パラレル・ライフ・シミュレーター

本歌取安

文字の大きさ
9 / 12

第9話 忍び寄る影

しおりを挟む
夜の大学キャンパスは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

研究棟を出てから、尚子は一言も言葉を発していない。
風の音、電灯の点滅、草木の擦れる音――それらが妙に耳についた。

彼女の中では、まだあの“シミュレーションの尚子”が生々しく息づいていた。

――咲良という名の娘。
――あの番組の中で、自分自身にペンを突き立てた女。
――そして、その女の顔が、自分と「まったく同じ」だったこと。

「違う、違う……」
歩きながら、小さく呟く。
誰に聞かせるでもなく、ただ否定するように。

坂道を下り、駅前のロータリーを抜け、地下鉄の階段を降りる頃には、尚子の顔から表情が消えていた。

電車に揺られている間、車内の窓に映る自分の顔を何度も見てしまった。
“あの女”の顔と、似ている。似ていない。どちらとも言えない。

自宅の最寄駅に着いたのは、夜の8時過ぎ。
改札を抜け、家へ向かう道――ここまで来れば見慣れた住宅街のはずなのに、今日の夜道はなぜかよそよそしく感じた。

住宅の並ぶ一本道を歩いていると、ふと背後に気配を感じた。

誰か、いる?

尚子は足を止め、ゆっくりと振り返った。
だが、そこには誰もいなかった。
街灯が照らすアスファルトと、並ぶ電柱、点滅する信号だけ。

「……気のせい、よね」

それでも尚子は、無意識にバッグの持ち手を握り直していた。
足取りを早め、さらに先へ進む。
もうすぐ家が見えるはずだ。

――ふと、再び気配。今度は、より近く。
「……っ!」

尚子は背中に粟立つような感覚を覚え、半ば駆けるようにして曲がり角を曲がった。

ようやく門柱の見えた我が家の前に辿り着いた時、ようやく呼吸が整い始めた。

門を開け、玄関の扉に手をかけたとき、ふと視界の端に何かが映った。

――電柱の影。
そこに、何かが「立っていた」

全身黒い影。
シルエットしか見えない。
顔は見えなかった。
ただ、髪が長く、静かにこちらを見ているように感じた。

尚子は一瞬、心臓が止まったような感覚に襲われた。

しかし次の瞬間、クリスマス休暇を過ごすために帰国した息子の声が玄関の向こうから響いた。

「母さん? 帰った?」

ハッとして、尚子は振り返らず、慌てて玄関を開けた。
「ええ、ただいま」

ドアを閉めたその瞬間、すべての物音が外界から遮断された。
家の中の明かりが、やっと“安全”という感覚を与えてくれる。

だが、背筋に残る冷たい汗は、しばらく引かなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜

桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。 上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。 「私も……私も交配したい」 太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

梵珠山に、神は眠らない ―八峰 遥の豪運―

事業開発室長
ミステリー
神の気まぐれか、何かの意思か―― 八峰 遥が遭遇する不可思議な出来事と強運の連続。 彼女を呼ぶ声は一体? 現実とオカルトが交錯する、 全10話完結の短編ミステリー。 シリーズ第2弾【十二湖は、今日も蒼い ―八峰 遥の天運―】 公開中

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...