セラルフィの七日間戦争

炭酸吸い

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第一章

002 シルヴァリー

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「ここは?」

 目を開けると、まず視界に飛び込んできたのは規則的に並べられた、不規則な木目であった。
 セラルフィはそれが天井だと悟る。規則的な配置の板、自然豊かな木目。
 上体を起こすと、ふと横の扉が目に入った。

「…………」

 剣がある。
 細長い赤みを帯びた鞘。
 サーベルのような護拳――半円状の大きな鍔――があり、すぐに自分のものだと理解した。

 ゆっくりとベッドから降りる。ご丁寧にシーツを掛けられているところを見ると、誰かに拾われたか。

 しかも驚くことに、ありったけの薬用ハーブがベッドに敷かれていた。恐らく、今の自分はハーブ臭が尋常じゃない。どのくらい寝ていたのか知らないけれど、ハーブの匂いに慣れてしまったせいか、もはや鼻も利いていなかった。

 ひた、と裸足で床に降り立つ。冷たい。足元には一足のブーツと、ブーツのつま先に白いニーソックスが、畳まれずに乱暴に置かれていた。

 どうやら応急処置を施されていたようである。とは言え、脚や腕、頭に包帯が巻いてあるぐらいだが。
 剣を握り、恐る恐る扉を抜けると、家の廊下に出た。数ある扉のうち、光の差し込む半開きの扉に向かう。

 そこは書斎だった。

 床一面に散乱しているのは医学関係の資料。
 小さなステンドライトに照らされているのは、分厚い医学書に顔を埋める少年だった。

「ん……やあ。起きたのかい」

 寝ぼけ眼で振り返る少年。ボサボサに跳ねた黒髪を撫でつけると、バッと剣の柄に手をやるセラルフィを見て、椅子から転げ落ちた。首にぶら下げた大槌のネックレスが床を這い、主人のもとから逃げていく。

「ちょっ……ええ!?」
「あなた何者? あの男の仲間ですか?」
「へ? 誰、あの男って……ぎゃあ! 待って待って剣抜かないで!」

 抜き身のロングソードを突きつけられた少年は、まるでこの世の終わりと言わんばかりに取り乱し始める。

「と、隣町まで買出しに出かけた子が助けを呼んだんだよ。君が倒れてるって。深夜でこの町の医者は森の反対側にいたからね。僕の家が一番近かったんだ。……そういえばあの森、一帯焼け野原だったけど、何があったの?」

 どうやら『あの男』の仲間では無いらしい。
 そう判断したセラルフィは、納刀して少年が落とした大槌のネックレスを拾う。
 すると急にぐらりと体が傾き、バランスを崩した彼女は盛大に転倒した。

「大丈夫ですか!? 急に動いちゃ駄目ですよ。丸三日寝てたんですから」
「まる……みっか?」

 丸三日。
 必死に立ち上がろうとしていた少女の脳裏に、あの男のセリフが過ぎる。

『一六八時間。つまり七日。その時がくればあなたの心臓は爆散し、同時にあなたも死亡する』

「ッ……!」

 こうしては居られない。丸三日も寝てしまったのかとセラルフィはいっそう腕に力を込めた。
 しかしすぐに力尽きる。丸三日も寝ていたと言う事は、丸三日何も食べていないと言う事だ。

「とりあえず安静にして下さい。すぐに朝食の用意をしますので」
「そんな、悠長に」

 待っていられるか、と言いたかったが、腹は正直である。
 弱々しく鳴く腹の虫に、少年はくすくす笑う。
 しかし少年も同じだったようで、セラルフィの腹の虫に呼応するように、少年のお腹もぐるる、と唸った。

「ね?」

 照れ隠しか、色白の顔が赤く染まりつつも、少年は砕けたような笑顔でそう言った。


     
     ****



 居間。
 彼の作る料理は早かった。
 こんな時の為に下準備をばっちりしていたらしい少年は、あっと言う間に次々と、白い皿の上に料理を乗せていく。

「どうぞ」

 テーブル一杯に広がる料理を見て、セラルフィは少年の言葉を待たず手を伸ばした。
 さながら飢えた獣のような食いつきに、少年も目を丸くする。
 三日間なにも食べていなかったせいかは知らないが、肉料理にしろ野菜にしろ、兎に角少年の料理は指折りに美味だと感じていた。
 一瞬にして数枚の皿を片付けると、次は大きなパンへ。しかしセラルフィの顔が急に険しくなった。喉を詰まらせたらしい。
 トントンと胸を叩くセラルフィに、少年はすぐさま牛乳瓶のふたを開けてグラスに注いだ。
 グラスを渡そうと思ったのだろうが、少年よりも早くセラルフィの手が牛乳瓶を掴み取る。
 喉を鳴らして瓶の中身が減っていく。人狼ウェアウルフも驚嘆するであろう速度で牛乳が消えていく。
 落ち着いたのか、エチケットペーパーを容器から取り出して口周りを拭った。

「すみません、見苦しいところを」
「あ、いえ。そんなに気に入ってくれると僕としても嬉しいと言いますか」
「そこまで気を使わなくて結構ですよ。申し遅れましたね。私はセラルフィです。長いのでセラと呼んでもらえれば」
「そう? もしかして堅苦しいの見え透いちゃったかな……僕はトトだよ。この街ではお互い身内みたいに良くしてくれるから、セラも長居するつもりなら紹介してあげるね」

