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正式な制裁
しおりを挟むそれから、佐伯くんが私にしつこくつきまとうようなことはなくなった。
ちょうど1カ月が経ち、彼も正式にひとりで仕事をしてもらっている。
色々と肩の荷が下りてほっとした。
これで自分の仕事に集中できる。
彼は私がハッキリと言葉にしてフった後に、無理だと思ったのか、今は他の女性を口説いているようだ。
昼休みや仕事終わりに若い女性社員に声をかけている姿を何度か見かけた。
落とすのが楽そうな元カノにいったってだけで、けっきょく誰でも良かったんだろう。
本当愚かな人……。
昔はモテたんだろうけど、正直今の佐伯くんになびく女性はいなかった。
口だけが大きく中身が伴っていない。
彼の企画書も確認したけれど、かなり精度が低かったように思う。
もっと私より先を歩いている人だと思っていたから、そこも含めてガッカリはした。
でももう他人だから関係ない。
「佐伯さんってしつこくない?」
「分かるー俺モテるアピールしてくるけど、どこがって感じ」
「飲み行ったらさ、絶対過去の栄光話されるよ」
「私もそれ思ったー」
……すごい言われよう。
でも本人はモテてると思っているんだろうな。
「桐谷。少しいいか」
すると部長が私のデスクへとやってきた。
「なんでしょうか」
「佐伯くんのことなんだがな。試用期間の間彼の評価シートを記入しておいてほしい」
「分かりました」
私は課長という立場で、彼の能力を判断する必要がある。
ここは嫌なことをされたとか、そんなことは抜きにしてしっかりと評価するつもりだ。
そして三ヶ月が経った。
今日は佐伯くんの試用期間が終わる日だ。
大抵の人はここで正式に正社員として切り替わるのだが、今回は役員会議でも佐伯くんの行動や仕事ぶりが話題に上がることが多かったように思う。
そして出た通達は……採用見送りということだった。
仕事の精度も経験者にしてはレベルが低く、また勤務態度には目立つ問題があった。
女性社員への過度な接触や業務に関係のない私語の多さ。
また接待の際の先方への杜撰な対応の仕方など、それらの観点から彼の採用は見送られることとなった。
まさかこうなるとはね……。
そんなことを考えながら仕事をしていると、誰かが入ってきて声を荒げた。
「おい美和!どういうことだよ!」
オフィス中に響き渡る彼の怒声。
それは佐伯くんであった。
周りの社員たちが驚いてこちらを見ている。
「やめなさい、佐伯くん!」
おそらく自分の処遇を聞いて、怒りに任せてこっちにやってきたのだろう。
「俺が採用見送りになったって、お前が部長に何か言ったんだろ!」
私は彼の言葉を無視する。
まさかここまで落ちた人間だとは思わなかった。
自分の行動を客観的に見ることが出来ないのだろう。
「……俺は美和と昔付き合ってた!だから仕返しのつもりでやったんだろう!」
私情と仕事をない混ぜにして評価する人間がどこにいるのだろう。
私は責任をもって仕事をしている。
どんなに憎い相手がきたってそんなことで評価を下げたりしない。
「お前が俺を陥れたんだ!そうに決まってる!」
彼は逆上し私に掴みかかろうと手を伸ばした。
その時だった。
オフィスに鋭い声が響いた。
「それ以上みっともない真似はよしなさい」
声の主は、四宮くんだった。
社長である彼が騒動を聞きつけやってきたのだろう。
社長の登場にオフィスが静まり返った。
「……社長。だって、俺が採用見送りなんておかしいです!見直しを!社長にも私情が入ってるんじゃないですか!?この2人は結婚してるから、俺を厄介がってやったんだ!」
佐伯くんの言葉に周りが動揺する。
あの時からいつか言うんじゃないかと思ってたけど、ついに言ったか……。
しかし、四宮社長は気にすることなく言った。
「キミの評価は教育係である桐谷課長だけでなく、複数の部署からの報告を元に下されたものだ。僕はその報告に不備があるとは思えない」
「でも、俺はもっとできてたはずで……」
「本当に?キミのこの三ヶ月間の働きと今のその態度。それらがキミに対する正当な評価だと私は思うがね」
四宮社長のその静かな言葉は佐伯くんにとって最後のとどめとなった。
周りの社員たちが白い目で彼を見ている。
その視線に耐えられなくなったのだろう。
彼はそれ以上何も言えずうなだれたまま、自分のデスクへと戻っていった。
