さすが高二の終わりからやってるだけあるな……。

「こんな感じ、やってみて」
「お、おう」

ピッチャーを渡される。
俺は隼人の真似をして、マシンのノズルにピッチャーを当てた。

難しいな……。

「こう?」
「ノズルの角度が違う。もっと深く」 

「えっと、こんなかんじ……?」 

「違う。……貸して」

ため息混じりに、隼人が俺の右側に回り込む。

そして。 
俺がピッチャーを握る右手の上から、あいつの左手が重ねられた。

「……っ!」 

「力抜いて、優しくやるんだ」

がっちり掴まれた手が、金属の冷たさ越しに隼人の体温で熱くなっていく。
な、なんか……全然集中できねぇ!

「スチームはこう……」

隼人は俺の手を握ったままノズルを操作する。
ゴオオオ、とけたたましい音を立てて、ミルクが泡立ち始めた。 

元カレに後ろから抱き込まれるようにして仕事を教わるなんて、どんな苦行だよ。
俺は真っ赤になりそうな顔を必死に伏せ、早くこの時間が終わってくれと願うしかなかった。

「……こんな感じ」

スチームが止まる。 
俺は大きく息を吐き出し、全身の力が抜けるのを感じた。 

「なんでもう疲れてるの?」

隼人が不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。

(だ、誰のせいだと思ってるんだよ……!)

お前が後ろから抱き込むみたいにして教えるからだろ!
心臓がうるさすぎて、ミルクの泡立ち具合なんて全然見えてなかったっつーの。

「き、緊張すんだよ! マシン触るの初めてだし……」 

俺は誤魔化すように言った。

「ふーん。力入りすぎなんだよ」

隼人はようやく俺の背後から離れると告げる。

「……次は在庫確認のやり方を教えるから」

隼人はそう言って、俺たちの後ろにあったストック棚に向き直った。
そこは、コーヒー豆やシロップが山積みになっている。

俺も隼人の後を追うように、棚を見上げる。
隼人が、一番上の棚にあるファイルに手を伸ばす。

背伸びした拍子にあいつのシャツが少しだけ捲れて、腰が見えた。

ヤベ、なんか見ちゃいけないものを……。
俺が慌てて視線を逸らした、その時だった。

「わっ……!」

さっきのスチーム練習で、床に少しミルクが飛び散っていたらしい。

俺はそれに気づかず、ツルッと足を滑らせた。

「うおっ!?」

体がうしろに倒れていく。

「危ない!」

隼人が俺に気づいてとっさに俺のことを片腕で支えた。 

あぶな、かった……。
隼人が支えてくれたお陰で尻持ちを付かずに済んだ。

「……す、すまん!」

俺が顔をあげると、すぐ近くに隼人の顔がある。

──ドキン。

心臓が、耳元で鳴っているみたいにうるさい。
俺の腰を支える隼人の腕。
あいつの匂いと体温が一気に流れ込んでくる。

「……ったく、てんぱりすぎ」

もうううううう!!
なんか俺まだ好きみてぇじゃねぇか!
ムカつく。
もう嫌いになったのに……。
隼人のことなんかどうでもよくなったのに!なんで今更思い出しちまうんだよ。

『……なあ、陽。……俺たち、もう無理かもね』

高校2年生の冬。
俺たちは別れた。

別れを告げてきたのは、あいつの方からだった。
無理かもね、なんて言われてしまったら断ることも出来なくて……元々モテモテだった隼人と俺は釣り合わなかったんだと思うことにした。

それからウワサが出回って隼人は色んな人と遊んでいるらしいって知って、俺も遊びのひとつだったんだと知った。
あっちは遊びだった。

だからこっちも深く考える必要なんてない。
心の傷を作りながらも、俺は必死であの日のことをなかったことにしようとしていた。
そして時間が立ち、隼人と離れることになって、過去の恋愛に消化できると思っていたのにこれだ。

「なんで再開なんかしちゃうかねー……」 

バイトが終わり、俺がエプロンを外しロッカーに向かおうとした時。

「広瀬くーん、三上くんもお疲れ!」

シフトが一緒だったひとつ上の先輩、美咲さんが声をかけてきた。

「この後さ……みんなでご飯行かない?」

はじめて誘ってもらったご飯。
これは参加すべきだ。でも……隼人がいるんだよな。
今日はやめておくか……。

もう少し距離が出来たら普通にできると思うから、その時にしよう。

「すみません、俺……今日予定があって……」

俺は、残念そうな顔を浮かべて美咲さんに頭を下げた。

「えーそっか……残念。じゃあまた今度ね!ご飯くらいなら私たちしょっちゅう行ってるから」
「はい、ぜひまた誘ってください」

俺はそう言って笑顔を作った。

「じゃあ三上くんは?行くよね?」
「今日、三上くんいるなら行きたーい!強制参加ね?」

女子たちが隼人の周りに群がる。
コイツ……ここでもモテてるのか。
俺が知っている高校時代と、何も変わらない。

隼人は、ああやって無表情で立っているだけで勝手に人が集まってくる。
あいつは、その輪の中心にいるのが当たり前なんだ。

(帰ろう……)

「お先に失礼します」

俺はみんなにそう言うと、逃げるようにバックヤードのドアを押した。
ムワッとした、五月の夜の空気が肌にまとわりつく。

「あちー……」

パタパタとTシャツであおぎながら歩いていると。

「陽!」

背後から、よく知った低い声が飛んできた。
隼人だ。

隼人がカバンを肩にかけ、息を切らしながらこっちに駆け寄ってくる。

なんで……?
隼人は、飲み会に行くんじゃないのか。

「……なに?」
「一緒に帰ろうと思って」
「……飲み会は?」

「陽が行かないなら、俺もいい」 
「なんでだよ」

意味がわからない。
俺が行かないのとお前が行かないのは、関係ないだろ……。

「みんな隼人が来るの、楽しみにしてたじゃん。行けば?」

女子たちに囲まれていたあの光景がフラッシュバックする。
あそこがお前の居場所だろ。

「陽といたいから」

静かな裏路地に隼人の声が、やけにはっきりと響いた。


「……あのさ、そういうのもうやめろよ」
「なに?」

無表情で訪ねてくる隼人。

こいつは昔からこうだ。
俺を期待させて、本気で好きになったとたんに突き放す。

もう俺は隼人を好きになりたくない。
隼人とは別の世界で生きていくって決めたんだ。

「俺はもう別にお前と友達でもないし、特別な存在でもないから」

お前の遊びにも、気まぐれにも、もう付き合うつもりはない。
俺が睨みつけると、隼人はひどく傷ついた顔をして立ち尽くしていた。

なっ……。
なんでお前がそんな顔するんだよ。

お前が俺のこと振ったくせに。
もうやっていけないって言ってきたくせに。
そんな顔すんのはおかしいだろ。

「……そう、だね」

隼人はそれだけを告げると、うつむいてその場から立ち去っていった。
 
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