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第19話: 嵐の前
秋祭りから十日が経った朝のことだった。
リゼロッテは執務室で報告書に目を通していた。辺境領の収支報告。秋祭り以降、交易量が目に見えて増えている。街道の整備も順調だ。
「きゅるる」
膝の上でルルが丸くなっている。銀の鱗が窓からの朝日に光った。時折、小さな尻尾がぱたりと揺れる。
「ルル、重くなりましたね。少し大きくなった?」
金色の目がぱちりと開き、また閉じた。返事をする気はないらしい。
リゼロッテは苦笑しかけた——その時だった。
廊下を駆ける足音が聞こえた。アレクシスの足音だ。
この執事が足音を立てること自体が、異常だった。
扉が開いた。
「お嬢様」
アレクシスの声はいつも通り落ち着いていた。だが、その顔は白かった。
「王都より、勅使が到着致しました。——王命を携えて」
膝の上でルルが顔を上げた。リゼロッテの指が、書類の上で止まった。
一拍の沈黙。
「……そう」
リゼロッテは報告書を閉じた。
心臓が一つ、強く打った。だが手は震えていない。
「内容は?」
「レクルス辺境領の接収命令です。領主であるお嬢様は、王都への出頭を求められております。——拒否すれば、反逆罪」
アレクシスの声が、わずかに硬くなった。眉ひとつ動かさない男が、拳を握り締めている。
「お嬢様、これは」
「アレクシス」
リゼロッテは静かに遮った。
立ち上がり、ルルを抱いたまま窓辺に歩いた。秋の空が広がっている。どこまでも青く——あの日の断頭台から見上げた空と、同じ色。
「想定内よ」
振り返った。
アレクシスが目を見開いた。
「使者を断った時点で、次はこう来ると分かっていた。前回もそうだったもの」
——前回。三年後の未来。リゼロッテは知っている。
王命が下り、領地を奪われ、王都に連行され、偽の証拠で裁かれた。待っていたのは断頭台。
でも。
「前回と違うのは——」
リゼロッテはルルを机の上にそっと下ろし、アレクシスに向き直った。
「今の私には味方がいること。アレクシス、人を集めて。対策を練りましょう」
「……かしこまりました、お嬢様」
アレクシスは深く一礼した。その目に、かすかな光が宿った。
◇◇◇
三十分後。領主館の会議室。
長机の周りに、リゼロッテ、アレクシス、マルテ、そしてジークハルトが揃っていた。
「——つまり、王家はこの領地を取り上げるつもりだ」
ジークが腕を組んだまま言った。壁に背を預け、深紅の瞳が書面を見据えている。
「名目は何だ」
「テイマーの力による魔獣の軍事利用、および隣国との内通の疑い。——ずいぶんと大きく出たものね」
リゼロッテは王命の写しを机に広げた。内通の相手とはつまり、ヴァルディス帝国。目の前にいるこの男の祖国だ。
「心当たりは?」
「あるわけないでしょう。全て捏造よ。フローラの手口だわ」
マルテが机を叩いた。
「ふざけんな! 姐さんが反逆なんてするわけないじゃん!」
「マルテ、落ち着いて」
「だって——!」
「落ち着きなさい。怒るのは後でいくらでもできるわ」
マルテは唇を噛んで黙った。拳は震えていたが、椅子に座り直した。
「前回——私が王都に呼び出された時は、ただ従った。弁明の機会も与えられず、用意された証拠を突きつけられて終わり。結末は、言うまでもないわね」
会議室の空気が重くなった。
リゼロッテだけが淡々としていた。一度死んだ人間は、同じ恐怖に二度は怯えない。
「今回は違う。まず、王命を即座に拒否はしない。出頭には応じる」
「姐さん!?」
「——ただし、条件をつける。公開の弁明の場を設けること。密室の裁きではなく、貴族院と王家の立会いのもとで審議を行うこと」
アレクシスが頷いた。
「証拠が捏造であれば、公の場でこそ覆せる。密室では握り潰されますが、衆目の前では隠蔽が難しくなります」
「その通りよ。フローラの偽造書類を、大勢の目の前で暴く」
リゼロッテは机に手をついた。
「それから、領地の接収については凍結を要求する。審議の結論が出るまで、この領地には手を出させない」
ジークがじっとリゼロッテを見ていた。
無言だった。表情も変わらない。だが、深紅の瞳の奥に何かが燃えている。
「——証拠はあるのか」
ジークの声は静かだった。
「フローラの偽造を暴く証拠。揃っているのか」
「完全とは言えないわ。でも、手がかりはある。フローラの聖女の力が魔道具による底上げだということ。あの書簡の筆跡を鑑定させれば、私の筆跡ではないと証明できる可能性もある」
「可能性、か」
ジークが壁から背を離した。長机の端まで歩き、立ち止まった。
「俺は帝国の人間だ。ルーゼリア王国の内政に口を挟む立場にはない」
言葉だけ聞けば、突き放すような宣言だった。
マルテが不安そうにジークを見上げた。アレクシスの眉がわずかに動いた。
「だが」
ジークはリゼロッテに向き直った。
「帝国の騎士として言うべきではないが——俺はお前の側につく」
短く、不器用で、それだけの宣言だった。
政治的にどれほど危うい発言か、本人が分かっていないはずがない。帝国の騎士団長がルーゼリア王国の一貴族の側につくということは、最悪の場合、帝国と王国の関係にまで波及する。
リゼロッテは一瞬、目を瞬かせた。
「……あなた、自分の立場が分かって言っているの?」
「分かっている」
「帝国に迷惑がかかるかもしれないのよ」
「知っている」
表情は変わらない。だが、深紅の瞳はまっすぐだった。逸らさない。逃げない。
「お前が無茶をするから、俺がここにいる。それだけだ」
会議室が静まった。
マルテが口をぽかんと開けている。アレクシスは——かすかに、ほんのかすかに、口の端を上げた。
「……勝手になさい」
リゼロッテはそっぽを向いた。耳が赤いのを悟られたくなかった。
ルルが「きゅる」と鳴いて、机の上からリゼロッテの腕に飛び移った。
「さて」
リゼロッテは息を吸い、全員を見渡した。
アレクシス。マルテ。ジーク。そして腕の中のルル。
前回は一人だった。今は違う。
椅子から立ち上がった。
「——王都に行きましょう。今度は、断頭台ではなく弁明の場に」
声は凪いでいた。恐怖がないわけではない。
でも、もう一人ではない。それだけで、同じ道でも景色が違う。
窓の外で、秋風が木々を揺らした。
嵐の、前触れのように。
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