売れない不動産

本歌取安

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第3章 拒絶

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夕刻、奥村は京都市内にある喜連川義雅の現住所へと向かっていた。
地下鉄を降り、地上に出ると、古都特有の静けさが迎えてくる。
大通りから一本裏に入ると、低層のマンションが並ぶ閑静な住宅地に出た。

手にした登記簿の住所と照合すると、目の前のマンションが目的の建物だ。
築年数はやや古そうだが、管理は行き届いており、小さな中庭には椿の植え込みが手入れされている。

だが、エントランスのポストには「喜連川義雅」の名前は見当たらない。
部屋番号も記載がない。
表札のないポストを一通り確認したあと、奥村は周囲を見回し、少しだけ歩いてみることにした。

マンションの周辺を一周しようとしたそのとき、背後からゆっくりとした足音が聞こえてきた。

振り向くと、杖をつきながら歩いてくる一人の老人がいた。
白髪で痩身、深く刻まれた皺の間に、どこか厳しい静けさを湛えた表情。

奥村は老人に声をかける。

「すみません。この辺りに喜連川さんとおっしゃる方が住んでおられると聞いて来たのですが…」

老人は奥村の姿をまじまじと見つめると、眉をわずかにひそめた。

「……。あんた、喜連川に何か用か?」

突然の問いに、奥村は一瞬言葉に詰まった。

「え……ご存じなんですか? 喜連川さんのことを?」

「私が、喜連川だが」

そう名乗った老人は、ゆっくりと目を細めた。
その声音には張りがあり、どこか冷ややかでもある。
奥村はすぐに名刺を差し出し、頭を下げた。

「突然申し訳ありません。私、南急建設の奥村と申します。実は神有市のご所有地について、お話を伺いたく……」

喜連川は名刺を受け取ると、じっと文字を見つめてから、奥村の顔をまっすぐに見据えた。

「……あの屋敷のことか」

「はい。現地を拝見し、再開発の可能性についてお伺いできればと思いまして」

しばらく沈黙が流れた。
風が梢を揺らす音だけが、細く静かに響く。
やがて喜連川は、無言でくるりと背を向けた。

「ついて来い」

短くそう言うと、老人はマンションの入り口へと歩き出した。
奥村は戸惑いつつも、その背を追った。

杖を突きながらも、喜連川の歩みは不思議と力強かった。
エレベーターで、三階まで上がる。
自室玄関ドアの前で鍵を開け、奥村を振り返ることなく中へと招き入れる。

「靴はそのままでいい」

そう言われた奥村は、失礼しますと小さく頭を下げながら室内へ足を踏み入れた。
玄関からすぐのリビングへ通され、息をのむ。

独り暮らし用の家電・家具などが整然と置かれており、どこか生活感じない部屋であった。

しかし、入り口から左手の壁には、数十枚の写真が整然と貼られ、反対の本棚にはとても老人が読むとは思えない年代、ジャンルがバラバラな小説から漫画が並んでいたのが異様だ。

写真に目を移すと、すべて家族と思しき人物たち――若い父親、優しそうな母親、そして、よく似た顔立ちの二人の少女。

年代が異なる写真もある。

春の庭で笑っているもの、病室らしき場所で撮られたもの、窓際から外を見つめる少女たちの横顔――一際大きくて目立つ写真の下にはユリとアヤメと記載されていた。

「こちらは、お孫さんですか?」

奥村は何気なく喜連川に尋ねた。

「ああ、そうだ。ユリとアヤメ。双子の姉妹だった。事故で亡くなった息子夫婦に代わって、私とばあさんと一緒に暮らしていた」

「二人とも、本の世界が好きでな、よく小説や漫画を買ってやったものだ…。梶井基次郎の小説を読んだユリは、“桜って怖いんだね”って、でも笑ってたな。アヤメはCLAMPのマンガを夢中で読んで、“紫陽花の花が泣いてるみたい”って……」

喜連川は写真を一瞥すると慈しむような、それでいて物悲しそうな視線を向けたが、すぐに表情を戻し、厳然と言い放った。

「……あの土地のことだが、な」

背後からかかった声に、奥村は写真から目を離して振り返る。

「売れん」

その言葉は、重く、どこか冷たいほどに明確だった。

「理由を、お聞かせ願えますか? 条件次第では高値でのご提案も可能ですし、古屋の解体などもこちらで――。」

喜連川はソファに腰を下ろし、組んだ指を静かに見つめたまま言った。

「桜は、見たか?」

唐突な問いに、奥村は思わず言葉に詰まった。

「ええ、はい。先日見ました。今の季節には珍しいほど、見事に咲いていました」

「紫陽花も、咲くんだ。あの屋敷の庭には、他では見られないほど鮮やかな色で…」

喜連川はゆっくりと目を閉じ、小さく息を吐いた。

「おまえは、あの土地に何が潜んでいるのか知らん。知らぬ者には、その土地は渡せん」

その言葉には、哀しみと拒絶の気配があった。
奥村は返す言葉を探したが、出てこない。

「……失礼ですが、私はただ、あの土地が今後どう活かされるかを……」

「今日はもう、帰ってくれ」

短くそう言って、喜連川はもう話すことはないとでも言うように視線を逸らした。
部屋には遠い時計の音だけが響く。

奥村が『仮条件でも…』と切り出すと、静けさがギュッと締まるように感じる。
その静けさに今日は何を言っても無理だと悟り、奥村は無言で立ち上がり礼を言って部屋を後にした。

廊下を歩きながら、ふと背後に気配を感じて振り返る。
だが、そこにはただ、古びたリビングのドアが閉じられているだけだった。
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