そして静かに自分の荷物をまとめると、誰にも何も言わずに会社から出ていった。
あーあ。
「ねぇ、さっき佐伯くん……桐谷さんと社長が結婚してるって言ってなかった?」
「言ってた!本当なのかな?だとしたらビックニュースじゃない!?」
佐伯くんが私と付き合っていたと言ったから、会社内で気まずくなってしまった。
みんなが私を見る。
好奇と困惑の視線が一斉に突き刺さり、フロアはキーボードの音も止まった異様な空気に包まれた。
その沈黙を破ったのは、静かに事態を見守っていた四宮くんだった。
「みなさん」
凛とした声がフロアに響き渡る。社員たちの肩がびくりと跳ねた。
「業務時間中にも関わらず、先ほどの件でお騒がせし誠に申し訳ありません」
彼は社長として、完璧な角度で深く頭を下げた。
その毅然とした謝罪に、社員たちのざわめきがピタリと止まる。
「佐伯くんの処遇については、先ほど私が伝えた通り、複数の部署からの報告に基づく正当な評価によるものです。それ以上でも以下でもありません」
彼はそこで一度言葉を切り、フロア全体を見渡した。
「業務と関係のない憶測や私語は、他の社員の集中力を削ぐだけでなく、会社の生産性を著しく低下させます。速やかに各自の業務に戻ってください」
穏やかだが、有無を言わせぬ強い口調。
社員たちは「は、はい!」「失礼しました」と慌てて返事をし、一斉に自分のデスクへと向き直った。
そして夜。
仕事を終えて帰宅しようとした時、何人かの女性社員が私の元へ駆け寄ってきた。
「桐谷さん、佐伯さんのこと気にしないでくださいね」
「えっ」
「社長から聞きましたよ。教育係として教えていたら気に入られてしまったんだって。それを社長が庇っただけだったんですね」
なるほど……。
そういう設定にしてくれたのか。
これなら私と佐伯くんが付き合っていたことも、うやむやに出来るし、社長と結婚しているということも、私を庇ったウソと処理することができる。
やっぱり頭の回転が早いな……。
こういうことをすっとやってのけてしまうのだから。
仕事を終え家に帰宅すると、私はソファに倒れ込むようにして座った。
はぁ……なんだか今日は疲れた。
人目にさらされたからだろう。
彼がここで働くことにならなくて良かった。
この3カ月間、モヤモヤした感情は続いたけれどハッキリと言い返すことが出来て、自分の過去から清算された気がした。
もう……ちゃんと過去の記憶から消すことができる。
私は可愛くない女でいい。
だって恋愛なんてこの先する気がないんだもの……。
しばらくして玄関のドアが開く音がする。
四宮くんが帰ってきた。
今日はいつもより早いな……。
『キミに対する正当な評価だと私は思うがね』
あの時、彼が私を守ってくれた。
それに後処理までしてくれたんだ。
そのお礼は言わないといけない……。
「……おかえりなさい」
「ただいま」
彼は涼しい顔でリビングに入ってきた。
『社長から聞きましたよ。教育係として教えていたら気に入られてしまったんだって』
でも、彼は気づかないように私に手をまわしてくれたのだから、ありがとうって言うのはおかしい?
そんなことを色々と考えていると、四宮くんはジャケットを脱ぎながら言った。
「少しはほっとしましたか?」
「えっ」
「佐伯くんの件で相当心労が溜まっていたでしょう」
着替えながら彼は私に背中を向けて静かにたずねる。
「ええ、まぁ……でも自分の中でスッキリはしたわ。それに……社員たちに根回ししてくれたみたいで……ありがとう」
私が答えると、彼は小さくつぶやく。
「あなたを守るのは僕の役目ですから」
その声は、社長としてではなくただの男として言っているような気がした。
「別にそこまで気負わなくていい」
契約相手にそこまでさせるのは、彼の負担になる。
それを望んでいるわけじゃないの。
しかし、彼は私の気遣いを遮るように静かに首を振った。
「気負ってるんじゃない。僕がしたくてしてるんです」
私は彼のまっすぐな視線から逃れるように顔を伏せる。
たまに勘違いしそうになる。
彼に与えられる愛がニセモノなんかじゃなくて、本物なんじゃないかと。
契約相手のはずなのに、その言葉はいつも私の心の壁を溶かし、この偽りの生活の先に「未来」があるのではないかと、あり得ない想像をさせてしまう。
「……っ」
これ以上、この男に心を揺さぶられてはいけない。
離婚する、その日までは──。
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