 少年――トトも、少し緊張が解けたのかスープを飲み始める。ふとした時に、扉を開けた少女の方を見て、

「あ、リラ。お姉さんが起きたよ」

 手招きしたが少女はおびえたように扉の向こう側に隠れた。その割に何度もセラルフィの方をうかがっている。

「気にしないであげて。あの子極度の人見知りなんだ。僕が最初に会った時もあんな感じだったから」

 肩をすくめて少年は言う。

「あなたが私を助けてくれたのですか?」

 話しかけると驚いたように引っ込んだ。が、すぐに扉につかまるようにして覗いてくる。仕方なしにこちらから近づいた。
 一瞬逃げるような素振りを見せたが、覚悟したようにセラルフィを見上げる。

「ありがとう。リラ」

 微笑み、腰付近で見上げて来る少女の頭を撫でた。一度肩を揺らしたが、すぐに収まった。
 隠れたり逃げたりするような様子は消え失せたようだ。

「驚いた。こんなに早く初対面の人に慣れたのは君が初めてだよ」
「これ」

 視線を戻すと、リラが青く光る石のネックレスを差し出してきた。宝石の原石だろうか。ゴツゴツしているが表面は綺麗に磨かれている。

「あげる」

 森の付近から見つけたのだろうか。か細い声だったが、元気づけようとしてくれるのは分かった。

「いいの?」

 返事の代わりに頷きで返した。セラルフィも礼をして受け取った。

「私はセラルフィ。今のところ恩を返せるようなものを持ち合わせてはいないのですけど……何かあったらいつでも言ってください。助けになれることがあればどこにいても飛んでいきますから」

 とはいえ、自分の余命も限界に近いのだけれど。
 ネックレスを包帯の上からかけたセラルフィに小さく頷いた少女は、果物いっぱいのカゴを抱え、リンゴを一つ。テーブルの上に置いた。

「トト兄ちゃん。そろそろ帰らないとだから」
「うん。ありがとうねリラ。風邪薬はそこの棚にあるから」

 棚から薬を取ったリラは、二人に一礼した。ちらりとセラルフィの喉元を伺ったが、何か言うでもなく部屋を後にした。

「ところでセラ、君はどこから来たの?」
「それは……あの、覚えてなくて。自分の名前と、誰かに追われていたことしか覚えていないんです」
「記憶喪失か。町の医術書に書いてあったよ。大変だね。身元が分かるまで、この家を使ってもいいよ。僕も生まれが分からなくてさ。この町で知り合った友人に、色々と世話になってるんだ」

 どうやら向こうも訳ありのようである。ふと気になる事を質問した。

「ところでトト、ここはどこなのですか?」
「ユーリッドって言う田舎町だよ。ここは親切な人ばっかりだし、活気があるから今度街を観光してみるといい。あ、シルヴァリー国王が毎日広場にやってくるから、そこだけは行かない方がいいね」
「シルヴァリー? なんでその人が来ると行かない方がいいのですか?」
「それは……」

 急に押し黙ったかと思うと、トトはパンに手を伸ばし、何故か慌てた素振りで話を逸らした。

「そうだ。ずっと気になってんだけど、きみの喉元に浮かんでるそれ、なんなの?」
「喉……ですか?」

 ぎょっとして包帯が付いているかを確認してみる。しっかり巻いてあった。どうもセラルフィの心配している事とは関係が無いようだ。首を傾げてみる。

「あっれ? おかしいなあー?」

 言いながら、テーブルに身を乗り出してセラルフィの首に手を伸ばした。
 たまらず身を引くセラルフィ。

「あのすみませんが、おふざけに付き合っているほど暇では無いので」
「ああっ、いやいや。誤解だよ、ほら」

 慌ててトトは立ち上がり、台所に立て掛けてあった手鏡を取り上げた。それをずいっとセラルフィに突きつける。

「……ッ!?」

 忘れていた。否、すっかり胃が落ち着いていたため、危機感が薄れかかっていたと言った方がいい。

 【80:42:03】

 喉と胸の間あたりにある、小さく刻まれた数字。
 反対向きになるので読むのに少しかかったが、金色の光文字にはそう表記されていた。
 それは、女神像に浮かんでいたものと同じ。今は、セラルフィを絞殺するかのように秒単位でせわしなく数字が減っている。
 それが意味するものは――余命。

「そん……な」

 驚愕と絶望が脳内で渦を巻く。あと八十時間。残された日数を時間に換算すると、より現実味を痛感してしまう。
 試しに振り払おうと手を伸ばすが、触れた部分が煙のように霧散して、また戻った。
 動揺は更に増す。

「どうしたの? いや、それよりもその文字……まさか魔法でできてるの?」
「これについて、何かご存じですか」
「いや、あいにくだけど分からないな」

 心配そうに見つめるトトを見返し、淡い期待に胸を締め付けながら、消え入りそうな声で恐る恐る訊いた。

「あなた、知らない? 肩まである銀髪にマントの付いた紳士服。片眼鏡をかけた、私たちより背の高い男」

 返答は、意外なものだった。

「知ってるも何も……『シルヴァリー国王』だよ、それ」


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