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箒訓練

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 翌日は快晴で、午前中から暖かく箒日和だった。まずはお母さんが手本を見せる。
 箒を体の前に置くと、気流に乗るかのようにプカプカ浮いた。

「杖を使っていないのに」
「そう、箒も持ち主とつながっているのよ」言った尻から、箒は地面に落ちたが、彼女は気にしない。「頭の中で箒が浮かんでる画を想像して、呪文を唱えるの。今みたいに気を抜くと、つながりが消えてしまうわ」
 
 お母さんは再び、箒を迎え入れて、それに跨った。
 体は棒一本に支えられ浮いている。先ほどの失敗に用心してか、私を見やると、何も言わずに飛び立った。

 昨日も見た光景だったけれど、こんなに近くで、しかも馴染みのある人が飛んでいるという事に唾を飲んだ。
 お母さんは私が見やすいように、低速低空飛行を続ける。感想を言いながら、地上の私に手を振った。

 私も真似をしたいと思い、言葉にした。

「じゃあ、まず箒と結びつきを強める事からね」お母さんは私の目の前に着地して、箒を地面に置いた。そして、先ほどの呪文を繰り返した。

 見よう見真似で、右手を前に差し出し、呪文を念じる。箒に跨り、空を飛んでいる自分を想像した。

 現実はそう甘くなかった。箒は空中に浮くどころか、地面で動くこともない。

「最初は、そう簡単に行かないわ。焦らず」
「玲禾は、私と血がつながっているから、その箒を使えるはずよ」母は心を落ち着けたり、励ましたりしてくれる。
 ただ、お母さんの想いに応えようとすると、余計に空回りした。

「じゃあ、呪文を声に出してみよっか。心の中で念じるより、楽かも」
「キーホ ブーウカ」ようやくの実践的な助言を試す。箒の呼応を待ちわびて、余白を作った。
 静寂は、良くも悪くも現状を浮かび上がらせる。
 動くものが際立つはずが、様態はそのままだ。何度試しても、結果は変わらない。私の声だけが開けた空間に響き、段々空しい気持ちになった。

「呪文をただ叫んでるだけじゃ意味ないわ。声にした分、頭の空になった場所で自分自身が飛んでいるのを思い浮かべて」確かに、呪文を叫ぶのに一生懸命になり過ぎて、何も考える余裕がなかった。

 母の自分自身という言葉が、良い手がかりになる。
 自分が箒に乗って飛んでる姿を引いて捉えるのはやめて、飛んでいる時に見られるだろう景色を想像した。

 改めて浮遊魔法を叫ぶと、間髪入れずに箒が差し出した手に吸い付いてきた。箒の肢を握っても、この時を待ち望んでいたかのように、ぐるぐると暴れ続ける。

 私は腕っぷしを強くして、箒にまたがった。箒を自分の力で持ち上げた達成感から、何のためらいもなく飛行魔法を叫んだ。想像するのは、先ほどと同じ画だ。
 二つの魔法を結び付けると、自分と箒が一体になるのを感じた。頭の中の想像と目の前の現実が重なり合っていく。足が宙ぶらりんになった事で、これは現実だと悟った。

 私は空を飛んでいる!風を切って、太陽の恵みを一身先に享受した。

 遠くにあった木々との距離も、あっという間に縮まっていく。どこをどう動かしたか自分でも分からなかったけれど、木の手前で余裕を持って折り返した。母の姿はすっかり遠くの方だ。

 母は手を振って、応援してくれる。
 母がもう一方の手が握るのは杖だ。杖先は私ではなく、地面の方を向いている。自転車みたいに、最初は脇で補助するのが一般的なのかもしれない。

 上空では、視野が広くなる。左内さんが奥の道から近づいてくるのが見えた。
 彼にも、私の記念すべき晴れ姿を見て欲しくて、ピンと背中が張った。彼が近づく時間を作るために、何度も老木前広場を往復する。その度に新しい世界に入り込んだような新鮮さが待っていた。お馴染みの場所も、見る角度が違うと、絶景に様変わりする。

 いつか、ハル君と二人乗りして、一緒に感動を味わいたい。
 彼が運転して、私は後ろからしがみつく。それとも、私が彼を乗せてあげても良い。
 魔法歴からいって、後者が現実的かもしれない。
 こちらの世界では、私が彼を引っ張り、向こうでは彼が私を守ってくれる。

 目の前が老木に切り替わっていた。箒は、妄想のせいで二人分の重みを想定し、バランスを失った。墜落という未来を目の前に、何をすべきか分からなかった。

 叫び声のあとで、全身がトランポリンのように反発した。老木と地面を見ながら、空中を飛んでいた。どこかで跳ね返った後らしく、両足で着地すれば良かった。全ては一瞬だった。

「玲禾、すごいわ!初めてとは思えない」悲惨な最後はなかった事にして、お母さんが言う。
「そうかな」
「でも、最後は危なっかしかった。集中力を欠いたんじゃないか?」
「ちょっと楽しみ過ぎたのかも」ハル君のことを妄想してたなんて、とても言えない。魔法界の、ながら運転には気を付けないといけない。
「まあ、初めてにしては悪くない」彼も遠回しに私の奮闘を認めた。このくらいはやってもらわないと、というメッセージも顔に張り付けていた。
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